2010-02-01から1ヶ月間の記事一覧

抱擁のかけら(ペドロ・アルモドバル)

アルモドバルの新作である。 結論からいえば、おそらく賛否両論だろう。過去の名作や巨匠、女優たちにオマージュ、自らの旧作にまで及ぶコラージュ(かけら)の数々。まさに、「すべては起こってしまった」とばかりの引用の織物だ。 映画監督マテオと大富豪…

哲学への権利(西山雄二)

先日、神戸大学で上映会が行われた、「国際哲学コレージュ」についてのインタビューフィルム。「国際哲学コレージュ」は、1983年にジャック・デリダらがパリで創設した、半官半民の研究教育機関。議長(3年ごとに交代)と50名のディレクター(6年ご…

下女(キム・ギヨン)

「大阪アジアン映画祭2010」のプレ企画で上映された、1960年の作品。 キム・ギヨン(金綺泳)作品ははじめて見たが、なるほど韓国映画界の「怪物」という異名をもつだけあって、確かに興味深い「怪作」であった。 四人家族の幸福な家庭。夫は、紡績…

鈴木貞美に反論する(その2)

私はまた書評で次のように書いた。《他の「妄説」への批判も大同小異なのだが、本書の問題点を違う角度からもう一つだけ挙げておく。「妄説」からの脱却をはかり、「読者の頭の隅にこびりついているそれらの日本近代の「神話」の残り滓を速やかに洗い流して…

鈴木貞美に反論する(その1)

今月号の『新潮』に、一月号に掲載された私の書評に対する鈴木貞美の反論が出た。案の定、完全に議論はすれ違っている。 はじめに断わっておくが、私は書評とは解説や概説ではないと考えている。そもそも、紙幅は限られているので、切り口は限定的とならざる…

チェンジリング(クリント・イーストウッド) その2

(その1の続き) それは、まさに息子が「チェンジリング=取り替え」可能なこと、それ自体である。いったい、どういうことか。 彼女の元に「戻された」少年は、まったく別の家出少年であったことが判明する。さらに、本当の息子をめぐる事態は、にわかに一…