「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀

 小津安二郎『風の中の牝鶏』(一九四八年)の戦慄的なシーン―—佐野周二が妻の田中絹代を階段から突き落とす――については、以前戦争と従軍慰安婦との関連で述べた。

 

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 今回は、別の側面から見てみたい。

 

 夫の佐野は、自分の復員前に子供の入院費を得ようと、売春宿で身を売った妻の田中を、またそうさせてしまった自らを許せずに階段から突き落とす。このシーンは、『小津安二郎の芸術』(一九七八年)の佐藤忠雄ならずとも、従兄と不義を犯した妻を、走りかけた列車のデッキから突き落とす、志賀直哉『暗夜行路』を想起させてやまない。

 

 志賀直哉に対する小津の「崇拝」「憧憬」(『小津安二郎、人と仕事』一九七二年)は有名だ。特に『風の中の牝鶏』が公開された一九四八年、翌四九年あたりは、熱海に居を移した志賀のもとに、小津はたびたび出入りし、両者の間に親密な往来があった。いや、志賀への憧憬は、文学少年時代以来ずっとあったのだから、田中絹代が階段から突き落とされた時、『暗夜行路』の「直子」を想起することは、決して不自然とはいえない。

 

 にもかかわらず、蓮實重彦は、そうした作家の伝記的事実や人間関係を読もうとする作家論的な視線を、あらかじめテクスト論によって封じておくように、あるいは重要なのは、「文学的」記憶ではなく「映画的」記憶とばかりに次のように言う。

 

おそらく、『風の中の牝鶏』の階段の場面の感動には、それとは別の映画的記憶が働いている。佐藤氏は、この着想を、妻を発車する電車からつき落す志賀直哉の『暗夜行路』に求めており、それは大いにありそうなことである。だが、より直接的には、小津がシンガポールで見た『風と共に去りぬ』のヴィヴィアン・リーの階段落下のシーンから来ているはずだ。そして、感動的なのは、太平洋戦争直前に作られた聖林ハリウッドの豪華超大作のイメージが、戦後日本のあまりにも貧しい家庭環境に反映してしまっているという点なのである。(『監督 小津安二郎』一九八三年)

 

 だが、ここで指摘したいのは、にもかかわらず、小津の映画は志賀直哉と執拗なまでに響き合っており、しかもそれはほかならぬ蓮實のテクストにおいて露わになっているということである。それは、蓮實が志賀の『暗夜行路』を、「地上の母/二階の娼婦」の対比から、娼婦たちが昇る「階段」や「二階」の座敷に注目するときに明確になる。

 

すでにみたように引手茶屋で、あるいはどことも知れぬ娼家で謙作が女を待っているのは、きまって二階の座敷だ。そして、気軽に階段を昇ってくる女たちが、屋根を見上げて眼を釣り上げてきた母親をそれと知らずに代行しているのである。ちょうど、冒頭でむなしく拡げられた両手が、そこに充実した隆起をまさぐる時間を待ち続けたように、謙作は、ついに階段を昇ることなく地上にとどまり続けた母の代理を、何人も「下」から「上」へと招きよせずにいられないのだ。(『「私小説」を読む』一九七九年)

 

 この七年後に、蓮實は、今度は小津映画における「階段」や「二階」について論じ始める。『監督 小津安二郎』の「Ⅳ 住むこと」の章である。

 

小津的「作品」の後期の相貌を刻みつける娘たちがほぼ二十五歳でその成長をとめてしまった瞬間から、地面とはたやすく接点を持ちえない階上の空間が、小津的な生活環境を二重化し、その上層部分を宙に浮上させてしまったのである。〔…〕そしてこの二重の空間は、選別と排除の運動によって宙に浮んだ二階の部屋を特権化するにいたる。

 

 もちろん、蓮實のテクスト分析において、「上/下」や「上昇/下降」という対比、対立は珍しくない。だが、それならなおのこと、なぜ小津を、志賀ではなくハリウッドへと近づけようとしたのか。まるで、蓮實は、自身のテクストにおける自らの『暗夜行路』の分析との連なりを否認し、その連想を断ち切るかのように、先の『風と共に去りぬ』の「映画的記憶」の方へと読者を導こうとするのである。

 

 ここで蓮實の意図を詮索したいのではない。注目したいのは、そのように、いくら蓮實が小津を志賀から引き離そうとも、それは随所に現れてしまう、その執拗さの方だ。例えば、『風の中の牝鶏』で『暗夜行路』を連想させるのは、階段のシーンそのものもさることながら、むしろその後の夫の行動であろう。

 

 なぜ、あのとき夫は妻を階段から突き落とした後、「大丈夫か」と声をかけながらも助け上げることをしなかったのか――。妻が足を引きずりながら、自力で階段を這い上がってくるのを、ただひたすら待っている夫の姿は、直前に「大丈夫か」と声をかけているだけに極めて不自然な印象をぬぐえない。さらに、這い上がってきた妻を、「この先どんなことがあっても動じない俺とお前になるんだ」と言って抱きすくめる姿に至っては、噴飯ものの演出と言っても過言ではない。一般に『風の中の牝鶏』が失敗作と見なされてきた理由のひとつでもあろう。

 

 だが、この「不自然さ」こそ、小津にとっては重要だったのではないか。この不自然さは、『暗夜行路』の夫が、不義を犯した妻を列車のデッキから突き落とした後大山に登り、「譫言にたびたび直子(妻)の名を呼ん」で、山腹で妻の到着を待っているという、あの『暗夜行路』のクライマックスを想起しなければ、とても解消できないからである。自力で這い上がってきた妻を、「この先どんなことがあっても動じない俺とお前になるんだ」と抱きすくめた『風の中の牝鶏』の夫は、『暗夜行路』の大山という自然との「動じない」合一による、恍惚感に満ちた陶酔との、差異をはらんだ反復でなくて何なのか。

 

 小津の夫と志賀の夫は、不義の妻に対する「許し」においても類似している。『暗夜行路』の夫は、「今、お前のいったように、寛大な俺の考と、寛大でない俺の感情とが、ピッタリ一つになってくれさえすれば、何も彼も問題はないんだ」と、もはや問題は妻の側にあるのではなく、「総ては純粋に俺一人の問題」なのだと主張する。同様に、『風の中の牝鶏』の夫も、「どうしてその(曖昧宿の)女は許せて、奥さんのことは許せないんだ」と同僚に問われ、「もう許している」と言う。だが、いざ妻の体を目の前にすると、たちまち「寛大でない」感情が頭をもたげてきて、「何かくすぶっているんだ、いらいらするんだ、脂汗が出てくるんだ、よく寝られないんだ、怒鳴ってやりたくなるんだ!」とぶちまけるのである。しかも、彼らはともに、自分は娼婦に会いに行っているのだから、娼婦そのものを憎んでいるのでもない。まさに「純粋に俺一人の問題」に苦しんでいる男たちなのだ。このように見てくれば、小津を志賀から遠ざけておく方が難しいほどである。

 

 『風の中の牝鶏』の夫が、自力で二階に昇ってくる妻を待つという行為が、『暗夜行路』の夫が大山で妻を待つ行為の反復だったとして、ではそもそも、なぜ後者は、山の上で待っていたのか。それは、同じように、夫の留守中に肉親の男と不義を犯した母が、次々と気軽に「二階」に座敷へと昇ってくる娼婦たちに逆らって、決して「地上」を離れなかったことに関わっている。そもそも、『暗夜行路』の妻自体が、母を反復しているのだ。

 

妻の直子は、階段を登って地上を離れたことで罪を犯した以上、再び地表へと押し戻されねばならない。母親は、屋根まで登っては来なかったではないか。二階の座敷へと通じる階段を登って来たのは、芸者や娼婦ばかりではなかったか。(『「私小説」を読む』)

 

 だが、蓮實が論じるのは、その行為の心理的、倫理的な側面ではない。あくまでテクスト的、構造的な側面である。

 

残る問題は、高みに位置するしかない男に対する女の位置である。序詞に語られている母親は、無事に屋根から降ろすことで謙作を救った。この母親による下降運動こそが、『暗夜行路』の説話論的磁力にほかならない。女性によって地上に引きおろされた謙作は、女性を地上から「上」へと引きあげねばならない。そしてその試みが、二階座敷へと女たちを招きあげる放蕩者謙作によって何度か行われていたことはこれまでみたとおりだ。

 

 夫は「女性を地上から「上」へと引きあげねばならない」。だが、母は、それが不義を犯した者の宿命であるかのように「地上」にとどまり続けたのだから、気軽に昇ってくる娼婦たちは、不義を犯した母の「代理」でしかないのだ。したがって、「母」でも「娼婦」でもない「妻」の直子は、いったん「地上」へと突き落とされ、「地上」の「母」を反復した「うえで」、なお「上」へと引きあげられねばならない。母でも娼婦でもない妻は、だが作品の構造的に、母でも娼婦でもあることを求められているかのようだ。

 

 この、ほとんど作品の構造からくるとしか言いようのない不条理な要請に、妻は、何も聞かされないまま応えなければならないのである。「だが、『暗夜行路』の後篇は、まさに、この何もわからない直子が、何かをわかってしまう瞬間に到達するまでの、残酷にして困難な教育的な歩みなのだ」。蓮實は、その直子のふるまいを、「『暗夜行路』を統御する」作品原理へと「忠実さ」と評するだろう。しかし、「俺の考」と「俺の感情」とが「ピッタリ一つになってくれさえすれば」という、「意識と行動」というべきか、「思想と実生活」というべきか、いずれにしても「総ては純粋に俺一人の問題」でしかない「問題」を解決=合一させるために、何とまあ、妻は作品への「忠実さ」を求められることだろうか。

 

(続く)