サイードと非―ヨーロッパ人 その2

われわれの今日が、精神分析創始者フロイトの、特異な、例外的な歴史的個性によ」る「学問的であると同時に政治的なある力、サイードオリエンタリズムと呼ぶものの作用によって一般の世界認識から隠蔽されていることが、彼にとってぬきさしならない問題だからである。(鵜飼哲フロイトの読者、エドワード・サイード」、サイードフロイトと非―ヨーロッパ人』解説にかえて)

 

 ほかならぬ自らの『オリエンタリズム』(1978年)のパースペクティヴが、むしろ「今日」の「世界認識」において、フロイトのとりわけ『モーセ一神教』の「政治的な力」を「隠蔽」していること――。このことが、サイードにとって、「ぬきさしならない問題」となっていた。

 

 では、それはいかなる意味において「ぬきさしならない問題」だったのか。

 

モーセ一神教』に触れた人びとは、フロイトにおける次のような論証なき前提に驚かされることでしょう。それは、セム人がヨーロッパ人でないことにはほとんど疑いを差し挟めない、という前提です。〔・・・〕また同時に、なぜか根拠は明らかにされないのですが、以前は他処(よそ)者であったセム人はヨーロッパ文化に同化可能である、とも見做されているわけです。〔・・・〕だからこそ私は、モーセが此処の者であると同時に他処の者であるといったフロイトの見解が途轍もなく興味深くまた魅力的だ、と考えるわけです。(エドワード・W・サイードフロイトと非―ヨーロッパ人』)

 

 「セム人」が「非―ヨーロッパ人」であることには「ほとんど疑いを差し挟めない」と「同時に」「なぜか根拠は明らかにされない」ものの、「セム人はヨーロッパ文化に同化可能である」こと。ここでいう「セム人」には、ユダヤ人とともにアラブ人も含まれる(鵜飼哲が言うように、「反ユダヤ主義と通常翻訳されるantisemitismは原義としては「反セム主義」とも訳されうる言葉であり、その場合「セム人」にはユダヤ人とともにアラブ人も含まれる」(前掲論))。サイードは、『オリエンタリズム』で、「セム人」と「アーリア人」との二項対立、さらには前者が後者に劣った項として位置づけられていくヨーロッパの文献学を詳細に分析した。そうでありながら、だが「セム人=非―ヨーロッパ人」と「セム人=ヨーロッパ人」とが「根拠は明らかにされない」ものの、「同時に」成立してしまうという事態。いわば、その「同時」性というねじれに直面するサイードにとって、「モーセ」が「此処の者」であると「同時に」「他処の者」であるという「フロイトの見解」は、「途轍もなく魅力的」に映ったに違いない。

 

 サイードフロイトの『モーセ一神教』に吸引されたのは、フロイトのテクストがその「根拠」を明確に「論証」したからではない。逆である。テクストにおける「論証」の不在、「根拠」の不在が、「ねじれ=同時性」の無根拠性を雄弁に語っていること。むしろサイードは、このテクストの空白に惹かれたのだ。

 

心底深く秘められたフロイトの本意は、「他処の者」(セム人)がのちに「此処の者」(ヨーロッパ人)になりうるという点にではなく、「此処の者であると同時に他処の者であるという不可能なあり方の可能性にこそあった。フロイトが明らかに同一化している「モーセ」とはまさにこの「不可能性の可能性」の名にほかならない。(鵜飼・前掲論)

 

 「モーセ」という名の「同時性」という「不可能性」こそが、「不可能性の可能性」である――。この鵜飼の言葉を、レトリックと受けとってはならない。いったい、現在のパレスチナの状況に対して、この「不可能性」以外に「可能性」が存在するのか。この「同時性=不可能性」を思考の遡上に乗せることだけが「可能性」ではないのか。サイードフロイトに見た「ぬきさしならない問題」とはこのことにほかならない。

 

 では、いったいなぜ、「ユダヤ人=非―ヨーロッパ人」(他処の者)と「ユダヤ人=ヨーロッパ人」(此処の者)とは、「無根拠」に「論証」抜きに「同時」に成立するのか(これ以降、後の議論とのつながりをクリアにするために、「セム人」ではなく「ユダヤ人」と記述する)。やはりそこには、ラカンの「女は存在しない」と同型の「ねじれ」があるように思える(サイードの『オリエンタリズム』とは、ラカン的に言い換えれば、「東洋(アジア)は存在しない=表象にすぎない」ということにほかならない)。劣位項としてあった「ユダヤ人」は、ヨーロッパ人「ではない」(非―ヨーロッパ人)と「表象」された。その意味で、「ユダヤ人は存在しない=表象にすぎない」。だが、「ヨーロッパ人」自体が、「ユダヤ人」をはじめ「非―ヨーロッパ人」なしには存在し得ない。したがって、「ユダヤ人」は「存在しない」と「同時」に「もの」(ラカン)として存在していると言わざるを得ない。いわゆる「反ユダヤ主義」とは、この「存在しない」「非」ヨーロッパ人としての「ユダヤ人」という「もの」に享楽的に過剰にとり憑かれてしまった「症候」にほかならない。享楽の対象は「存在しない」ゆえに、過激化の一途をたどるほかないのだ。ホロコーストは、その究極の帰結だろう(サイードは、ホロコーストを、「非―ヨーロッパ人」の「邪悪な共鳴」を「劇的に獲得」していった、「この言葉が適切だとすれば」「記念碑」のようだとイロニカルな言い方をしている)。ジジェクが言ったように、実際にユダヤ人の悪=搾取や犯罪があったとしても、「反ユダヤ主義」は病的な「症候」である。そこには「存在しない」「もの」へのリビドーが過剰に備給されているからだ。

 

フロイトが冒頭あたりでモーセのエジプト性についてくどいくらいに繰り返し言及を差し向けたことを考えれば、彼がここで明確にした区別は、不充分であり説得的とは言えない論旨のもたつきとして、私を驚かせるのです。〔・・・〕第二次大戦前のヨーロッパ人にとっては、「非―ヨーロッパ人」という語は、たとえばアジア人といったような、たんにヨーロッパの外からやって来た人びとを意味するにすぎない、相対的には取り立てて意味をもたない言葉です。とはいえ私は、フロイトが次の点に気づいていたには違いない、と確信するのです。すなわちフロイトは、ユダヤ人が地中海沿岸文化の残滓であり、したがって本当はヨーロッパ人と異なってはいないといったありふれた主張と、モーセの出自がエジプト人にあることが明らかにしてしまう衝迫が、まさに不協和音を作りだしてしまっていることに気づいていたのです。彼の人生の最後の十年間、反ユダヤ主義の影が自分の周りで非常なる不吉さをともなって拡がり、その結果、みずからを守るために、いわばヨーロッパ人という避難場所に身を屈めるユダヤ人といった記述に追い込まれてしまうフロイト、そうしたフロイトを考えることもできるのではないでしょうか?(サイードフロイトと非―ヨーロッパ人』)

 

 いつのまにか、「ユダヤ人」は「ヨーロッパ人」へと「同化」し、ついには「ユダヤ人対非―ヨーロッパ人といった二項対立を与えることが可能な、ほとんど完璧にすぎるほどの現実がまさに文字通り出現することにな」った。第二次大戦以前、ユダヤ人/非―ユダヤ人は、非―ヨーロッパ人/ヨーロッパ人と重なっていた。ユダヤ人=非―ヨーロッパ人/ヨーロッパ人だったわけだ。第二次大戦後、両者の分割は重ならなくなり、今度はユダヤ人=ヨーロッパ人/非―ヨーロッパ人という対立として「再図式化」されることになる。

 

 注意すべきは、この「再図式化」において、「ユダヤ人=奴」と「ヨーロッパ人=主」とが、弁証法的に反転したわけではないということだ。ホロコーストを「記念碑」とする「シオニストたちのパレスチナ入植についての物語(ナラティヴ)」。むろんこれが、指導者モーセに導かれ、エジプトでの奴隷状態を脱してシナイに向かい、その後律法を得て、「約束の地」カナン(パレスチナ)へと向かったという『モーセ一神教』の物語(ナラティヴ)をいやがうえにも想起させることは言うまでもない。物語の反復通りに自体が進行した結果、「ユダヤ人」は「ヨーロッパ人」の項へとスライドし、「ユダヤ人対非―ヨーロッパ人といった二項対立」の「現実」が「出現」したのである。

 

 これは、「主=ヨーロッパ人」と「奴=ユダヤ人」の弁証法的な反転ではなく、サイードが言うように、「ユダヤ人」と「非―ヨーロッパ人」との間に起こった「新たな分割」、いや「分割のパロディ」にすぎない。「それはまさに、十九世紀から二十世紀のヨーロッパにおける諸現象を研究している人びとにとっては、以前繰り広げられた耐え難いほどに血塗られた分割のパロディがあたかもふたたび演じられているかのようにも見える。そうした変化だったわけです。大西洋に面する西洋諸国は、こうした枠組を利用することで、先住していた非―ヨーロッパ人をできるだけ長い間、そして実質的にも、遠ざけておこうとした」。そうした「分割のパロディ」と新たな「ユダヤ人=ヨーロッパ人/非―ヨーロッパ人」という「枠組」を可能にする場=空間として、「そうした役割をになう疑似ヨーロッパ国家として、イスラエルが国際的に選択されたので」ある。

 

 すなわち、こういうことだろう。「ユダヤ人は存在しない」という認識を共有しようとした「ユダヤ人」と「ヨーロッパ人」が、新たに「ユダヤ人=ヨーロッパ人」「ではない」「非―ヨーロッパ人」という「枠組」を要請した。だが、いくら「存在しない」と強弁しても「もの」としては残存する「ユダヤ人」を、イスラエルという「疑似ヨーロッパ国家」でもって、完全にふたをする必要が生じた――、ということだろう。むろん、その「ふた」は、ヨーロッパにとっては、「もの」をめぐる究極の享楽であるホロコーストに対する「ふた」でもあったはずである。

 

 「ヨーロッパ人」にとっては、もともと「ユダヤ人」が自らのアイデンティティを保証する「非―ヨーロッパ人」という「もの=ふた」であった。だが、今度は同じ「ヨーロッパ人」であることを保証するために、「もの」性が享楽をぶり返さないような、より強固な実体としての「ふた」である「イスラエル」の建設が急務になったわけだ(日本=アジアの文脈でいえば、「日本(アジア)は存在しない」とばかりの真珠湾攻撃という「テロ」に対する西洋の「対テロ戦争」と、それを終わらせた「もの」をめぐる究極の享楽たる原爆投下に「ふた」をすべく、日本の「民主化=西洋化」ということになろう。ホロコースト同様、原爆投下も絶対にぶり返すわけにはいかない「享楽」である。クリストファー・ノーランオッペンハイマー』におけるオッペンハイマーキリアン・マーフィ)の揺れや苦悩は、原爆という技術が、それを生み出したら最後、使用せずにはいられなくなる「享楽」でもあることに対するそれだろう。一度脳内にインセプションしてしまった原爆製造のアイデア=知に「ふた」をすることはできないのだ)。

 

 だが、「ユダヤ人」という「もの」が塞がれても、「ヨーロッパ人」が存在するかぎり「非―ヨーロッパ人」という「もの」が対立項として消滅することはない。サイードが言うように、イスラエルが建設されるまでは、「非―ヨーロッパ人」は「パレスチナの先住アラブ人や、パレスチナ南部でイスラエルの民(ユダヤ教徒)人が最初に出会い、豊かな交換関係を作りあげたアラブのメディアン人も含め、彼らを支えるさまざまなセム人の部族であるエジプト人やシリア人、レバノン人やヨルダン人という形で、具体的に存在していた」。にもかかわらず、一九四八年以降それらは、新たな「枠組」として「非―ヨーロッパ人」という「ユダヤ人=ヨーロッパ人」の対立項へと押し込められた。と同時に、それらは「具体的に存在」しているわけではない(「非―ヨーロッパ人」は「存在しない」)、一緒くたの対立項としては存在する「もの」と化したのである。「パレスチナの先住アラブ人」が、もはやイスラエルにとって「具体的に存在」していないことは、現在の惨状を見ても明らかだろう。一九四八年以降、「非―ヨーロッパ人」の意味が変わってしまったのだ。

 

 だが、一九四八年以降の「非―ヨーロッパ人」を対立項としてあらしめている、「ユダヤ人」や「ヨーロッパ人」自体に、当初から「/」(不可能性)が引かれていること。ならば、「非―ヨーロッパ人」とは、「存在しない」(『オリエンタリズム』の位相)のではなく、端的に不可能ということ(『フロイトと非―ヨーロッパ人』)ではないのか。拡大していく反ユダヤ主義を横目に睨みながら、フロイトが描き出そうとした「非―ユダヤ人」であり「非―ヨーロッパ人」である「モーセ」とは、その「/」の名前にほかならない。

 

 だが、モーセが殺されたことで、「/」という抹消記号自体が抹消されてしまった。サイードは、その抹消記号をこそ、フロイトのテクストとともに呼び戻そうとしたのである。サイードにとって、フロイトのテクストを読み直しはほとんど不可避だったといって過言ではない。どんなに迂遠に見えようとも、この「/=不可能性」に何度でも立ち返るよりほかに、現状が変わり得る「可能性」は残されていないように思える。今、立ち返り、呼び戻されるべきサイードは、『オリエンタリズム』のサイードではなく、それを乗り越えようと、フロイトとともにあろうとしたサイードではないだろうか。

 

中島一夫