革命の狂気を生き延びる道を教えよ その4

 大西巨人は、「俗情との結託」(一九五二年)で、今日出海の『三木清に於ける人間の研究』と野間宏『真空地帯』における性の描かれ方に、「俗情との結託」を見出した。

 

まして人間が、ある条件の下で性慾処理・青楼行きの問題に直面して、そこに深刻な社会的・道徳的――一夫一婦制の、純潔の、売淫の存在その他についての――問題を発見したり悩んだりすることは、今日出海らの目には野暮の骨頂、お話しにならぬ滑稽、非人間的な事柄と映じるのであろう。〔…〕それは、この作品が(現代まだ労農市民・国民大衆〔特にその遅れた層〕の中に広汎に存在する)封建的・後退的要素すなわち俗情と結託することによって書かれ、それと結託することによって読まれた、という事実を指示するとともに、現在また今日出海帝国主義反動の狡猾極まるイデオローグとして俗情との結託・俗情の保守のために積極的に努力した、という事実を証拠立てる。〔…〕

 

しかしその曽田は「彼自身あそびに行かないわけではなかったが」ということ、すなわち彼自身の買春と社会主義反戦思想との関係については少しの疑問も感じる様子がないのである。のみならず、このことは、ひとしく作者もなんら疑問としないところであるらしい。この曽田は、時子と言わば「肉体主義的」な性関係を行ない、その行為の途中で彼女に「半ば兵隊に奉仕する感じ」などという相手を慰安婦扱いにした見方を抱き、それを「兵隊である限りは、こうなのである」と真空地帯のせいに解消してしまうのである。〔…〕ここにもマニラの青楼にたいする今日出海の場合とおなじ俗情との結託が認められねばなるまい。

  

 この時、大西は、明らかに一夫一婦制に反する性欲処理や買春行為を、あたかもそれが軍隊を含めた封建制の不合理性が支配する空間=真空地帯を「うちこわす」(野間宏)行為であるかのように描くことを「俗情との結託」として批判している。すなわち、「俗情」とは、一夫一婦制の外へと安易に踏む外すことを意味していた。

 

 さらにいえば、「彼自身の買春と社会主義反戦思想との関係については少しの疑問も感じる様子がない」と言うのだから、このとき大西は、一夫一婦制への永久革命こそが、社会主義の道だと考えていたはずである。大西からみれば、野間らの性的放縦など反革命以外ではなく、それが封建制の残滓の清算につながることなどあり得なかった。

 

 むろん、共産党員だったのだから当然だが、このとき大西は、講座派史観に基づく二段階革命論を信じていたということだろう。その一段階目においては、封建制の残滓を打破し、日本民主主義人民共和国を樹立する民主主義革命が目指されねばならない。大西においても、まずもって、一夫一婦制=平等の浸透が追求されなければならなかったゆえんである。

 

 そのように、講座派マルクス主義は、その「半封建」の残滓としての天皇制打破を、革命の第一段階において考えていたはずだが、当の戦後天皇制は、戦後憲法とともにいち早く民主主義と結託し、したがって王殺しは行われたこととした。戦後憲法の曖昧さは、結局すべて王殺しがうやむやになっていることに集約される。さらに、戦後天皇制は、皇太子と正田美智子の外婚制に基づく結婚(一九五九年)によって、むしろ一夫一婦制=民主主義の模範(象徴)となることへとアダプテーションした。マスメディアに即応した大衆社会の欲望の鏡像となる「大衆天皇制」(松下圭一)の成立である。ほぼ並行して、スターリン批判(一九五六年)以降、社会主義共産主義の信頼は低下の一途をたどっていた。

 

 このような歴史的文脈において、改めて大西の大江批判(一九五九年)を捉え直してみるとどうか。大西のいう一夫一婦制という永久革命が、社会主義の道を照らし出すことのリアリティは失われつつあったのではないか。大西の大江批判が拠って立つ一夫一婦制=民主主義は、戦後の大衆天皇制に簒奪されようとしていた。

 

 繰り返せば、大西においては、まだ二段階革命論の有効性が信じられていた。だが、すがの大江論が述べるように、父=法の不在(衰弱ではない!)において、「「父の名」の排除」のごとき狂気を生きる大江においては、いわば革命=王殺しはすでに訪れているのである(すがの読みでは、敗戦を前に死んだ父が王殺しの担い手であった、と)。姦通や近親相姦などを繰り返しながら、しかしそれに「否」という法が欠如しているがゆえに、ほとんど罪の意識を持たない「性的人間」たちは、一段階も二段階もなく、「今この現在が革命の時だ」と叫んでいたのではなかったか。その1で見たように、すがの大江論では、これがブント内「革通派」――新たな前衛党を提起する黒田寛一や、当面は小ブルジョワの運動でやっていくしかないという吉本隆明の方向ではない――が、「今ここにおける「革命の現実性」」をパラノイアックに強弁していたのと重なるわけだ(この革通派の流れと、まさに「マッドサイエンティスト」のような岩田弘の世界資本主義論が合流して、68年を準備することになる、と)。

 

 話を戻せば、大西は、『われらの時代』の同性愛を、「反自然的・反倫理的」と批判した。だが、大江は、まさに「反自然的・反倫理的」だからこそ、同性愛(のみならず数々の性的倒錯)を繰り返し描いたのである。

 

 大西は、「姦通がなぜ悪いか、というようなことを言ったり、そのとおりに実行したりする人間にたいしては、それが男子ならその妻にも、それが婦人ならその夫にも、姦通を実行させてみよ。もしそれでも当人が平気でいるようなら、その人間を精神病院に強制収容せよ」と挑発した(「批評家諸先生の隠微な劣等感」一九五九年)。大江が『性的人間』や『万延元年』などで、まさに姦通される夫を次々に描いていったのは、ひょっとしたら大西へのレスポンスだったのではないか(正気(正常者)をそれだけで敵視し、自ら「精神病院に収容」されるべく、病に苦しみながらも狂気に踏みとどまろうとした、吉田おさみのラジカルな狂気のように、というのは言い過ぎだろうか)。

 

J、きみは性倒錯だ、蜜子ちゃんに聞いたところでは、きみが自分の妻を性的に男色の相手の少年の代用みたいにあつかっているのはあきらかだ。はっきりいえば性倒錯の男が妻をもっているときには、他の男がその妻と肉体関係をもつべきなんだ、それは他の男の義務だ」(「性的人間」一九六三年)

 

 すがが言うように、大江の狂気は、「民主主義社会に潜在する「原父殺し」の反復であり、現実世界へと誘なったはずの父親による去勢の拒否」である。大江は、「政治少年死す」の「南原征四郎」同様、「「王殺し」以降の民主主義体制を称揚しているが、同時に、否と言う「父の名」=法が回帰していることに、倒錯的に抵抗している」のだ。

 

 王殺し以降の民主主義体制は「称揚」されなければならないが、同時に、その結果「父の名」=法が回帰してくることに対しては「倒錯的に抵抗し」なければならない――。それが大江を、「戦後世代の代表者(チャンピオン)」という戦後民主主義オピニオンリーダーのような側面とともに、それに抵抗する側面とに分裂しているように見えさせる理由である(いわゆる「懐」かしい人・大江と、「壊」す人・大江)。

 

 つまり、民主主義とは、平和で平等どころか、本来は!「王殺し」の狂気に反復的に見舞われる社会にほかならない。にもかかわらず、それが平和で平等のようにみなされているのは、原父が独占していた享楽が、その死後、共同体内に分配されていると信じられているからだ。

 

 だが、この享楽の平等な分配=一夫一婦制-民主主義とは、原父殺し後の「空席」を塞ぐように導入された「否=法」、すなわち外婚制-近親相姦の禁止が、あらかじめ書き込まれた「規範」にほかならない。平和で平等なのは、ここにおいては全員が禁止を受け入れているからである。分配以上の過剰な享楽が禁じられているから「平和」なのであり、それを全員一致で受け入れているから「平等」なのである(だから、大きすぎる享楽の不平等に対しては、その所有者はカリスマ(原父!)のごとき崇められる一方で、わずかな不平等に対してはきわめて嫉妬深い)。

 

 重要なのは、ラカンジジェクも言うように、この「禁止」がイデオロギーだということだ。つまり、「否=法」の導入とは、「主体が欲望の充足に内在的な不可能性を禁止に変換することによって欲望に構造的な行き詰まりを回避するような仕方に他ならないのである」(スラヴォイ・ジジェク『為すところを知らざればなり』)。まるで、「欲望が好き勝手にすることを妨げる禁止がなかったら欲望は満たすことが可能であるかのよう」に。

 

 民主主義の主体には、分配以上の欲望を満たす能力など、あらかじめ喪失されている。にもかかわらず、その自らの不能を隠蔽するために「禁止」という「否=法」を甘んじて受け入れているわけだ。ラ・ボエシのいう「自発的隷従」であり、それに反して「欲望を諦めるな」(ラカン)といわれるゆえんだ。また、大江の「性的人間」たちが、男根が「勃起しない、爆発しない」不能の者として、隠蔽されるどころか繰り返し描き続けられなければならないのも、「禁止」のイデオロギー性を暴くためだろう。

 

 欲望は不可能なのに、それは禁止されているので致し方ない、われわれは民主主義的な主体なのだから、その禁止を甘んじて受け入れよう――。そうすることで、「欲望の行き詰まり」(ジジェク)を回避しようとするのが、一夫一婦制をインフラとする天皇制―民主主義である。大西『神聖喜劇』に準えれば、天皇制―民主主義は、王殺しなど「知りません」を禁止(否=法)され、また「忘れました」を強要されているうちに、いつしか王殺しを不問に付すことを当たり前のように受容している社会にほかならない。忘れたことを忘れてしまったのだ(すがは別稿で、この状態を「認知症=転向」と捉え、大西がこれを恐れていた作家だったと論じていた(「大西巨人の「転向」」二〇一七年))。それに対して、大江は、「亡き父を狂人と見なし、それに唆されて自らをその無理な(理のない)狂気を反復する者とする」(すが)、すなわち王殺しを教わらずして教わりました(狂気をもって使嗾された)とすることで、王殺しなど「知りません」禁止にも「忘れました」強要にも抵抗しているのである。それだけが、天皇制―民主主義が、決して平和で平等なのではなく、ただ欲望に行き詰っているだけであることを知る、か細い「道」であるというように。

 

鷹四は戦後天皇制民主主義の体制に行き詰まっているのであり、それを「狂気」によってのりこえようとしたと言える。それが、今ここにおける「革命の現実性」である。大江健三郎が、『万延元年のフットボール』以降も、その「狂気」の「生き延びる道」に賭けていたことは、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』のみならず、それ以降の諸作品を見ても明らかではないか。(すが秀実「小説家・大江健三郎」)

 

 この大江の狂気を、PCで裁くことは不可能だろう(排除はいくらでもできる)。PCは、いかにそれが過激に見えようとも、あくまで天皇制―民主主義のもとでの平等=分配の追求にすぎないからだ。そしてそれは、「なんじの欲望を諦めよ」と、革命など「忘れました」にしか帰結しない。

 

中島一夫

 

革命の狂気を生き延びる道を教えよ その3

 大江健三郎の狂気が生き延びる道、それは天皇制―民主主義のインフラたる一夫一婦制に回収されまいとするところに賭けられている――。

 

 そのように考えれば、大西巨人による、あの激烈な『われらの時代』批判も、また違った角度から見えてこよう(「大江健三郎先生作『われらの時代』の問題」一九五九年十一月「新日本文学」)。

 

 大西は、『われらの時代』における性的な記述や描写をおびただしく列挙した後、「ここにあるのは、そのほとんどすべてが知ったかぶりであり、あるいは嘘であり、比喩・修辞として徹頭徹尾観念的に上っ調子の下作であ」るという。そして、そのような『われらの時代』の嘘、観念的、類型的な記述を「新感覚派」と一蹴した。

 

J・ジョイスが『ユリシーズ』の中で一人の男の顎鬚を陰毛に比(たぐ)えるかして、かつてそういう事柄が、「新感覚派文学」に一定の、主として皮相な刺戟を与えた。それは、その派の隊長横光利一において、「新感覚派」時代以後の『紋章』あたりにも尾を引いた。そこで、たとえば自動車のモーターの起動を男根の勃起に擬えて妄想する作中人物が、横光によって作り出された。なにも性的な比喩の採用においてだけではなく、その文体または修辞一般において、この大江先生は、「新感覚派」の、なかんずくその不毛浅薄な側面の糟粕を無遠慮に嘗めている。(大西巨人「「大江健三郎先生作『われらの時代』の問題」)

 

 要は、大西は大江を、新感覚派=転向イデオロギーの末裔とみなしたわけである。それは、「民学同」八木沢の描き方についてもいえる。八木沢は「到底語の真実の意味におけるコミュニストではあり得ない」、「それは、この先生の知ったかぶりの嘘と、そこから来る必ずしも意識的ならざるデマゴギーを物語る」と。だから八木沢=政治的人間と対照的に描かれる「性的人間」の靖男も、たかだか「心情のアナーキスト」にすぎず、それを意味ありげに描く大江は「心情のファシスト」である、と。当時の状況や両者の置かれたポジションから考えれば、大西の批判は正しいが、今回、すがの大江論を通して考えると、性的な位相の問題が違った側面から見えてくる。

 

 大西は、『われらの時代』批判を書いた翌月の時評(一九五九年十二月「新日本文学」)で、こう記している。

 

『われらの時代』批評の中で、私は、「この作中で男根が隆隆と奮い立つのは、ただ鶏姦という破廉恥な機会においてだけである。」、〔…〕これを端的に要約すれば、私は、同性愛を反自然的・反倫理的な行為と断定したのである。だが、一般に、同性愛にたいする非難を「偏見」、「因襲的なモラル」、「野蛮な無知な迷信の産物」として排斥する主張が、近代的な精神分析学者や社会批評家やによって、しばしば繰り返されてきている。そこで一定の見識を持つ読者が、私の批評に「偏見」、「因襲的なモラル」、「野蛮な無知な迷信」の類を見出したような気になり、私の上に精神の異常を推定してみる、というような事態も、発生し得るのであろう。(「同性愛および「批評文学」の問題」)

 

 大西は『われらの時代』は同性愛的な性愛を描いているから駄目だと批判していると、したがってそれが同性愛差別と受け取られたというわけである。もちろん、これは大西としては不本意だった。まずもって、大西は、『われらの時代』の性的な記述の「嘘」を批判したかったのである。だが、以前にも書いたように、大西にとって重要なのは「現実上の嘘と真実」と「小説上の嘘と真実」との明確な位相の区別なのであり(以下を参照)、

 

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 『われらの時代』に対しても、あくまで問題は、「具体的作品批評」の位相にあった。

 

もしもいま私が、同性愛は必ずしも全的には反自然的・反倫理的でないと仮定したにしても、『われらの時代』批評の中で私が同性愛を反自然的・反倫理的と断定したことは、具体的作品批評として全面的に正しいのである。前にも私が書いたように、『われらの時代』という仮構された小世界の内部においては、本来完全に自然的・倫理的であり得るべき異性間の性交が、すべて現実の否定的暗黒面に属し、仮定の上でも完全には自然的・倫理的であり得べからざる同性間のそれが、すべて現実の言わば肯定的光明面に属する。その仮構小世界の内部においては、同性愛と異性愛との同権よりも、むしろ前者の尊重と後者の貶下とが、客観的に支持されている。そこに、同性愛は自然的・倫理的であり、それに反して異性愛は反自然的・反倫理的である、という道徳的・社会的価値判断が提出されていると見られる。しかもその提出は、既存価値の転換・新しい価値の建設の試みとしてではなく、全然無理由に、無目的に、放埓に、怠慢に行なわれているにすぎない。現実世界と仮構小世界との間のこういう無理由的・無目的的な断絶および価値逆転、後者(仮構小世界)に存在する同性愛偏重および異性愛排斥、そこに顕現する反現実的、逆比例的な均衡喪失は、作品すなわち仮構小世界にたいする具体的批評としての「同性愛は反自然的・反倫理的である」という判断を――同性愛は必ずしも全的には反自然的・反倫理的でない、という(仮定の)前提の存在もかかわらず、――決定的に正当化するのである。

 

 すなわち、大西にとって、『われらの時代』の問題は以下の二点に集約される。

  • 作品=仮構小世界の内部において、「同性愛=自然的、倫理的」、「異性愛=反自然的、反倫理的」という道徳的、社会的価値判断が提出されている。
  • だが、上の価値判断が、現実世界に対する価値逆転であるにもかかわらず、それが無理由に、無目的に、放埓に、怠慢に行われている。

 

 したがって、大西が『われらの時代』という個別の作品に対する批評において、「同性愛は反自然的、反倫理的である」と批判したのは、何もPCの問題ではない。「『われらの時代』に同性愛が書かれていることそれ自体を非難するのではなく、かえってそれが至極不正当、不十分にしか」書かれていないから批判したのだ、と。「現実上の嘘と真実」というレベルでは、大西自身は、「同性愛は必ずしも全的には反自然的、反倫理的でない」と考えているというのである。

 

 これは、一見詭弁に見えるが、フィクション=仮構小世界の条件を不断に問い続ける大西においては一貫している。大西においては、常に「語り手=ファクト・テラー」と「作者=フィクション・メーカー」とは本質的に区別されねばならないのだ。→

 

 だが、今考えたいのは別のことだ。果たして、『われらの時代』の同性愛の提出は、大西の言うように、「既存価値の転換、新しい価値の建設の試みとしてではなく、全然無理由に、無目的に、放埓に、怠慢に」行われたものだったのだろうか。

 

 大西の大江批判の核心を、もう一度見てみよう。

 例えば、『われらの時代』の「上質のフラノのズボンを、ジミーは、血の匂いと叫喚のたちこめる朝鮮で軍服のズボンをずりおとしていどみかかってきたときのように荒あらしく脱いだのだ。そしてかれら(高とジミーと)の二つの男根は、怪物的な選ばれた男根として盤石の重みに耐え、……」という箇所について、大西はこう述べる。

 

こうして、この小説に登場する男根は、見当違いの、反自然的・反倫理的な対象にむかってのみ、その情熱を不健康にも発動する。男根のエネルギーの放出方向は、大江先生の手によって、本来の、正当な対象すなわち女陰から異例の、不正当な対象すなわち同性の直腸へと一気に逸らされる。ちょうど『人間の羊』において、アメリカ兵の暴力にこそ向かうべき一日本人学生の憤怒と憎悪とが、「進歩的教員」の戯画のつもりらしい一日本人同胞へと逸らされているように。またちょうど『不意の啞』において、アメリカ占領軍にたいしてこそ最大に集注されるべき日本村民の憤怒と憎悪とが、虎の威を借る下っ端の一日本人通訳へと逸らされているように。(「大江健三郎先生作『われらの時代』の問題」)

 

 読まれるとおり、大西の「同性愛は反自然的、反倫理的」という大江批判は、具体的には作中人物らの「男根のエネルギーの放出方向」が「本来の、正当な対象すなわち女陰から異例の、不正当な対象すなわち同性の直腸へと一気に逸らされる」ことに対する異議申し立てなのだ。大西にとって、男根が同性の直腸へと向かうことは、「見当違いの反自然的、反倫理的な対象にむかって」いることであり、あくまで女陰こそが「正当な対象」でなければならない。だからこそ、同性愛は「全然無理由に、無目的に」描かれてはならないことになる。

 

 これが何を意味するのかは、大江批判のみならず「新日本文学」誌上の時評全体を見渡してみるとよくわかる。別の回の時評では、例えば次のように論じられている。

 

もし男子は「一穴主義」を、婦人は「一根主義」を、相互の精神的ならびに肉体的満足において実行することができたなら、天下は太平であろう。先に私は、男女同権の正常な樹立の前途はなお遼遠、と言ったが、同時にそれは、「一穴一根主義」すなわち一夫一婦制の正当な確立の道は遥けし、ということである。われわれは、もうかなり長い時期に亙って一夫一婦制の基本の上に生きている。〔…〕この未完成の一夫一婦制、その正当な確立の要請(postulate)を前提として、初めて有婦の男子、有夫の婦人の第三者との異性関係は、倫理的否定語「姦通」をもって呼ばれ得るのであり、また呼ばれねばならぬのである。(「批評家諸先生の隠微な劣等感」一九五九年)

 

 要は、大西においては、「一夫一婦制=一穴一根主義」こそが自然的、倫理的なのである。したがって、それを「一夫一婦制を基調とする凡俗な家庭道徳」(平野謙)や「ブルジョア道徳」呼ばわりすることを、ことのほか嫌った。そうした連中の「性的放埓」や「畜生なみの性的「自由」」こそ「ブルジョア道徳」にすぎない。それは、資本主義的な「放埓」や「自由」を享楽しているだけだからである。

 

 こうしてみてくれば、大西の「同性愛は反自然的、反倫理的である」という大江批判の出所が、この「男女同権の正常な樹立」の前提たる一夫一婦制=一穴一根主義の「正当な確立の道は遥けし」であることは明らかだろう。未完成の一夫一婦制は永久革命なのであり、したがってこれに反する『われらの時代』は反革命でなければならない。言い換えれば、すなわち大西は、『われらの時代』の同性愛の提出を、いわゆる「俗情との結託」として批判したわけだ。そもそも、大西を一躍有名にした「俗情との結託」(一九五二年)は、一夫一婦制に関わる議論であった。

 

(続く)

 

革命の狂気を生き延びる道を教えよ その2

 その大江の狂気は、PCをこえたものとして見出される。

 

それがどのような意味で逸脱であり狂気であるかと言えば、今日のブルジョア道徳であるポリティカル・コレクトネスの水準に照らして大江作品を読んでみれば、明らかである。いちいち例をあげるまでもなく、人種差別や動物虐待(差別)、女性差別学歴差別、同性愛差別、階級差別、姦通、男根中心主義等々の表現を、そこに見いだすことは、今日ではたやすい。しかし問題は、大江が差別主義者だったと糾弾することでも、あるいは、それを――小説作品内においても――ヒューマニズム戦後民主主義!)によって克服したと主張することでもないだろう。そうではなく、差別主義や男根中心主義であるかのごとく表現されてしまう「狂気」だからこそ、大江は問題的な作家なのである。(すが秀実「小説家・大江健三郎」)

 

 『われらの時代』以降、大江が「男根中心主義」の「性的人間」を次々と描いていったことは言うまでもない。「性的人間」とは、「「勃起しない、爆発しない」男根が、政治的な意味でも恥辱であり停滞であることを含意」している(以降、特に言及のない「  」は、すが論による)。

 

 『われらの時代』の靖男は、その「停滞」が、天皇という「いかにも消耗や衰弱の象徴」をいただいている、この国の戦後天皇制に起因していると考える。一方には、コミュニストの純潔を保とうとする「民学同」(社学同(ブント)に改組される反戦学同がモデルといわれる)のコミュニスト八木沢がいる。八木沢は、戦後天皇制ではなく、第三世界の英雄ナセルを本来性として見出す「政治的人間」なのである。この靖男=戦後天皇制=性的人間が、八木沢=コミュニズム(党)=政治的人間と二項対立をなすとともに、両者の間のいかんともしがたいズレや断絶が、大江作品を駆動させてきた。

 

 すがも言うように、党のリンチに対する懐疑を共有するという意味において、初期の大江は、「正しく戦後派文学(「近代文学」派)の後継者の枠内にあ」り、ゆえに荒正人平野謙も大江を高く評価していた(平野にとって、党のリンチや粛清がいかに大きかったかということについては、以下の記事を参照)

 

 

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 だが、おそらく大江は、平野の「政治と文学」という文学史観においては、「文学」の側が、「政治」に対する劣等感に永遠に支配されるほかないことを看取し、そこに「性的人間」というファクターを導入することで、「政治と文学」からの突破をはかったのである。

 

 それは、どのような突破だったのか。前回述べたように、それが「性的人間」によって可能になる天皇制批判だったということだろう。「政治と文学」の「政治」とは共産党を意味するので、リンチや粛清とともに政治=共産党から離反して「文学」の側につくことは、共産党=講座派史観が可能にした天皇制批判も、同時に手放すことになるのだ。これまた前回述べたように、それはまた新左翼が陥った問題でもあった。

 

大江の独自性は、まず、疎外論と労農派のアマルガムである新左翼的なもの(「民学同」→ブント)と磁場を共有しながら、そこに天皇制批判を可能にする「性的人間」というファクターを導入したところにある。

 

 それは具体的には、『万延元年』の鷹四が、天皇制を不問に付したブントではなく、それを保持し得た講座派史観=共産党系の活動家として描かれたところに見出される。すなわち鷹四は、『われらの時代』のラストで分離を余儀なくされた政治的人間(八木沢)と性的人間(靖男)とが、同一人格のもとに連帯した人物として設定されているのだ。「政治的人間と性的人間」の対照とは、大江が、自らの出発を規定していた「政治と文学」という対立を乗り越えるとともに、かといって政治=党と言って済ませるわけにはいかなくなった時代(=スターリン批判以降の「われらの時代」)に導入されたパースペクティヴであるということが、この『万延元年』において明確になるのである。

 

 では、なぜ天皇制批判は、「性的人間」によって可能になるのか。それは、戦後の天皇制―民主主義とは、端的に「性的」なものだからであろう。民主主義の平等を担保するインフラたる一夫一婦制という「性的」(ヘテロセクシャル)な規範は、戦後天皇制(戦後憲法下における天皇家)という模範的な家族によって体現されている。そして、一夫一婦制=民主主義とは、共同体内で女を独占していた「原父」を全員一致で殺すことで、近親相姦のタブーという法が導入され、それと引き換えにもたらされた共同体内(兄弟間)の平等と平和にほかならない、と。

 

 民主主義の平等とは、原父が独占していた性的享楽の分配によってもたらされる。戦後天皇制が王制ではなく民主制ならば、どこかの時点で王殺しが起こったはずだ。むろん、フレイザー金枝篇』――フロイト「トーテムとタブー」が論じる王(=原父)殺しの問題である。

 

 おそらく、これをほら話=フィクションとして退けるか否かで、大江の「性的人間」が作家の目論見として見えてくるか、あるいは単なる狂気にしか見えないかが分かれるのだろう。だが、すがが論じるように、戦後憲法=八月革命の成立自体にフロイトーケルゼンの「フィクション」が作動しているとしたらどうか。好むと好まないにかかわらず、われわれは、この歴史貫通的なフィクションを免れないことになる。このフィクションを「ごっこ」として終わらせようと苦闘したのが江藤淳だった。

 

 大江も、「セブンティーン」二部作などでこだわる、皇太子と正田美智子の結婚(一九五九年)は、「外婚制-近親相姦の禁止」の完成だった。すがの言う「戦後における法=「父の名」」である。なおかつ、民間の女性との結婚によって、戦後天皇制は「大衆天皇制」(松下圭一)へと、大衆社会化にアダプテーション=適者生存していった。現在、大衆天皇制の補完装置となっている芸能界(推し、燃ゆ!)における不倫へのバッシングも、天皇制―民主主義のバックボーンたる一夫一婦制を乱す者らに対する、平等共同体からの監視と処罰である。

 

 もちろん、『上級国民』(二〇一九年)の橘玲が言うように、先進国の「上級国民」は、財力にまかせて結婚と離婚を繰り返す「事実上の一夫多妻」である。今後、そうした「上級国民」と、一夫一婦制からはみ出す「下級国民=非モテ」との格差はますます拡大するだろう。そして、「性愛から排除され、女性から抑圧されていると考えている」非モテは、したがってフェミニズムと敵対し、ミソジニーを層として形成していくだろう。彼らを放置しておけば、アメリカの「インセル」のようにテロリズムを誘発しないとも限らない。したがって、今度はそれにアダプトしようと、大衆天皇制は、女性天皇女系天皇をも容認し拡張をはかることで、「下級国民」の受け皿=鏡像となるべく延命をはかっていくのではないか(女系天皇制が男女平等の顔をしながらネオリベ天皇制になっていく可能性については、すがの別稿「下流文学論序説」『天皇制の隠語』を参照)。

 

 だがその時も、いやその時はなおさら一層、一夫一婦制という「性的」な規範は維持されなければならないのである。繰り返せば、それこそが民主主義の男女平等のインフラだからだ。「インセル」が、一夫多妻につながりかねない自由恋愛を否定し、「道徳」的に一夫一婦制を強く求めるゆえんである。民主主義は、かくも性的なルサンチマンに覆われている。

 

 このように見てくれば、姦通、レイプ、近親相姦、肛門性交、痴漢、自慰、アルコール中毒、スカトロジー等々、すがの言う「「父の名」の排除」(ラカン)を思わせる狂気をもって、何度も回帰するように性的な倒錯が描かれる大江作品が、一夫一婦制の大衆天皇制において容認されないだろうことは容易に想像がつく。おそらく、大衆天皇制は、もう大江を読めないのではないか。もはやそれは、PCに支配された「教室」では忌避されるほかはない。そこでは、逆立ちしても「政治的人間」にはなり得ない谷崎の美的な性やフェティシズムはいくらでも受容されるものの、ともすると「政治的人間」に転化するかもしれぬ大江の「性的人間」は無理なのである。

 

 大江は、『われらの時代』の時点で、すでにそのこと――性的な次元で揺さぶりをかけられることが、大衆天皇制にとって最も嫌なこと――に自覚的だった。有名な一節だが引用しておこう。

 

ぼくはこの小説を書きはじめるまえまで、いわば牧歌的な少年たちの作家だった。ところがぼくはこの小説から、反・牧歌的な現実生活の作家になることを望んだのだった。また、ぼくはぼく自身のもっとも主要な方法として、性的なるものを採用することに、この小説をつうじて、はっきり決定したのだった。(『われらの時代』文庫版あとがき)

 

 そして、大江は、性を美的に表現する作家たちを「老人文学」と批判し、自らの方法を「その逆方向にむかって」いるとして、次のように主張する。

 

A ぼく自身は、性的なるものを表現するにあたって、直接的、具体的な性用語を頻発する、むしろ濫用するくらいだ。ぼくは性的なるものを暗示するかわりにそれを暴露し、読者に性的なものへの反撥心を喚起しようとさえする。

B ぼく自身にとって性的なるものは、外にむかってひらき、外の段階へ発展する、ひとつの突破口であって、それはそれ自体としては美的価値をもつ《存在》ではない。別の《存在》へいたるためのパイプとしての《反・存在》として小説の要素となっているものであって、ぼくはぼく自身の目的へ到るためにそれをつうじて出発する。

 

ぼくは読者を荒あらしく刺激し、憤らせ、眼ざめさせ、揺さぶりたてたいのである。そしてこの平穏な日常生活のなかで生きる人間の奥底の異常へとみちびきたいと思う。〔…〕そして、現実生活の二十世紀後半タイプの平穏なうわずみをかきたて、なめらかな表層をうちくずすために、性的なるものがもっとも有効な攪拌機あるいはドリルだと信じるからである。

 

 「性的人間」を描き続けることで、一夫一婦制=天皇制―民主主義という「平穏な日常生活のなかで生きる」「読者に性的なものへの反撥心を喚起しよう」とすること。「性的なるものがもっとも有効な撹拌機あるいはドリルだと信じる」こと。

 

 大江の狂気に満ちた「性的人間」とは、「別の《存在》へといたる」革命のための「パイプ」だった。「性的人間」に対する「反撥心」が、その不快や不穏や危険に耐えきれずPC的に排除されるとき、われわれは、平等で平和な天皇制―民主主義に、より一層包摂されるだろう。

 

(続く)

 

革命の狂気を生き延びる道を教えよ

 今さらだが、すが秀実「小説家・大江健三郎 その天皇制と戦後民主主義」(「群像」2020年3月)は、この批評家の68年論を考えるうえで不可欠な論考になろう。だが、そこから何かを学ぼうとする者は、いつにもまして突き放される。ここで、すがは、「今ここにおける革命の現実性」の可能性を、ほとんど大江の「狂気」が「生き延びる道」にしか見出すことができないと言ってしまっているからだ。果たして、狂気を学ぶことなど可能なのか――。

 

 時折、妙に足早になるこの論は、ひょっとしたら別に完全版があるのではないかと想像されるが、それも含めて、その内容をいまだとても咀嚼できたとはいえない。ここに雑然と書きつけられるのは、ほんのごく一部についてのノートにすぎない。

 

すが「自分自身のことを省みても、オレだって高校時代は吉本主義者で、〝何が学生運動だ、フン!〟とか思ってたんですよ。革マル主義者にはならなかったけどさ。ところが大学に入ってみると、吉本主義者だったはずの自分も、学生運動をやっちゃうわけだ。〔…〕その時に何が糧になったかと云えば、黒田というか埴谷雄高ではなく……クロカンと埴谷雄高は同じだからね。埴谷ではなくやっぱり大江健三郎なんです。大江健三郎の小説を読んでた。キチガイじゃないですか、大江健三郎も。小説を読めば、不倫は平気でやるわ……大江の小説って要は〝反民主主義〟なんですよ。大江健三郎を読んでたおかげで、オレは〝68年〟に乗れたんだと思う。」(外山恒一との対談「人民の敵」45号、2018)

 

 民主主義を問うことは誰にでもできる。だが、今や天皇制を、いや王殺しを問うことは「狂気」にしかできない。だが、この国は、王がいるのに民主主義を強弁し続ける。なるほど、天皇は王ではないといわれる。では、いつどのようにして王殺しは行われたのか。民主主義が強弁されるなか、このことは不問に付され続け、いまや狂気をもってしかアクセスできない。もう、このようなテーマで小説が書かれることもない。

 

 フーコーが狂気の終焉を宣告してからというもの、狂気を持続することほど困難なこともない(「狂気とはいったい何であったのか、ひとにはもうよく分かりはしない、という日がやがてくるだろう」(「狂気、作品の不在」一九六四年))。狂気は後景に退いてしまい、ポテンツを下げつつ薄く広く浸透し、今や「人はみな妄想する」(ラカン松本卓也)と言われる。王殺しの狂気は不可能になったのと引き換えに、王と民主主義とが矛盾なく両立する――これもまた資本主義が可能にした「できちゃった結婚」(シュトレーク『資本主義はどう終わるのか』)か――ことを受容できる「妄想」が広く共有されたということだろう。

 

 これまでもすがは、たびたび天皇制と王殺しを口にしてきたが、左翼知識人からは、実は天皇好きなのではないかと揶揄もされてきた。だが、この批評家が、いったい何にこだわってきたのかが、近年明らかになりつつある(『天皇制の隠語』(二〇一四年)あたりから前景化してきた)。それは、講座派マルクス主義から労農派へと転回した新左翼が、それゆえその世界(革命)性と引き換えに、天皇制を不問に付してきたことにほかならない。そして、天皇制が「半封建的な遺制」とは言えなくなった(リアリティを失った)時代に、なお王殺しを問い続けるために、このたび大江の「生き延びる」狂気が要請されたのである。

 

しかし、大江のめざましさは、天皇制を不問に付す時代の到来のなかで、逆に、「王殺し」という「志」を持続してきたところにある。たとえ、それが最終的に挫折しようとしまいと、持続は二〇〇〇年代の『水死』まで続く。

 

鷹四は戦後天皇制民主主義の体制に行き詰まっているのであり、それを「狂気」によってのりこえようとしたと言える。それが、今ここにおける「革命の現実性」(注-ブント内「革命の通達派」による)である。

 

 『革命的な、あまりに革命的な』(二〇〇三年)の段階では、大江の革命性は、相対的に『万延元年』の「鷹四」よりも「蜜三郎」に見出されていた。それは、『われらの時代』(一九五九年)の系譜が示す「神経症的/パラノイア的磁場」から「外」(ブランショフーコー)へと「逃走」する、その言説の「無責任=いいかげんさ」においてしかない、と。鷹四は「本当の事を言おうか」と言って死ぬが、蜜三郎にいたっては「何が「本当の事」やら知らぬ」のであり、蜜三郎の向かうアフリカは、もはや『われらの時代』のアルジェリアのような第三世界でも本来性でもない、と。そして、この大江の「無責任」に拮抗し得るのは、大江作品の「数」のテマティックを「荒唐無稽」な「数の祝祭」として肯定してみせた蓮實重彦の『大江健三郎論』(一九八〇年)の「無責任」さをおいてない、と。

 

 だが、今回、明らかに重心は移動している。ドゥルーズガタリの「n-1」をふまえたとおぼしきその「数の祝祭」の肯定は、「いささかオプティミスティックだったのではないだろうか」と批判されるのだ。「本稿は、そういう言い方をすれば、大江において「-1」の作業が難渋をきわめているところに、むしろ論点を置いている」と。

 

 蓮實の論じる、大江の「無責任」な「祝祭」とは次のようなものだった。

 

そのときはじめて、空位として残された定員一の正統的な後継者あらそいとは無縁のありとあらゆる細部が、《全体》の再現に不可欠な部分としてではなく、全体をも再現をも嘲笑する無責任な断片として、同じ一つの方位などを確信する律義さなど笑いとばす勢いで、「作品」という名の世界の表層に向けていっせいにせりあがってくる。そこでは、すべてが周縁的な少数者である。そして、全体に奉仕することのない断片たちは、荒唐無稽に設置される等号でとりあえずの関係を結ぶが、そこにみられる等号の無限連鎖は、中心など見たことも聞いたこともないといったようにひたすら偏心化する。〔…〕祝祭はすでにはじまっている。急がねばならない。(『大江健三郎論』)

 

 「空位として残された定員一の正統的な後継者あらそい」とは、王殺しの後の「空位」をめぐる「あらそい」を容易に想起させる。だが、大江の「数の祝祭」においては、その「あらそい」は「全体」も「再現」も目指されず、したがってそこは「中心など見たことも聞いたこともない」ような「すべてが周縁的な少数者である」世界である。少数者=マイノリティたちが、中心なき周縁において、おしなべて匿名の数=記号として無限に連なっている空間――。

 

 むろん、蓮實は、この王殺し後の共和制的といってもいい「祝祭」に対しても、「荒唐無稽、荒唐無稽」と半ば戯れてみせる。だが、一方、今回すがは、その「荒唐無稽」な「無責任」に対して、「いささかオプティミスティックだった」と懐疑するのだ。おそらくそれは、華青闘告発以降の世界ともいえる、このマイノリティたちが連鎖する「数の祝祭」が、PCという資本主義の「数の祝祭」?に簒奪=再領土化されてしまった帰結を目の当たりにしたからではなかったか。もはや、n-1の「数の祝祭」が批評的に機能し得なくなったということだろう。それは、自らの68年についても再考を促されたということでもある。「すべてが周縁的な少数者である」「数の祝祭」とは、新左翼天皇制からの「逃走」の帰結でもあるからだ。

 

 なぜ、「数の祝祭」は無効化したのか。おそらく、「数の祝祭」として見出される共和制の空間が、ジジェク的に言って、王殺し「抜き」のそれにほかならないからだろう。すがは、そのことを、端的に「天皇は単に「1」とは言えない」のだと言う。それは「「n」個である国民の「1」ではないのだから、「-1」を敢行しえない」、天皇は「万」世「一」系の「1」という「数」のテマティックとして戯れることはできない、と。

 

 これは、江藤淳天皇を「プラスワン」と捉えたことともかかわってくる問題である(拙稿「江藤淳の共和制プラスワン」(「子午線」6、二〇一八年)参照)。繰り返せば、近年のすがには、この「無責任」が、天皇制を不問に付してきた新左翼の「オプティミスティック」な「無責任」として見えてきたということだろう。むろん、それに対しては、「無責任の体系」の丸山眞男のように、単純に「責任」というだけでは済まない。その(市民の)責任とは、すでに王殺しが起こったことにする無責任と同じものだからだ。そのような責任=主体=主権が容易ではないからこそ、今回、生き延びる「狂気」が主題化されたのである。

 

(続く)

 

綾目広治『小林秀雄 思想史のなかの批評』

 

小林秀雄 思想史のなかの批評

小林秀雄 思想史のなかの批評

  • 作者:綾目広治
  • 発売日: 2021/02/20
  • メディア: 単行本
 

  上記書評が、「週刊読書人」4月23日号に掲載されています。

 

 すでにweb版で全文が公開されています。 

https://dokushojin.com/review.html?id=8125

 

 

いつの時代にも、その時代の思想界を宰領し、思想界から多かれ少かれ偶像視されている言葉がある様です。仏という言葉だった事もあるし、神という言葉だった事もある。徳川時代では天という言葉がそうだったし、フランスの十八世紀では理性という言葉がそうだった、という風なものでありますが、現代にそういう言葉を求めると、それは歴史という言葉だろうと思われます。(「歴史と文学」1941年)

 

 今回、書評のために、久しぶりにいくつか小林を読み直してみたが、正直辟易してしまった。

 

 例えば、小林は上のように語って、様々なる「言葉」が「その時代の思想界を宰領し」「偶像視されて」きたと言うものの、誰よりもその超越的に機能する「意匠」にパラサイトしながら何事かを語ってきたのは、当の小林自身ではなかったか。

 

 正宗白鳥との「思想と実生活」では超越的な「思想」の側につき、「私小説論」では「政治と文学」における超越的な「政治」にすり寄り、「歴史と文学」では「歴史」。もちろん、当時すでにマルクス主義は弾圧され、唯物史観は機能失調していたので、ここでいう「歴史」とは、唯物史観を否定した、例の「子供に死なれた母親」が「子供の死という歴史事実に対し」て抱く「愛惜の念」というやつだ。だから「歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている」と。

 

 この時小林は、「政治と文学」から「歴史と文学」へと重心を移動させた。だが、たとえマルクス主義唯物史観に見切りをつけ、そうではない「歴史」(=「決して二度と繰返しはしない」「無常ということ」)に身を移したところで、「政治」が流行れば「政治」、「歴史」が流行れば「歴史」と、「その時代の思想界を宰領し、思想界から多かれ少かれ偶像視されている言葉」に身を寄せていくスタンス自体には何ら変わりがない。

 

 本書の綾目広治も言うように、「小林秀雄は生涯においてマルクスから学ぶところはほとんど無かった」のではないか。小林に必要だったのは、「思想界を宰領し」「偶像視」される言葉たちであり、小林は次から次へと見境なくそれらに飛び移っていった。果たして、その移動を批評と見るべきか。

 

 蓮實重彦流に言えば、そのように超越性にしがみつく小林の言葉は、「悲劇」に逃げて「凡庸」を徹底できない、したがって「仮死の祭典」に耐えられない、要は批評の言葉ではないということになろう(拙稿「批評家とは誰か――蓮實重彦中村光夫」参照」。もういい加減に、小林を必要とする批評のパラダイムから脱却すべきではないか。この綾目の本の副題「思想史のなかの批評」も、まずもって小林の批評が、常に思想史を「宰領」した「言葉」に負けてきた、という意味に読まれるべきだろう。

 

中島一夫

 

民主主義の「本源的蓄積」その2

 民主主義(ジジェクは「民主主義」を、ほぼ「君主なき共和主義」の意味で用いている)の「本源的蓄積」ともいえる「創設の暴力」は、創設時のジャコバン主義者において露わである。彼らは、王の首をはねた後、大文字の他者=指導者となって自ら独裁を引き受け全体主義へと移行する、その一歩手前で踏みとどまった。そして、今度は自分たちの首がはねられることを選んだ。

 

 ジャコバン主義者が王の首をはねるという原初の一撃は、その後、王の後の「空位」を占めようとする者はすべて「罪人」であり、したがって次々と首をはねられねばならないことを意味する。それが、民主主義の大義というものだからだ。サン=ジュストが言ったように、王のいない民主主義においては「誰も罪なしで支配できない」のだ。ジャコバン主義者は、王殺し=民主主義の大義にきわめて忠実で、王殺し後に大文字の他者の手先として恐怖政治を執行する官僚となることを、自ら拒絶したのである。

 

ジャコバン主義者には大文字の(神、徳、理性、大義)の意志を満たす手先でしかないという絶対的な確信が欠けていたのである。革命的な大文字の徳になり代わっての恐怖政治の執行者という外見の背後に、ひょっとしたら何らかの「病理的な」私的利害が隠されているかもしれないという可能性によって常に苦しめられていたのが彼らだったのだ。(『為すところを知らざればなり』)

 

 ジャコバン主義者=真の民主主義者にとって、官僚になることは、大文字の大義や理性に則った「公僕」であるどころか、カントのいうパトローギッシュ(病理的)な「私利私欲が隠されている」行為として、断固退けられるべきものだ。ジャコバン的宇宙では、革命の英雄は、「英雄」という形式そのものによって、即「裏切り者」へと転化してしまうのである。

 

 一方、スターリン主義全体主義はどうか。

 

これに比べれば民主主義の後の全体主義では、革命家たちは大文字の他者の手先という役割を徹底的に引き受け、そのことによって彼らの身体そのものもやはり再二重化され崇高な質を帯びることになるのである。

 

 ジジェクが、スターリン主義全体主義を、常に民主主義(革命)「後」の問題として捉えていたことが重要だろう。当たり前だが、古典的、伝統的な大文字の主人たる王や君主と、全体主義的な大文字の指導者とは異質である。この違いを見ないなら、全体主義は単に時代錯誤的な個人崇拝にしか映らないだろう。

 

古典的な大文字の主人の権威は或るS1の権威である、こうした「不合理な」権威の心的力域なしでやっていきたいのが啓蒙なのである。その直後にこの大文字の主人は「全体主義的」な大文字の指導者という装いで再登場する。彼はS1としては除外され、S2つまり知の連鎖(例えば、「歴史の法則の客観的知識」)を体現しているような対象という姿を帯び、人食い的残虐さで歴史の必然性を完遂する「責任」を引き受けているのである。

 

 スターリン主義全体主義が現れるには、「「不合理な」権威」を「なし」にする近代的な「啓蒙」、すなわち王殺し=民主主義革命が先行していなければならない。大文字の指導者は「その直後に」「再登場する」のである。言い換えれば、サドが現れるには、カントが先行していなければならないのだ。

 

 そして、これこそが、悪名高き27年、32年テーゼの思想的な意味だろう。27年テーゼは、明治維新は不十分な革命であり、したがって王殺しを完遂するブルジョア革命を先行させ、それを強行的速度でもって社会主義革命へと転化せねばならないという、いわゆる二段階革命論を主張した(32年テーゼも、結局二段階革命論を採用した)。

 

 二段階革命論とは、先の文脈でいえば、いくら資本主義が成熟し、うわべはブルジョア資本主義に見えようとも、啓蒙=民主主義革命によって、古典的、伝統的な(万世一系!)大文字の主人が退場し、あの「不合理な権威」が「なし」にならないかぎり、一向に社会主義革命へと移行せず、したがってスターリン主義全体主義的な大文字の指導者が登場する余地もないということを示している。言い換えれば、カントが先行しなければ、それがサドへと転化することもないということだ。ここでは、サドはあくまで「カントの」真理なのである。

 

 だが、この国の革命は、スターリン主義全体主義をサド的な悪として忌避するあまり(また、それがしばしば、総力戦体制=全体主義と同一視され)、カント的なジャコバン主義者たちをも否定してしまったように見える(以前論じたように、この二段階の転化を、サド的な悪への「怯え」としてリアルに捉えていたのは、むしろ江藤淳三島由紀夫といった「保守」の側だろう)。「大逆」事件(一九一〇年)以降、そうだろう。

 

 だが、それは27年、32年テーゼを頭から否定することであり、その結果が佐野・鍋山の転向である。27年、32年テーゼをはなから思考の外に置くことは、結局、その佐野・鍋山の転向を矮小化された形で反復するほかない。その帰結が、現在の革命ぬきの民主主義、あの最後の「一匹を食う」という「創設の暴力」を曖昧に棚上げした民主主義である。この国では、民主主義「創設の暴力」は、(発話作用や発話結果の)「主体」あるいは「主権」の問題ではなく、被害――敗戦や占領という「災害」的な外圧――としてしか思考されない。

 

 現在の「民主主義か権威主義か」という議論は、「民主主義」についても「全体主義」についても、述べてきたように、原理的な突き詰めを回避した偽の問題設定にしか思われない。それは、六〇年安保の「民主か独裁か」(竹内好)の百倍薄められた反復でしかない。「民主か独裁か」も「民主主義か権威主義か」も、最初から答えが決まっている「踏み絵」のようなものである。とうに冷戦は終わっているのに「新冷戦」と呼び戻されているように、とうにスターリン主義全体主義は終わっているのに、「独裁」や「権威主義」は「悪=敵」として(のみ)呼び戻される。だが、あの「不合理な権威」は「なし」のはずの「民主主義」の側にこそ、不合理な「権威」が残存してはいないか。

 

中島一夫

 

民主主義の「本源的蓄積」

 ジジェクは、スターリン主義全体主義を、ある一点において民主主義よりも評価している。

 

それゆえ、スターリン主義的な共産主義は、或る意味では「正常な」市民的秩序よりも率直なのである。それは創設の暴力をあけっぴろげに認めるからである。大文字の党は、「我々の狙いは食人主義を無効にすることだ――だからこれをやり遂げるために最後の一人を食うことが我々の仕事なのだ」と言う原住民のようなものなのである。恐らく、ここから引き出されるべき結論は、或る根本的な素朴さ、何らかのことを語られなかったことにし、まるで知らないかのように行為しようという或る決心を含んでいるのがいわゆる「民主主義」であるということであろう。(『為すところを知らざればなり』)

 

 「食人主義」の「原住民」については注が必要だろう。これは、カントとサドの差異について、よくジジェクが挙げる笑い話に基づいている。

 

人食いの風習を探している探検家の問いに答えて、原住民はこう言う「いや、このあたりにはもう人食いはいないよ。昨日最後の食人種をこっちweが食べたんだから」と。発話結果の主体の水準ではもう食人種はいないが、発話作用の主体こそ最後の食人種を食べてしまったこの「こっちwe」なのである。ここにこそ「発話作用の主体」の割り込みがあるのだが、この割り込みをカントは避けたのであった。人食いを禁止する大文字の法の秩序は、最後の食人種を食べることを自ら引き受けるこのような卑猥な執行者を介してしか確実なものになりえない。カントは法の起源、法の力の起源を突き止めることを禁じているが、この禁止こそまさに「発話作用の主体」という意味での、すなわち卑猥な執行者―手先の役割を引き受ける主体という意味での大文字の法の(=只中の)この小文字の対象に関わっているのである。

 

 このたとえに倣えば、「この国にはもう人民を権力で統治する王はいないよ。昨日最後の王の首をはねてしまったんだから」というのが、王殺し=民主主義革命になろう。だが、重要なのは、「発話結果の主体の水準では」すでに王殺し=民主主義革命は成就しているものの、そのように発話している「発話作用の主体」こそが、その首をはねたという「卑猥な執行者」張本人であるということだ。

 

 このように、民主主義やその法の起源には、それを成り立たしめた「本源的蓄積」たる暴力=享楽があったにもかかわらず、それを「まるで知らないかのように行為しよう」としているのが民主主義にほかならない。主体には、つねにすでに「発話作用の主体」と「発話結果の主体」との亀裂が含まれているのに、カントはこの亀裂を隠した(あるいは隠せるように主体をあらかじめ二重化した)。この意味において、民主主義はカント的である。

 

 一方、スターリン主義全体主義は、「創設の暴力をあけっぴろげに認める」。「大文字の党は」「最後の一人を食うことが我々の仕事なのだ」ということを隠さない。すなわち、福田恒存が言った「九十九匹」に対する「一匹=最後の一人」は、われわれの宇宙では存在し得ないと明言しているのがスターリン主義全体主義なのである。前回、三島の記事で述べたように、スターリン主義には「百匹」しか存在しないのだ。

 

 「九十九匹」に対して「一匹」を、という全体主義批判、政治(組織)批判は、民主主義革命を担保にしているが、その言説においては、王を「最後の一匹」として殺すという「創設の暴力」など、あたかもなかったかのようにスルーされているのである。あるいは、福田が主張する「一匹」は、すでに王の首が切られ革命が成された後の、「九十九匹」(百匹ー1)のうちの「一匹」に限定されていると言ってもよい。

 

 「一匹と九十九匹と」というと、まるで「一匹」と「九十九匹」とが対立項を成しているように見えるが、両者はともに王殺しが先行しなければ存在し得ない「発話結果の主体」なのである。福田にとって「政治」は、「九十九匹」の枠内の問題でしかないのだ。では、王の首を切った「発話作用の主体」という「一匹」はどこへいったのか。

 

 ここでは、王の首をはねるという革命は、「政治」からあらかじめ排除されている。この「革命」を「政治」からオミットする思考が、「九十九匹」の枠内としての(戦後)民主主義の前提となっている。だが、革命を思考するとは、「九十九匹」でも「一匹」でもなく、あくまで「百匹」を思考することではないか。

 

(続く)