鈴木貞美に反論する(その2)

 私はまた書評で次のように書いた。

《他の「妄説」への批判も大同小異なのだが、本書の問題点を違う角度からもう一つだけ挙げておく。「妄説」からの脱却をはかり、「読者の頭の隅にこびりついているそれらの日本近代の「神話」の残り滓を速やかに洗い流してほしい」とまで謳っているのに、先の「妄説」のうちすが秀実だけは、その「言文一致=俗語革命」という議論への批判に一章を割いているにもかかわらず、その名が一切示されていないことだ。その「妄説」の主体は別の人物だというのだろうか。あるいは、すがは名前を出すに及ばないと判断したのだろうか。》

 まず、本書で鈴木貞美が挙げている「妄説」とは、次のようなものである。

《「明治期『言文一致』はヨーロッパの俗語革命に匹敵する」、「明治期に客観的リアリズムが成立した」、「『風景』が成立した」、「明治期に黙読が成立し、近代文体をつくった」などは、みな滑稽な妄説である。》(鈴木『「日本文学」の成立』)

 そして、鈴木の反論とは次のようなものだった。

《「明治期『言文一致』はヨーロッパの俗語革命に匹敵する」という過剰な意味付与についても、私は議論の混乱の原因を明示し、では何が起こったのかを具体的に明らかにした。
 中島は、これも中身にふれず、その見解を説いた人物としてすが秀実をあげ、その名が「一切示されていない」、「その『妄説』の主体は別の人物だというのだろうか」と書いている。どうやら、自分の読書範囲がこの人のモノサシらしい。ここで、私の対象は、ずっと以前から辞典や事典に記され、今日、常識のように流布している「神話」である。それゆえ『成立』には、「妄説」として『新潮日本文学辞典』(一九八八)と最近の百科事典『スーパー・ニッポニカ2002』から引用してある(二八五頁)。この議論をリードしてきた人びとの執筆によるものだ。中島は本文を読まずに、索引だけ見たことになる。》

 語るに落ちる、とはこのことだ。それにしても、この部分には正直驚いた。この言葉を信用するならば、鈴木は、日本の「言文一致」を「俗語革命」という観点から問題にしながら、すがの議論が全く視野に入っていなかった、ということになる。以下、簡単に確認しておく。

 すが秀実は、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』をふまえ、次のように論じていた。

《 明治維新(一八六八年)という「革命」が、大久保利通西郷隆盛木戸孝允伊藤博文らの、いわゆる薩長下級青年武士によって担われたとすれば、その革命の実質化たる、「想像された共同体」(ベネディクト・アンダーソン)としての国民国家(「ネイションステイト」とルビ)の形成を担ったのは、彼ら幕末下級武士たちの子供の世代に属する文学者たちではなかったか。その子供たちの「革命」を、本書では「俗語革命」(「ヴァナキュラリズム」とルビ)と呼んでおいた。明治二十年前後から開始された、いわゆる言文一致運動のことである。木(ママ)書の論議の発端として参照したアンダーソンの『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』に拠れば、言文一致運動の展開と定着によって、顔を合わせたこともないさまざまに多様な人間は、同一の「国語」を話す一つの「国民」(「ネイション」とルビ)として共同体=国家を構成しているというイメージを共有しうるようになるのだが、それは、一見すると明治維新の推進者たちが懐胎していた「革命」的ラディカリズムを持たないようであるにしても、実は、国民主義(「ナショナリズム」とルビ)の実質化としての深い「革命」と呼ぶにふさわしいものだろう。》(すが秀実『日本近代文学の〈誕生〉』)

 すがは、「俗語革命」を、従来の「言文一致(運動)」の概念をふまえつつも、大幅に更新する概念――上からの「国家=ステート」の形成に呼応する、下からの「国民=ネーション」を形成していく受動的革命――として定義した。「俗語革命」という概念には、「言文一致」を従来とは違った視座から捉え直すという批評的な意図がこめられているのだ。

 すがの議論のベースにある、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』についても簡単に触れておこう。
 この、近代文学ナショナリズムとの関係から論じた書物の導入以降、近代文学国民国家(ネーション・ステート)の形成過程から政治的に捉え直すという視点が不可避となった。そして、その視点から眺めたとき、鈴木に何が見えないのかが見えてくる。

 例えば、先に挙げた鈴木のいう「妄説」をもう一度見てみよう。これらは、時期的にも、アンダーソンに依拠して唱えられたものではなかったが、現在の時点からみるならば、実はそれらが別々のものではなかったことがわかるはずだ。鈴木が「妄説」として挙げているものは、すべて日本にネーション・ステートが形成されていく過程で起こったパースペクティヴの変容を、それぞれ別の視点から示したものである。

 鈴木は、これら「妄説」を「すでに学説史の標本箱におさめられているはずなのに、いまだ亡霊のように漂っている俗説」とも語っている。あえて、その表現に乗っかれば、それを「亡霊」のごとく甦らせたのが、アンダーソン導入の意味である。

 鈴木の著書には、だが、ベネディクト・アンダーソンへの言及は皆無である。だから、「妄説」が、相互に密接に関連していることが見えない。各「妄説」に対する鈴木の批判を、「大同小異」と言ったのはそういう意味においてだ(ちなみに、鈴木は、私の書評における「大同小異」と「二義的」という言葉を、恣意的に使用することで混同している。私が「二義的」と書いたのは、先に(その1)で触れた、前田愛の議論における現象としての「音読」「黙読」に対してであり、そこに限定して使用しているはずだ。ついでにいえば、私は、「日本の「人文学」」や「知のしくみ」を再編すること自体を「悠長」だとも書いていない。正しく読んでいただきたい)。

 鈴木は、アンダーソンを参照することすら「前近代の日本文化を考えようとせずに西欧モデルに頼」ることだと言うのだろうか。だが、「「近代」を根本から問い返す」ために、「東アジア近現代における知的システムとそれを支える価値観とを問いなおすことを提案する」という鈴木が、どうしてアンダーソンを回避できるのか。

 そもそも、『想像の共同体』が理論的インパクトを持ったのは、この本が、マルクス主義の失効に伴ってわき起こった東南アジアのナショナリズムを背景としていたからだ。1978年以降、中国、ベトナムカンボジアといった共産主義国間に戦争が起こる。「いまひそかにマルクス主義マルクス主義運動の歴史に根底的変容が起こりつつある」ことを痛感したアンダーソンは、東南アジア研究者としてインドネシア、タイ、フィリピンなどのナショナリズムを検討せざるを得なくなったのだという。

 すなわち、『想像の共同体』は、まさに「西欧モデル」への信頼が崩壊した地点から書かれており、だからこそある種の普遍性を持ち得たのだ。この時期に、再び(いや何度目か)各地でナショナリズムが「亡霊」のごとく甦り、文学もナショナリズムの観点から再考することを迫られたのである。

 鈴木の議論に戻ろう。鈴木は「妄説」の主体として、先の辞典や事典における「言文一致(運動)」の項の執筆者(山田有策、山本正秀)を名指した(正確にいうと、「この議論をリードしてきた人びと」と巧妙に名指しは回避されている。他の「妄説」の主体が、それぞれ中村光夫江藤淳柄谷行人前田愛と明確に批判されているのと比べて、奇妙な感じは否めない)。

 だが、ここまで述べてきたところからも明らかだろうが、その辞典や事典のどこにも「俗語革命」という言葉はないのである。彼らは、「一種の精神革命」「近代文体革命」と書いてはいるが、述べてきたように、両者は区別されるべき概念だ。鈴木は、虚偽の引用に基づいて、先の執筆者らを「妄説」呼ばわりしたことになる。

 確かに、鈴木は、私の言う意味においては「アンフェア」ではなかった。日本の研究の世界で「「明治期『言文一致』はヨーロッパの俗語革命に匹敵する」という過剰な意味付与」を問題にする以上、当然、アンダーソン―すがの引いた線をふまえつつ、だがそれを認めまいとする立場だと考えたのは、こちらの買いかぶりであった。すなわち「アンフェア」ですらなかった、ということだ。

 これらの議論をふまえることが、「すがの受け売り」「読書範囲がこの人のモノサシ」(鈴木)ということになるのなら、私は甘んじてその「評価」を引き受けよう。確かに、アンダーソンやすがを参照しないような「日本文学の成立」の議論など、鈴木のいうように、私にとっては「無用の長物」である。

中島一夫