平和憲法の「門前」――デリダ、カフカ、鷗外

 戦後の平和憲法が、いわゆる「八月革命」(宮沢俊義)による「王殺し」によってもたらされた共同体の「平和」とその憲「法」への書き込みという、フロイト『トーテムとタブー』のような「出来事」だったとして、重要なのは、デリダが分析したように、われわれはそれを「王殺し」という「出来事」として措定できないということだ。

 

フロイトが道徳の起源に関する当初の図式を越えて、カント的な意味での定言的命令という名称を用い始めるのは、一見したところ歴史的な図式の内部においてである。一つの物語が、原父殺しという出来事の特異な歴史性へと差し向けるのだ。『トーテムとタブー』(一九一二年)の結論は、そのことを明確に想起させている。「原始社会の最初の倫理的掟や倫理的制約は、われわれの見解によれば、その行為者にとって『犯罪』という概念の起源となった行為への反作用によって解釈されるはずであった。この行為を後悔して[だが、もしこの後悔が道徳以前、法以前に為されるとしたら、それはなぜ、どのようにして為されるのか? ジャック・デリダ]、行為者たちは、もうこうした行為が決して起こってはならないし、ともかくも、こうした行為の実行が、もう決して誰の利益の源になってもならないと決心した。あらゆる種類の創造を豊かに生み出すこの罪意識は、われわれの間でもまだ消え去ってはいない。(ジャック・デリダ「先入見――法の前に――」、『どのように判断するか――カントとフランス現代思想』一九九〇年)

 

 「息子」らが全員一致で「原父」を殺してしまったという「後悔」が、「殺すなかれ」というタブー=法とそれによる道徳=平和をもたらしたとして、例によってデリダは、だが法や道徳が「前」もって存在しなければ、どうして「息子」らは「後悔」し得たのかと問う。この場合「後悔」とは、「法=道徳」に反したことを「後」から反省して「悔」やむことだからだ。そうでないと、まさに「後悔」が先に立ってしまうではないか、と。

 

 しかも、その「後悔」は「原父殺し」が成功ではなく「失敗」したことに基づいているとフロイトは言う。「息子たちの誰も、父の地位を手に入れるという源初の欲望を満たすことはできなかった」。そして、原父殺しという犯罪が無益であったために一層恐怖が募り、その結果「父」への情愛に満たされるのだ、と。「後悔」とは「犯罪」を犯したことに対するものではなく、それが「無益」だったことに対するものなのだ。「道徳=平和」の発生は、「原父殺し」をしてしまったことによるのではなく、むしろ以前より「父」に対する恐怖や情愛が増加し、その結果「平和」がもたらされたことによっているのである。したがって、デリダは次のように分析する。

 

父殺しは失敗する、なぜなら死せる父はなおいっそうの権力を握るからだ。父を殺す最良の仕方は、父を(有限なままに)生かし続けることではないのか。そして父を生かし続ける最良の仕方は、父を殺害することではないのか。ところで、こうした失敗が道徳的反作用を助長するとフロイトは明言する。だから道徳が誕生するのは、実は誰一人殺すこともない犯罪、到来するのが早すぎるか遅すぎるかして、いかなる権力をも終わらせることのない犯罪、そして、実は犯罪以前にすでに後悔が、それゆえに道徳が可能でなければならなかった以上、何ものも創始することのない犯罪、こうした無益な犯罪からなのである。フロイトは出来事の現実性に固執しているかに見えるが、この出来事は一種の非—出来事、取るに足らない〔無の〕出来事、準—出来事でしかなく、これが物語的語りを要請すると同時に破棄しもするのである。

 

 戦後民主主義のいわゆる「悔恨共同体」の「後悔」が、「原父殺し」をしてしまったことによるのではなく、それが「失敗」したことによるということが重要だろう。「原父殺し」が「いかなる権力をも終わらせることのない犯罪」であり、したがって「無益な犯罪」であったということ。いや「無益」どころではない。その「犯罪=革命」は、より「父」の権力を強めてしまったのだから有害ですらあったといえよう。

 

死せる父が存命中かつてなかったほどに強くなり、自分の死をいっそう巧みに糧として生きる以上、そしてきわめて論理的に言って、存命中にすでに死んでおり、死後においてpost mortemよりも生前においていっそう死んでいたのであろう以上、父殺しは通常の意味における出来事ではない。ましてや道徳律の起源ではない。その固有の場における父殺しに出会った者は誰一人としておらず、生起しつつある父殺しに直面した者も誰一人としていないだろう。それは出来事なき出来事、何ごとも起こることのない純粋な出来事、物語をその虚構の内に要請し廃棄する出来事の出来事性である。何一つとして新しいことは起こらないが、しかしこの何一つとして新しくないことが、法を、そして殺人と近親相姦というトーテミズムの二つの根本的禁忌を創始するのであろう。このたんに想定されただけの純粋な出来事が、歴史の内に不可視の裂け目を刻印するわけである。

 

 「王=原父」は「存命中にすでに死んでおり」、さらには「自分の死をいっそう巧みに糧として生きる」のである。「王殺し」という「出来事」は、何者かに殺された=無化されたのではない。それは最初から「出来事」としては存在しないのだ。そのかわりに、というかそれゆえに、「法を、そして殺人と近親相姦というトーテミズムの二つの根本的禁忌を創始」したのである。

 

 戦後の「平和」国家への転換が最初に言及されたのは、一九四五年九月四日の帝国議会の「勅語」によるという。日本の「平和」主義は、占領軍から「押しつけ」られるより「前」に「昭和」天皇によって導入されたのである。

 

一九四五年九月二日、降伏文書に調印して、連合国に対しポツダム宣言を受け入れた。

 その翌々日の四日、帝国議会が開会され、昭和天皇勅語を発している。改めて確認いただきたいことだが、敗戦の決定を公表した八月一五日からわずか半月のことである。

 そのなかで昭和天皇は、帝国議会でこう宣言した。「朕は終戦に伴う幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して人類の文化に寄与せんことを冀い日夜しん念措かず」。

 なんと「平和国家」は、昭和天皇によって先取りされていたのである。〔…〕宮沢(俊義)がこの勅語報道を見て、これをヒントにしたかどうかは不明である。ただ、GHQ案の「戦争の放棄」条項には、すでに述べたごとく「平和」などまったく書かれていなかったのだ。(古関彰一『平和憲法の深層』二〇一五年)

 

 すなわち、「戦争放棄」と「平和」憲法は区別され、GHQ案に後者は全く不在だった。にもかかわらず、日本国憲法に「平和」は書き込まれているのである。もしそれが「昭和」天皇の「勅語」によるのだとしたら、まさに「死せる父が存命中かつてなかったほどに強くなり、自分の死をいっそう巧みに糧として生き」たわけである。その際、「父殺しに出会った者は誰一人としておらず」、したがって「父殺し」はザッハリッヒな「出来事」としては起こってはいない。

 

 「昭和」帝1→第二次大戦→「昭和」帝2。確かに「何一つとして新しいことは起こらな」かった。「しかしこの何一つとして新しくないことが、法を、そして殺人と近親相姦というトーテミズムの二つの根本的禁忌を創始」したのだ。「父殺し」とは「出来事なき出来事」であり、「たんに想定されただけの純粋な出来事が、歴史の内に不可視の裂け目を刻印する」のである。「父殺し」はなされていないのに、なぜか歴史は「父殺し」以前/以後に分けられてしまう。「平和=道徳」が誕生し、それを表現する「法」が書き込まれるやいなや、それは「父殺し」の「刻印」、いや「刻印」のみしか存在しない「父殺し」として機能し始める。「法」は歴史を前/後に分断する、平和=道徳の「起源」、いや「起源なき起源」である。カフカの主人公さながら、人はいきなり、不可視の「刻印」のみしか存在しない「法」の「前」に立たされるのだ。

 

 そして、「法」の「前」に立たされた時には、すでに「法」の「後=向こう側」にいるのである。デリダが、フロイト『トーテムとタブー』をふまえつつ、カフカの『法の前に』のテクスト分析に向かうゆえんである。むろん、これは、ルソーの「祭」(『言語起源論』)とレヴィ=ストロースの「近親相姦の禁止」(『親族の基本構造』)をめぐる分析と同型である。

 

祭の前には、近親相姦の禁止も社会もなかったのだから、近親相姦もない。祭の後には、近親相姦は禁止されているのだから、それはもはやない。〔…〕

 祭はそれ自体で近親相姦そのものである。ただし、そのようなもの――が場を持ちうるとしたらの話だが、近親相姦が場を持ったとして、それは禁止をあとから確証するはずのものではない。禁止以前には、それは近親相姦ではなかった。禁止がなされてしまうと、それが近親相姦となるのは、禁止されたものを認めてからにすぎない。ひとはリミットすなわち祭のつねに手前か向こう側にいる。祭りや社会の起源など、現前するものの手前か向こう側にいるのだ。(デリダ『グラマトロジーについて 下』)

 

 したがって、近親相姦そのものが、ザッハリッヒに「存在」するとしたら、「祭」においてしかあり得ない。「ルソーが描き出しているのは、社会以前でもなく、すでに形成された社会でもなく、誕生の運動であり、現前の連続的な到来であるということを忘れないようにしよう。この現前という言葉に能動的で動的な意味を与えなくてはならない。それは働きつつある現前、みずからを現前化させつつある現前である。この現前はひとつの状態ではなく、現前が現前的なものになるような、生成のことなのだ」(『グラマトロジーについて 下』)。ルソーにとって「祭」とは、社会の発生以前と以後の「間」にある(としかいいようがない)「純粋な連続性」なのである。近親相姦そのものは、その「祭=連続性」の渦中においてしかあり得ない。同様に、殺人の禁止という平和=道徳の発生があったとすれば、それは「戦争」の渦中においてしか考えられない。

 

 むろん、ルソーの言う「戦争」や「祭」は、「現前において消尽される」「純粋な現前の瞬間」なので、われわれはそれを「想像」や「想定」することしかできない。実際に、われわれの前に「現前」するのは、すでに「殺人」や「近親相姦」が「禁止」された「法」でしかない。われわれは、「平和憲法」を前にすることで、「戦争」の渦中に「父殺し」がなされたことを遡行的に「想像」「想定」するのである。

 

 同時に、「法」の存在は、先に述べたように、「父殺し」が「失敗」したことを示している。したがって、「法の支配」とは、「父殺し」の「失敗」を永続化させる行為にほかならない。だが、そうさせているのは、カフカの主人公のように、「法」の「前」にいる男=民衆自身なのだ。

 

だから、この点は是非確認しておかなければならないが、彼は中に入ることを自分自身に禁じているはずであり、何としても禁じなければならないのだ。彼は、法に従うようにではなく、法に近づかないように自分自身に義務づけ、自分自身に命令を下さなければならない。そして法の側では、結局のところ次のことを男に言わせるか、あるいはわからせようとしている。「私のところに来るな。私はおまえに、まだ私のところまで来ないように命ずる。この点でこそ、このことにおいてこそ私は法であり、おまえは私の要求を聞き入れるだろう。だがおまえが私のところまで到達することは決してない」と。(デリダ「先入見――法の前に――」)

 

 正確に言えば、民衆は「法」の「前」から「中」に入ることを「禁止」されているわけではない。門番によって「今はだめだ」と、「中断」、「遅延」、「差延」させられているのである。だが、デリダは、民衆の意志次第でいつかは「法」の「中」に入れると言いたいのではない。そうではなく、「法」による「禁止」とは、「中」に入ることの「禁止」ではないということなのだ。

 

 「法」が禁止を下すということではなく、法そのものが禁じられており、法そのものが禁じられた場だということである」。したがって、カフカの主人公は、「法」の「前」に、すなわち「法」の「外」にいるにもかかわらず、「彼が法の外に〔無法状態で〕いるということが、すなわち彼が法の主体だということである」。「法」の支配は民衆自身によるものの、当の民衆にそうさせているのは「法」であるというこの悪無限。というか、そして「法」と「民衆」のそのような関係に「正統性」をもたらしているのが「門番」の存在にほかならない。カフカの「法の前に」は、「法」と「男」だけでは成立しない物語なのだ。

 

 「民衆=男」に直面している「門番」は、一番下っ端の「門番」にすぎず、その奥には徐々に権威を増していくように不特定多数の「門番」が控えている。「門番」が「だめだ」と「禁止」するのではなく、「まだだめだ」という「遅延」の言葉を口にするのは、この「門番」の不特定多数性=無限性の表現といえる。だが、「門番」自体も「法」から隔てられており、最後の「門番」も決して「法」に到達することはない。「法」を頂点とするヒエラルヒーは存在するのだが、その頂点には隙間があって、そこには何びとも参入できないようになっているのだ。

 

 カフカは、「掟の問題」(一九二〇年)というアフォリズムにおいては、その無限の「門番」を、「貴族(階級)」として描いた。

 

(続く)