essay
六〇年安保は、竹内の「民主か独裁か」の声とともに、あれほどまでに「国民」的に高揚していったといわれる。 竹内は、「民主か独裁か、これが唯一最大の争点である。民主でないものは独裁であり、独裁でないものは民主である。中間はありえない」、「そこに…
前田愛「国民文学論の行方」(一九七八年五月『思想の科学』)などを見ても、竹内好が提唱し、戦後最大規模の文学論争に発展した「国民文学論」は、しかしきわめて不毛に終わったというのが概ね定説になっているようだ。前田は、不毛に終わった原因を、竹内…
そのグラムシ主義や第三世界論の、資本主義への「回収」ぶりが露骨に現れたのが、「土地」の問題だろう。津村は、これについても、「革命の考古学」や「共同体論」として、当初から問題の所在を示していた。滝田修のパルチザン論を批判した藤本進治の第二戦…
『津村喬 精選評論集――《1968》年以後』(二〇一二年)を編集した際(あるいはそれ以前から)、すでにすがは津村の思考のジレンマを見ていた。それは、「六八年」を「六八年」たらしめた津村や華青闘告発が、だが同時に「「六八年」を衰弱させた張本人として…
戦略とスタイル 増補改訂新版 (革命のアルケオロジー) 作者:津村 喬,高祖 岩三郎 発売日: 2015/12/18 メディア: 単行本 生前退位ー天皇制廃止ー共和制日本へ 発売日: 2017/07/03 メディア: 単行本 備忘録として(といっても、もうずいぶん前の話)。 二〇一…
いまや、ほとんど参照されることもなくなっているらしいジジェクは、次のように言っている。 したがって、敵対とは、異性愛とLGBTとの敵対ではない。敵対は(再びラカンのことばで言い換えれば、「性関係はない」という事実は)、規範的異性愛の核心に存在し…
経済を回しつつ、感染予防行動を徹底せよ。そんなことが容易にできるのだろうか。 誰もが気づいているとおり、それは「動け、かつ動くな」というダブルバインドの命令であり、端的に「矛盾」だからだ。 もちろん、資本制国家は、「ならば」とばかりに、前者…
大西は、その代名詞ともいえるエッセイ「俗情との結託」を一九五二年に、「再説 俗情との結託」を五六年に発表する。そして、九二年に「三説 俗情との結託」を、九五年に「「俗情」のこと」を発表した。大西は、前の二つのエッセイから後の二つに至る「三十…
コロナ禍における「西洋」からの「アジア」への差別には、YouTubeやSNSの卑劣な映像や言説を見るにつけても、「いったい、啓蒙された西洋市民社会など、本当にあったのだろうか」という「「近代」への疑惑」(中村光夫)を再び三度抱かずにはいられない。「…
資本主義の商品aとbとの「等価交換」の原理が、aやbの中に「労働力商品」をも捕獲し、その結果「社会」全体を包摂するに至った時、「リアリズム」が価値尺度となる。 近代資本制の要諦をなす等価交換システムが、商品化された労働力を疑似的中心とする商品世…
「新しい生活様式」は、決して「新しい」ものではなく、いわゆる(多文化主義的)「寛容」の完成形態に思える。 ネオリベ以降、われわれは他者と適切な距離を置くべきだとする、「寛容」な社会を求められてきた。あらゆるハラスメントはアウト、もちろん人種…
中村は、自らの短編集『虚実』(一九七〇年)の「あとがき」に次のように書いた。 事物を言葉で表現するのは、何らかの形で嘘をつくのを強いられることだが、嘘が嘘としての機能を果たすためには、本当に見えなければならない、という当り前のことが、いくぶ…
小説における「仮構」が、「いい加減な作りごとの方向」に逸脱せずに、「独立小宇宙」として完結した「仮構(の真実)」たり得るには、小説家が「公人」としての自覚を持たねばならない。そして、そのことによって、「語り手=ファクト・テラー」と「作者=…
大西は、まず「私小説」ではなく「一人称小説」と呼び、それを定義する。 私は、この文章の中で「一人称小説」という言葉を使うから、初めにその我流の意味を説明しておく。つまり私は、それを定義しておく。ある作の(一人称の)語り手が同時にその主人公(…
一九七〇年代に交わされた大西巨人と中村光夫の論争は、リアリズムについて考えさせる。大西「観念的発想の陥穽」(七〇年三月)→中村「写実と創造」(同年四月)→大西「『写実と創造』をめぐって」(同年四月)→中村「批評の基準について」(同年五月)と応…
ブランショに、革命=恐怖政治を文学と直結させていくのは、むろんサドの存在である。 一七九三年に、革命と《恐怖政治》とに完全に一致していた一人の人物がいた。〔…〕サドは優れた作家である。作家のすべての人間の中で最も孤独であり、それなのに公共的…
革命は作家の真実である。書くという事実そのものによって、自分は革命であり自由だけが自分をして書かせているのだと考えるに至らない作家はすべて、実際には何も書いていないのだ。(ブランショ「文学と死への権利」一九四九年、篠沢秀夫訳) ブランショは…
中村との対談の二年前、一九六五年から、三島は「太陽と鉄」という、自称「告白と批評との中間形態」を発表し始める。冒頭はこうだ。 このごろ私は、どうしても小説という客観的芸術ジャンルでは表現しにくいもののもろもろの堆積を、自分のうちに感じてきは…
三島由紀夫は、中村光夫との対談(『対談・人間と文学』一九六八年)で、日本の小説家がプルーストのように自我が崩壊しなかったのは、「左翼からの転向」があったからだと述べている。 自分はイデオロギーで戦って、イエデオロギーで罰せられて転向を迫られ…
奥野健男は、東大全共闘と三島由紀夫、そして村上一郎の「三者」関係について、次のように述べている。 三島由紀夫は全共闘の過激派が革命的暴力行動にいっせいに蜂起するのを望んでいた。それ故に昭和四十四年六月、東大駒場まで行って全共闘の学生たちと討…
先日、知り合いの子供たちが「ユーチューバーごっこ」をやっている光景を目にして、軽い衝撃を受けた。実際に配信しているわけではないようだが、トップユーチューバーを真似て、カメラの前で「番組」の動画を撮影しているという。ユーチューバーは、中学生…
かくして自我は法や愛や人倫などのような規定をすべて価値のないものとみ、単なる仮象とみるのであり、この自我がそれ自身のうちに集中すること、これがすなわちフリードリッヒ・シュレーゲルによって創案され、他の人々によって復誦されたイロニーであり、…
拙稿「江藤淳と新右翼」(『江藤淳 終わる平成から昭和の保守を問う』)は、「右からの六八年=保守革命」(フォルカー・ヴァイス『ドイツの新右翼』)の文脈で、江藤と三島を捉え直してみたものだ。だが、柄谷行人が「新しい哲学」(1967年、『柄谷行人初期…
少したってしまったが、先日12月15日、京大人文研で行われた公開シンポ「1968年と宗教」の後半から聴いた。講演者に武田崇元、すが秀実、聴衆に津村喬、外山恒一といった錚々たる面々が一堂に会するという、またとない機会だった。配布資料が膨大で、正直い…
江藤淳が、いわゆる「開かれた皇室」論に否定的だったのは当然だが、それはそれによって「共和制に近づく」と考えていたからであった。 大原康男 歯止めを失った“開かれた皇室”とは何か。そのゆきつく先は、皇室の本来もっている尊貴性を失って大衆社会に埋…
小谷野敦が、拙稿「江藤淳のプラス・ワン」(「子午線vol6」)を次のように批判している。 中島は江藤が、日本国憲法第一条について、「しかし、この第一条を即物的に読めばはっきりしていることは、いわゆる「主権在民」です。「主権在民」という以上は、…
この「ヒステリー」から「分析家」へとディスクールの移行から、さらにさかのぼってみたい誘惑に駆られる。それは、先日の記事でも書いた「江藤淳とヘーゲル」の問題に関わってくるからだ。 「大学のディスクール」とは、ポスト政治の「専門家=官僚」の支配…
先日の記事で触れた、すが秀実氏の講演「1968年以後の大学」は刺激的だった。とりわけ末尾に触れたラカンの4つのディスクール(言説)をベースに、大学の現在を読み解こうとする内容はきわめて示唆に富むものだった。以下、簡単にその講演末尾の部分の要旨…
「子午線6」掲載の「江藤淳のプラス・ワン」で詳しく論じたが、江藤は戦後日本を、民主国ではなく君主国と捉えようとしていた。 江藤 しかし、これについては現行憲法の一条と二条の相互連関をよくよく考えなければいけない。第一条には、天皇は日本国の象…
ジジェクは、バリバールの「平等自由egaliberte」や、バディウが共産主義の前提とした「平等の格率」とは、マルクスやエンゲルスが退けたブルジョアの価値にほかならないと述べている(「想像力の種子」『アメリカのユートピア 二重権力と国民皆兵制』)。今…