アンチ・オイディプスはまだ早い

 前のエントリーでも述べたように、国会開設と憲法発布に向けた自由民権運動の「欲望」を、天皇が上からの詔勅という形で取り上げてしまったとき、自由民権運動はあらかじめの挫折を余儀なくされた。その時、天皇は、主権者として「法措定的暴力」(ベンヤミン)を行使したわけだ。それは、「例外状況」における「主権者」にのみ許される「決断」(シュミット)であろう。

 

 もちろん、それは通常「(法措定的)暴力」ではなく、「(憲法制定)権力」と見なされる。以降、文学や演劇、美術などの芸術諸ジャンルは、この天皇による「法措定的暴力」=上からのナショナリズムに応じた「法維持的暴力」=下からのナショナリズムとして、言い換えれば革命ならぬ「改良」運動(小説改良、演劇改良)に力を注いできた。ベネディクト・アンダーソンを待つまでもなく、ナショナリズムの下からの浸透には、各種メディアが必要だからである。

 

 前のエントリーでも見たように、文学は法措定的暴力=憲法制定権力を所有したことがない。それを「故郷」として「失った」としてメランコリックに「欲望」するばかりだ。おそらく、天皇の「法措定的暴力」に拮抗して思考するためには、演劇の問題を考える必要がある。天皇制も演劇も、ともに「法措定的暴力」を行使し得る、よく似た何かだからだ。

 

 そのとき、真っ先に想起されるのは、ベンヤミンが見た神話を打ち破ろうとしたギリシア悲劇、なかでもギリシア悲劇にあるという「ゲーニウス=反神話的言語精神」(『ドイツ悲劇の根源』一九二八年)である。ベンヤミンは、ギリシア悲劇と近代の悲劇=ドイツ・バロック悲劇との決定的な違いを、前者の「ゲーニウス=反神話的言語精神」に求めた。

 

ゲーニウス(Genius)が罪の靄のなかからはじめて頭をもたげてきたのは、法においてではなく、ギリシア悲劇においてだったが、それというのも、ギリシア悲劇においてこそデモーニッシュな運命が打ち破られるからである。だがそれは、罪と贖罪との異教的に見究めがたい連鎖が、罪を清められ、純粋な神と宥和した人間の純粋さに取って代わられる、ということによるのではない。そうではなく、ギリシア悲劇において異教的人間が、自分は自分の神々より善いのだ、と自覚するのである。ところが、この認識は彼に対して言語を拒み、そのためにこの認識はおぼろげなままにとどまっている。この認識は、みずから〔の内実〕を〔言語的に〕明らかにすることなく、密かに己れの力〔暴力〕を集めようとする。……〈倫理的な世界秩序〉が再建される、というのではまったくないのであって、道徳的人間が、まだ沈黙したまま、まだ未成年のまま――そういう人間として彼は英雄と呼ばれる――、苦悩にみちた世界が震えているその只中に、立ち上がろうとするのである。道徳的な無言性、道徳的な未成熟性のなかでゲーニウスが誕生するという逆説こそ、ギリシア悲劇のもつ崇高さにほかならない。

 

 ギリシアにおいて、ゲーニウスが「はじめて頭をもたげてきたのは、法においてではなく、ギリシア悲劇においてであった」。これは極めて示唆的な言葉だ。ベンヤミンは、ギリシア悲劇にポリス=共同体の創設における法の措定という政治性を認めていたわけだ。ギリシアにおけるポリスとその法の措定に、ギリシア悲劇のゲーニウスが深くかかわっているということだ。もちろん、それは悲劇の登場人物らが口にする言葉においてではなく、演劇という制度そのものに内在する「暴力」であろう。鴻英良が言うように、それは「西欧」という存在そのものにかかわる。

 

つまり、ギリシャ悲劇とは、まさにギリシャにおいて法が措定されていくプロセスにおいて、その構造をあらわにしつつ登場してきた芸術の形式にほかならないということである。言ってみれば、そうした歴史のある段階を刻印するものとしてギリシャ悲劇は存在するのであり、それゆえに、それは一回性の刻印を帯びつつ、二度と書かれることのない表象の形式としてわれわれに残されることになったのである。それゆえ、西欧世界は、ポリス的な共同体の確立、維持をもくろむとき、ギリシャ悲劇の模造を量産しつつ、ギリシャ悲劇的なものへと回帰しようとしたのである。これが西欧社会においていまだ演劇に重要性が付与されていることの意味にほかならない。

 つまり、ギリシャ悲劇的なものの存在を欠いて西欧世界は存在しえないのであって、そのことが西欧世界の今日における演劇の位置をみればあきらかであろう。(「『帝国』からの《悲劇》の誕生」「ユリイカ」二〇〇二年十二月)

 

 では、なぜギリシア悲劇によって、共同体の「法措定的暴力」が「頭をもたげてきた」のか。われわれは、例えば『オイディプス王』などのギリシア悲劇を思い浮かべ、このベンヤミンの主張を訝しく思う。だが、そのときベンヤミンは、別のものを重視しているのだ。鴻は、また次のように述べる。

 

たとえば、オイディプスのように、英雄たちは、神託が実現しないように願い、そのように行動する、つまり神々に逆らうとはいえ、われわれが知らされるのは、そこにおいて、そうした反逆的な行動が挫折するという事実なのである。けれども、ベンヤミンが重視するのは、最終的にはその敗北が明らかになっていくとはいえ、実際、神託を聞いたあとでは、オイディプスは両親に会うのを避けようとし、故郷に帰ることを断念したということであり、そのように神の意思に逆らって彼が行動をはじめたという事実の方なのである。つまり、このように神々の意志が成就することを望まないということ、このような自らのあらたな願望に基づいてオイディプスが行動を開始したということが重要なのである。

 

 ベンヤミンが評価するオイディプスは、われわれがよく知っている、神(神託)に敗北するそれではない。そうではなく、注目すべきは、「神の意思に逆らって彼が行動をはじめたという事実の方」であり、オイディプスの「神話批判」の精神なのである。

 

 もちろん、われわれは、結局事態が神託通りになっていくのを知っている。その結果、先の『ドイツ悲劇の根源』に言われるように、オイディプスは「まだ沈黙したまま、まだ未成年のまま」なのであり、自分にはまだ神話秩序を破壊する力がないことを思い知るのだ、と。われわれが、いまだ天皇制という「神話秩序」を破壊する力がないとしたら、まるでそれはこのベンヤミンの見た「沈黙したまま」「未成年のまま」のオイディプスのようではないか。いまだなお、いや今こそわれわれが見つめるべきは、「アンチ」オイディプスではなく、このオイディプスなのではないか。

 

 そこでは、「〈倫理的な世界秩序〉が再建される、というのではまったくないのであって、道徳的な人間」が存在するばかりだ。ベンヤミンにおいて、「道徳的」(moralisch)という語は「人間と神の関係」を、「倫理的」(sittlich(人倫的))は「人間間の関係」を指すことは言うまでもない。ここでオイディプスは、あたかも講座派マルクス主義者よろしく、自らが「道徳的」=「半封建的」な「未成年」だと自覚している人間であるというのは牽強付会だろうか。「六八年」以降、「労農派的」転回(すが秀実)があったとして、その後消滅してしまったのは、この未成熟なオイディプスの「講座派的」思考ではないか。だが、ベンヤミンにおいてさらに重要なのは、オイディプスギリシア悲劇の「英雄」たちが、決して自らのこの姿に自足しているわけではないことである。

 

 ニーチェギリシア悲劇に、神話の破壊の「抑止」を見出したのを批判して、ベンヤミンは逆に神話批判、反神話を見出した。同様に、一般的には、「模倣」と理解されているアリストテレス詩学』の「ミメーシス」に、ベンヤミンはむしろそれに反するものを見ている。

 

そして、かのミメーシスは、伝説のなかにはっきりと示された運命秩序を雄弁に是認するものではまったくなく、むしろこの運命秩序に、しばしばまだ未成年のままの状態で、疑問を投げかけるものなのではないのか。(「カルデロンの『げに恐ろしき怪物、嫉妬』とヘッベルの『ヘロデとマリアムネ』――歴史劇の問題についての覚書」一九二三年)

 

 先の『ドイツ悲劇の根源』と同様な言葉遣いがなされているのは明らかだ。ベンヤミンからすれば、アリストテレスもまた、ギリシア悲劇に「神話破壊」を見ていた。それは「今日の読者の目には、自然主義を含むものに見えるが、本当のところは、この定義は自然主義を唱えるものではまったくない」。先の鴻も言うように、したがってそれは、「アウエルバッハが『ミメーシス』のなかで書いたようなホメロス的な描写を継続するようなものではまったくな」く、「「ヨーロッパ文学における現実描写」の特質として語られてきた自然主義的な模倣などでは決してない」のである。要は、「ミメーシス」とは、むしろ反リアリズムを提示した概念と捉えるべきということだ。それは、神話破壊、反神話なのである。

 

(続く)