嘘と転向――冷戦終焉期の大西巨人

 『大西巨人 文選2 途上』の「月報」の一文を、大西は「年ごろ私は、〈嘘(非事実ないし非真実)〉に関して幾度も書いた」と書き出している(「〈嘘(非事実ないし非真実)〉をめぐって」)。この一文が書かれたのは「一九九六年九月中旬」だから、「年ごろ」はほぼ冷戦終焉期前後と考えて差し支えないだろう。実際、そのあたりから大西は、「嘘」や「虚言」(あるいは逆に「正直」)にさかんに言及するようになる。

 

 もちろん、「俗情」や「変節」、「裏切り」なども含めて広義の「嘘」と捉えれば、これは大西年来のテーマであると言える。だが、「年ごろ」の状況が、「俗情」、「変節」、「裏切り」といった言葉ではもはや捕捉できず、それらが端的に「嘘」や「嘘つき」と呼ばれなければならなくなったことの方が重要だろう。それは「転向」の問題が、ほとんど無化されてしまったということにほかならないからだ。

 

 大西は、次のように状況を指摘している。

政治的ないし思想的な用語としての「転向」および「変節」を、私は、否定的価値判断の表現と長らく理解してきたのであり、そのように現在も理解しているのである。〔…〕ところが、近年だんだん「転向」、「変節」が、「豹変」の場合とは逆方向へ転義してきて(旧悪から善に遷ることを意味するようになってきて)、この分ではやがてそれらは、「変化」とか「異同」とかいう類の(没価値判断的な)言葉によって全面的に取って替わられて死語になり果てかねない。(「居直り克服」一九八六年)

 

 もちろん、このような「転向・変節合理化」は、この時に始まったことではない。屈伏し、転向・変節することこそ「人間的」であり、そうしないことを「非人間的」であるという「哲学」は、ことあるごとにはびこってきた(*注)。だが、「転向」や「変節」といったタームが、もはや「否定的価値判断の表現」を担いきれなくなった時、大西は「嘘」や「嘘つき」といった直截に否定的な言葉でもって、事態を言い直さざるを得なくなったのだろう。

 

 例えば、「一路」(一九九四年)において、大西は「本当の嘘つき」と言う。「朝日新聞」の記事の、「どうかすると、世の中には自分のしゃべっていることが、どこまで本当で、どこから嘘なのかまるで責任のない人がいる。こういう人を、本当の嘘つきというのだ」という一文を受けてである。そして、その「本当の嘘つき」に井上光晴を名指した。

 

 井上が、「一九五五年春、日共に復党を要請されたが、レーニンの思想を私はすでに、むなしい騒音だと感じはじめていた」(「秋のマフラー」一九九一年)と書いたのに対して、大西は次のように述べる。

 

舌でも筆でも「本当の嘘」をならべ立てるのが常であった井上のこと、『秋のマフラー』が、「本当の嘘」に満ち満ちているのは、別に不思議ではなかったが、右エッセイの執筆・発表時がいわゆる「ベルリンの壁・東欧共産圏の崩壊」後における一時期であっただけに、私は、甚だ不愉快・腹立ちを覚えた。

 井上光晴が「一九五五年春」「レーニンの思想を」「すでに、むなしい騒音だと感じはじめていた」とは、私は、彼から聞いたことも彼の書いたもので読んだこともなかった。もっとも、一九九一年は、私が井上と絶交してから十七年目であったから、その間は「彼から聞いたこともなかった」のは、当然である。

 井上は、「日本共産党代々木組」ないし「スターリン主義」を一九五〇年代から「すでに」いちおう批判してはいたが、「レーニンの思想を」「むなしい騒音と感じはじめていた」事実は、彼の舌および筆の活動のどちらからも毛頭認められなかった。〔…〕「ベルリンの壁・東欧社会主義圏の崩壊」後における一九九〇年代に、「バスに乗り遅れまいとした」「変節転向者」が「一九五五年春」ころ「すでに」「レーニンの思想を」「むなしい騒音だと感じはじめていた。」と書いた、とは、私は、たやすく信ずることができる。(「一路」一九九四年)

 

 井上の嘘つきぶりについては、大西はかなり前からことあるごとに言及してきた(「巌流井上光晴」一九六四年、など)。だが、いまや明確に、その「嘘」が「変節転向者」のそれとして、「本当の」嘘であり、また井上は「本当の」嘘つきとされるのだ。また、この前年には、これも井上との因縁といえる「作家のindex事件」をたたかっている。大西が、「作家のindex事件」を、単なる『すばる』編集部との行き違いなどではなく、これを「現代転向の一事例」(一九九三年)として捉え、その過程における「嘘=俗情」とたたかっていたことは明らかだ(「小田切秀雄の虚言症」一九九四年、など)。

 

 さらに、時あたかも、セクハラ映画として悪名高き『全身小説家』(原一男、一九九四年)で、井上の「虚構的存在」ぶりが積極的に主題化されていた。「全身小説家」とは、「全身」「嘘つき」の謂いにほかならない。だが、この映画では、「小説家」なのだから「嘘」をつくのが商売とばかりに、そのことが「全身」で肯定されるのである。

 

 大西が「本当の嘘つき」と言うとき、まずもってこの種の「小説家=嘘つき」というイデオロギーが切断されている。大西に言わせれば、『全身小説家』は、冷戦終焉期=社会主義圏崩壊に、「バスに乗り遅れまいとした」「変節転向者=本当の嘘つき」たる井上光晴を、「全身」で肯定する作品ということになろう(そして、「子供のころの「うそつきみっちゃん」が大人になって「小説家」になったのだから最高だ」、「井上は天才だ」、「小説家は言ったもん勝ち」と、井上の「嘘つき」ぶりを肯定するのが、花田―吉本論争で吉本勝利をジャッジした埴谷雄高であり、それが本作の井上評価の最終的な担保になっている)。

 

 これらは、大西がこの時期さかんに繰り返す表現でいえば、「〝「革命」、「マルクス(共産)主義」、「左翼」、「階級闘争」などを否定的または嘲弄的にあげつらえば、それで「オピニオン・リーダー」分子としての株が上がる〟というような情況の通俗的出現」にほかならない。大西は、この「小説家=嘘つき(虚構的存在)」が、「俗情」と「結託」したイデオロギーにほかならないことを「全身」で示すために、徹底的に「小説(家)」の問題として、これと戦おうとしたのだ。

 

 その時に、「仮構の真実」や「仮構の独立小宇宙」といったテーマが、再び三度浮上してくるのである。

  

(*注)これについて、大西は、「十五年戦争中」の島木健作や、「敗戦後初期」の福田恒存らを例に挙げている。だが、人間的/非人間的の序列を転倒して「転向」の合理化をはかった筆頭は、何と言っても「転向論」(一九五八年)の吉本隆明ではなかったか。だが、野間宏『真空地帯』問題や、共産党分裂とそれを背景に勃発した『新日本文学』の花田清輝編集長更迭事件における宮本顕治との関係もあってか、なぜか大西は、吉本の「転向・変節合理化」を指摘することはなかった。このあたりの大西と吉本の関係は、いろいろ考えさせられるが、今は措く。

 

(続く)