嘘と転向――冷戦終焉期の大西巨人 その2

 大西は、その代名詞ともいえるエッセイ「俗情との結託」を一九五二年に、「再説 俗情との結託」を五六年に発表する。そして、九二年に「三説 俗情との結託」を、九五年に「「俗情」のこと」を発表した。大西は、前の二つのエッセイから後の二つに至る「三十数年間にも、「俗情との結託」現象が存在しなかったのではない。いや、それどころか、そういう類は、多々あった。その間に私が発表した批評文の大部分に、私は、「俗情との結託」と題することもできた」と述べている(「三説 俗情との結託」)。

 

 だが、結果的にそうしなかった理由は明白だろう。前二つはスターリン批判前後の、後二つは冷戦終焉期の言説空間において書かれているのである。大西のいう「俗情」が、いかに共産主義の危機における「転向イデオロギー」とのたたかいだったかが分かる。

 

 大西は、最初の「俗情との結託」で、「俗情」を「いまなお労農市民・国民大衆――特にそのおくれた層――のなかに広汎に存在する封建的・後退的な要素」と定義した。いわゆる、講座派マルクス主義の「半封建的」そのままである。軍隊を「特殊ノ境涯」(『軍隊内務書』)と認めて疑わない野間宏の『真空地帯』を、「半封建的」なものとの「結託」として批判したわけだ。そして、そのような「転向」に対する抵抗として「半封建的」な軍隊の、そしてそれが反映する天皇制の構造やあり方とたたかおうとするのが、かの『神聖喜劇』であった。

 

 だが、「俗情との結託」という批判が真に有効であるためには、まずもって「俗情=半封建的」という概念にリアリティがなければならない。そして、一九六〇年代の高度経済成長にともなって、それ以降そのリアリティは徐々に喪失されていったのである。大西が、冷戦終焉期に「バスに乗り遅れまいとした」「変節転向者」たちを、今一度「俗情」という言葉で糾弾しようとした時には、もはやその有効性は相当薄れていたのではなかったか。前回述べたように、大西が「俗情」を「嘘」と言い換えねばならなかったゆえんである。

 

 だが言うまでもなく、「嘘」という通俗的な言葉自体、「俗情=半封建的」よりもいわば「俗情」性にまみれている。そこで大西は、さらに「嘘」を、「方便としての嘘」と「本当の嘘(つき)」とに峻別し、後者をしっぽ切りしていくことになったのだろう。「嘘」という言葉自体の「俗情との結託」を切断しようとしたのである。

 

「小説は、『フィクション』、『ワーク・オブ・フィクション』である。」という命題の「仮構(フィクション)」とは、「方便としての嘘」のことであり、「本当の嘘」ではなく、したがって小説家は、断じて「本当の嘘つき」ではない。「仮構の真実」を作り上げるのが、小説家である。終世、井上光晴は、その間の消息を理解することができなかった(井上のほかにも、その手の似非小説家・批評家が、少なくない)。(「一路」一九九四年)

 

 だが、「俗情」という言葉が「半封建的」のリアリティに支えられていた以上、それが喪失された今、これは苦しいロジックと言わざるを得ない。「嘘」という言葉に「俗情=半封建的」の代わりはあまりに荷が重いし、「方便としての嘘」と「本当の嘘」とを明確に分かつものももはやないからだ。「俗情=半封建的」のリアリティが喪失されていくとともに、大西が「革命の人」というよりは、PC的「正義の人」や「民主主義の人」(すが秀実大西巨人の「転向」」)に見えていってしまったというのもわからないではない。天皇制批判が後景に退いていったというのも同断である。講座派において「俗情=半封建的」とは、まずもって天皇制を意味していたからだ。それは、大西個人の問題というよりも、講座派イデオロギーの耐用年数の問題だろう(※注)。

 

 大西はとうとう「嘘」を批判するのに、四百年以上前のモンテーニュ『エセー』にさかのぼるところまで追い込まれる。「実に、嘘は呪われた悪徳である。われわれはただ言葉だけによって、人間なのだし、また、たがいにつながっているのである。この嘘の恐ろしさと重大さを認めるならば、他のいろいろの罪悪以上に、これを火刑をもって追求して然るべきであろう」。そのうえで大西は、現実上の「嘘」と「フィクション(仮構)」とを同一視することはできない、そうすることは「似非芸術家における特権意識の思い上がりであるという(「〈嘘〉あるいは〈嘘つき〉のこと」一九九五年)。「似非」ではない本物の作家による「フィクション(仮構)」を、「嘘」から守ろうとしたのだ。

 

 だが、ここでも事態は、「フィクション(仮構)」と「現実上の「嘘」」とは、「同一視」以前にもはや峻別できないということではなかったか。それが、68年を席巻したいわゆる「言語論的転回」の問題だろう。あまりにも高名な例を引こう。

 

ギリシア的真理は、かつて、「私は嘘つきだ」という、このただ一つの明言のうちに震撼された。私は話すという明言は、現代のあらゆる虚構作品(フイクシオン)に試練を課す。(フーコー「外の思考」一九六六年)

 

 「私は嘘つきだ」という「ただ一つの明言」自体の真偽が、もはや決定不能である。いわゆる「嘘つきのパラドックス」というやつだ。「ギリシャ的真理」もモンテーニュの「真実」も、この事態に「震撼され」るほかはない。この中で「虚構作品(フイクシオン)」はあり得るのか。フィクション(仮構)は「嘘つきのパラドックス」に包摂され、おしなべて存在理由の「試練」を「課」されている。

 

 ここにおいては、大西の試みた「フィクション(仮構)」と「現実上の「嘘」」とか、「本当の嘘」と「方便としての嘘」とかいった区別は何の意味をもたない。もはやここでは、言葉は、「現実」やら「仮構の真実」やらの「表現ではない」(入沢康夫)のである。

 

 大西が言うように、確かに井上光晴は、「「仮構の真実」を作り上げるのが、小説家である」ことを「理解することがなかった」。前回述べたように、それは疑いの余地がない。だが一方、大西は、おそらく「言葉は表現ではない」ことを「理解することがなかった」のだ。このあたりに、大西が(あるいは武井昭夫が)68年に無理解だった理由があろう。

 

 では、言葉が、「現実」や「仮構の真実」を「表現」するという「リアリズム」はのり越えられたか。むろん、いまだそのような「アフター・リアリズム」を提示し得た者は誰もいない。68年が革命だったか反革命だったかという議論に、もはやリアリティがあるとは思えない。それこそ革命か反革命かが決定不能であることが、現在を規定するパラドックスではないのか。だがそれ以降、「嘘」や「フィクション」に課された「試練」から、誰ひとり逃れられないこと。その意味において、68年があるリミットを示していることは間違いないだろう。われわれは、依然として、大西が苦しんだそのリミットから何事かを学びとっていくほかはない。

 

 

(※注)

 「俗情=半封建的」がリアリティを失っていく過程で、講座派はいわゆる「構造改革派」へと転回していった。政治的にはグラムシ主義と陣地戦の導入である。日本における二〇〇九年の旧民主党の政権奪取は、その帰結であった。旧民主党政権最後の首相となった野田佳彦は、自民党安倍晋三に国会で「嘘つき」呼ばわりされ逆上し、「自爆テロ解散」(田中真紀子)に踏み切って大敗。その結果、政権を失ったのは、この文脈において象徴的であった。旧民主党構造改革派において、「俗情=半封建的」のリアリティは喪失されていたものの、かろうじて「嘘(つき)」はリアリティの残滓をとどめていたということか。野田は、「嘘つき」と言われることにプライドが許さない最後の政治家であろう。以降は、平然と嘘をつき、またそれを周囲の忖度によってなかったことにする、あるいはその発言がフェイクか否かがもはや決定不能な政治家が、世界の指導者として君臨することになる。

 

中島一夫

 

 

嘘と転向――冷戦終焉期の大西巨人

 『大西巨人 文選2 途上』の「月報」の一文を、大西は「年ごろ私は、〈嘘(非事実ないし非真実)〉に関して幾度も書いた」と書き出している(「〈嘘(非事実ないし非真実)〉をめぐって」)。この一文が書かれたのは「一九九六年九月中旬」だから、「年ごろ」はほぼ冷戦終焉期前後と考えて差し支えないだろう。実際、そのあたりから大西は、「嘘」や「虚言」(あるいは逆に「正直」)にさかんに言及するようになる。

 

 もちろん、「俗情」や「変節」、「裏切り」なども含めて広義の「嘘」と捉えれば、これは大西年来のテーマであると言える。だが、「年ごろ」の状況が、「俗情」、「変節」、「裏切り」といった言葉ではもはや捕捉できず、それらが端的に「嘘」や「嘘つき」と呼ばれなければならなくなったことの方が重要だろう。それは「転向」の問題が、ほとんど無化されてしまったということにほかならないからだ。

 

 大西は、次のように状況を指摘している。

政治的ないし思想的な用語としての「転向」および「変節」を、私は、否定的価値判断の表現と長らく理解してきたのであり、そのように現在も理解しているのである。〔…〕ところが、近年だんだん「転向」、「変節」が、「豹変」の場合とは逆方向へ転義してきて(旧悪から善に遷ることを意味するようになってきて)、この分ではやがてそれらは、「変化」とか「異同」とかいう類の(没価値判断的な)言葉によって全面的に取って替わられて死語になり果てかねない。(「居直り克服」一九八六年)

 

 もちろん、このような「転向・変節合理化」は、この時に始まったことではない。屈伏し、転向・変節することこそ「人間的」であり、そうしないことを「非人間的」であるという「哲学」は、ことあるごとにはびこってきた(*注)。だが、「転向」や「変節」といったタームが、もはや「否定的価値判断の表現」を担いきれなくなった時、大西は「嘘」や「嘘つき」といった直截に否定的な言葉でもって、事態を言い直さざるを得なくなったのだろう。

 

 例えば、「一路」(一九九四年)において、大西は「本当の嘘つき」と言う。「朝日新聞」の記事の、「どうかすると、世の中には自分のしゃべっていることが、どこまで本当で、どこから嘘なのかまるで責任のない人がいる。こういう人を、本当の嘘つきというのだ」という一文を受けてである。そして、その「本当の嘘つき」に井上光晴を名指した。

 

 井上が、「一九五五年春、日共に復党を要請されたが、レーニンの思想を私はすでに、むなしい騒音だと感じはじめていた」(「秋のマフラー」一九九一年)と書いたのに対して、大西は次のように述べる。

 

舌でも筆でも「本当の嘘」をならべ立てるのが常であった井上のこと、『秋のマフラー』が、「本当の嘘」に満ち満ちているのは、別に不思議ではなかったが、右エッセイの執筆・発表時がいわゆる「ベルリンの壁・東欧共産圏の崩壊」後における一時期であっただけに、私は、甚だ不愉快・腹立ちを覚えた。

 井上光晴が「一九五五年春」「レーニンの思想を」「すでに、むなしい騒音だと感じはじめていた」とは、私は、彼から聞いたことも彼の書いたもので読んだこともなかった。もっとも、一九九一年は、私が井上と絶交してから十七年目であったから、その間は「彼から聞いたこともなかった」のは、当然である。

 井上は、「日本共産党代々木組」ないし「スターリン主義」を一九五〇年代から「すでに」いちおう批判してはいたが、「レーニンの思想を」「むなしい騒音と感じはじめていた」事実は、彼の舌および筆の活動のどちらからも毛頭認められなかった。〔…〕「ベルリンの壁・東欧社会主義圏の崩壊」後における一九九〇年代に、「バスに乗り遅れまいとした」「変節転向者」が「一九五五年春」ころ「すでに」「レーニンの思想を」「むなしい騒音だと感じはじめていた。」と書いた、とは、私は、たやすく信ずることができる。(「一路」一九九四年)

 

 井上の嘘つきぶりについては、大西はかなり前からことあるごとに言及してきた(「巌流井上光晴」一九六四年、など)。だが、いまや明確に、その「嘘」が「変節転向者」のそれとして、「本当の」嘘であり、また井上は「本当の」嘘つきとされるのだ。また、この前年には、これも井上との因縁といえる「作家のindex事件」をたたかっている。大西が、「作家のindex事件」を、単なる『すばる』編集部との行き違いなどではなく、これを「現代転向の一事例」(一九九三年)として捉え、その過程における「嘘=俗情」とたたかっていたことは明らかだ(「小田切秀雄の虚言症」一九九四年、など)。

 

 さらに、時あたかも、セクハラ映画として悪名高き『全身小説家』(原一男、一九九四年)で、井上の「虚構的存在」ぶりが積極的に主題化されていた。「全身小説家」とは、「全身」「嘘つき」の謂いにほかならない。だが、この映画では、「小説家」なのだから「嘘」をつくのが商売とばかりに、そのことが「全身」で肯定されるのである。

 

 大西が「本当の嘘つき」と言うとき、まずもってこの種の「小説家=嘘つき」というイデオロギーが切断されている。大西に言わせれば、『全身小説家』は、冷戦終焉期=社会主義圏崩壊に、「バスに乗り遅れまいとした」「変節転向者=本当の嘘つき」たる井上光晴を、「全身」で肯定する作品ということになろう(そして、「子供のころの「うそつきみっちゃん」が大人になって「小説家」になったのだから最高だ」、「井上は天才だ」、「小説家は言ったもん勝ち」と、井上の「嘘つき」ぶりを肯定するのが、花田―吉本論争で吉本勝利をジャッジした埴谷雄高であり、それが本作の井上評価の最終的な担保になっている)。

 

 これらは、大西がこの時期さかんに繰り返す表現でいえば、「〝「革命」、「マルクス(共産)主義」、「左翼」、「階級闘争」などを否定的または嘲弄的にあげつらえば、それで「オピニオン・リーダー」分子としての株が上がる〟というような情況の通俗的出現」にほかならない。大西は、この「小説家=嘘つき(虚構的存在)」が、「俗情」と「結託」したイデオロギーにほかならないことを「全身」で示すために、徹底的に「小説(家)」の問題として、これと戦おうとしたのだ。

 

 その時に、「仮構の真実」や「仮構の独立小宇宙」といったテーマが、再び三度浮上してくるのである。

  

(*注)これについて、大西は、「十五年戦争中」の島木健作や、「敗戦後初期」の福田恒存らを例に挙げている。だが、人間的/非人間的の序列を転倒して「転向」の合理化をはかった筆頭は、何と言っても「転向論」(一九五八年)の吉本隆明ではなかったか。だが、野間宏『真空地帯』問題や、共産党分裂とそれを背景に勃発した『新日本文学』の花田清輝編集長更迭事件における宮本顕治との関係もあってか、なぜか大西は、吉本の「転向・変節合理化」を指摘することはなかった。このあたりの大西と吉本の関係は、いろいろ考えさせられるが、今は措く。

 

(続く)

 

ペイン・アンド・グローリー(ペドロ・アルモドバル)

 脊椎の痛み、何種類もの頭痛、いちいちクッションを差し挟まなければ、床に跪くこともできない。最近は、水を飲んでも喉がつまりせき込んでしまう。喉にしこりがあるのだ。悲鳴をあげ続ける身体は、母から与えられた罰なのか。

 

 主人公サルバドール(アントニオ・バンデラス)は、最愛の母の晩年に「お前は良い息子ではなかった」と叱られる。まるで遺言のように。父の死後、母との同居を拒んだからだ。彼にすれば、当時は映画製作で忙しく、家を離れることが多かったので、母を家にひとり置いていくのが忍びなかったのだ。

 

 もう一度、故郷バレンシアに連れていってほしいという最後の願いもかなえてあげることができず、母はICUでひとり寂しく死んでいった。サルバドールの棄損された身体とその苦痛(ペイン)は、母=自然=故郷への原罪だ。

 

ラストシーンで、少年のサルバドールは「新しい街には映画館がある?」と聞く。母(ペネロペ・クルス)は「家があればいい」とにべもない。このやりとりが、あの「お前は良い息子ではなかった」につながる「原風景」であることは明らかだろう(ネタばれになるので控えるが、ラストシーンを見れば、それが原風景「として」撮られていることがわかる)。思えば、あの時すでに、サルバドールは映画の方を、母は一緒に住む家の方を向いていた。映画は、いつも母=家を遠ざける。

 

 この原罪=映画ゆえに、映画作家の彼の過去は苦痛に満ちている。坂口安吾ではないが、たとえ「叱る母もなく、怒る女房もいないのに」、人は「家へ帰ると叱られてしまう」生き物だ(「日本文化私観」)。

 

 だが、三十年前の自身の過去作『風味』や、かつて書いたテキスト『中毒』との、思いがけない「和解」を通して、サルバドールは過去を現在へと招き寄せ、それを未来へとつなげていくことになる。その時、苦痛(ペイン)は「そのまま」(その後、ではない)栄光(グローリー)へと転じるだろう。

 

 かつて仲たがいしたアルベルトが演じる『中毒』のシーンが素晴らしい。恋人のヘロイン中毒を断ち切ろうと、ともにマドリードを後にしたあの日。アルベルトの語りを聞きながら、マドリードバルセロナを逃げ去ってはまた舞い戻る、あの『オールアバウトマイマザー』の「マヌエラ」の旅の記憶が重なる。きっとアルベルトの芝居を見て、過去の夢へと連れ戻されたのは、サルバドールのかつての恋人フェデリコばかりではないだろう。

 

 サルバドールにとってフェデリコは、あの夏の日にレンガ職人の裸体に覚えた「最初の欲望」の宛先だ。本当はフェデリコと再会した時点で、職人の手紙と絵は、しかるべき「宛先」へと届いていた(フェデリコの存在がサルバドールに母との同居を拒ませたのかもしれないし、母もそれに気づいていたから手紙を届けなかったのかもしれない)。だから、彼は、フェデリコと再会した夜に、残りのヘロインをすべてトイレに流し去るだろう。ヘロインに頼らなくても、彼はもう一度、映画という夢を見られそうな気がしたのだ。

 

 ラストシーンの「カット」の声がかかっても、サルバドールも私も、いつまでもこの夢の続きを見ている。

 

中島一夫

 

制度、リアリズム、転向 その4--私小説≒天皇制という「虚構」

 コロナ禍における「西洋」からの「アジア」への差別には、YouTubeSNSの卑劣な映像や言説を見るにつけても、「いったい、啓蒙された西洋市民社会など、本当にあったのだろうか」という「「近代」への疑惑」(中村光夫)を再び三度抱かずにはいられない。「アジア人」は、皆コロナを持ち込む「中国人」と同一視され、一転、西洋諸国に比べアジア諸国の致死率が格段に低いと見るや、今度は羨望と蔑視の入り混じった、神秘的な異物を見る視線にさらされている。

 

 「オリエンタリズム」と言って差し支えないだろう。コロナは、もともと西洋には存在しない「モノ」である――。アジア人は密にならず、お上に従って自粛する「生活習慣」があらかじめ備わっている――。この間のことは、われわれがいまだに「講座派的歴史観」やら「近代の超克」やらといった問題系から自由ではないことを露呈させた。「その意味で」、コロナはグローバリゼーションの「病」である。

 

 日本がグローバルな資本主義を視野に入れざるを得なくなった時期に勃発した日本資本主義論争において、「講座派的歴史観」が主張した日本資本主義の「半封建」(封建制)が、「天皇制」の「隠語(ジャーゴン)」であることは、すが秀実天皇制の隠語』が喝破したとおりだ。そして、「半封建」とは、日本が西洋(資本主義)から「疎外」されている事態の別名にほかならない。すなわち、「天皇制」とは、西洋からの「疎外」や後進性を、逆に西洋にはない「モノ」という特殊性=先進性へと逆転させた反動的でオクシデンタルな虚構である。その虚構によって、日本は自らを自立的な近代国家とみなすことができた(いまだに、それを「誇るべき」「民度」と主張する大臣もいる)。

 

 すがの『隠語』は、日本資本主義論争が文学史観までをも規定していることを示した。述べてきたように、「半封建」は、文学的でロマン主義的な虚構としても捉え得るからだ。なかでも、中村光夫の「私小説」批判(田山花袋『蒲団』批判)が、私小説天皇制を相似形として捉えた(それは、一連のエントリーで述べてきた文脈でいえば、私小説天皇制が資本主義的な「制度」だということを意味する。だからこそ、日本「資本主義」論争において問題にされてきたのである)天皇制批判でもあったという指摘は、このコロナ禍において、またしてもアクチュアルになってきている。「私小説」も「天皇制」もオリエンタリズムへの反動であり、オクシデンタリズムだからである。

 

 そのことが、ずっと中村を「西洋を基準にして日本を裁断してきた批評家」と「誤解」させてもきた。確かに、中村の文学史観が「講座派的」であることは否めない。だが、そのなかで中村が一貫して問題にしてきたのは、西洋の「近代」をも規定する「リアリズム」という「制度」そのものなのである。主著『風俗小説論』は、「風俗小説」批判である以上に、章題を一瞥して知られるように、まずもって「近代リアリズム」論にほかならない(一章から四章のタイトルは、それぞれ「近代リアリズムの発生」「――の展開」「――の変質」「――の崩壊」である)。

 

 「制度」としての「リアリズム」が作動しているかぎり、この国の「半封建」的―ロマン主義的な「私」や「天皇制」といった「現実」は、資本主義が己の「等価交換」の原理に似せて制度化した「告白」によって、また「模写=写実」によって、この国の「リアル」として「表象」され続けていくだろう。だが、言うまでもなく「等価交換」とは擬制であり、労働力商品を想起するまでもなく、実態は「不等価交換」にすぎない。あくまで私小説天皇制は、「リアル」に擬せられた(言い換えればブルジョア(文学)にとってのみ「リアル」な)「虚構」でしかないのである。だからこそ中村は、これまた何度も述べてきたように、「虚構」ではなく「虚相」(本質)へと向かった二葉亭を問題にし続けたのだ。

 

中島一夫

 

制度、リアリズム、転向 その3--中村光夫、蓮實重彦、すが秀実

 

 もう何度も触れてきたが、「転向」の問題を「告白=弁明」の問題として捉えかえした点において、蓮實重彦すが秀実の対談「中村光夫の「転向」」(一九九三年十二月「海燕」。蓮實『魂の唯物論的な擁護のために』所収)は、「転向」を考えるうえで画期をなす。冷戦終焉後に必然的に現れた批評的な視座である。これ以降、文学を「転向」と無縁と考えるのは不可能となったといえよう。

 

蓮實「…「転向」とは、日本の文学風土にあっては、単に主義を変えることそのものではなく、何よりもまず、主義を変えたことを釈明し、言い訳をする儀式である。その儀式を受け入れる風土があると信じている限りは、言い訳しないと釈明したり、自分は何も隠していないと弁明することさえが、ひとつの「転向」なのです。中村光夫はそれを全くやっていないという意味で、彼は「転向」とは無縁の人なのかもしれない。とにかく、みんなが好奇の視線を投げるのは、むしろ自己弁明したり、あるいは隠し立てなどしていないと釈明する人たちのほうでしょう」。

すが「…「転向」という「魂」の「弁明の儀式」の背景には、常に言文一致というもう一つの「弁明」があるのではないでしょうか。中村光夫は、言文一致の創始者と言われる二葉亭をとおして、その「確信」が、実は無根拠な「弁明」に他ならないことを指摘しつづけように思うのです。中村光夫の転向文学者への批判のモチーフは、「私小説」を否定したはずのプロレタリア作家が、転向するとなぜ「私小説」で転向文学を書いちゃうのか、ということですが、中村光夫の「私小説」批判は、二葉亭には存在した「弁明」への懐疑・否定が、「私小説」にはないということでもあるのですから。」

  

 この両者のやりとりに、「転向」が、いかに「弁明、告白=言文一致」という近代文学の「制度」と不可分のものかということが、ほぼすべて出ている。佐野―鍋山の「共同被告同志に告ぐる書」(一九三三年)という、いわゆる転向「声明」などを俟つまでもなく、「転向」とは結局「声明=告白」の問題だった。小林多喜二が拷問死したのも、宮本顕治や蔵原惟人が「神」に祀り上げられたのも、まずもって彼らが「転向」を「告白」しなかったからだろう。ここでは、神に従僕として「告白=表現」しなかった者が、「神」になり「主人」となる。すなわち、「告白=表現」する者は、不可避的に「転向」者なのだ。人をそのように仕向けるのが、「告白=表現」を可能にする言文一致という「制度」であり、したがって言文一致=制度のもとで読み書く者は、決して転向を逃れられないということでもある。

 

 中村光夫は、この「転向=告白」という行為と、それを「儀式=制度」として受け入れる「風土」を、日本近代文学の根本的な問題として思考し続けた。われわれが「リアリズム」と呼んできたのは、この「風土」にほかならない。この「風土」を「風土」として批判的に思考するには、自ら「転向」者でなければならない。「非転向」は、そもそも「告白=表現」しないからだ。これまた、何度も述べてきたように、中村光夫という存在が示しているのは、「転向」者にしか文学が「転向」の「装置」であることを思考し得ないという、このジレンマだろう。

 

蓮實「…別の言葉で言うと、彼は「転向」という釈明形態そのものを可能にする風土を批判の対象にしているわけです。その批判は、政治的なものと言うより、田山花袋いらいの「煩悶」の安易さと言うか、「自己の苦しむ姿が社会を無条件に動かすことと信じて疑わない」無邪気さが、プロレタリア作家たちにも間違いなく受け継がれていた事実に対する苛立ちとなって現れてくるものです。

 だからと言って、もちろん、中村光夫が、プロレタリア文学にふさわしい「言説=ディスクール」を提起しているわけではない。彼にとっての問題は、「私小説批判」ですらなく、作家たちの政治意識の先鋭化にもかかわらず温存されてしまう私小説のしぶとさといかにしてつきあうかという問題なのです。それは、きわめて実践的な課題であって、いささかも理論的な問題ではない。たとえば、彼は、「純粋小説論」の横光利一のように、形式と理念のみを論じることには強く反発している。また、仮に、それが一時の流行であったにせよ、プロレタリア文学の意義を全く認めない立場に立ったというのでもない。」

  

 今やほとんど中村の批評は読まれていない。それは、中村の批評が、きわめて「実践的」であって、「いささかも理論的な問題」を、通りよく提示し得なかったからでもあろう。中村の「私小説」批判は、何かそれに代わる「言説=ディスクール」を「理論的」に提起し得たわけではない。ただ、ひたすら「私小説」批判を「実践」し続けただけのようにしか見えず、確かに中村を読むと、人は「またか」と思わずにいられない。だが、この「またか」に、「私小説のしぶとさといかにしてつきあうか」という批評家の一貫した強靭な「実践」がある。

 

蓮實「…たとえば、「転向作家論」で彼はこう啖呵を切っている。「人は言った。ブルジョア文学は敗退した、プロレタリア文学は勝利を得た、と。冗談じゃない。ブルジョア文学などというものはなかったんだ」。この「冗談じゃない」というところが一貫しているのです。〔…〕ただ、ここで読み間違えてはならないのは、中村光夫が、たとえばその後の篠田一士のような、抽象的な私小説批判を展開したわけではないという事実です。中村光夫は、篠田一士などより遥かに「私小説」的な風土の恐ろしさを知っています。要するに、それは「制度」であり、これを攻撃すればあっさり退散するようなものではないと意識しているのです。だから、皮肉なことに、志賀直哉を初めとして、いわゆる私小説の作家たちを評価せざるを得ない立場に追い込まれます。これはこれで立派なものだと言わざるを得ない。」

 

 中村が恐れていたように、「私小説」的な風土はその後も「しぶと」く生き延びた。卑近な例でいえば、「言は魂なり」の自己「表現=つぶやき」と、それが「懐疑・否定」もなく「いいね!」や「リツイート」でもって受容されていく「風土」は、SNSに薄く広く「拡散」している(これなども、「私小説=告白」のポテンツを下げた浸透の一つだろう。いまや、SNSを「自己」表現などと言ってもはじまらないほど、それは「風土」と化した)。ほとんど中村は、プロレタリア文学者であったその初期から、安易に「私小説」を乗り越えたつもりになっている言説に対して、ひたすら「冗談じゃない」とばかり言い続けてきた存在だといっても過言ではない。

 

蓮實「事実、プロレタリア文学が、あらゆる国でブルジョア文学に負け続けるしかなかったというのは、残酷なまでに歴史的な事実なのです。日本の場合はブルジョア文学が存在し得なかったので、「私小説」に負けてしまった。

 

 この発言は、「ブルジョア文学≒私小説」を、「ブルジョア」が導入した「ブルジョア」のための「言文一致」という「制度」と読まなければ、その真意を掴み損なうだろう。その「制度」が温存されるかぎり、私小説は、例えば大衆社会のもとでは「風俗小説」へと形を変えて生き延びるだけだ。

 

すが「…中村さんの戦後の『風俗小説論』などは、「転向作家論」の文脈から見ても、デュ・カン的な作家への批判・批評と言えるのではないか。蓮實さん的に言えば、中村光夫にとって、昭和十年代というのは、膨大なデュ・カンはいるが、一人のフロベールもいない時代と映ったのかもしれません。その意味では、中村光夫の転向論は、昭和十年前後の、いわゆる大衆社会への批判をも内包して捉えていたのだと思います。これはもしかしたら、フロベール研究から来たのではないでしょうか。転向作家は文学という形式への思考を欠くがゆえに風俗作家化するというのが、中村さんの視点ですから。」

 

 知られるように、中村光夫の『風俗小説論』をはじめとする文学史観は、奥野健男丸谷才一ら後発世代からの批判にさらされた。だが、中村の「リアリズム」中心主義に対する奥野の「反リアリズム」にしても、中村の「風俗小説」批判に対する丸谷のイギリス市民小説的な風俗小説の肯定にしても、完全に中村の主張の的を外していたと思われる。述べてきたように、中村の問題意識は、リアリズムが容易に反リアリズムを飲み込み、風俗小説が、従来の私小説のように、それを肯定するまでもなく大衆社会の中では自然と主流になっていく、その「制度」のしぶとさ自体にあったからである。

 

 資本主義の「制度」が、商人資本主義から産業資本主義、新自由主義へと、資本主義の形態が変容していくたびに、それに合わせて「改革」されていったように、「リアリズム」という「制度」は、「自然主義」から「私小説」、「風俗小説」へと形を変えていった。中村光夫が言ったように、「資本主義は自分の姿に似せて世界を変革する」とマルクスは言いましたが、〔…〕それに「自分の従属物」として付け加える必要がありましょう」(「日本の近代化と文学」一九五九年)。文学も、資本主義が変容するたびに、その「従属物」として形を変えていく、融通無碍な「制度」の一つである。

 

(続く)

 

制度、リアリズム、転向 その2――柄谷行人「近代文学の終り」について

 

  資本主義の商品aとbとの「等価交換」の原理が、aやbの中に「労働力商品」をも捕獲し、その結果「社会」全体を包摂するに至った時、「リアリズム」が価値尺度となる。

 

近代資本制の要諦をなす等価交換システムが、商品化された労働力を疑似的中心とする商品世界において成立し、諸事物相互の表象=代行機能が回復したと見做された時、そこに成立するのが、リアリズム概念である。〔…〕リアリズムにおいては、言語は貨幣とアナロガスな媒介物と捉えられていると言ってもよい。労働力商品たる人間が、貨幣を媒介にして生活の資たる諸商品と等価交換され、そのことによって、人間の稀少な生命が維持されるのと等しく、言語による対象的諸事物の把握が、主体の側に属するある本質的なものの模写であるとされる。この意味で、リアリズムは「主観性の支配」(ハイデッガーヒューマニズムについて」)に基づいた「技術」にほかならない。(すが秀実『小説的強度』一九九〇年)

 

 言い換えれば、それはマルクスに混在する二種類の価値論、「労働価値説」(労働が価値の実体を作る)と、「価値形態論」(商品aの価値は、bの価値でもって「形態」的に表現される)の問題でもある。リアリズムとは、価値形態が価値実体を包摂するときに成立する概念にほかならない。

 

 このように見てくれば、柄谷行人が『マルクスその可能性の中心』以降、マルクス「価値形態論」の問題を追及していったことと、『日本近代文学の起源』で「内面」(魂)や「告白」(等価交換)を近代文学の「制度」として考察したこととは、背中合わせの問題であったことが分かる。それもまた、リアリズムという「制度」の問題だったのだ。

 

 例えば、『起源』の中核をなす「告白」という「制度」を見てみよう。そこで論じられる西鶴―紅葉的な「粋」と、北村透谷的な「恋愛」との差異は、まさに述べてきた商品資本主義的なもの(粋)と、産業資本主義的なもの(恋愛)の差異として捉えられている。

 

西鶴貨幣経済の現実と、それによって身分社会を超えるあるいはそれによって翻弄される人間の姿を描いた。また、彼は『好色一代女』において、商品としての性を武器にして自立した女を描いた。〔…〕紅葉が西鶴から得たのは、あらゆるものが商品経済によって支配されているという認識であった。しかし、このような認識は、一八世紀初め、武士が支配する封建社会の中でいわれたときと、明治二十年代にいわれるときとでは、意味が異なるのである。さらに、西鶴が見出した商人資本主義は、明治二十年代には産業資本主義にとってかわられていた。〔…〕その点でいえば、透谷のいう「恋愛」はけっしてそのつもりで説かれたのではないけれども、実は、産業資本主義に不可欠なエートスに合致している。すなわち、「世俗内的禁欲」である。プラトニックな恋愛、すなわち、ただちに欲求を満たすのではなくそれを遅延させ昇華する恋愛、それはウェーバーがいう産業資本主義の「精神」に合致するのだ。(定本『日本近代文学の起源』注、二〇〇八年)

 

 柄谷は、「「粋」とは、したがって、恋愛のように溺れるものではない」と言う。まさに、「粋」とは、商人同士が「社会」の外部=表層で、あるいは共同体と共同体の「間」で「交換」する商人資本主義的な「精神」にほかならない。それは、「社会」内の深部=下部構造にまで食い込んだ産業資本主義の「精神」としての「恋愛」とは異質なものだ。

 

 透谷の「恋愛」は、もはや「魂」の問題であり、すでにそれ以外に売るものがない「労働力商品」の問題と化している。ゆえに、石坂ミナと離婚してしまうと、この「厭世詩家」は25歳で自殺せざるを得なかった。「恋愛」とは、それにすべてが賭けられるものである。現在、「恋愛」に「溺れる」者は「リア充」と呼ばれるが、よくも悪しくも、当初から「恋愛」は、その人間のリアル全体を掴んでしまう「面倒くさい」ものとしてあった。それは、「粋」のような「表層(バーチャル)」的なゲームとは根本的に異質なものである。

 

 ちなみに、先の『起源』からの引用は「定本」の「注」だが、この記述は初版(一九八〇年)や文庫版(一九八八年)には存在しなかった。ほぼ同じ内容のくだりが「近代文学の終り」(二〇〇四年)に読まれるところを見ると、おそらく「近代文学の終り」から「告白」という「制度」を捉えかえしたときに、引用のような視点が浮上してきたのだろう。

 

 繰り返せば、「粋」は商人資本主義的であり、「恋愛」は産業資本主義的である。紅葉に対する透谷の批判のベースには、資本主義の「制度」の変容がある。江戸文学と地続きの紅葉は、西鶴全集を編集するほどに西鶴に傾倒したが、柄谷によれば、彼は「自分の生きている時代がよくわかっていなかった」。先に見たように、十八世紀の商品経済と明治二〇年代のそれでは意味が違うのだ。

 

 では柄谷は、紅葉は時代遅れだと言っているのか。逆である。紅葉の『金色夜叉』は、一九〇三年に大ベストセラーになる。柄谷は、『金色夜叉』的なものの「反復」を二〇〇〇年代に見た。そして、これをもって、「近代文学の終り」を宣告したのである。

 

先ほど、今の読者が『金色夜叉』を読むと、驚くだろうといいました。しかし、実は私は、今の若い人は、もし読んだとしたら、まるで驚かないのではないか、かえって北村透谷などを読んだほうがあきれてしまうのではないか、と思っているのです。というのは、お宮のように、自分の商品価値を考えて、もっと高く売ろうと計算する女性は、今日ではありふれているし、男女ともに処女性など気にかけてもいない。〔…〕また若い人たちには、いわば貫一のように、一気に金をもうけようと投機をやる人たちがすくなくない。それはどういうことなのか。これは資本主義の段階でいえば、産業資本主義の後の段階では、ある意味で商人資本主義的になるということを意味しています。生産ではなく、流通における交換の差額から剰余価値を得ようとする。全体ではないが、今日においては、そういう資本の本性が前面に出てきています。だから、一昔前のもののほうが現在にぴったり合うように見えるのです。(「近代文学の終り」)

 

 現在、芸能ニュースを一瞥すれば、いわゆる「美人」女優と「生産ではなく、流通」から剰余価値を得る企業(IT系、流通系)のトップとの「色恋」(粋?)などありふれている。柄谷は、二〇〇〇年以降、「産業資本主義の後の段階では、ある意味で商人資本主義的になる」という資本主義の変容を見ていた。そこでは「資本の本性」がむき出しになった。それは、その1の冒頭で見た沖公祐の論文でいえば、「社会」に浸透していた資本が、もはやそこでは剰余価値を作り出せないために「社会」から撤退し、「資本が「間」へと回帰しようとする」「新自由主義的な制度」といえる。「新自由主義とは、資本が社会的再生産を担えなくなったことの資本自身による告白にほかならない……」。

 

 柄谷にとっても、「近代文学」とは産業資本主義の「制度」であった。それは、「告白」や「恋愛」という「制度」の浸透として表れた。柄谷のいう「近代文学の終り」とは、こうした産業資本主義の「制度」の一つとしての「近代文学」の「終り」にほかならない。そこでは、『金色夜叉』が再び違和感がないほどに「金」がすべてになった世界が露呈され、「恋愛」は、かつて存在した「リアル=社会」の住民のものとして「リア充」と羨望=蔑視される。沖は、新自由主義に、社会から撤退する資本の「告白」を見たが、それはまた、「告白」の「終り」の「告白」でもあったのだ。

 

 では、果たして、「告白」という「制度」はのり越えられたのだろうか。

 

(続く)

 

制度、リアリズム、転向 その1

 あくまで整理ノートとして。

 

 沖公祐は、「市場が制度をつくるのではない。しかし、資本主義における制度は市場から切り離されたものではありえない。資本主義のもとでの制度とは、市場と社会が切り結ぶところに立ち現われてくるものである」(「制度と恐慌」『情況』2013年6月別冊)という視点から、資本主義を「制度」の問題として捉えなおし、資本主義に対抗する制度論を思考する。そして、次のように述べる。

 

貨幣は、スミス=メンガーが考えていたような、市場の発展から自生的に現われてくるような制度ではない。歴史的な偶然によって、社会が市場に包摂された結果として、社会内の貨幣制度(おそらくは支払手段)が換骨奪胎されながら市場のなかに移植されたのである。この貨幣の生成過程は、資本主義と制度の関係を端的に示している。すなわち、市場が必然的に制度を生み出すのではなく、市場が社会を偶然包摂したことによって、制度が資本主義的に組み替えられたのである。

 

 この沖のいう「資本主義的に組み替えされた」「制度」の一つとして、「文学」を捉えなおすこと。

 

 マルクス宇野弘蔵の言うように、社会と社会の「間」から、言い換えれば社会の「外部」で「市場」は発生した。すなわち「市場」と「社会」とは異質なものである。したがって、資本主義とは「社会とは異質である市場が社会を包摂するに到った特殊な社会(ゲマインヴェーゼン)である」。したがって、その存在は、宇野の言うように、本来的に「無理」である。だが、資本主義はその「無理」を、「労働力」を商品化することで「合理」としてしまった。

 

 この視点を展開して、市場が社会を包摂する過程、言い換えれば、商人資本が産業資本化する過程と、翻訳によって俗語革命=言文一致運動が浸透していく過程とをパラレルに捉えたのが、すが秀実天皇制の隠語』(2014年)であった。

 

商人資本が産業資本化するという過程が言文一致運動と相即することは、明らかだろう。この場合、「間」にあった商人とは、欧米の書物の翻訳者であり、翻訳を通じて言文一致体=「貨幣=音声言語」が浸透していくと見なすべきである。

 

 近代以前において、まだ商品経済は共同体を解体するほどには浸透せず部分的にとどまっていた。それが「社会」内部の隅々にまで浸透するには、労働力の商品化が進行し、貨幣が単なる流通手段ではなく「社会」の価値尺度になるまで包摂しなければならない。すがは、そのプロセスと、翻訳が言文一致体を形成していくプロセスとを並行して捉える。

 

同様に、近代以前の翻訳も、それが中国語からのものであれオランダ語からのものであれ、「国語」化する力を持たなかった。それらは、言文一致体という価値尺度(超越論的シニフィエ)、つまり「言は魂なり」という方向を内包していなかったからである。言文一致運動が、近代資本主義に随伴してなされなければならなかったゆえんにほかならない。

 詩的言語の俗語化を主張する『新体詩抄』が多くの翻訳詩を含み、坪内逍遥シェイクスピアの翻訳から始め、二葉亭の言文一致体がツルゲーネフをはじめとするロシア文学の翻訳なくしてはありえなかったことは、よく知られている。その他、森鴎外にしても山田美妙にしても、あるいは嵯峨の屋おむろにしても尾崎紅葉にしても、彼らの俗語革命への加担は、翻訳とともにあった。

 

 

 

 「商人」とは、市場に現れる「相互に独立の人格として」相対する「互いに他人である」主体である(マルクス資本論』)。それはさながら、ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』で述べる、互いに会ったことも話したこともない、他人でしかなかった、「国民=想像の共同体」以前の人々である。アンダーソンは、にもかかわらず、彼らが互いに均質な「国民」であると「想像」の上で見なしていくようになるには、小説(と新聞)による「黙読共同体」(前田愛)の形成が不可欠だったという。「互いに他人である」商人同士が「交換」するだけでは、商品経済は「社会」の内奥にまで浸透しなかった。同様に、近代以前の漢籍医学書などではなく、近代文学=小説という俗なるテクストの翻訳こそが、言語という「交換=流通」手段を、「国民」全体の価値尺度として、馴染むようになるまで「国語」化させていく。いわゆる「俗語」革命のプロセスである。

 

 それによって、「国民」が誰しも、言語は自らの「魂」を「表現」してくれる(「言は魂なり」坪内逍遥)と思い込むことができるようなった。貨幣が、自らの「労働力」の価値を「表現」してくれるように。近代文学=小説が、まずもって資本主義における「制度」として捉えられねばならないゆえんである。

 

(続く)