2018-01-01から1年間の記事一覧

1968年と宗教

少したってしまったが、先日12月15日、京大人文研で行われた公開シンポ「1968年と宗教」の後半から聴いた。講演者に武田崇元、すが秀実、聴衆に津村喬、外山恒一といった錚々たる面々が一堂に会するという、またとない機会だった。配布資料が膨大で、正直い…

止められるか、俺たちを(白石和彌)

若松孝二の弟子である本作の監督白石和彌は、本作のラストを「引き」で撮った。それは、若松プロの時代から「遠く離れた」現在を示すとともに、師・若松孝二自体の捉えがたさ、もっと言えば師の映画をこのように描いた白石自身の「自信のなさ」が映し出され…

江藤淳と「開かれた皇室」論

江藤淳が、いわゆる「開かれた皇室」論に否定的だったのは当然だが、それはそれによって「共和制に近づく」と考えていたからであった。 大原康男 歯止めを失った“開かれた皇室”とは何か。そのゆきつく先は、皇室の本来もっている尊貴性を失って大衆社会に埋…

小谷野敦氏の批判について

小谷野敦が、拙稿「江藤淳のプラス・ワン」(「子午線vol6」)を次のように批判している。 中島は江藤が、日本国憲法第一条について、「しかし、この第一条を即物的に読めばはっきりしていることは、いわゆる「主権在民」です。「主権在民」という以上は、…

すが秀実の講演「1968年以後の大学」について その2

この「ヒステリー」から「分析家」へとディスクールの移行から、さらにさかのぼってみたい誘惑に駆られる。それは、先日の記事でも書いた「江藤淳とヘーゲル」の問題に関わってくるからだ。 「大学のディスクール」とは、ポスト政治の「専門家=官僚」の支配…

すが秀実の講演「1968年以後の大学」について その1

先日の記事で触れた、すが秀実氏の講演「1968年以後の大学」は刺激的だった。とりわけ末尾に触れたラカンの4つのディスクール(言説)をベースに、大学の現在を読み解こうとする内容はきわめて示唆に富むものだった。以下、簡単にその講演末尾の部分の要旨…

シンポジウム「日本近代の〈知〉と大学」

学内的な「お祭り」イベントですが、参加自由です。 すがさんの講演「1968年以後の大学」、綱澤さんによる文芸学部創立の頃をめぐる講演(タイトル未定)があります。シンポジウム 『日本近代の〈知〉と大学』10月16日 15時〜17時アカデミックシアター3号館…

1987、ある闘いの真実(チャン・ジュナン)

韓国の民主化の映画を見ると、ある種の羨望を覚えずにいられない。冷戦の崩壊は、さまざまな意味でわれわれから「未来」を奪った。だが、まだここでは冷戦が終わっていないのだ。 それが「幻想」であることもよく分かっている。それは、実質的にはとうに「崩…

江藤淳とヘーゲル

「子午線6」掲載の「江藤淳のプラス・ワン」で詳しく論じたが、江藤は戦後日本を、民主国ではなく君主国と捉えようとしていた。 江藤 しかし、これについては現行憲法の一条と二条の相互連関をよくよく考えなければいけない。第一条には、天皇は日本国の象…

ドライブイン蒲生(たむらまさき)

人生はドライブインのようだ。 ドライブインのメシは不味い。うまかったら、長居してしまうから。ドライブインは、どこからかやって来た人を、またどこかへと向かわせる、そんな場所でなければならない。それは、来し方と行く末を中継する「橋」だ。 冒頭、…

判決、ふたつの希望(ジアド・ドゥエイリ)

レバノン映画として初めてアカデミー賞にノミネートされた作品。 違法建築の補修作業にやって来た現場監督とその家の住人とのささいな行き違いが、しかし二人がパレスチナ人とレバノン人であり、さらに難民と彼らを差別し排除しようとするキリスト教右派政党…

カメラを止めるな!(上田慎一郎)

(本稿はネタバレを含みます) ゾンビが泥酔してゲロを吐いたり、腹を下して外で下痢便したりする。そのたびに、映画館は大爆笑だ。 この夏の「事件」と言ってもいい大ヒット作『カメラを止めるな!』は、リアリティとは何かを追求した作品だ、とひとまずは…

松本圭二『チビクロ』(『松本圭二セレクション9』)

チビクロ (松本圭二セレクション)作者: 松本圭二出版社/メーカー: 航思社発売日: 2018/06/11メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る「週刊読書人」8月24日号に、上記の書評が掲載されています。web版 ⤵ で読むことができます。 https://dokus…

平等への抵抗

ジジェクは、バリバールの「平等自由egaliberte」や、バディウが共産主義の前提とした「平等の格率」とは、マルクスやエンゲルスが退けたブルジョアの価値にほかならないと述べている(「想像力の種子」『アメリカのユートピア 二重権力と国民皆兵制』)。今…

江藤淳とアジア主義

「子午線」vol.6掲載の江藤淳論にはうまく組み込めなかったが、江藤は、すでに60年代に日本やアジアは「女」であり、そう捉える主体=視線は「男」であると、「性(差)的」に捉えていた。サイードやジジェクを先取りするような視点であろう。 都会育ちの江…

江藤淳の共和制プラス・ワン

子午線 原理・形態・批評 vol.6作者: 藤本哲明,究極Q太郎,中島一夫,増田秀哉,大杉重男,稲川方人,松本圭二,森本孝徳,白鳥央堂,安里ミゲル,石川義正,綿野恵太,長濱一眞出版社/メーカー: 書肆子午線発売日: 2018/06/15メディア: 単行本この商品を含むブログ (1…

ファントム・スレッド(ポール・トーマス・アンダーソン)

オートクチュールの仕立て屋で完璧主義の職人「レイノルズ」(ダニエル・デイ=ルイス)が、後半、自らのハウスの従業員が他のハウスに黙って移っていったことを、姉のシリルから聞かされる場面。姉が「今はシックな服を好む人も多いから」と、「シック」と…

生政治とプロレタリア独裁――ウェス・アンダーソン『犬ヶ島』のために

ジジェクが言うように、「生政治は恐懼の政治であり、あり得べき犠牲化や嫌がらせ(ハラスメント)に対する防御として定式化される」(以下、引用は『ロベスピエール/毛沢東』長原豊、松本潤一郎訳より)。移民への懼れ、犯罪への懼れ、生態環境の破局への…

ザ・スクエア 思いやりの聖域(リューベン・オストルンド)

地面に正方形(スクエア)が描かれているだけのアート作品「ザ・スクエア」。 ここでは誰もが平等の権利と義務をもつ。誰かがここで助けを求めたら、周囲の人間は誰もが助ける義務がある。傍観者であることが許されない「思いやりの」領域。映画は、この現代…

女は二度決断する(ファティ・アキン)

一行目からネタバレがある。 ラストの自爆をどう考えるかだろう。 これを、夫と子供をテロで失った主人公「カティヤ」(ダイアン・クルーガー)による復讐と捉えれば、裁判で証拠不十分のため「無罪」となったネオナチの実行犯二人を、自らの手で裁こうとす…

リベラル、天皇主義、アジア

梶谷懐「「リベラル」な天皇主義者はアジア的復古の夢を見るか?」(「現代中国研究」第40号)を院生らと読む。現在、院の授業は、中国、台湾からの留学生がマジョリティなので、特に中国における左派・右派の捉え方についてはさまざまな議論が出て啓発され…

素敵なダイナマイトスキャンダル(冨永昌敬)

「写真時代」はじめ、発禁と創刊を繰り返しながら、カルチャー・エロ雑誌を次々と世に送り出した雑誌編集長、末井昭の自伝エッセイの映画化。荒木経惟、南伸坊、赤瀬川原平、嵐山光三郎といった当時の「表現者」との邂逅、交通が描かれるが、直接は登場しな…

資本主義リアリズム――「この道しかない」のか?(マーク・フィッシャー)その3

かつて社会主義リアリズムというのがあった。ロシア革命を成就したソ連においては、社会主義がリアリズムたり得た。したがって、それが必然性であり普遍性であった。だが、革命を実現していない資本主義国(例えば日本)に移植された時、それは途端に矛盾を…

資本主義リアリズム――「この道しかない」のか?(マーク・フィッシャー)その2

したがって、単にアナーキズム的、ヒップホップ的な「反」資本主義ではなく、資本主義とは異なる「普遍性」でもって対抗しなければならない。「バディウが力説したように、有効性のある反―資本主義とは、資本への反発でなく競争相手(ライヴァル)でなければ…

資本主義リアリズム――「この道しかない」のか?(マーク・フィッシャー)その1

資本主義リアリズム作者: マークフィッシャー,セバスチャンブロイ,河南瑠莉出版社/メーカー: 堀之内出版発売日: 2018/02/20メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (2件) を見る 著者は1968年生まれ、私と同年である。最後までうつ病と闘った…

デトロイト(キャスリン・ビグロー)

「銃はどこだ!」「発砲した奴はどいつだ!」「言わないとまた死人が出るぞ!」 壁に手をついたまま、銃を体につきつけてくる警官たちの怒声を背中に浴び続ける。一人一人別室に連れこまれリンチを加えられる。 『ハート・ロッカー』、『ゼロ・ダーク・サー…

柄谷行人書評集

柄谷行人書評集作者: 柄谷行人出版社/メーカー: 読書人発売日: 2017/11/15メディア: 単行本この商品を含むブログ (1件) を見る上記の書評が、「週刊読書人」2月9日号に掲載されています。 「読書人」web版にアップされています。http://dokushojin.com/art…

月夜釜合戦(佐藤零郎)その2

本作に登場する男たちは、何らかの釜ヶ崎の記憶=歴史を背負っている。二代目を継ぐはずのタマオがしばらくこの地を離れていたのは、「仁吉」(川瀬陽太)に向かって吐き捨てるように、組のやくざが警官と共謀し賄賂をやり取りしていたことが発覚した、一九…

月夜釜合戦(佐藤零郎)その1

16ミリフィルムで撮られた本作を映し出そうと、劇場内に運び込まれた映写機のカタカタ回る音が、自転車の女がこぐペダルの音と重なるように映画が始まる。この映画館(神戸元町映画館)に普段は存在しない映写機が劇場後方に陣取っており、訪れた観客誰もが…