平和憲法の「門前」――デリダ、カフカ、鷗外 その2

残念ながら、われわれの掟はあまりよく知られていない。支配者である小さな貴族間の秘密であるからだ。古い掟はきちんと守られているとみていいのだが、自分の知らない掟によって支配されるのは、けっこう苦痛なものである。だからといって、掟に対するさまざまな解釈のこと、またほんのひと握りの者たちだけで、民衆全体は解釈に加われないこと、あるいはそれによって生じてくる不都合のことを述べているのではない、それはたぶん、たいしたことではないだろう。掟自身がとてつもなく古く、何世紀にもわたっていろいろ解釈されてきたので、すでに解釈自体が掟になっている。いぜんとして解釈の余地はあるとしても非常に限られており、それに解釈に際して貴族たちが、もっぱら自分たちの利を考え、民衆の不利なように取りはからうなどのことはなさそうだ。そもそものはじめから貴族のために定められた掟であって、貴族はその拘束の埒外にある。だからこそ掟はひとえに貴族たちの手にゆだねられているのだろう。むろん、そこに英知がうかがわれるが――古い掟に英知がこもっていないはずはないだろう?――われわれにとって苦痛であることにかわりはなく、まったく、なんともしようのないことなのだ。(カフカ「掟の問題」一九二〇年)

 

 とりわけ重要なのは、法=掟の周囲に「貴族」階級が存在しており、そのことが「英知」と呼ばれていることだ。デリダは、これを受けて、「法は、慣習的にソフィストに割り振られている因襲尊重の慣習より、もしこう言えるなら、はるかに精巧にできている(ソフイステイケ)」(「先入見」)と言った。そこに「法」の「秘密」があるのだ、と。

 

法はつねに隠されており、或る階級――たとえばカフカが『掟の問題』に書いている貴族階級――が保持するふりをしているだけの秘密であり、同時にこの秘密への委任である。秘密とは何ものでもない。そして何ものでもないということが、しっかり守られなければならない秘密である。秘密とは、現前する何ものでも、現前可能な何ものでもないが、この何でもないものが、しっかり守られなければならないもの、ぜひ守られなければならないものなのである。そして、この秘密保持の役目を委任されているのが貴族階級である。貴族階級とはそうしたものでしかなく、『掟の問題』が暗示しているように、庶民階級が貴族階級なしに済まそうとすれば、数多くの危険を冒すことになるだろう。庶民階級は法の本質が皆目理解できないだろう。貴族階級が必要とされるのは、この法の本質が本質を持たず、それが存在することも、そこに現存することもできないからである。この本質は、卑猥でもあり、同時に呈示不可能なものでもある。だから、貴族たちにこの本質を引き受けさせておかなければならない。そして、そのためには貴族でなければならないのだ。神でなければならない、とは言わないまでも。

 

 「法」の「秘密」とは何か。デリダは、「秘密とは、現前する何ものでも、現前可能な何ものでもないが、この何でもないものが、しっかり守られなければならないもの、ぜひ守られなければならないものなのである」と言う。すなわち、ファイヒンガー―森鴎外のいう「現前」する「かのように」ある、「何でもない」が「守らねばならないもの」である。

 

一番正確だとしてある数学方面で、点だの線だのと云うものがある。どんなに細かくぽつんと打ったって点にはならない。どんなに細くすうっと引いたって線にはならない。どんなに好く削った板の縁も線にはなっていない。角も点にはなっていない。点と線とは存在しない。例の意識した嘘だ。しかし点と線があるかのように考えなくては、幾何学は成り立たない。あるかのようにだね。〔…〕法律の自由意志と云うものの存在しないのも、疾っくに分かっている。しかし自由意志があるかのように考えなくては、刑法が全部無意味になる。〔…〕そうして見ると、人間の智識、学問はさて置き、宗教でもなんでも、その根本を調べて見ると、事実として証拠立てられないある物を建立している。即ちかのようにが土台に横わっているのだね。(森鴎外「かのように」一九一二年)

 

 「かのように」の「秀麿」が言うように、「人間のあらゆる智識、あらゆる学問」は、この「かのように」という「秘密」が「土台」となっている。デリダは、カントの実践理性の問題とからめて、「法」の文脈において、この「かのように」を重視している。

 

すなわち、「汝の行為の格率が、汝の意志によって普遍的な自然法則となるべきであるかのように行え」という定言的命令の第二の定式における、「かのように」(als ob)である。この「かのように」によればこそ、実践理性が或る歴史的な目的論、つまり無限の進歩の可能性と調和することができるようになる。私は、法の思想が語り始め道徳的な主体に問いかけ始めるときに、まさにこの法の思想の只中で、いかにして潜在的に「かのように」が物語性と虚構とを導き入れるのかを、かつて示そうとしたことがあった。法の審級があらゆる歴史性や経験的な物語性を排除するように見え、法の合理性があらゆる虚構や構想力(それが超越論的なものであれ)と無縁なものに見えるとき、そのときにもなお、法の審級は自らの寄生者にア・プリオリに保護を与えるように思われるのである。(「先入見」)

 

 一見、「法」の「合理性」は、「物語」や「虚構」といった「かのように」の対極にあるように見える。だが、「法の審級」は「自らの寄生者=かのように」に「ア・プリオリに保護を与えるように思われるのである」。そして、その「かのように」を「保護」しているのが、人格的には「貴族階級」なのだ。

 

そして、この秘密保持の役目を委任されているのが貴族階級である。貴族階級とはそうしたものでしかなく、『掟の問題』が暗示しているように、庶民階級が貴族階級なしに済まそうとすれば、数多くの危険を冒すことになるだろう。庶民階級は法の本質が皆目理解できないだろう。貴族階級が必要とされるのは、この法の本質が本質を持たず、それが存在することも、そこに現存することもできないからである。

 

 鷗外も、「かのように」が「危険」なのではなく、逆に「かのように」という「秘密」が保持されないことこそが「危険」なのだと言っている。

 

ねえ、君、この位安全な、危険でない思想はないじゃないか。神が事実でない。義務が事実でない。これはどうしても今日になって認めずにはいられないが、それを認めたのを手柄にして、神を瀆(けが)す。義務を蹂躙する。そこに危険は始て生じる。行為は勿論、思想まで、そう云う危険な事は十分撲滅しようとするが好い。しかしそんな奴の出て来たのを見て、天国を信ずる昔に戻そう、地球が動かずにいて、太陽が巡回していると思う昔に戻そうとしたって、それは不可能だ。そうするには大学も何も潰してしまって、世間をくら闇にしなくてはならない。黔首を愚にしなくてはならない。それは不可能だ。どうしても、かのようにを尊敬する、僕の立場より外に、立場はない。

 

 知られるように、「かのように」は「大逆」事件への応接として書かれた。ここは、その鷗外の「大逆」事件に対する思考の核心が表れている箇所である。「神」は「事実」ではなく、「王」は「神」ではない。「法」の要請する「義務」も「事実」ではなく、「汝の行為の格率が、汝の意志によって普遍的な自然法則となるべきであるかのように行え」という「かのように」(als ob)による「命令」である。もはや、「神」も「王」も「法」もザインではなくゾルレンの位相にあるのだ。だが、そのように科学的な「事実」を暴露することが「危険」を生じさせる、その結果が今回の「大逆」事件だ、だからこそこの「かのように」を「法」の(神の、王の)「秘密」として守るべきだと鷗外は主張しているのである。

 

 その「かのように」の「秘密」を体現するのが「貴族階級」なのだ。鷗外が「大逆」事件に反応して、「かのように」をはじめとする「五条秀麿もの」という「華族=貴族階級」の人物を主人公とした一連の作品(「かのように」「吃逆」「藤棚」「鎚一下」)を書かねばならなかったゆえんである。「五条秀麿もの」で問われているのは、一貫して近代の啓蒙的理性の時代における「宗教」(神)問題と「道徳」(法)問題なのだ。真っ当な保守として当然の思考である。その鷗外の「秀麿」に相当するのが、カフカの「門番」であろう。何度も引くが、次のデリダの言葉にある「貴族階級」は、すべて「門番」に置き換え可能であるといってよい。

 

そして、この秘密保持の役目を委任されているのが貴族階級である。貴族階級とはそうしたものでしかなく、『掟の問題』が暗示しているように、庶民階級が貴族階級なしに済まそうとすれば、数多くの危険を冒すことになるだろう。庶民階級は法の本質が皆目理解できないだろう。貴族階級が必要とされるのは、この法の本質が本質を持たず、それが存在することも、そこに現存することもできないからである。この本質は、卑猥でもあり、同時に呈示不可能なものでもある。だから、貴族たちにこの本質を引き受けさせておかなければならない。そして、そのためには貴族でなければならないのだ。神でなければならない、とは言わないまでも。(「先入見」)

 

 「貴族」や「門番」は、「神」である「かのように」、「法」の「秘密保持の役目を委任され」ている。彼らが「必要とされるのは」、彼らが「保持するふりをしているだけ」の、「現前」することのない「何でもない」「秘密」のためなのである。

 

 「かのように」の秀麿は、父から「皇室の藩屏」となるように期待されている。まさに皇室が「神」である「かのように」機能するために、皇室の「門前」で存在しない「秘密」を守護するよう求められているわけである。

 

 したがって、秀麿が考えているように、秀麿と父とは決して対立しているわけではない。「皇室の藩屏」が、実際は周囲の「塀=門」しか存在しないことを知っている秀麿に対して、「知らない」あるいは「認めない」「そんなふうに考えられては困る」と思う父という相違があるにすぎない。双方とも、皇室を守護する「門番」となること自体には異存はないのだ。

 

 カフカの「掟の問題」(一九二〇年)も鷗外「かのように」(一九一二年)とほぼ同様の認識を示している。だが、「貴族」階級が「滅びる」ことに言及しているぶん、カフカの方に「一筋の光明」が見られるだろう。カフカ自身、「掟の門前」(一九一四年)の段階では、まだ見られなかった認識である。

 

現在のところ見通しは暗いが、いずれ伝統とその研究が晴れて終止符をうち、すべてが明らかになって、掟は民衆に帰属し、貴族が滅びると信じているふしがあって、これが見通しに一筋の光明を投げかけている。

 

 カフカ自身、「掟は民衆に帰属し、貴族が滅びると信じているふしがあっ」たのだろう。貴族やブルジョアに帰属するブルジョア法ではない、民衆やプロレタリアートに帰属する「法」である。だが、カフカがその先に言っているのは、事態はそう簡単ではないということだ。カフカは、デリダが言うように、「…庶民階級が貴族階級なしに済まそうとすれば、数多くの危険を冒すことになるだろう。庶民階級は法の本質が皆目理解できないだろう」と考えているのである。

 

そのことを憎悪をこめて貴族に伝えたりしない。とんでもない、誰もそんなことはしないはずだ。それというのも、われわれが憎悪しているのは、このわれわれ自身であって、われわれがまだ掟に値しない身であるからだ。掟の存続を信じない小党派が、ある意味ですこぶる魅惑的な主張を掲げているにもかかわらず、あいかわらず小さな党派にとどまっているのも、この理由からである。いいかえればそれは貴族および貴族の存続の正当なことを認めたことになる。といったわけで、なんとも厄介なことながら、とどのつまりは一種の反語を用いていうしかなさそうだ。掟に対する信仰をもって貴族を非難すれば、すぐさま全民衆の支持が得られるだろうが、しかしながら、だれひとり貴族を非難する勇気をもたないのだから、この種の政党はあり得ない。こういった危うい一点にわれわれは生きている。ちなみにある文筆家がつぎのように要約した。われわれに課せられた唯一目に見える歴然とした掟が貴族であり、それをわれわれは、この手でなくしてしまおうというのであろうか?(カフカ「掟の問題」)

 

 「われわれ」は「まだ掟に値しない身である」。だから、「掟」に対する政治的批判は広がらず、「掟に対する信仰」はやまない。そして、それは「貴族の存続の正当なことを認めた」のと同じことだ。要は、カフカは、「貴族階級」とは人格化された「掟」の正当性なのであり、「掟=法」を認める以上、「貴族の存続の正当なことを認めたことになる」と言っているのだ。

 

 エルンスト・カントロヴィチが言うように、『ローマ大全』(=古代ローマ法の集成)に基づいた13、4世紀の法学者たちは、貴族や法学者など君主の助言者たちの意向や見解が、「王の口」を通じて発せられることで「法」となると考えていた(『王の二つの身体』)。まさに、「王の口」という「法」の正当性の人間化であり身体化である。いわばカフカは、「掟=貴族」なき社会はあり得るかと問うていると言ってもよい。カフカは、もしかしたらそれはあり得ないのではないかという方向に傾いている。したがって、「こういった危うい一点にわれわれは生きている」と言うのである。

 

 言い換えれば、カフカー鷗外の「掟=法」に関する議論は、「主権「者」論」でなく「主権論」であると言えよう。「主権「者」論」が「結局誰が決めるのか?」という問いこそが「主権」の核心だと考えているのに対して、「主権論」は「法」の「正当性」は「何に担保されるのか?」を問う。前者がいわゆる「決断主義」に収斂するのに対して、後者は「空虚」や「無」に帰結するだろう。「法=掟」には「門前」しかなく、「門」の向こう側は「空虚=無」であるという認識に。

 

 『法の近代』の嘉戸一将は、「八月革命説」の宮沢俊義と、まさに「主権「者」論」か「主権論」かで論争した尾高朝雄が依拠する、田辺元の「絶対無」を論じて次のように言う。

 

〈絶対無〉として表象される主権とは何か。何者でもない〈無〉だ。主権に関する言説は、歴史的に見れば、それが一神教的な神の至高性に由来し、そしてまずはその神に教皇が、君主が、自然(自然法の「自然」だ)が、あるいは人民、国民が取って代わってきたように、主権の場所を埋めるようにして、さまざまなフィクション(擬制)が主権の場所を〈有〉なるものとして演出してきた。それらが消費され尽くした歴史の末端にあって、結局、主権の場所が空虚だったと、つまり〈無〉だったと発見したのである。しかし、主権に関する言説が法の法としての正統性を説いてきたように、その空虚な場所なくしては法は法ではありえなかった。権力と暴力、政府と盗賊とを区別しえなくなるのである。その区別を可能にしてきたのが、空虚な場所を充填する演出なのだ。つまり、たとえ〈無〉であっても、それが〈有る〉ように、存在するかのように可視化することで、法秩序は存立してきたのである。

 カール・シュミットは、それを決断者という主体の機能の肥大化した観念によって表現した。しかし、それは決断する主体などではなくても良いのである。ただ権力と暴力、政府と盗賊とを区別させる仕組みがあれば良い。必要なのは、区別するという分別であり、理由を問うという理性だ。主権とは、その意味において、法秩序において理性を作動させるための機能なのである。そして、その理性が権力の限界を定めるのである。そのことを、〈絶対無〉主権論は告げているのである。(『法の近代』)

 

 「権力と暴力、政府と盗賊」とが「理性」や「分別」で「区別」され得るかは今は措く。「主権」が、もし「空虚=無」が存在する「かのように」機能しなければ、「権力と暴力、政府と盗賊とを区別させる仕組み」が無化してしまうということが重要だろう。まさにカフカが言うように、「こうした危うい一点をわれわれは生きている」のである。先に述べたように、権力と暴力とが渾然一体とならないように、「空虚=無」を「秘密」として保持する役目を担ってきたのが「貴族階級=門番」である。だから、デリダが言うように、「庶民階級が貴族階級なしに済まそうとすれば、数多くの危険を冒すことになる」のだ。権力と暴力とを分かつ「門」が、ただそのためだけに存在する「門」が、なくなってしまうからである。

 

 もちろん、これらの議論は、基本的に「空虚=無」として「君主」を、「ふた=門」として(のみ)君臨させておくべきだというヘーゲル君主論」のバリエーションである。神にスラッシュが引かれて以降は、先の嘉戸が言うように、神は教皇、君主、自然(法)、人民、国民らにとってかわり、「さまざまなフィクション(擬制)が主権の場所を〈有〉なるものとして演出してきた」。そういう意味においては、君主権だろうが、人民主権国民主権だろうが、「神の死」以降の「空虚=無」な「主権」の場所を埋めるべく、「さまざまなフィクション(擬制)」のバリエーションにすぎない。だが、われわれは、その「神」の残滓=空席としての「主権」という枠組でしか、依然として権力や法を思考し得ないこともまた確かである。その意味で「主権」や、そのありか(主権「者」であろうが、正当性であろうが)を示す「法」は、ラカンの言う「モノ」としてあると言わざるを得ない。「主権」も「法」も神が十全に機能している空間においては、そもそも必要のないものであり、したがって「神の死」以降は、(本来は)「ない」にもかかわらず(ここでは)「ある」としか言いようのないものだからだ。

 

 だが、だからといって、戦後、天皇主権(君主権)から国民主権へと移行したことを、それは単なるフィクションのバリエーションにすぎないと言いたいのではない。むしろ、「主権」が、神の「ファルス」としてのり越え不可能な「モノ」としてある以上、それはその都度の「移行」の歴史しかないともいえるからだ。

 

マッカーサー草案」の前文や第一条で用いられていたsovereigntyやsovereignという語は、手交直後の外務省訳では「人民(people)」に「主権」があることを意味する語とされていたが、「憲法改正草案要綱」では「人民」は「国民」に改められ、さらに「主権」という語は周到に避けられ、「国民」の意思が「至高」であると表現されている。

 この点について、憲法問題調査委員会の委員の一人だった憲法学者宮沢俊義は、幣原喜重郎の提案により、委員長の松本丞治が「苦心」のうえ「主権」ではなく「至高」を訳語として採用した、と後に回想している(入江俊郎『憲法成立の経緯と憲法上の諸問題』)。というのも、戦時期に「国体」に「夢中になっていた」人々に、「国民主権」を掲げた草案を呈示することは、「途方もないショックを与える」ことになると予想されたからだった。しかし、GHQは国民主権憲法で明確に定めることを要求し、結局、帝国議会での審議を経て、「至高」は「主権」に改められた。

 当時の政府が危惧した「途方もないショック」とは何か。要するに、主権的権力が国民にあると規定することで想定された「ショック」である。なぜ、主権的権力が国民にあると規定することが「ショック」を与えうるのか。

 帝国議会での草案審議を前にして、一九四六年四月に作成された「想定問答」集に見られるように、当時の政府にとって主権的権力とは憲法制定権力を意味するからだった(拙著『主権論史』参照)。政府が依拠していたのは、言うまでもなく、カール・シュミットの主権論である。つまり、明治憲法第七三条に定められているように、明治憲法の改正は天皇の勅命によってのみ帝国議会で審議されうるのに対して、改正草案において国民主権を定めると、国民の発議によって改正の審議がなされることを意味し、もはや憲法改正は改正ではなく革命を意味することになる、というのである。この点を明確に指摘したのが、宮沢俊義の「八月革命」説だった。すなわち、ポツダム宣言を受諾した時点(一九四五年八月一四日)で、国民主権を採用することが決定づけられていたのであり、実はそのとき「革命」が起きていたのだ、と。(嘉戸一将『法の近代』)

 

 「戦時期に「国体」に「夢中になっていた」人々」に、「国民主権」が「途方もないショックを与え」たのは、おそらく「国体」に「夢中になっていた」人々に、「王殺し」をしてしまったと思わせたからだろう。そして、述べてきたように、その「ショック=後悔」こそが共同体に「平和」をもたらし、憲「法」に「平和(国家)」を書き込ませた。だが、これまた述べてきたように、「平和国家」を最初に披瀝したのは、「昭和」天皇自身であり、帝国議会(一九四五年九月四日)における「勅語」だった。すなわち、王自身が「王殺し」を行ったといえる。その1で述べたように、その方が王の死後の統治が強まるからである。

 

 先の引用のように、「明治憲法第七三条に定められているように、明治憲法の改正は天皇の勅命によってのみ帝国議会で審議されうるのに対して、改正草案において国民主権を定めると、国民の発議によって改正の審議がなされることを意味し、もはや憲法改正は改正ではなく革命を意味することになる」(『法の近代』)はずである。だが、「平和」憲法の根幹が「勅語」によってもたらされることによって、前もってその「革命」は簒奪された。「明治」の憲法発布と国会開設という「自由民権運動=革命」の成果であるべきものが、あらかじめ「明治」天皇の「詔勅」によって横領されていたように。それは、日本近代文学の文脈でいえば、政治小説の主題の簒奪=無効化である。 

 

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 日本近代文学の課題は、「平和」憲法が、この「明治」憲法における革命の簒奪=無効化の反復であることを、まずもって認識することだろう。というか、見てきたように、おそらく「王殺し」という問題構成自体に、「革命」を無効化する防衛機制=ロジックが組み込まれているのである。

 

 宮沢俊義の「八月革命」説も、それと論争した尾高朝雄の「ノモス主権」論も、ともに天皇制存続のためのイデオロギーの二側面だった。それはともに、いかに天皇制と国民主権とを矛盾なく縫合するかというロジックに基づいており、敵対的な「論争」を装っていたにすぎなかった。いうなれば、一方は「門番」、もう一方は田舎から来た「男」として、ともに「平和」憲法の「門前」に居合わせたようなものだ。両者の問答=論争自体が、平和憲法の「秘密」を支えているのである。だが、戦後憲法によって、あの「貴族=華族」階級がようやく廃止されたこともまた確かだ。またしてもデリダを引けば、「『掟の問題』が暗示しているように、庶民階級が貴族階級なしに済まそうとすれば、数多くの危険を冒すことになるだろう」(「先入見」)。それぐらいには、「危うい一点にわれわれは生きている」(カフカ「掟の問題」)といえる。

 

中島一夫