大西巨人と中村光夫の論争 その3

 小説における「仮構」が、「いい加減な作りごとの方向」に逸脱せずに、「独立小宇宙」として完結した「仮構(の真実)」たり得るには、小説家が「公人」としての自覚を持たねばならない。そして、そのことによって、「語り手=ファクト・テラー」と「作者=フィクション・メーカー」とが本質的に区別されねばならない、というのが大西の主張であった。では、大西のいう「公人」とはいったい何か。

 

 それを明言するのは難しい。だが、そのことを考えるうえで避けて通れないのは、これまた大西のキーワードである「言論・表現公表者の責任」の問題だろう。大西の小説、エッセイを問わず盛んに披歴される主張だが、ここではややまとまったテーマとして展開されているミステリー『迷宮』から引いておこう。

 

しかし言論・表現公表者の公表行為は、到底「私一個の心構え」ではあり得ず、必ず常に言わば「社会一般に施す法として考えた場合のもの」であらざるを得ない(なければならない)のです。つまり言論・表現公表者の作物は、必ず常に「社会一般に施す法として考えた場合のもの」として世に出されねばならず、また社会からそのようなものとして享受されることを覚悟していなければなりません(この場合、「法」が広義のそれ・狭義の「法」を内包する言葉・次第によっては狭義の「法」と対立背反する実体・人倫の道・倫理を指示するのは、私が断わるまでもないことでしょう)。それが、言論・表現公表者の責任です。

 

 ここは、「頭が駄目になったらば、そのときは自分で始末をつけますよ」という、いわば「認知症」による「安楽死」を、私的に肯定するだけでなく、それを「言論・表現」として「公表」する場合の問題が議論されるくだりである。そこで「私」はこう考える。

 

すなわち彼がそれを彼「一個の心構え」として抱くこと(そして黙黙として実行すること)または私的に語ることは自由ですが、それを公表する自由は彼にないのです。彼がその「私一個の心構え」を「公表」するとき、その公表行為の客観的効果の主要な一つは、人々にたいする「自殺」または「安楽死」の勧誘ないし奨励ないし強制なのだから。それが「私一個の心構え」であるのみならず、「万人の心構え」であるべきだ、という確証と確信とに立ち得た場合に、彼は、初めて公表し得るのです。〔…〕〝「自殺」または「安楽死」が至善公正であっても、――言い換えれば、「自殺」または「安楽死」が邪悪不正か至善公正かにかかわらず、――その肯定を彼が「彼一個の心構え」とのみ認め、「万人の心構え(たるべきもの)」と(確証と確信とをもって)認め得ないならば、それをそれとして公表する自由は彼にない。〟と私は言っているのです。

 

 「私一個の心構え」のみならず「万人の心構え」であるべきだという「確証と確信」が「言論・表現公表者」には不可欠である――。先の引用に「人倫の道」なる言葉もみられるように、ここではヘーゲルの「人倫」の実現が理想とされていよう。ヘーゲルは、「人倫」の具体的な現実を、「家族」から「市民社会」をへて「国家」において完成すると考えた。そのとき「市民社会」は、「特殊性」を一原理としながら、だが同時に「普遍性」の原理を持たねばならない。「特殊性=私一個の心構え」は、「普遍性=万人の心構え」に媒介されて、はじめて他の「特殊性」、ひいてはあらゆる「特殊性」をも生かすことができる。ヘーゲルは、この「市民社会」の理念の完成を「国家」に見た。

 さらにマルクスが、そのヘーゲルの枠組みを継承しながらも、プロイセン流の立憲君主制の域を出なかったヘーゲルの「国家」を批判的に換骨奪胎し、特殊と普遍とが真に一体となった「民主制」を構想する。それがのちに「共産主義」へと置き換えられていったことは、今さら言うまでもない。明らかに大西のいう「言論・表現公表者の責任」は、このヘーゲルマルクス的な「特殊性=私一個の心構え」と「普遍性=万人の心構え」とが止揚された精神に基づいている。大西のいう「公人」もまた、こうした「人倫」を体現した存在だと考えられよう。「仮構によって、そしてただ仮構によってのみ、普遍の物とすることのできる真実を語るのが、まさしく小説家の任務ではないか」(「公人にして仮構者の自覚」一九五八年)。

 

 大西にとっては、等身大の作家など「私的」な存在でしかない。したがって、「公人の自覚」がなく、「語り手」が「作者」自身と癒着してしまったかのような、いわゆる「私小説」は、ついに「私的=特殊性」でしかない。それが「普遍性」を目指した時に、「語り手」と「作者」とが分離した「人倫」的な「公人」が公事を語る、いわゆる「仮構(の真実)」が要請されるのだ。そのとき、小説作品は、はじめて「独立小宇宙」として完結するだろう。

 

 大西が「公人」を、例えば「共産主義者」と呼ばなかったのは、先に述べたように、やはりスターリン批判の嵐が大きかったのではないか(「公人にして仮構者の自覚」が書かれたのはスターリン批判の二年後であり、また大西が日本共産党と「絶縁状態」になる三年前である)。いわばこのとき、「共産主義者」と「公人」とが等号で結ばれること自体が、疑われ始めたのである。大西が、いわゆる「主人持ちの文学」(志賀直哉)を退けたうえで、なお存在するはずの〈ある制約〉を唯物論的に追究せねばならなかったゆえんである。

 

むろん私は、「文学が主人持ち」であることを肯定したのではない。しかし、私は、〝世界の人間的諸活動には〈ある制約〉があり、その部分としての文芸にも〈ある制約〉がある。そしてその〈ある制約〉すなわち〈ある「不自由」〉は、すべからくあるべきだ。〟と信じるのです。

 その〈ある制約〉を、「神」などの唯心論的・超越的な非存在に依拠することなく、唯物論的に究明することが最も肝心な要請だ、と私は考える。約五十年前、ジョージ・オーヱル〔…〕は、アーサー・ケストラー――例の『真昼の暗黒』の作者ですね、――にたいする彼の批判の中で、「あの世は存在しないということを受け入れた上で、どんなふうにして宗教的心性を復興樹立するかが、真の問題だ。」と断じました。私は、ここになお今明日におけるわれわれ人間の中心課題がある、と信じるのです。文芸における〈ある制約〉も、そのように唯物論的に究明・確立されねばなりません。

 

 大西の「公人」が、スターリン批判=主人「なき」文学以降の〈ある制約〉を、きわめて唯物論的かつ真摯に「究明」していったことは論を俟たない。だが、「仮構者」としての作家を支える「公人」という存在が、まさに時代の〈制約〉の中で、不可避的に揺らいでいったこともまた確かなのだ。

 

(続く)