「作者」は「死」んだのか?――生成AIの民主化と文学 その5

 だが、フーコーのいう「フィクシオン」の思考=志向は、『当事者は嘘をつく』の著者のように、ケータイ小説の実践や「自分語り」を、ある種の「型」の変奏=パスティーシュと見なすこととも異なったものだろう。

 

 フーコーの「フィクシオン」の思考=志向は、「私は(真理を)考える」の担保なしに「フィクシオン」は可能かという「試練」とともにある。そこにおいては「私は(フィクシオンを)話す」における「話す主体がそこにおいては消え失せる、あの「外」にわれわれを連れてゆく」。

 

 フーコーは、「フィクシオン」を「物語を規制する語り様態」「物語が「物語られ」ているさまざまな語りの様態のこと」であると言い、「ファーブル」=「語られているもの(さまざまな出来事、登場人物、登場人物が物語のなかではたしている役割、彼らの身の上に起きる事件、など)のこと」と明確に区別する(「物語の背後にあるもの」1966年)。「ファーブル」は、現実世界でも可能であるが、「フィクシオン」はそうではない。後者は、「物語」(虚構)を「物語」(虚構)たらしめる「様態」なので、「物語」(虚構)の「内部」でのみ機能するものだ。

 

現実世界で人が何かを話しているという場面を想定してみよう。その場合、「ファーブル的な」つまり架空の事柄を話すことはもちろん可能である。しかし、話し手、話し手の行う言説、話し手の語る内容の三項が取り結ぶ三角関係は、その話の現場の状況によって〔話の〕外から規定されている。従って、そこにはフィクシオンは存在しない。ところが、文学作品というのは現実世界の言説のまがい物、似てはいるが非なるものであって、そこでは、今述べた三角関係はすべて語りの内部においてのみ存在しているのである。語られている事柄(ファーブル)自体が、誰が、どのような距離を置いて、どのような視点から、どのような語り方を用いて語っているのかということを示さなければならない。作品というものを定義しているのは、従って、語られている事柄(ファーブルの構成要素)やそれらが配列されている順序であるよりも、どのようなフィクシオンが採用されているかということになる。そして、そのフィクシオンは、語りそのものによっていわば間接的に示されているのである。一つの物語作品の語りの内容(ファーブル)はそれが属する文化が有する神話的可能性の範囲内に、その語られ方(エクリチュール)はそれが書かれている言語の可能性の範囲内に、その語りの様態(フィクシオン)は語りの行為そのものの〔原理的・抽象的〕可能性の範囲内に限られている。

 

 だが、今、「私は考える」という「真理」を思考することが機能不全に陥り、現実世界を確実性でもって支える基盤が崩れている。そこではもはや、現実世界と「物語」(虚構)との距離が明確ではなくなりつつある。したがって、「物語」(虚構)の「内部」で機能することで、「物語」(虚構)を「物語」(虚構)たらしめる「フィクシオン」という「さまざまな語りの様態」もまた、そのように「話す」「主体=私」も「消え失せ」つつある。このような地点において「われわれ」は「あの「外」」へ、「外の思考」へと「連れて」いかれることになるのだが、このように見てくれば、フーコーのいう「外(の思考)」が、柄谷行人のように「外(部)はある」という「探究」どころか、ほぼ「外」の不可能性と同義であること(フーコーは、それを「「外」の外」という言い方で言おうとしているように思われる)が分かるだろう。そこでは「フィクシオン」が「フィクシオン」としてもはや機能しない、いわば「フィクシオン」のゼロ地点なのだ。

 

 したがって、ここでは、ケータイ小説もパスティーシュも機能しない。『当事者は嘘をつく』の著者は、フーコーのいう「話す」「私=主体」が「消え失せ」る地点に居合わせ、「外の思考」という「体験」を「託」された(「サドとヘルダーリンはわれわれの思考の中に、来るべき世紀のために、だがいわば暗号で記されたものとして、外の思考という体験を託したと言うのは、はたして言いすぎだろうか?」「外の思考」)と思われるものの、そこから「「外」の外」ではなく、逆に、「物語」が、「虚構」が、まだ「型」として機能しているケータイ小説や「自分語り」の「パスティーシュ」の言説空間への方へと参入し、その言説空間で「作者(名)」を与えられた(したがって「読者」もついた)のである。もちろん、先に述べたように、それはそれで著者にとっては必然的な過程だっただろう。

 

 著者が、ケータイ小説において「作者名」と「読者」を獲得し、自らの言葉に確かさを取り戻すことで、「心の支え」になったことは十分想像できる。だが、やはりそれは、「外の思考」のあまりの困難さが、「外の体験を内面性の次元に連れもど」してしまった一つのケースに思える。

 

この外の思考に、それに忠実な言語を与えることの極度の困難さ。事実、純粋に反省的なあらゆる言説は、「外」の体験を内面性の次元に連れもどすおそれがあり、反省はどうしてもこの思考を意識の方へ帰還させて、生きて体験したことの叙述のうちに展開する傾きがあるのだし、そこにおいて「外」は肉体の、空間の、意志することの諸限界の、他者の消しがたい現前の体験として素描されることになるだろう。

 

 著者によるケータイ小説が、また「自分語り」のパスティーシュが、先に見たように、いくらそれが「物語」として「再構成」されたものであるとしても、根本的にそれは「生きて体験したことの叙述のうちに展開」されていることは疑いない。だが、「外の思考」を実践するには、「そこから、反省的言語を転換することの必要性」が生じるのだ。

 

そこから、反省的言語を転換することの必要性が由来する。それは内的な確定の方へではなく――それがもはや立ちのかされないような、一種の中心的確信の方へではなく――、むしろそれが絶えず自己に疑義を唱えねばならぬような、一つの極点の方へ向けられねばならぬのだ。〔・・・〕語がそこでは際限なくくり拡げられる純粋な「外」であるような沈黙のうちに、ほどかれてゆくことを受け入れながら。それだからこそ、ブランショの言語は否定の弁証法的使用を行なっていないのである。弁証法的に否定すること、それは否定の対象を精神の不安な内面性の中に入らしめることである。ブランショがしているようにわれとわが言説を否定すること、それはこの言説を絶えずそれ自体の外に出させること、瞬間ごとにこの言説から、それが言ったばかりのことのみならずそのことを言表する力をも剥奪することであり、この言説を、一つの開始のために自由でいられるように、そのあるところに、つまり自己のはるか後方に放置することなのだ〔・・・〕。

 

 「弁証法的に否定すること」で、言説は「否定の対象を精神の不安な内面性の中に入らしめる」。「当事者」が「嘘をつく」ことを、「弁証法的に否定」してしまえば、その「否定の対象」たる言説の無責任を、ケータイ小説や「語り」のパスティーシュという「フィクシオン」の「型」によって、「反省的言語」による「内面性」の次元へと「連れもどす」ことになろう。それは「支え」であり救いでもあったと思うが、やはりフーコーのいう「「外」の外」ではなく、実体としての「外」を回帰させることにしかならないのだ。それはどんなに小さな声でなされたとしても、「外(部)はある」と「内面(性)」として声高に主張しているのと同じことなのである。「当事者」の「証言」の「秘密」(デリダ)の「外」に、「無責任」な「フィクシオン」が型=実体としてあるのではなく、「これと相称をなす転換がフィクシオンの言語」自体に「求められているのである」。もはや「「フィクシオン」的なるものは決して物のうちにも人のうちにもあることはなく、物と人とのあいだにあるものの不可能な本当らしさのうちにあるのだ――つまり、出会い、最も遠いものの至近性、われわれが現にいるところでの絶対に露呈し得ない隠蔽などのうちにである。フィクシオンは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ。」

 

 このようなフィクシオンの言語自体の「転換」とは、いかなるものなのか。それこそ、それは「イマージュもなし」なのでイメージすることはできない。「〔・・・〕みずからの諸形態を空虚のうちにほどいていって無に帰すフィクシオンとは、相交錯して一つの言説を形作り、この言説は、結論もなければイマージュもなしに、真理もなければ劇場もなしに、証明も、仮面も、明言もなしに出現し、いかなる中心にもとらわれず、故郷というものから解き放たれており、自己固有の空間を「外」として――自分がそれに向かい、それの外において語る「外」として形成する言説なのだ。」

 

 だが、それでも、そうした言説とはいかなるものなのか、フーコーが見ようとしたものに、可能なかぎり目を凝らしておこう。ブランショを例に言われるように、それはもはやジャンルの区別を無効化する、ジャンルレスな言説だろう(「「ロマン」、「レシ」、「批評」のあいだの区別がブランショにおいて稀薄なものになってゆくのをやめない」)。

 

 そして、何より重要なのは、その言説は、「無定型で頑固な無名性のようなもの」で、「それが主体からその単純な自己同一性を剥奪し、主体を空にし〔・・・〕媒介ぬきで直接「私」(ジュ)と言うことの権利を主体から剥奪して」しまうものということだ。したがって、もはやそこでは、「当事者」が「この私」と「言うことの権利」すら「主体から剥奪」されているに違いないのである。まるで、ブランショ「『私についてこなかった男』には名前がない(そして彼はこの本質的無名性のうちにとどめられたいと欲している)」ように、「当事者」には名前が、すなわち「この私=固有名」がなく、したがって「当事者」は「死」=消失しているだろう。

 

 「この場所はあらゆる言葉あらゆるエクリチュールの「外」なの」だ。そこは、文学の現在の――「当事者」(のみ)が「固有名=この私」として「正義」を発動し得る「権利」を独占し、だからこそ、同時に「作家=作者名」として「言説結社」の内部へと参入し得る「権利」を保有するという、すなわち「作者の死」どころではない、「固有名=この私」と、それとは区別されていた「作家=作者名」とが、結託して強力に機能している――そのような文学の現在の「外」に違いない。そこでは、「作者」はもちろん、「当事者」の「エクリチュール」そのものもまた「死」んでいるに違いない。

 

 繰り返せば、生成AIの民主化によっては、「作者の死」は到来しないのだろう。「エクリチュール」や「テクスト」、「引用の織物」といった概念は、変容を免れないだろうが。おそらく、「当事者=この私」の語りの隆盛とは、見てきたように、「われわれの習慣」による「作者の死」に対する抵抗なのだ。「われわれ」は、バルトが批評的に予見した「作者の死」を回避するために、「当事者=この私」による「正義」の語りをもたらしたのである。まるで「作者名」が、言説の「外」にあったはずの「固有名=この私」を言説の内部へと回収することで搾取し、それを糧として延命をはかっているようだ。おそらく、それ全体が、フーコーのいう「作者というシステム」に基づく「文学」の運動の一環なのである。

 

 だが、そもそもロラン・バルト以来、われわれが何か分かったように扱ってきた「エクリチュール」や「テクスト」という概念自体、もっと「何か得体の知れないもの」ではなかったか。そして、その得体の知れなさは、小説というものの歴史性、すなわち小説を「本来の叙事詩から区別する」ところの「人間生活の描写のなかで、公約数になりえぬものを極限までおしすすめること」(ベンヤミン「小説の危機」)によって生み出されるものだったはずなのだ。

 

フローベールを念頭に置きつつ、ジイドの『贋金つくりの日記』――いわゆる「純粋小説」の理論――を目して、「ジイドの小説の理想は(中略)純粋な、書く小説なのだ」(「小説の危機」)と言う時、ベンヤミンが触れているのは、後にロラン・バルトが「エクリチュール」と呼ぶことになるところの、小説における何か得体の知れないものの誕生であろう。言うまでもなく、バルトにとってもそうであったように、エクリチュールもまた、「意味深長な一つの謎」であるが、それは「描写のなかで、公約数になりえぬものを極限までおしすすめること」によって見出されるものである。この「公約数になりえぬもの」とは、初期のユダヤ神秘主義が色濃い論文「言語一般および人間の言語」以来のベンヤミンの主要な主題たる、「固有名詞」の脱神秘化によって見出されたと言えるだろう。「公約数になりえぬもの」を、ユダヤ的固有名詞のレヴェル――すなわち、フロイト=ラカン的含意をも込めうるところの「父の名」――をこえて見出す時、小説言語としてのエクリチュールに触れざるをえないのである。しかし、その「純粋な、書く小説」とは何か。そこには、「雑」としての小説が、何かしら「純粋」なものとして見出されるという逆説がある。しかし、そのことをベンヤミンは積極的に提示しえてはいない。(すが秀実『小説的強度』)

 

 バルトの「エクリチュール」や「テクスト」、「引用の織物」などと相互に密接に関わりあっている「作者の死」という概念自体が、小説の「エクリチュール」という「得体のしれないものの誕生」という歴史性に触れている。そして、小説の「エクリチュール」とは、固有名の「脱神秘化」、言い換えれば通俗化=「雑」化の運動を伴ったものであったはずだ。ならば、「作者の死」とは、小説が小説たる運動を「おしすすめる」なかで、固有名が「脱神秘化」されていくプロセスの一帰結であるはずである。

 

 フーコーが「作者名」と区別した、単なる「固有名」そのものが、こうした固有名の「脱神秘化」の産物である。だが、見てきたように、「われわれの習慣」は、この「固有名」の「脱神秘化=通俗化」という「雑」としての「小説的強度」に耐えられないのである。その結果、固有名(この私)が作者名と結託するかのように神秘化=卓越化しているのが文学の現在ということだろう。

 

 フーコーが、言説の(領界の)分析に向かったのは、端的に「作者は死んだ」「人間は死んだ」と言ったところで、それらはそう簡単に死んではくれず、それどころか、かえって「死」のもたらすロマン主義的な反動ともいえる力によって、「作者」も「人間」も神秘化=卓越化してしまうからにほかならない。本質的に「無名」なブランショの『私についてこなかった男』の方へ、あるいは、ベケットの「だれが話そうとかまわないではないか」(『短篇と反古草紙』)の「囁きの匿名性」の方へと真に赴くためには、その「言説の領界」に働いている神秘化=卓越化させてしまう力の分析が不可欠なのだ。

 

 いわばフーコーは、「作者の死」を言挙げするのはまだ早い、そのためには「作者というシステム」の分析が必要だと言ったのである。その「作者というシステム」の変容の兆しも、まだ見えてこない。おそらく「作者というシステム」もまた、資本主義がそうであるように、様式を変えながらも、そう易々とは死んではくれないのだろう。「ですから涙を流すのはやめましょう」。

 

人間は死んだと断言するのではなく、人間は死んだ(あるいは消滅しつつある、あるいは超人に取って代わられるであろう)という主旋律――これは私の発明ではなく、十九世紀の終わりから繰り返し語られてきたことですが――それを出発点として、人間という概念がどのような法則に従って形成され、どのように機能したのかを検討する、これが問題なのです。作者という概念についても私は同じことをしました。ですから涙を流すのはやめましょう。(フーコー「作者とは何か」)

 

 したがって必要なのは、生成AIの民主化によって、「作者は死んだ」「人間は死んだ」「創作は死んだ」と「涙を流」して一喜一憂することではない。生成AIによって、「人間」が「作者」が「死」に、その「仕事=労働=創造」が奪われるというかつてのSF的な想像力は、もはや現実化しつつあるかもしれない。それでも、そこで「涙を流」してしまえば、「生成AI=悪」というSF的想像力の「物語」の「型」をなぞるだけだろう。フーコーがL・ゴールドマンに「涙を流すのはやめましょう」とたしなめたのは、その種の「隠謀史観」的な「物語」への帰結を回避するためではなかったか。

 

 フーコーがその地点で踏みとどまったように、「死んだ」と「断言する」一歩手前で、「死」を「主旋律」としながら、「言説の領界」において起こっている激しいせめぎ合いを観察し検討すること――。文学の批評に求められるのもまた、「死んだ」と「断言」し、「涙を流」しながら歌うことではなく、死を自明とし主旋律としながら、「言説の領界」でいったい何を奏でるかだろう。例えば、かつて蓮実重彦が言っていた「批評=仮「死」の祭典」とは、そういうことだったはずだが、現在「われわれ」は、その「外=死」を「託」された地点から、ずいぶんと後ずさりしてしまったように思える。

 

作者を構成する言説としての文学批評。(『言説の領界』)

 

 自戒もこめて言えば、「作者」は「死んだ」、「文学」は「死んだ」、「批評」は「死んだ」とロマン主義的に「涙を流」し、それらの「作者名」を神秘化=卓越化してきたのは、ほかならぬ「言説としての文学批評」ではなかったか。それらは「死んだ」と言えば言うほど延命する。「死んだ」という「言説」こそが、最も強力な延命装置なのだ。

 

(中島一夫)

 

「作者」は「死」んだのか?――生成AIの民主化と文学 その4

 「この私=当事者」の語りにおいては、「虚構=嘘」ではないことが切実に求められる。このことが赤裸々に披瀝されているのが、小笠原織香のその名も『当事者は嘘をつく』(2022年)だろう。本書では、性暴力の被害者の「当事者」の「語り=証言」が、いかに困難かが述べられていて胸に迫る。

 

被害者が大人であっても、家庭外での被害であっても、性暴力は密室や人目につかない場所で実行されることが多く、目撃証言や証拠が十分にないことが多い。つまり、まわりにいる人たちが「当事者は嘘をついていない」と信じることが、性暴力の事実を本人以外が承認する唯一の方法になる。そのため、性暴力の問題は、ほかの犯罪に比べると、当事者の言葉の真偽がきわめて重要になってしまう。

 

 被害の「当事者」は、他者と状況を共有できず、不可避的に「この私」に立たされてしまうのだ。したがって、「当事者」自身が、自らの「語り=証言」の真実性を証明できずに、不断に「私は嘘をついているのではないか」という不安に襲われることになる。「当事者」の「私」はどうしようもなく「この私=単独性」だからだ。

 

 著者の「不安」は、「以下の四つに起因している」という。「第一に、思い出せないことがあることだ」。「第二に、私は意識的に都合の悪い箇所は削除していることだ」。「第三に、私はおそらく、記憶の改変や捏造を行なっている」。「第四に、私はいくら真実を書こうとしても、書けた気がしないことである」。著者自身、この「第四」が、「実はこれが、私にとって一番深刻で、どうしようもない問題である」と吐露しているように、いわば「第四」は、「第一」から「第三」を総合したようなメタレベルの「不安」になっている。「私にとって、性暴力の被害経験は、穴のあいたドーナツのような形をしている」ために、「「あのとき」の真実に、自分が辿り着ける気がしないのである」。

 

 だが、著者は、ジャック・デリダ『滞留』の次のような一節に出会い、認識が転回していくことになる。

 

私が語の厳密な意味において証言できるのは、私が証言していることを、誰も私の代わりには証言できないその瞬間においてのみなのです。私が証言している当のものはまず第一に、その瞬間に、私の秘密なのであり、それは私に取り置かれるのです。私は自分が証言するまさに当のものを秘密にしておくことができなくてはなりません。それは厳密な意味での証言の条件なのであって、したがって偽りの誓いや嘘が実際に行われたのだということを、異論的証明や規定的判断力の意味で論証することはけっしてできないでしょう。告白でさえ十分ではありません。

 

 「「私は嘘をついている」かどうかは、証言者だけの秘密だ」。それまで著者にとって幾重にも「不安」でしかなかったことが、「秘密」を中心に転回することになる。それまで「私」は、「当事者」として「真実」の「語り=証言」をしようと努めてきた。それが「当事者」の責任だと考えていたからだろう。

 

 だが、「証言」の「証言」性が、「真実」か「嘘」かを「論証できない」という「秘密」にこそあったとしたらどうか。「当事者」が「この私」である限り、その「語り=証言」が真実か否かは、決定不能に宙づりにされざるを得ない。決定できるなら、「当事者」は「この私」でなかったことになるからである。

 

 であれば、「当事者=この私」の語りとは、「ドーナツの穴」のような「秘密」を中心に抱えたまま、半ば「無責任」になされるほかはない。(この「秘密」は、デリダが別の文脈で述べた、文学における次のような「秘密」と響き合っていよう。「文学はある種の、現実存在しない秘密を保持しています。小説や詩の背後には、〔・・・〕探求すべき意味などなんら在りません。たとえば登場人物の秘密などは存在しません。文学的現象の外部では、そうした秘密はなんらの厚みももたないのです。文学においてはいっさいが秘密ですが、文学の背後に隠れた秘密などというものは存在しない。そこに、この文学という奇妙な制度の秘密があるのです」(『パピエ・マシン』「文学」も「証言」も「いっさいが秘密」だが、「背後に隠れた秘密などというものは存在しない」のである)。

 

 こうして、著者は、むしろ自らを「語りの型」にはめて、半ば「無責任」に「自分語り」を行うことへと踏み出していく。「当事者」にしか語り得ない「語り」を行う「責任」を果たすためには、むしろいったん「無責任」に「型」にはまる必要があるのではないか。

 

結果として、私にできたのは性暴力被害者としての「自分語り」でしかない。「自分語り」とは、自分自身をひとつの型にはめることだ。

 自助グループに参加した人たちは、みな同じようなライフストーリーを語るようになるという。トラウマ、回復、社会への参加。型にはめられたようなストーリーに、外部からやってきた人は、驚いたり、退屈に感じたり、ときには気味が悪いと思ったりする。

 でも、当事者にとってはその「語りの型」こそが必要である。私も、多くの語りの型を変遷してきた。この本で描かれる「私の姿」も、幾度もそのような語りの型を通り抜けて整形された。もしかすると、その元の型を私の文章から探し出すのも面白いかもしれない。私の文章はパスティーシュのようでもある。

 

 「当事者」の語りが、「型」にはまった「パスティーシュのようでもある」こと。はからずも、「パスティーシュ」という言葉が読まれるように、この言説の「無責任」は、どこかで「フィクション」の問題と踵を接している。『当事者は嘘をつく』には、一時期、著者がケータイ小説の投稿にのめりこんだことが書かれている。

 

「私の小説を読みたいと思っている人がいる」

 そのことは、精神状態がぐらぐらになっていた当時の私にとって、一番の心の支えになった。もちろん、私はそこで性暴力やDVのエピソードをどんどん投入していった。そうした話題はケータイ小説ではありふれていて、特別なものではなかった。私にしてみれば「木を隠すなら森の中」という気分だった。

 いつも私の頭の中で渦巻いているトラウマや苦しみをいくら吐露しても、読者は「お話の世界」として楽しんでくれる。私は自分の経験がポジティブなかたちで生かされることが嬉しかった。そのうち、長いコメントが届くようになった。〔・・・〕だからこそ、私は当事者が読んでも「ご都合主義だ」と思わないような、納得のいくストーリーを書かなければならないと思った。私は自分のなかにいる「過去の私」に「あなたならどう思うのか」「なぜそう思うのか」を問いかけ始めた。自分の願望や感情を垂れ流しているだけでは、「私はそうは思わない」と感じる読者を楽しませることはできない。もっと、内的必然性があって、ハッピーエンドに向かう小説を書きたいと思った。自分の経験を解体し、フィクションを織り交ぜて再構築することで、誰でも「そうだなあ」と思える物語を作り上げようとした。

 

 おそらく、「自分の経験を解体し、フィクションを織り交ぜて再構築すること」で、ケータイ小説的な「物語」の「型」に自分をはめこんだことで、著者は自己に開いた「ドーナツの穴」を少しでも埋めていく、自己カウンセリングをしていたのだろう。

 

 もちろん、このこと自体、「当事者=この私」にとって切実な過程である。ただ、ここで考えてみたいのは、この「当事者=この私」の語りには、むしろフィクションが要請されるならば、この「地点=位相」でいったい何が起こっているのかということだ。先ほど、「当事者=この私」の「語り=証言」の「証言」性は、むしろ真実か嘘かが決定不能に陥る「秘密」にこそあるというデリダの一節を見た。今度は、このデリダの「秘密」が、さらにフーコーの「言説の「無責任」=外の思考」と接している「地点=位相」を見たいのである。

 

 知られるように、フーコー「外の思考」(1966年)は、「ギリシア的真理は、かつて、「私は嘘つきだ」という、このただ一つの明言のうちに震撼された。「私は話す」という明言は、現代のあらゆる虚構作品(フイクシオン)に試練を課す」という高名な一節で始まる。この一節が、先ほどの『当事者は嘘をつく』のテーマそのものであるのは、もはや言うまでもあるまい。まさに著者は、性暴力被害の当事者として「証言」する際に、「私は嘘つきだ」という「このただ一つの明言のうちに震撼された」わけである。フーコーの「外の思考」は、この現在における「当事者=この私」の「虚構作品(フイクシオン)」において、より一層アクチュアルな「試練を課」しているといってよい。実際、著者の「当事者=この私」は、「私は嘘つきだ」に震撼され、「私は話す」における「言説の無責任」に触れてしまったのである。

 

「私は話す」は、事実、それに一個の対象を提供することによってその支えとなるような、一個の言説に参照される。ところが、この言説が欠如しているのだ。「私は話す」なるものがその主権の拠点としているのは、他のあらゆる言語の不在なのであり、私がそれについて話している言説は、私が「私は話す」と言う瞬間に言表される赤裸々さに先立って存在するものではないし、私が口をつぐむまさにその瞬間に消え失せてしまう。言語活動のあらゆる可能性が、ここでは、言語活動がその中で成就される他動性によって干あがってしまっている。それをとり囲むものは砂漠である。〔・・・〕事実、言語が「私は話す」の孤独な主権のうちにしかその場を持たないならば、いかなるものも、たてまえ上、言語を限定することはできない――その言語が宛てられている人も、それが表わしている真実も、それが利用している諸価値や諸表象体系も。要するに、言語はもはや言説ではなく、何かの意味の伝達ではなくて、生な実体としての言語の開陳、露呈された純粋な外在性なのであり、話す主体はもはや言説の責任者(つまりその言説を支え、その中において明言しかつ判断し、ときにはこの目的のためにしつらえられた一個の文法形態のもとに自己を表明する人)であるよりは、非存在、その空虚の中において言語の無際限な溢出が休みなく遂行される非存在なのである。

 

 「言語はもはや言説ではなく、何かの意味の伝達ではなくて」、「話す主体はもはや言説の責任者」ではないこと。この「言説」の「無責任」が、また同時に「現代のあらゆる虚構作品(フイクシオン)に試練を課す」ことを要請してくる地点でもあること。文学とは、もはやこの「言説」の「無責任」に、したがって「自己から最も遠いところに位置する言語なの」だということ。

 

つまり、言語は言説の存在様態から――ということは表象の専制から――逃れ、文学の言語はそれ自体を出発点として展開され〔・・・〕文学とは、その燃えるような顕現の点に至るまで自己に近づいてゆく言語ではなく、自己から最も遠いところに位置する言語なのであり〔・・・〕。ところで、このフィクションを思考することを実に必要たらしめるもの――かつては真理を思考することが為すべきことだったのに――、それは「私は話す」があたかも「私は考える」の裏側におけるように機能することである。「私は考える」は事実「私」の疑いを容れない確実性とその実在とに導いた、ところが「私は話す」の方は逆にこの実在をおし込め、拡散させ、消してしまって、その空虚な在処のみを出現させるのだ。

 

 『当事者は嘘をつく』の著者の「私」は、「真理を思考」し、「「私」の疑いを容れない確実性とその実在とに導」くように、「私は考える」ことなどもはやできない。したがって、そうした「私は考える」という「真理」の不在=「裏側に」おいて、「私は話す」という「フイクシオン」を思考=志向することが要請されている地点に立っているのである。隆盛を極めて?いる「当事者」文学は、「正義」を体現するものとしてではなく、この「外の思考」に漸近しているという地点=位相で吟味される必要があろう。「フィクシオン」を思考=志向するということは、そういうことだからである。

 

(続く)

 

「作者」は「死」んだのか?――生成AIの民主化と文学 その3

 「作家」は、自らが「書物や出版システム」のなかにいる「役割において制度化されている」「書くという行為」を、他の「単なる固有名」と違って「根本的な特異性を認め」られるものとして「差異」化し続ける存在である。「作家」の「言説」は、その出版システムの「内部」において「役割において制度化されている」ものなので、それは「自動詞的性格を付与」されているのだといってよい(最近は、文学が「制度」などと誰も言わなくなった。「制度」として批判されるほど、もはや強力ではないと見なされているのだろう)。「エクリチュール」なる概念は、いわばその「制度」内部において「言説」が「自動詞的」に生産され続けるさまを示している。その単なる「固有名」との絶えざる「差異」化によって、「「創造」と、言語システムのありきたりの使用とのあいだに非対称が示され」るのだ。「創造」や「創作」とは、その「言説の領界」において行われる、「作者名」とありきたりの「固有名」との不断の「差異=非対称」化によって生起する、きわめて「制度」的なものである。「書物や出版システムや作家」が三位一体の「言説結社」として作り上げるイデオロギー的な所産といってよい。

 

 しかも、自らの行為を「創造」「創作」とし、それ以外の「言語システムのありきたりの使用」との差別化をはかり続けているのは、先に述べたように、当の「作家」自身なのだ。「作家になろう」(系)という、「システム」内部へと参入し、「言説結社」の一員に「なろう」とする欲望が、「作者の死」(バルト)などなかったごとく、不断に喚起され続けているのもそのためだ。その「言説の領界」において、どこに作者名/固有名の、創造(創作)/非創造(非創作)の「差異=非対称」化の分割線が引かれるかというせめぎ合いは、生成AIによって、「作者の死」がリアリティを増している(?)現在、あるいは今後において、おそらくますます激化するだろう。

 

 たとえ生成AIによって小説を書く行為が「民主化」されても、書かれたものが「創造」や「創作」であると見なされることは、容易に「民主化」されない。「作者名=作家」が95%生成AIを使って書けば、たとえ自身の言葉は作品の5%であっても、それは「言説結社」による「創造」「創作」と見なされ得るが(問題は、生成AIの言説に占める割合ではないということだ)、単なる「固有名」が同じことをしても、そうはならないだろう。その、何をもって「言説」内部の「創造=創作」とし、またその外部とするかという「差異=非対称」化の線引きは、やがて「作家=作者名」の「システム」とは別種のものに変容していくのだろうが。

 

しかしながら、いま現に行われている歴史的変化を考えに入れるとき、作者という機能がいまのかたちのまま、いまの複雑さのまま、あるいはいまのありようのまま恒常的につづくということに、何の必然性もありません。まさしくいま、われわれの社会が変化の過程にあるのであり、作者という機能はやがて消滅してゆき、それに代わって、改めてもう一度、虚構というものとその多義的なテクストとが、ふたたび、何かある別の様式に、とはいえあいかわらず、何らかの拘束をもたらすシステムに従って機能することが可能となるでしょう。そのシステムとはもはや、作者というシステムではないでしょうが、とはいえそれがどういうものであるか、これから決定しなければならぬでしょう、いやおそらくは、これから実験してゆかねばならぬものなのです。(「作者とは何か」)

 

 この「われわれの社会が変化の過程にある」なかで、「虚構というものとその多義的なテクスト」が、「作者というシステムではない」「何かある別の様式」や「何らかの拘束をもたらすシステムに従って機能する」さまを観察するために、ここで「近過去の文学史」、とりわけ「政治」性を総覧的に整理した労作、中沢忠之「文学は正義!!」(『文学+』04、2024年)を参照しよう。そこで中沢は、昨今さかんに言われる「当事者による自己語りの流行」を、「「この私」にしか語れない物語にこそ正義がある!」というテーゼに集約させている。そのとき「この私」とは、明らかに述べてきた柄谷行人の「単独性=固有名」の議論を受けているだろう。

 

文学は正義を担わなければならない。そういう考え方が最近の文学シーンに蔓延している。もちろん全部ではないが、それなりに強い影響力があるようだ。正義とは政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)と言い換えてもそれほどはずしていない。そしてそれは単なる正義ではない。「この私」しか語れないことに宿る正義である。正義は世界や社会といった大状況を語ることにありそうなものだが、そうではない。「この私」から離れて何かを語ることは、むしろ正義に反するのである。(中沢忠之「文学は正義!!」)

 

 いわば、文学は、「この私」の語りを獲得することで、マイノリティー・ポリティックス、アイデンティティ・ポリティックスのツールとなったということだろう。柄谷は、「この私」(単独性=固有名)に(「一般性」ではなく)「普遍性」を見出していた。まさに、現在「この私」(の語り)は新たな「普遍性」として、政治的に「正義」を担保しているのだ。中沢も言うように、これは、「政治と文学」の文脈にあると言ってよい。「たとえば、戦後文学史には「政治と文学」という主題がある。そこで「政治」といえば、何より共産党の正義が代表する時代があった。その中央権力を批判して個人の自由を正義とする立場が「文学」であり、かくして「正義と文学」はしばしば正義をめぐって――自分たちこそが正義だとする――論争が起こったのである。」

 

 当時の「共産党=普遍性=正義」に対して、「文学=個人」こそ「正義」であると掲げた「政治と文学」(論争)というパースペクティヴは、冷戦終焉後、左辺の項(政治)が掘り崩され機能失調し、ついには「この私=普遍性=正義」こそが、政治「にして」文学を体現することになってきたわけだ。「この私」を論じ始めた柄谷の『探究Ⅱ』が、冷戦終焉後の1992年に出ていることは重要だろう。これを、「政治と文学」論争における「文学」の「勝利」の一形態と見なすべきだろうか、それとも、「政治」の「文学」(美学)化の一種と見なすべきだろうか。

 

 だが、柄谷が「この私」と言っていた頃と現在とは、事態は決定的に異なる。

 

「この私」にしか語れない物語にこそ正義がある! このような発想を重んじる傾向は、二○二三年上半期の芥川賞でひとつの沸点に達したといっていい。受賞者の市川沙央は重度障害者であり、受賞作『ハンチバック』で自身を一部モデルとした人物の物語を描いた。そこでは、紙の読書が困難な障害者に配慮していない出版界を(政治的正しさの立場から)「マチズモ」と非難するエピソードがあり、とくに話題となった。市川に新人賞を送った『文學界』は、すぐさま電子版での提供を開始している。当事者による自己語りと正義がセットとなった教科書的な典型例といえるだろう。

 

 2023年の市川沙央の『ハンチバック』までくると、「この私」による語りは、完全に「政治的に正しい=アイデンティティ・ポリティックス」の発露と化している。そこでは、「この私」の語りは、すでに社会を動かす力を獲得しているのである。ここには、柄谷が「この私」に見ようとしていた位相――何ら特別ではなく凡庸な存在だが、取り替えのきかない「単独性=固有名」であるという「この私」のありよう――は、もはや影も形もない。むしろ「この私」にこそ、社会を動かし得る「正義」が宿るのなら、現在では、「この私」こそ「特別」な存在であり、一種の「天才=特権」となっているといってよい。

 

 誤解のないように付け加えておくが、そのことは、何も個別の「この私=作家」によるのではない。先にフーコー「作者とは何か」で見たように、「あるひとつの作品から噴出してくる創造的力域」を崇高視し、「作者」を「「天才」として新しさの絶えざる出現」と見なすのは、むしろ「われわれの習慣」なのだ。「われわれ」こそが、「この私」から柄谷の言っていた「単独性=固有名」を剥奪し、「作者名=天才」という称号=権利を与えている張本人なのである。

 

 だが、さらに言えば、それは生成AIの民主化によって、「フェイク」も含めて「われわれの世界が虚構に脅かされて、大いなる危険が差し迫っている」(「作者とは何か」)事態に対する、「われわれ」自身の「歯止め」であり防衛ではないか。むしろ、「われわれ」が、「文学」という言説、それにおける「作者」というシステムに託すように、すがるように、「この私」の語りに「正義」としての機能を付与しているのではないか。現在、「この私」の語りが、「当事者」という概念によって、「虚構」でありながら「私小説」のように(何が「私小説」で何がそうではないかという線引きなどできまい)、「虚構」ではないかのように捉えられる傾向があるのもそのためだろう。「この私=当事者」による語りによる小説は、「虚構」の増幅という「危険」に「歯止め」をかける「虚構」として期待されて現われてきているのであり、ゆえに、あまりに「虚構」の側に位置づけられてしまうと、「正義」を体現しにくくなるからだ。「正義」が「虚構」ではマズいのである。

 

(続く)

 

「作者」は「死」んだのか?――生成AIの民主化と文学 その2

 「文学上の匿名性」に「耐えられない」「われわれ」とは、「産業ブルジョワジーと個人主義と私有財産の時代」の言説空間に住まう「われわれ」にほかならない。

 

 フーコーが、「作者」を「作者名」という言説(空間)の内部に結びつけ、単なる「固有名」と区別したのもそのためだ。フーコーは、「固有名」と名づけられる個人との結びつき、および作者名とそれが名づけられるものとの結びつきは同型ではなく、同じやり方では機能しない」と述べ、次のように例を挙げる。

 

たとえば、ピエール・デュポンは青い眼をしていないとか、彼はパリで生まれなかったとか、彼は医者ではないとか等々に気づくとする、それでもピエール・デュポンというこの名前が同一の人物に照合しつづけることには変りがないでしょう。指示という結びつきがそれによって変形されることはないでしょう。これに反して、作者名によって提起される問題のほうははるかに複雑です。もし私がシェイクスピアは今日人びとが訪れるあの家で生まれなかったということを発見したとしても、これは明らかに作者名の機能を変質させるに到る変化ではない。しかしもしだれかが、シェイクスピアは彼の作と見做されている『ソネット集』をじつは書きはしなかったと証明したら、これは別種の変化であり、シェイクスピアというこの作者名の機能に無縁であることはできないのです。また、シェイクスピアがベーコンの『オルガノン』を書いた、理由は簡単でベーコンの作品を書いたのもシェイクスピアの作品を書いたのも同一の作者だからだと、もし誰かが証明したら、これは第三番目の型の変化であり、作者名の機能を完全に変えてしまう。こういうわけで、作者名とは正確には普通の固有名ではないのです。

 作者名の逆説的な特異性を示す事実が、ほかにもいろいろとあります。ピエール・デュポンは存在しないということと、ホメロスあるいはヘルメス・トリスメギトスは実在しなかったということは同じではないのです。前の場合にはだれもピエール・デュポンという名をもっていないということであり、後の場合は数人がただひとつの名の下に混同されてきた、あるいは真の作者は従来ホメロスあるいはヘルメスという人物のものとされてきた特徴のどれひとつとしてもっていないという意味になります。

 

 そして、フーコーは、作者名と固有名の差異を、「たぶん次のような事実に由来して」いると言う。「作者名はたんに言説(デイスクール)のなかの(主語とも補語ともなりうる、また代名詞で置換しうる、等々の)一要素ではない。それはさまざまな言説に対してある役割をはたす、いわば分類機能を受けもつのです。〔・・・〕複数のテクストがある同一の名前の下に置かれてきたということは、それらのあいだに人びとが、同質性や系統性の関係、あるいはそれらのテクストのうちのあるものによる他方の真正性の証明、相互解釈、併存的使用といった関係を打ち立てていたことを示しています。〔・・・〕ある言説がある作者名を戴いているという事実、「これはだれそれによって書かれた」とか「だれそれがその作者だ」と言いうる事実は、この言説が〔・・・〕一定の仕方で受けとられ、ある何らかの文化内で一定の身分をあたえられてしかるべき言葉だということを示しているのです」。こうしてフーコーは、「最終的には、作者名というものについて、次のような考え方に到達する」。

 

作者名は固有名のように言説の内部から言説を産出した外部にいる現実の個人へと向うのではなく、いわばテクスト群の境界を走り、テクスト群を輪郭づけて浮き上がらせ、その稜線を辿って、その存在様態を顕示する、あるいはすくなくともその存在様態を性格づけるという考え方に、作者はある一定の言説総体という出来事を顕示し、ある社会や文化の内部におけるこの言説の身分に照合するのです。作者名は人びとの戸籍のなかにも、作品の虚構のなかにも位置づけられているのではなく、ある一定の言説グループとその特異な存在様態とを創設する断絶のなかに位置づけられているのです。

 

 このようにフーコーは、作者名を言説の内部(境界)に、固有名を言説の外部(の現実の個人)へと位置づけ、両者の差異化をはかる。それは、先に述べたように、「作者(名)」というものが、「産業ブルジョワジーと個人主義と私有財産の時代」のイデオロギー的な所産であり、その作用によって、「われわれ」は「文学上の匿名性」に「耐えられな」くなっていることを明確にするためだろう。産業資本主義は、侵犯の可能性をはらんだ虚構の「作者(名)」を野放しにして、即座に消費されたり雲散霧消されたりしてしまわないように、言説の「内部=境界」へと留め置いておきたいのだ。「天才」の称号や「著作権=所有権」と引き換えに。いざとなったら、捕えて「刑罰」を与えられるように。単なる(天才ではない)固有名は、言説の外部へと放擲(放免)されている一方で。

 

 「固有名」や「単独性」の問題を、柄谷行人の議論(『探究Ⅱ』など)で親しんでいた者からすると、当初、このフーコーの議論に接したときは混乱した(だから、別の角度からではあるが、「柄谷行人とフーコー」という批評を書いた(『収容所文学論』所収))。柄谷の「固有名」(「私」と区別される「この私」)の議論では、何ら「天才(特別)」ではない(凡庸)という点にこそ「単独性=固有名」のポジティブな意味があったからだ。

 

そういった意味で、「この物・この人」に対するこだわりということを、「この」と区別する必要がある、とまず言っておきたいのです。だから、「この私」というのも、私は特別だということを意味しているのではありません。「この私」は違う、ということをつねに思っている人はいるでしょうが、それはほとんど大したことではないのです。何ら、この人の「この」性を示すものはないはずですね。自分は背が高いとか、あるいは、よほどの畸形でもないかぎり、目立たないはずです。かりにすごく目立ったところで、それは「特殊性」ということになってしまいます。「この物」の「この」ではないということです。(「単独性と個別性について」1987年、『言葉と悲劇』)

 

 柄谷もまた、「固有名」に「歴史」(性)を見る。だが、それが、テクストや言説には関わらないことは、例えば次のような例から明らかだろう。

 

たとえば、東大病院に夏目漱石の脳が保存されています。僕はたまたまそれを見たことがあるのですが、特に変わった脳ではない。また、それは夏目漱石という個体と無縁であり、まして彼の書いたテクストとは無関係です。にもかかわらず、この脳は、他の脳とは代替しえないし、脳一般の中に入らない。それは、この脳が夏目漱石の脳という固有名で呼ばれていることと関係しています。それは特殊な脳であるから、固有名で呼ばれているのではなく、固有名で呼ばれているから特異(単独)なのです。もっと厳密にいえば、この脳の単独性は、それを固有名で呼ぶことと切り離しえないのです。そして、特殊性と単独性の区別を論じるとき、それは固有名の問題に帰着するということができます。そして、ここに歴史という問題もかかわってきます。たとえば、漱石の脳や第二次大戦というもの(こと)が歴史的であるのは、それが固有名で呼ばれているからなのです、歴史は、固有名をおいてしまっては存在しません。(「固有名をめぐって」1988年、『言葉と悲劇』)

 

 夏目漱石の「固有名」を、テクストではなく、何と「脳」にみるのである。だが、かといって、「彼の書いたテクストとは無関係です」という言葉で、柄谷は別に「脳」の話をしたいのではない。漱石の「脳」は「特に変わった脳ではない」ものの、「この脳が夏目漱石の脳という固有名で呼ばれていること」によって、それは「特異(単独)」なのだ、と。すなわち柄谷は、暗にここで漱石の「テクスト」は、「特異(単独)」な「脳」と違って、「特別」(特殊)だと言っているに等しいのだ。「テクスト」はあらかじめ「特別」なのだから、自らの述べる「固有名=単独性」の例としてふさわしくない、だがこの「脳」は、あの特別な「テクスト」を生みだしたにもかかわらず、見た目は「特に変わった脳ではない」と。

 

 さらに、柄谷の「固有名=単独性」が、(言説とは違うが)「語や文のレベル」にはないことは、次のように明らかにされる。

 

いいかえれば、固有名の問題は、語や文のレベルでは考えることができません。言語学者は、固有名に無関心であるか、または敵対的です。それは、固有名が、言語をものにつけた名であるかのように考える偏見の源泉であるからであり、また、言語を指示対象(レファラント)と結びつけてしまう偏見の源泉だからです。「言語は、ものの名ではない」。確かにそうですね。しかし、この偏見には、一定の根拠があると思います。それは、名(固有名)を切り捨てると、言語を対象と結びつけるものが見失われるからです。

 世界(対象)とは言語による分節化の産物にすぎない、という人たちがいます。それ故、この分節化を組み替えれば、世界は変わるというわけですね。しかし、われわれは、そうではないのではないかと直観的に感じています。それは、言語の外部があるということです。むろん、「唯言論的」な考えに対して、客観的な対象を持ってきてもむだです。言語の外部は、実は固有名にこそあるからです。しかし、その固有名も言語にほかならないのですから、僕は別に言語の外を持ってきたのではありません。(「固有名をめぐって」)

 

 ここで柄谷は、「言語の外部は、実は固有名にこそある」と言い、先にフーコーは、「固有名のように言説の内部から言説を産出した外部にいる現実の個人へと向う」と言っていた。一見、両者は同じことを言っているように見えるが、実際はまったく異なる。柄谷のいう「言語」や「語や文のレベル」と、フーコーの「言説」とが、まったく異質であることもむろんそうだ。だが、より明確な違いは、柄谷はやはり「外部はある」という人で、一方フーコーは「外部」に対して禁欲的な人だということだ。フーコーが、そう簡単に「外部はある」と主張しないことは、後で触れるが、「外の思考」(1966年)一篇からして明らかだろう。

 

 だからこそ、当時柄谷の議論が、『探究』以降、「外部に出た」と一つの「転回」と見なされ(柄谷自身、「不在としての《外部》に出ようと」した『内省と遡行』(1985年)に、「転回のための八章――『探究』からの抄録」という「付論」を付している。ちなみに、未完成評論「内省と遡行」の、したがって現行の「最終章」は、いかに「作品」と「テクスト」の区別が困難かを論じた「作品とテクスト」という章である)、別に「天才」(特異)ではなくても、「固有名」でありさえすれば、そこに「単独性」や「歴史」性という「外部」が見出されるという「救い」のようなもの(この通俗化が「世界にひとつだけの花」という歌だろう)を感受していた読者は少なくないはずだ(当時、柄谷のこの「外部=救い」の議論に、最も理論的に抵抗していたのは、あまり理解されていないが、すが秀実『小説的強度』(1990年)だと思われる。すが秀実セレクション『小説的強度』(書肆子午線、近刊)の拙稿による「解題」を参照)。

 

 確かに、柄谷の言うように、この「外部」は、「言語」の「外部」ではないものの(「固有名も言語にほかならないのですから、僕が別に言語の外を持ってきたのではありません」)、フーコーから見れば、「言説」の「外部」ではある。フーコーに言わせれば、「固有名」による「言説」は、「日常の無差別的な言葉、消え去り、浮遊し、通過してしまう言葉、即座に消費されてしまう言葉」にすぎず、したがって「固有名」は「作者名」と違って、「言説」の「主体」(としての機能)たり得ない存在ということになろう。フーコーにとって「主体」とは、もはや特権的な存在ではなく、「いかにして、いかなる条件にもとづいて、いかなる形態のもとに、何か主体というようなものが言説の領界のなかに現われうるのか」という問いのもとに分析される「複雑な機能」なのだ。

 

 だが、繰り返せば、「作者(名)」は、あくまで「刑罰的所有」と引き換えに「著作権=所有権」という「私有財産」を与えられ、「ブルジョワジー」として「システム」に取り込まれた「虚構」の「言説」の「主体」なのである(だからこそ、「小商品生産者」として、市場における「表現の自由」を行使し得る「主体」でもある。先日のエントリー「三島由紀夫のパレーシア」参照)。ならば、「単なる「固有名」は、「作者名」になれなかった存在」というべきだろうか、それとも「「作者名」は単なる「固有名」のままでいさせてもらえなかった存在」というべきだろうか。

 

 フーコーは、明らかに、「作者(名)」が、作家や書物を含めた出版システムによる「言説結社」(ソシエテ・ド・デイスクール)ともいうべきグループの所産であると見なしている(『言説の領界』1971年)。「言説結社」は、そのアルカイックなモデルとしては、例えば吟遊詩人(ラプソードス)たちのグループがあるが、「もはやほとんど残っていません」。だが、すぐさま「しかし間違えてはなりません」とフーコーはたしなめる。いまだに「言説の領界」においては、「秘密の占有の諸形態、交換不可能性の諸形態が、依然として作動して」おり、その一例として、「今日、書物や出版システムや作家の役割において制度化されているようなものとしての書くという行為」を挙げるのである。

 

他のすべての語る主体ないし書く主体の活動に対する作家の差異が、作家自身によって絶えず示されているということ、作家が自分の言説に自動詞的性格を付与しているということ、作家がすでにずいぶん前から「エクリチュール」に根本的な特異性を認めているということ、「創造」と、言語システムのありきたりの使用とのあいだに、非対象が示されているということ、こうしたすべてが、ある種の「言説結社」が存在することをはっきりと示しています(そしてそうした「言説結社」を実践に作用のなかで存続させようとしています)。(『言説の領界』)

 

 ありきたりの単なる固有名といった、「他のすべての語る主体ないし書く主体の活動に対」して、「作家名」を付与されるべき作家の書く行為の「差異」を、「絶えず示」しているのは、ほかならぬ「作家自身」なのだということ。

 

(続く)

 

「作者」は「死」んだのか?――生成AIの民主化と文学 その1

 当初は、「創作」や「創造」の領域には、不得手で弱いのではないかと目されていた生成AIが、実際は「小説を書く」ことなどに極めて「強い」(何をもって「強い」というかは議論があろうが、少なくともそれを使って「小説らしきもの」が誰にでも書けるほどには「民主化」されてきたとは言える)ことが徐々に分かってくると、いよいよロラン・バルトが批評的に口にした「作者の死」(1968年)が完遂される日も近いのかもしれないなどと「愚考」してしまう。当時は、マラルメや『ブヴァールとペキュシェ』について論じられていたバルトの批評が、「技術」に横領、簒奪されつつあるといってよい。

 

フランスでは、おそらく最初にマラルメが、それまで言語活動(ことば)の所有者と見なされてきた者を、言語活動(ことば)そのものによって置き換えることの必要性を、つぶさに見てとり予測した。彼にとっては、われわれにとってと同様、語るのは言語活動(ことば)であって作者ではない。書くということは、それに先立つ非人称性――これを写実主義小説家の去勢的な客観性と混同することは、いかなる場合にもできないだろう――を通して、《自我》ではなく、ただ言語活動(ことば)だけが働きかけ《遂行する》地点に達することである。マラルメの全詩学は、エクリチュールのために作者を抹殺することにつきる(ということは、これから見るように、作者の地位を読者に返すことだ)。(ロラン・バルト「作者の死」『物語の構造分析』所収、花輪光訳)

 

  「テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物であ」り、「彼の唯一の権限は、いくつかのエクリチュールを混ぜあわせ、互いに対立させ、決してその一つだけに頼らないようにすること」(「作者の死」)といった言葉は、生成AIに関するそれと見紛うばかりだ。「作者を抹殺」し、すべてを「引用の織物」と化し、「《自我》ではなく、ただ言語活動(ことば)だけが働きかけ《遂行する》地点に達」した「彼」とは、ほとんど「生成AI」のことではないか。

 

 となると、やはりここで、バルトの「作者の死」とともに、フーコーの講演「作者とは何か」を思い出さずにはいられない。『思考集成Ⅰ』の「年譜」にあるように、フーコーは、「デリダ、バルトとの距離を明確化する」意図もあって、この講演を試みたからである(さらに、バルトの「作品からテクストへ」は、フーコーの講演に対するレスポンスでもあろう)。

 

 フーコーは、「作者の死」のバルトを受けて、「エクリチュール」という観念は、「作者の死」どころか「作者の消失」を「妨げ」、「作者の存在をじつに巧妙に保全している」と述べる。それは、「作者」を「超越的無名性へと転位させ」、むしろ「作者の特権を先験性の保護のもとに保全してしまう危険がある」と。

 

 もちろん、この時フーコーには、「神と人間とは相抱いたまま同じ死を死んだと際限なく繰り返すだけでも充分ではない」ことなどよく分かっていた。ゆえに、講演後の質疑応答で、L・ゴールドマンに対して、「神は死んだ」というニーチェに続いて、自分が「人間は死んだ」と言ったからといって、感傷的に「涙を流すのはやめましょう」とたしなめている。この『言葉と物』への(最後の一文しか読まないような)人々の無理解に対して、その後フーコーが『言説の領界』や『知の考古学』へと歩を進め、本格的に「言説」を測定することに向かわざるを得なかったことは言うまでもない。

 

 そして、フーコーは「作者」に関して、文学的言説と科学的言説は、17世紀に「入れ換え」(キアスム)が起こったと述べる。それまで「《文学》と呼んでいるテクスト類(物語(レシ)、小説(コント)、叙事詩、悲劇、喜劇)が、それらの作者を問題にすることなく受けとられ、流通し、価値をあたえられていた」一方で、「宇宙論や天体、医学や病気、諸自然科学や地理学に関する」「科学テクスト」は、「中世においては、作者の名が記されていなければ受け入れられなかったし、真実としての価値をもつこともなかった」。だが、「十七世紀以来、作者のそうした機能は、科学的言説においては絶えず消え去っていきました。つまり、作者はもはや、定理、効果、実例、症候群などに名を与えるためのものとしてしかほとんど機能しなくなるということです。反対に、文学的言説の領界においては、やはり十七世紀以来、作者の機能は絶えず強化されていきました」(『言説の領界 コレージュ・ド・フランス開講講義 一九七〇年十二月二日』)。

 

 そして、フーコーは、ついには次のように言い放つ。「文学上の匿名性はわれわれには耐えられないのです」(「作者とは何か」清水徹・根本美佐子訳。以下、フーコーからの引用は、特に言及のない場合、「作者とは何か」より)。「文学」においては、「それが匿名の状態でわれわれに届いてくると、作者を発見しようとする動きがただちに起る」。「機能としての作者は今日文学作品に対して全的に作用しています」。すなわち、「文学」においては、そう簡単に「作者」は「死」んでくれないのだ、と。

 

 ここに、「エクリチュール」や「テクスト」という概念によって「作者の死」を宣告し、すべてを「引用の織物」と見なそうとしたバルトとフーコーの「明確」な「距離」がある。言うまでもないが、むろんフーコーは、ロマン主義的な「作家」という「天才」や「特権」の「死」を宣告したバルトに対抗して、それらを守ろうとしたわけではない。そうではなく、フーコーは、「作者」とその「機能」とは、「イデオロギー的な産出物」であり、だからこそ、そう簡単に「死」んではくれないという位相で捉えていたのだ。

 

 フーコーは、「作者は作品に先行しない」、むしろ「作者というものを、天才として、新しさの絶えざる出現として提示する習慣がわれわれにあるのは、じつはわれわれが作者というものを、正反対のかたちで機能させているからなのです」と言い、「作者」は、言説と「意味作用がまるで癌のように危険に増殖してゆくのを規制することを可能にする」「歯止めをかけるための原理」であり、「イデオロギー的な形象」なのだ、と述べる(このあたりの内容は、「フランス哲学協会」での講演「作者とは何か」にはなく、後日バッファロー大学で行った講演において若干加えられた部分にある。『フーコー・コレクション2 文学・侵犯』の「原書編者注」を参照)。

 

しかし、虚構というものが完全に自由な状態で、だれでも使えるかたちで流通していて、否応なしにあるひとりの人間形象に結びつけられ、その拘束をうけるということなどまったくなく発展してゆく文化を想い描くというのは、まったくロマン主義でありましょう。十八世紀以来、作者というものは虚構の調整係という役割、産業ブルジョアジーと個人主義と私有財産の時代の特徴的役割を演じてきました。

 

 ここでフーコーは、いわば「虚構」の「創造」は、そう簡単に「だれでも使えるかたちで流通す=民主化」されないと言っているのだ。「作者とは、あるひとつの作品から噴出してくる創造的力域であり、作者は作品のなかに、無限の富と寛容さとともに、とても汲みつくしえぬ意味作用の世界を託すのだ、――そんなふうに語るのがわれわれの習慣です」。すなわち、「われわれの習慣として」、「作者」を「「天才」として、新しさの絶えざる出現」と見なしがちだ、と。だが、それは、「作者=天才」を担保する「無限=崇高」性を、むしろ倹約、制限、調整することによって、「虚構というものが完全に自由な状態で、だれでも使えるかたちで流通してい」るという「大いなる危険」な状況を回避しようとする言説のコントロール下においてしか、つまりそうした言説のコントロールと一対の効果としてしかあり得ないのだ。言いかえれば、「われわれ」は、「天才」以外を制限、抑圧することで、「作者」を「天才」として浮き上がらせているのだ、と(小林秀雄―吉本隆明の「悲劇」と、蓮実重彦の「凡庸」の対立を想起させよう。拙稿「批評家とは誰か」『アフター・リアリズム』参照)。

 

 フーコーは、18世紀末から19世紀初頭に制定された、作品や書物に対する「著作権=所有権」とは、「刑罰的所有とでも呼びうるものに対して二次的なものであった」と言っている。このときから、「書くという行為に属していた侵犯の可能性が文学に固有の至上命令」になった、と。「作者=天才」とは、この「侵犯」によって「処罰されることもありえたというかぎりでの作者」に対する称号だろう。まるでそれは、侵犯的な言説が、虚構として無限に増殖していく危険に歯止めをかけ、処罰される言説の「作者」はこの人物だと特定できるように付与された措置のようである。それを「権利」のように見せているのが、「われわれ」による「天才」視なのだ。フーコーが、「作者」とは、「産業ブルジョワジーと個人主義と私有財産の時代の」「イデオロギー的形象」なのだという所以である。このように「作者=天才」とは、まさに「監視と処罰」と引き換えなのだ。

 

(続く)

 

三島由紀夫のパレーシア

 「週刊読書人」12月5日号に、すが秀実さん、梶尾文武さんとの上記鼎談が掲載されています。

https://dokushojin.net/news/1192/

 

 

 以下は、それとは別に書いた記事だが、鼎談を補足するような内容になっているので、この機会に掲載する。

 

 すが秀実は、新刊『一歩前進、二歩後退』(講談社、2025年9月)についてのエッセイ「擬制の復興」↓

https://gendai.media/articles/-/158358

 

において、現在における「言論の自由」という「擬制」(フィクション、かのように)の保守を強く主張している。単に「言論の自由」の保守ではない。「言論の自由」という「擬制」の保守である。新刊のタイトルは、エッセイそのままに『擬制の復興』としてもよかったとまで言っている。だが、なぜ「言論の自由」が、あえて「擬制」と言われなければならないのだろうか。

 

 これについては、新刊の中で、次のように述べられている。

 

だが問題は、なぜ、われわれは言論表現が自由である「かのように」ふるまいうるのか、ということである。粗略ながら、この点を押さえておこう。

 資本主義を導入した近代国家において、言論表現の自由が謳われなければならなかった理由は、誰もが知るように、「市場」の社会への浸透と全面化傾向にある。市場においては、誰もが相互に自由で平等な小商品生産者=所有者(個人)として「売りと買い」に相対しているという擬制が成立しなければならない。その市場は、国家や前近代的な遺制からは自立した領域であると見なされた。

 その自由で平等な独立した諸個人によって生産された言論表現も、市場において商品として流通するようになるだろう。そのような商品が、出版資本主義の成立によって可能になった近代的な芸術作品であり、とりわけ「小説」であったことは論をまたない。

 近代以降においては、音楽、美術、演劇、詩、批評といった、以前から存在していた芸術諸ジャンルも、近代にふさわしいように「改良」されていったが、そのためには国家の庇護や助成が必要とされた。自立的に市場に登場する商品は、「小説」という新たなジャンルをモデルとする。その傾向は今でも変わらない。

 端的に言えば、自らの制作した作品を商品とすることで「食える」か否かということである。職業作家なるものが、それである。多数の作家が市場に存在していることを前提にして、はじめて言論表現の自由という擬制も可能なのである。(「リスクと「不気味なもの」――樋口毅宏著『中野正彦の昭和九十二年』の発売中止問題に触れて」)

 

 まずもって、「言論の自由」とは、資本主義の市場における、自由で平等な小商品生産者同士の「売りと買い」に基づいている。もちろん、「売りと買い」の相互関係は、自由で平等に見えるだけで、その実「非対称的」なものだ。自由で平等な「売りと買い」が、決して対称的な関係ではないことは、柄谷行人『探究Ⅰ』が暴いたとおりである。これは、本当は、半封建的で垂直的な権力関係が、近代的にリニューアルされ、水平的に横倒しになったにすぎない。それによって、「主―奴」(ヘーゲル)の権力関係は隠蔽される。資本主義という啓蒙的理性による「王殺し」といってもよい。「自由で平等な」自体が「擬制」なのだ。マルクスの言う、商品(貨幣ではない!)に宿る「物神性」(フェティシズム)は、その垂直的な権力関係が折りたたまれた、まやかし(マルクスは「その秘密」と呼んだ)の「表現」である。本当に自由で平等な水平性だったら、「物神」が宿ることもない。マルクス主義による革命とは、「主―奴」は消滅してなどいない、それは「貨幣―商品」の自由で平等な水平的関係に埋没しているだけだとして、「主―奴」を「階級」として露呈させようとするものだった。ヘーゲルの言う「主―奴」が露呈することで、「革命=死を賭して闘うこと」がリアリティを帯びていたのである。

 

 小商品生産者=所有者は「個人」として相対するために、その相互の権力関係が、個別の商品のフェティシズムへと還元されて目立たない。ましてや、現在のように、個々人が、(労働力)商品所有者というより、それぞれ「人的資本(家)」と見なされるようになってしまえば、資本―賃労働(者)という垂直的な権力関係がいよいよ後景に退き、見えにくくなりつつある。マルクス主義(がもたらしたパースペクティヴ)の失効である。もはや(マルクス主義的な)「階級」どころか、「格差」(社会)さえ言挙げされなくなっている。もちろん、この「階級」や「格差」の隠蔽自体、すべてを水平=フラットに偽装しようとする資本の要請である。

 

 すがの言うように、芸術もまた、その自由で平等な小商品生産者として市場に現われざるを得なかった。それが「小説(家)」(売文!)である。したがって、「言論の自由」とは、近代になって(物語や叙事詩のパロディとして)登場した「小説」によってもたらされたものだ。建築や美術、演劇など、個人=小商品生産者としては市場に表れにくい(集団制作による)「大規模」な芸術ジャンルにおいては、「国家の庇護や助成が必要とされ」ることなど自明であり、その条件はパトロネージの頃から変わらない。だが、近代以降の諸芸術は、市場の「自由、平等」というイデオロギーによって、(市民)社会全体を包摂する必要から、「「小説」という新たなジャンルをモデルと」して「「改良」されてい」くほかなく、したがって小説以外のジャンルにおいても、小説による「言論の自由」がヘゲモニーを握っていくのである。このような意味で、「言論の自由」とは、ブルジョアイデオロギーという「擬制」にほかならない。

 

 では、「擬制」であるゆえに、それは捨て去られるべきなのだろうか。今回、すがが強調するのは、「擬制の終焉」と言った吉本隆明に逆らって、「「擬制」は必ずしも斥けられるべき状態ではない」ということだ。先の引用は、次のように続く。

 

自立的な小商品生産者=所有者は、相対的に裕福な諸個人として現出するわけだが、そのような存在が一般的に広がっていない地域、つまり西欧モデルの「市民社会」なるものが成熟していないと見なされる地域においては、言論表現の自由よりも貧困の克服が、政策的に優先される。あるいは、言論の自由が保障されていたはずの、分厚い中間層を維持していたところにおいても、それが崩壊の危機に瀕すれば、言論の自由は、たちまち「ヘイト」の自由に変貌する。

 そのことは、今日の世界を見れば、誰にでも感得できるだろう。身も蓋もなく言ってしまえば、差別を禁止し、なおかつ言論表現の自由を行使するということは、「金持ち喧嘩せず」、「衣食足りて礼節を知る」以上を意味したことが、ほとんどない。繰り返すまでもなく、その「金持ち」とは、富豪のことではない。理念化された小ブルジョワのことである。

 

 概ね「68年」以降、それまで寄生していた資本が、撤退することで衰退しつつある「市民社会」においては、「市民社会」のイデオロギーたる「言論の自由」も衰弱を余儀なくされている。今まさに、「言論の自由が保障されていたはずの、分厚い中間層を維持していたところにおいても、それが崩壊の危機に瀕」しているわけだ(ここに「60年」(安保闘争)と「68年」の決定的な差異がある。前者は「国民=市民」運動だが、後者はそれが「崩壊の危機に瀕」した以降の運動なのだ。鼎談冒頭で触れられている現在の「市民」運動の集会で、すがが「俺が市民運動をしていると思うな!」と怒号したというのも、それゆえで(も)あろう。聴衆がすがのいらだちに無理解だったことは、容易に想像できる。Pardonnez_moi氏のブログ参照

https://pardonnez-moi.hatenablog.com/entry/2025/11/05/025739 )。

 

したがって、「ヘイト」や「誹謗中傷」の自由?も、壊れかけた「市民社会」の裂け目から噴出している。

 

 それに対する反差別の運動も、解放同盟による部落差別糾弾の頃のように、「われわれもまた同じ「国民=市民」である」と、「差別」に対する「同一性」を主張し、また議論=交通できるような「市民社会」の基盤はもうない。すがが、これまで盛んに主題化してきた「七〇年七・七」とは、もはや「国民=市民」内部に「同一性」によって回収され得ない、他者=マイノリティーとそれに対する差別の登場だった。したがって、以降は、同一性なき切断あるのみ、すなわち「キャンセル」する(「擬制」として「終焉」させる)ほかなくなっているのだ(あるいは逆に、「差別」したことへの無限の恥じ入りや自己否定)。

 

 三島由紀夫は、『サド侯爵夫人』(1965年)で、アナーキーな「(言論の)自由」が、だがリミットを超えると全体主義へと反転するさまを描いた。ラカン的に、カントのサドへの反転と言ってもよい。一切、サド本人を登場させずに、あえて「夫人」の側からのみサドを捉えることで、その「反転」する瞬間に焦点を当てたのである。

 

 だが、現在の「ヘイト」の自由は「反転」してそうなったのではない。いわば、それは「サド」の矮小化ですらなく、サドに働いていた抑圧や禁忌がないので「自由」への希求もない(ここに三島が、「68年」と思想的基盤を共有しがらも、ついに「68年」と共闘し得なかった超えがたい一線を見ることができるかもしれない。「民族」問題や「差別」問題を思考し得なかった三島においては、「サド」は視野に入っても、おそらく「ヘイト」は入らないだろう)。サドはフランス革命が恐怖政治へと「反転」(内在というべきか)する、その「反転」可能性を思想的に体現していたからこそ「サド」であり得た。もはや「反転」の契機はなく、まるで背中合わせの看板を背負ったサンドイッチマンのように、カントとリバーシブルに背中合わせのサドを、個々人がそれぞれ「自由」な「(人的)資本(家)」として背負って突っ立っているのが現在といってよい。ここでは、いわばカント「≒」サドなのだ。いまや、カント的な「倫理」として、そして「義務」のごとく、「ヘイト」を実践している者さえいるのではないか。

 

 すがが、「読書人」の鼎談で「パレーシア」(フーコー)を導入したのも、もはや「カント/サド」という問題設定が機能不全に陥っているゆえだろう。この側面においては、現在は三島の「言論の自由」の思考が、有効性を失いつつあるといえるかもしれない。だが、一方で、チェコ事件(1968年)を通して三島が思考しようとした位相における「言論の自由」は、かえってアクチュアリティを増しているように思える。「市民社会」が衰退することで「国家」が、剥き出しの暴力であれ、隠微な権力であれ、「全体主義」的にせり上がってきている現在、ソ連という「全体主義」国家の枠内で、いかに「言論の自由」があり得るかを模索したチェコは、弾圧されたその後も含めて、有効な参照先たり得ているのではないだろうか。

 

 三島が区別できずに混同していた「全学連」(全日本学生自治会総連合)と「全共闘」(全学共闘会議)とは、決して同一視できない。前者の「民主主義」が、自治会を掌握するセクトによる「全体主義」的な「独裁」へと帰結してしまったゆえに、後者はそれに対する闘争から出発しなければならなかったからだ。「ポツダム自治会粉砕」(戦後「民主主義」への批判を含意している)とは、「全共闘」による、「全学連」の帰結としての「スターリン」的「独裁」に対する批判だった。それもまた、先の「60年」と「68年」の決定的な差異といえる。

 

 むろん、いわゆる「スターリン批判」の「スターリン」は、一義的には「ソ連」であり「共産党」だったが、「全共闘」から見れば、「全学連」は、まるでそれらが背後に控えた自称「前衛」党の起源に見えていただろう。逆に、「全学連」を創設した武井昭夫のような存在から見れば、それを「ポツダム自治会」などと揶揄する「全共闘」は、反革命にしか見えなかった。武井が、終生「全共闘=68年」に冷淡だったゆえんである。

 

 一方、「全共闘=68年」から見れば、自治会という「民主主義」こそが、眼前で反革命的に「全体主義」化していったのである。現在、ソ連全体主義というファクターはもうない。現在は、ソ連スターリンが背後に控えていない「民主主義」が、不断に「全体主義」化する契機を内在させたまま我々を規定している。すがの「俺が市民運動をやっていると思うな」という怒号は、「民主主義」は、きっかけさえあれば、いつでも「全体主義」に転化するという歴史を見てきた「全共闘=68年」からの声である。おそらく、すがにとっては、民主主義も、言論の自由も、「ポツダム自治会粉砕」の頃から、地続きの問題なのだ。すがのアンテナと介入するスピードにはいつも驚かされるが、今回の介入と運動の展開にも、そうしたすがの「批評」性が感受される。

 

中島一夫

 

トークイベント「文学✕日本語ラップ✕批評」を終えて

 卒業生も含めて、ずいぶんたくさんの参加があった。感謝したい。

 

 まだ本を読まれていない方々には、内容的にわかりにくい話だったかもしれないが、出来はともかく、奇しくも女性の首相が誕生したその日に、タイムリーにも拙著『アフター・リアリズム』に絡めた「表象=代行」の(危機の)話をするという、ある意味で「歴史的」なイベントとなったのではないか。途中で司会の大澤聡さんに指摘され唖然としたが、私自身も石原吉郎論で批評家としてデビューして、何と25年(掲載誌は「新潮」2000年11月号)たってしまったという、恐ろしい「歴史」(四半世紀!)もおまけとして付け加わった。

 

 イベントでのコメントを補足する形で簡単な感想としたい。

 中村拓哉さんの新刊『日本語ラップ』の副題は、「繰り返し首を縦に振ること」という。これを中村さんは、「隠喩」の問題と結びつける。ただ、ここでいう「隠喩」は、単に詩学の問題というより(を含めてと言った方がよいか)、リクールの言うような「われわれの生に不可欠なもの」という位相で捉えられている。本書では、ミメーシス―ミュトスが、あくまで「行動」のレベルで捉えられるように。

 

したがって、隠喩は「首を縦に振ること」、つまり「頷く」という身振りを伴うのではないか。というのも、隠喩はひとつの理解の様式――ある事柄を、別の事柄を通して――だからであり、リクールが「再認のよろこび」と呼ぶもの、理解することの喜びにおいて、ひとは「なるほど、なるほど」「うんうん、たしかにそうだ」と「頷く」ことになるだろうからだ。(p287)

 

 「首を縦に振る」といっても、だからいわゆる「イエスマン」とは何の関係もない。

 

中学卒業も更生院/数年後には準構成員」(鬼「小名浜」)というリリックを聴いて、はじめは「こうせいいん?どういうことだ」と考える。しかしそれが、中学生の時点ですでに更生のために少年院あるいはそれに準じる施設に入れられた少年が、数年後にはヤクザの組の準構成員になっていたという、強烈なリアリティを歌っていると気付いたとき、この巧みな表現とそのフレッシュな理解に喜びを覚える。「深い、間違いない」と頷く。ラップのリリックはそのようにして聴かれるものである。隠喩的理解がもたらす「頷き」において、意味はリズム化し、身体化されるのである。(p288)

 

 すなわち、「たしかに、隠喩ははじめ、聞き手に欺かれたような精神状態に陥れる。何を言っているのだ、と混乱する。しかし、彼は徐々にあるいは唐突に、その意味を理解する」のである。

 

 この生の「隠喩」が重要なのは、「ポストフォーディズムによって準安定した他者との共同性の破壊が進んだ現代においてこそ、認知におけるメタ歴史的なものであるところの隠喩的理解の問題が浮上する」からだ。イベントでも少ししゃべったが、ネオリベやポストフォーディズムにおいて、共同体に寄生し「市民社会」を擬制してきた資本が、現在、もう利潤が得られない、そこからは十分絞り取ったとばかりに、共同体から撤退しつつある。まさに、中村さんの言う「準安定した他者との共同性の破壊が進んだ現代」である。「市民社会の衰退」、「社会は存在しない」と言ってもよい。現在の「当事者」的な「私」小説の隆盛も、この不可避的な帰結だろう。資本が撤退し市民社会が衰退することで、裸の「この私」が、しかし人的資本の「資本家」と見なされ、「お前の資本は何なのか?何が資本主義に提供できるのか?」とむき出しの生をさらされている。したがって、不断に心身の「ケア」も必要となろう。現代の「私」小説は、「市民社会」が爛熟していた頃の、小林秀雄の「私小説論」の「私」とは異質なのである。

 

 毀損された共同性における、従来の「表象=代行」とは異なった「私」と「私」との関係のあり方を、今回中村さんは「隠喩=首を縦に振ること」という、ラップやヒップホップの「生」に見出そうとしたのだ。「日本語ラップ」の具体的で精緻な分析はもちろん、それを超えて、もはや手をとりあうことが難しくなった一人称同士の「私」と「私」の空間というか「くうかく」(山本陽子)において、「俺はこうだ」(一人称)と、「で、てめえはどうなんだ」(二人称)とが「隠喩=首を振ること」で共振し得るような「場」を模索すること――。かつて、山本陽子の詩の「くうかく」は、換喩的な関係性ではないかと論じたことがあるが(「隣接する批評」『収容所文学論』所収)、「60年」→「68年」が、「隠喩」→「換喩」への移行だったとするなら、「68年」→ネオリベ、ポストフォーディズムは、その移行をふまえて、さらにまた高次の「隠喩」へということになろうか。

 

まずは先行する抵抗しての六八年革命、それに対する「反転された革命」としてのネオリベラリズム/ポストフォーディズム、そのさらに逆――「逆さまの資本主義」として――のヒップホップ。私たちはこのような入り組んだ鏡像関係において、ヒップホップの現代性を規定する。(p139)

 

 思想、哲学、文学、言語学などの知見が動員され、「68年」後の新しい「他者」論としても示唆に富む。何より、読者の「わたし」にも、その「で、てめえはどうなんだ」と強く問いかけ、行動をうながしてくる、冷静で熱い一冊である。もう手をつなげないなら、首を振るのはどうだ、と。

 

 最先端の中村さんの『日本語ラップ』と、アナクロニズムの極みのような拙著とが、いったいどのように「共振」するのか、当初は想像もつかなかったが、大澤さんの周到な読解に裏付けられた驚嘆すべき巧みなMCによって、点と点がみるみる線になっていく。会場のなかには、その手さばきに知的快楽を覚えた方もいるのではないだろうか。少なくとも私は、中村さんの本も、自分の本も、やはり「68年」後を思考しようとしている本なのだなということを、改めて痛感させられた。壇上の私は、「うん、うん、確かにそうだ」と、何度も首を縦に振っていたはずである(当日寝違えていたにもかかわらず)。

 

 われわれは、それぞれのテクストを読んできたうえで(これが重要)、当日、社会の「くうかく」で、お互いの「一人称」と「一人称」とを、少しは「共振」させることができたのではないかと思っている。

 

中島一夫