2022-01-01から1年間の記事一覧

安藤礼二『縄文論』

上記の書評が、「週刊読書人」12月16日号に掲載されています。

握り飯をむりやり食わせる――アンチ・オイディプスはまだ早い その5

一方、「楯の会」を「ごっこ=戦後」の枠組で捉えた江藤淳は、三島の意図を全く理解しなかったといえる。 したがって今日いわゆる「自主防衛」とは、正確には「自主防衛ごっこ」あるいはmake-believeの世界における「自主防衛」だといわざるを得ない。そうだ…

劇場を再起動する暴力――アンチ・オイディプスはまだ早い その4

繰り返せば、ベンヤミンは、バロック悲劇の「根源」を思考するために、同時にギリシア悲劇を見る必要があった。それは、近代=バロックの演劇が「法維持的暴力」の「反復」たらざるを得ないとしても、それがどこかで(例外状況において)ギリシア悲劇の反神…

ベンヤミンのシュミット批判――アンチ・オイディプスはまだ早い その3

シュミットが、近代の「政治」とはまさに「政治神学」であり、世俗化された「神学」だと言ったのもそうした意味においてである。「例外状況」とは、神学おける「奇蹟」に相当するわけだ。したがって、ここでは不可避的に神(話)との再結託が起こるのである…

アンチ・オイディプスはまだ早い その2

では、一方バロック悲劇はどうか。おそらく、ベンヤミンのいう、ギリシア悲劇とバロック悲劇の違いが最も端的に現れるのが、「王」の捉え方においてであろう。 バロック悲劇の王は「被造物の頂点たる者」としての専制君主であり、「君主は歴史を代表する」。…

アンチ・オイディプスはまだ早い

前のエントリーでも述べたように、国会開設と憲法発布に向けた自由民権運動の「欲望」を、天皇が上からの詔勅という形で取り上げてしまったとき、自由民権運動はあらかじめの挫折を余儀なくされた。その時、天皇は、主権者として「法措定的暴力」(ベンヤミ…

文学は故郷を失ったことなどない その2

日本近代文学の「内面」という制度が、実はメランコリックな「欲望」だとして、その欲望が満たされることはあり得ない。なぜなら、その欲望の対象は、はじめから「欠如」しており、本当は「喪失=メランコリー」ではないからだ。メランコリー自体が捏造され…

文学は故郷を失ったことなどない

すが秀実の「「鬱」とナショナリズム」(「ユリイカ」二〇〇四年五月)は、確か単行本未収録だが、天皇制と民主主義とが――すなわち日本近代文学の起源において創設された「国民」(ネーション)が――矛盾なく受け取られている今日、ますます重要な批評として…

杉田俊介『橋川文三とその浪漫』

上記の書評が、「週刊読書人」7月1日号に掲載されています。

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その5

井上良雄が、志賀直哉と近代プロレタリアートを結合しようとしたことは、有島武郎『宣言一つ』以来の、インテリゲンツィアのプロレタリアートへの(不可能な)階級移行の問題に関わっていた。だからこそ、あたかも志賀直哉が、共産主義者とリベラルなプティ…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その4

監督協会には、東京側からは、内田吐夢、小津安二郎、清水宏、成瀬巳喜男らが、関西側からは、伊丹万作、伊藤大輔、溝口健二、山中貞雄らが参加。それまで日本の映画監督は、各会社に雇われた社員であり、彼らを横断的につなぐ組織を持たなかった。それぞれ…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その3

いったい、『東京暮色』に何が起こっているのか。このとき頭をよぎるのが、またしても『暗夜行路』である。 小津作品の中でも最も暗く救いのない印象を与える作品。『東京暮色』というよりは、これでは『東京暗夜』と称したいぐらいである。過去の不倫が物語…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その2

「二階=上」に昇る「階段」に意味が生じるのは、このように『暗夜行路』において、である。それは、「不義」という性的な問題と明確に結びついている。そして小津は、その「主題」や作品「原理」を含めて、志賀の「二階」や「階段」を「忠実」に反復してい…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀

小津安二郎『風の中の牝鶏』(一九四八年)の戦慄的なシーン―—佐野周二が妻の田中絹代を階段から突き落とす――については、以前戦争と従軍慰安婦との関連で述べた。 knakajii.hatenablog.com 今回は、別の側面から見てみたい。 夫の佐野は、自分の復員前に子…

戦争をふせぐ歴史観――「党」のクビまで引っこ抜かないこと その3

いずれにせよ、この共産党と純文学の純粋性(を見る視点)は、プロレタリア文学運動の挫折後に、徐々に変質していくほかはない。平野謙が、純文学変質説や、疎外された「負傷者」たちの「人民戦線」史観を模索していくゆえんである。もはや、このとき平野に…

戦争をふせぐ歴史観――「党」のクビまで引っこ抜かないこと その2

すがは、戦時下抵抗のルネッサンス論と見なされがちな『復興期の精神』(一九四六年)を、花田自身は「アンチ・ルネッサンス論」と主張していたことに注目する。そして、花田のいう「復興期=ルネッサンス」は、「文学史的には「昭和十年前後」(平野謙)と…

戦争をふせぐ歴史観――「党」のクビまで引っこ抜かないこと

遅ればせながら、すが秀実「花田清輝の「党」」(「群像」2022年3月)を読んだ。 以前、何度か触れたことだが、花田清輝は、現代史を「〔…〕二つの戦争によってきりとらずに、逆にそれらの二つの戦争に終止符をうった二つの革命によって――つまり、ロシア革…

マシュー・C・クレイン/マイケル・ペティス『貿易戦争は階級闘争である 格差と対立の隠された構造』

貿易戦争は階級闘争である――格差と対立の隠された構造 作者:マシュー・C・クレイン,マイケル・ぺティス みすず書房 Amazon ジジェクは、『パンデミック2』で次のように本書に触れている。 現代における階級闘争の強力な再起とは、あらゆる矛盾の階級闘争へ…

文学の毒――平野謙と瀬戸内晴美

ユリイカ 2022年3月臨時増刊号 総特集◎瀬戸内寂聴 ―1922-2021― 作者:横尾忠則,竹西寛子,黒田杏子,瀬戸内寂聴 青土社 Amazon 『ユリイカ 2022年3月臨時増刊号 総特集 瀬戸内寂聴―1922-2021』に、「文学の毒――平野謙と瀬戸内晴美」が掲載されています。 よろし…