ベンヤミンのシュミット批判――アンチ・オイディプスはまだ早い その3

 シュミットが、近代の「政治」とはまさに「政治神学」であり、世俗化された「神学」だと言ったのもそうした意味においてである。「例外状況」とは、神学おける「奇蹟」に相当するわけだ。したがって、ここでは不可避的に神(話)との再結託が起こるのである。バロック悲劇に両義性が宿るゆえんだ。重要な論点なので、長くなるが引用しよう。

 

同様の仕方、もっと広範でさえある仕方で、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』は、道徳性に関わるポスト・ギリシア悲劇的な用語に基づくはずのバロック悲劇が地下において悲劇と神話の結託を再生産している、と論じている。歴史を場面の中心に押しやり、神の権威ではなくリアルポリティックスに焦点を置くことによって、バロック悲劇は政治的支配の諸形態と取り組む。けれども、最終的に示されるのは、それらを断固として受け入れることをためらうバロックの姿である。

 確かに、バロック悲劇が描く政治的支配者たちは、超越的な価値を奪われた世界のただなかで、政治的主権の前例のないモデル、純粋な政治の諸概念に同意する。それらの概念は、支配のメカニズムから宗教的、道徳的、美的な関心を取り除き、したがって、政治という自律的な領域の分化をはっきりと是認する。バロック悲劇が表現しているのは、人間の相互行為からなる非形而上学的な場としての政治的なるものの出現である。そこでは、指導者と臣下たちが、社会的な目標、制度、法的な規範をめぐって交渉し、競合する野心をぶつけ合う。

 しかしながら、皮肉なことに、バロック悲劇が道徳的なものと政治的なものの分離を含むそのような国家の新しい諸概念を育むのは、道徳的反省を自然史の局面に、それゆえ神話の局面に移し替えることを代償としてのみである。自らの超越論的な故郷喪失、メランコリックな絶望に直面して、バロックの主権者たちは権力の世俗的な論理につまずき、今度は自分たちの危うい権威を、道徳性の再自然化されたモデル、すなわち美的・宗教的な領域において基礎づけようとする。ベンヤミンの捉えるバロック悲劇の作者たちは、あらゆる政治的なものを外化し、絶対君主制の基礎を確かにするためには何であれ舞台に登場させた。その一方で彼らは、政治的権威の衰退を阻止するために、法と秩序を身体に書き込み、道徳的な自律性と個人的な行為能力を消し去るのである。(ルッツ・P・ケプニック「スペクタクル、バロック悲劇、決断のポリティクス――ベンヤミンによるバロックとワイマールの重ね読み」細見和之訳、二〇〇四年『舞台芸術』06)

 

 ギリシア悲劇の英雄が、超越的に機能している神話の批判を敢行した(だが破壊しきれずに死んでいった)のに対して、バロックの君主は、すでに「超越的な価値を奪われた世界」で、したがって「神の権威」に頼れずに自律的な「政治」の領域=「リアルポリティックス」によって、政治=統治を行わねばならない。だが、そこは何の「形而上学的保証」もない世界であり、したがって「超越論的な故郷喪失、メランコリックな欲望」に覆われるほかはない。

 

 そして、「今度は自分たちの危うい権威を」「美的・宗教的な領域において基礎づけようとする」のである。宗教を密輸入した芸術諸ジャンルが、自らの統治を「美的・宗教的な領域において基礎づけようとする」バロックの君主に必要なゆえんだ。

 

 以前述べたように、日本近代文学はその典型だろう。日本近代文学の「故郷喪失」や「メランコリック」は、もともとこのバロックの君主=天皇の「表象」であり模造である。日本近代文学は、それを「内面」の「描写」と呼び、また「リアリズム」と称し、まさに君主=天皇の権威を背景にその正統性を誇ってきたわけだ。日本近代文学は、その存在自体が天皇制の「表現=代理」なのである。「故郷を失った文学」という「故郷喪失」の「メランコリー」が、人民の欲望(絶望)ではなく、あくまでそれを簒奪した天皇バロックの君主の欲望(絶望)である、欲望は(大文字の)他者の欲望なのだということを、何度でも銘記しなければならない。

 

 この自らの「政治的権威の衰退を阻止するために」、「例外状況」における「決定=独裁」をもってするのは、反動的な神の権威への後退にすぎないように見える。ここでベンヤミンが、シュミットに誘引されながらも、一方で批判を忘れていないことが重要となろう。そこに、第一次大戦後に基づくシュミットの政治理論を、あえて十七世紀のバロックに投影しようとしたベンヤミンの意図もあるはずなのだ。

 

 なるほど、確かにベンヤミンはシュミットに拠りながら、バロック悲劇の王の権力が、絶対君主制とその無際限な独裁であると論じている。だが、先のケプニックも注目するように、ベンヤミンは他方で、シュミット的な決断主義の「貧弱さ」と、政治の純粋な自律性が、「元来それが解き放った諸力によって、食いつぶされることによって崩壊する」さまを論じてもいるのだ。すなわち、バロック悲劇は、その「政治的権威を再興するために良かれ悪しかれ美的ないしカリスマ的権力に訴える」ほかない、と。

 

 要は、シュミットの政治理論が、反美学、反ロマン主義(『政治的ロマン主義』!)を掲げながら、その実、そのテクストは「美学的下部構造」とでもいうものに支配されている、と。カール・レーヴィットが、シュミットの政治理論を「機会原因論的決定主義」と呼んだのと同様に(頻繁に引かれるレーヴィットの一節—―ハイデガーの受講者が言った冗談「おれは決心したぞ、なにをかはわからんが」という「決断主義」——というやつだ)。

 

 ケプニックは、そのシュミットの美学を、「シュミットの政治カテゴリーが一九二〇年代の芸術的アヴァンギャルドの新たな美的感覚に由来していることは、否定しようもない」ことに求め、むしろベンヤミンはシュミットのこの部分に、批判の光を当てているのだという。

 

そうだとすれば、自ら掲げた目標を達成しているどころか、シュミットの政治的決断主義は、それがそもそも政治の領域から排除しようとした種類の美的経験に依拠している、ということになる。彼の決断主義は、政治的行為の、特殊近代的な、世俗化された自律的論理を引き合いに出しながら、結局のところ、芸術を支配の要求に従属させ、政治的行為を近代の美的経験の諸原理と混合しさえするのである。ベンヤミンは彼の生涯のどの地点においても自らの反ブルジョア的破壊主義とシュミットの決断主義のあいだに明確な分割線を引いてはいないが、立ち入って検証するなら、彼の『ドイツ悲劇の根源』が明らかにしているのは、シュミットにおける美的感性と政治思想のこの隠れた連関、近代権力に関するシュミットの、美学化へと向かう動揺なのである。(ルッツ・P・ケプニック、前掲論)

 

 十七世紀のバロックの絶対的な君主たちは、「宗教戦争とその苦痛からなる百年」、「物質的廃墟」や「道徳的廃墟」に直面せざるを得なかった。したがって、その絶対的君主制は、「カオスの深淵に吞み込まれ」ないように、「権力の世俗化されたエコノミー」を産み出すことになる。もはや彼は、「神の代理人」ではなく「権力の技術者」たらざるを得ず、したがって「ユートピア的ヴィジョンではなく機能主義的な命令がバロックの政治プログラムを支配」することになる。

 

 だが、この「権力の世俗化されたエコノミー」が、きわめて脆弱で危ういものであることは想像しやすいだろう。何せ君主は、いわば「世俗化たれ、だが同時に超越的たれ」というダブルバインドに見舞われ、自己分裂を起こしているからだ。この自己矛盾を理論的に解決しようとしたのが、「決断」の理由が不在のなかで、ただ「然り」とのみ「決断」するヘーゲル『法の哲学』の君主である。絓秀実は、ただ「みやびじゃのう」とのみ言う三島由紀夫の「文化概念としての天皇」を、このヘーゲルの君主のバリエーションと捉えている(「付論 戦後―天皇制―民主主義をめぐる闘争」、『増補 革命的な、あまりに革命的な』)。

 

 三島は、おしなべて「世俗的」たることでもたらされる、全き「言論の自由」のアナーキーを、しかしいざそれを導入するためには「超越的」たらざるを得ないので、その時全ての表現を「みやび」と言って全方位に許容する「(文化)概念としての天皇」という、ヘーゲルの君主にも似た、世俗的かつ超越的な存在が必要になることが分かっていた。私見では、動機は三島と真逆だが、江藤淳の言う「共和制プラス1」の「プラス1」としての天皇などもこれに近い。江藤は、おそらくプロイセン君主制を称揚したヘーゲルにならって、戦後日本を「君主国」と見なした。

 

 それはそうと、バロックの王のメランコリーとは、いやおうなくこうした「決断主義」の自己矛盾に陥っている。彼らは、「決断」できないのに「決断」を迫られているのだ。「非常事態を宣言する決断を果たすべき諸侯たちは、どんな機会であれ、自分たちがほとんど決意能力を有していないことを示してしまう」(ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』)。そして、この自己矛盾という隙間に、「隠れた美学主義」や政治のための芸術(政治の芸術化)が入り込むわけである。

 

 もちろん、三島の「天皇」も、この「政治の芸術化=美学化」であり、したがってファシズムに違いない。問題は、ファシズムを悪と見なし避けようとする者が、それが近代においては同時に不可避的であることが分かっているかどうかだ。ベンヤミンは、この「政治の芸術化=ファシズム」に対して「芸術の政治化」を対置した。だが、これは単なる両者(政治/芸術)の反転ではない。何よりも「政治」と「芸術」がお互いに自律できない磁場を、自らも共有していることを示しているのだ。この磁場に対する緊張も絶望もない者が、いくら「政治」と「芸術(文学)」などと言っても、それは言葉遊びにしかならない。

 

 したがって、先のケプニックが言うように、ベンヤミンはシュミットに拠りながらも、ぎりぎりのところでシュミットに対する決定的な批判を行ったのだと考えるべきである。ベンヤミンは、バロック悲劇の君主に、シュミットの「失敗」を見たのだ。

 

ベンヤミンとともにわれわれが近代の起源に目撃するのは、美学の領域と政治的行為の領域を区別する試みが欺瞞的にしかなされていないということであり、これこそは、一九二〇年代のシュミットによる近代政治学の理論的基礎づけのうちに反響している失敗である。バロック悲劇は政治の自律化を描きだしているのだが、政治的な機能主義と戦略的理性の特異な弁証法がたどる小道を舞台化することによって、それが結局明らかにしているのは、近代が意図することなくふたたび神話に回帰し、表現を欠いたものにおける芸術の基礎づけを破壊するということ、近代が、つねに同一なるものの恐るべき再現として登場する、歴史のアレゴリー的理解に依拠している、ということである。(ルッツ・P・ケプニック、前掲論)

 

 ベンヤミンバロック悲劇論は、「近代が意図することなくふたたび神話に回帰し」、「近代が、つねに同一なるものの恐るべき再現として登場する」ことを明らかにした。すなわち、ここでは、「法措定的暴力」によって共同体の法が形成されたあと、今度はその法を「維持」するための暴力が行使され続けることで「つねに同一なるものの恐るべき再現」がもたらされているわけだ。

 

 だが、ベンヤミンが「暴力批判論」で主張したのは、これら二つの「暴力」の区別というよりは、近代においては「法」は「暴力」なのだということ以外ではない。だからこそ、この「法=暴力」の外に出るために、一切の「法=暴力」の廃絶を要請する「神的暴力」を、「法措定的暴力/法維持的暴力」(合わせて「神話的暴力」と呼ばれる)に対置させたのである。

 

 この「神的暴力」が、ベンヤミンの「メシア的転換」(浅井健二郎)=メシアニズムではないか、それはまたしてもシュミットの言う「反神学の神学」、「反独裁の独裁」という「決断主義=政治の美学化」に接近しているのではないかという疑問は措く。今は、ベンヤミンが「法=暴力」を思考するうえで、なぜ演劇の問題に向かったのかに注目しておきたいからだ。

 

(続く)