文学は故郷を失ったことなどない その2

 日本近代文学の「内面」という制度が、実はメランコリックな「欲望」だとして、その欲望が満たされることはあり得ない。なぜなら、その欲望の対象は、はじめから「欠如」しており、本当は「喪失=メランコリー」ではないからだ。メランコリー自体が捏造されたものなのである。

 

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要するに、メランコリーがあいまいにしているのは、次の事実である。〔欲望の〕対象は最初から欠如しているということ、対象の出現はつねに対象の欠如と同時に生じるということ、そして、この対象は空無/欠如の実定化以外の何ものでもないということである。もちろん、ここでのパラドクスは、この欠如を喪失へと翻訳するまやかしによって、われわれが対象の所有を主張できるということである。かつて一度も所有したことのないものは、けっして失われることもない、だから、メランコリーの主体は、失われた対象に無条件に固執することによって、ある意味で、その喪失という状態にある失われた対象を所有するのである。」(ジジェク「メランコリーと行為」『全体主義――観念の(誤)使用について』二〇〇二年)

 

 われわれは、憲法や国会を「所有」したことがない(「制定する権力=法措定的暴力」をもたない)。それは帝国憲法だろうと戦後憲法だろうと同じことだ。それは「改正」是か非か以前に、一度も「所有」されたことがないのだ。「改正」是か非かという議論は、そもそもそれらが一度も「所有」されたことがないことの隠蔽である。日本近代文学は、「所有」したことがないものを、それは「喪失」されたのだとする「まやかし」によって、かつては「所有」していたし、今後も「所有」が可能であるかのように主張してきた。「メランコリー」は「政治」なのである。

 

 「故郷」自体が「喪失」のメランコリーによって捏造され「出現」させられたものでしかないならば、果たして日本近代文学は、本当に「故郷」を「喪失」したことなどあるのだろうか。

 

 この日本近代文学の「メランコリー」の主体は、おそらく小林秀雄「故郷を失った文学」(一九三三年)によって完成された。すがが別稿で言うように、「小林が失ったという「故郷」と呼ぶところの観念に、天皇制が暗に含まれていることは自明」であろう。大衆社会の進展とともに、われわれは「故郷」を失ったとする「故郷を失った文学」は、その意味で「大衆天皇制を予兆させるものとなっている」。「自分たちの世代において、市民社会は爛熟し後進的な封建的遺制は払拭された。それは故郷喪失という代償を払うことでもあったが、そこにおいてこそ、新たに故郷も発見されねばならない」。

 

 これは、「後進的な封建的遺制=天皇制」によって、旧秩序の解体が阻まれているという、講座派理論をふまえたうえで、そののりこえを目論んだ言説である。だが、これこそ典型的なメランコリーの主体の戦略ではないか。ジジェクがいうように、すなわち「われわれがこれまで一度も手にしたことのない、はじめから失われていた対象を所有する唯一の方法は、いまなお完全に所有している対象を、あたかもそれがすでに失われているかのように取り扱うことである」。

 

 われわれは、「故郷」を「喪失」した代償を払って、「今日やっと西洋文学の伝統的性格を歪曲する事なく理解しはじめた」と小林は言う。すなわち、すでに封建的遺制は失われ、われわれは西洋文学的な「主体」となった、と。いわば、小林は、講座派的な第一段階の革命は、西洋市民社会の爛熟によってすでに成就したと言っているのである。

 

 したがって、「こういう時に、いたずらに日本精神だとか東洋精神だとか言ってみても始まりはしない」と。さらに、「どこを眺めてもそんなものは見つかりはしないであろう、また見つかるようなものならばはじめから捜す価値もないものだろう」と駄目を押す。それがすでに完全に「喪失」されており、したがってそれは(探偵として?)捜す価値=欲望もないことを、メランコリーの主体として宣言してみせたのである。「近代の超克」会議をリードした者にふさわしい、小林による「近代の超克」の宣言といってもよい。

 

 注意すべきは、これが、「故郷を失った」と言いながら、実は故郷=天皇制=日本精神(東洋精神)を「所有」するための「戦略」だということだ。すなわち、小林は、講座派が革命によってのりこえようとしていた天皇制を、それはすでに「喪失」されたとすることで、むしろ完全に「所有」してしまったのである。小林のその後の伝統回帰、歴史回帰は、したがって転向というより、その当然の帰結である。まさに、メランコリーの主体は、「対象が失われる前から、対象に対して過剰な、余分な喪の作業をおこなう」が、言い換えれば、「対象が実際に失われる前に、対象を再び殺す(それを失われたものとして扱う)のである」(ジジェク)。

 

 このとき、小林は、天皇制が革命によって廃絶される前に、いや廃絶されないよう、すでにそれは「喪失」されたとして、あらかじめ「殺し」てしまった。「探偵=批評家」は「犯人」でもあるわけだ。さらに、それは「失われた」として、自ら進んで「喪」に服したのである。小林が、明確に「反革命」たるゆえんだ。日本近代文学の起源にあった自由民権運動「という」挫折=メランコリーは、小林の時点で、それをもたらした天皇制そのものに対するメランコリーへと肥大化した。

 

 以降、天皇制は「殺」せなくなった。すでに「死んでいる」とされたからだ。日本近代文学が、小林というその「教祖」(坂口安吾からして、このあらかじめの「殺害」による革命の不可能性に加担してきたことは、文学に関わる者は肝に銘じておくべきである。

 

 すがが言うように、小林は講座派理論を横領し、それは自身の神話化に貢献したが、それにとどまらず講座派理論を無力化してしまったといえる。「故郷喪失」というメランコリーを包摂することで、講座派理論から「故郷=天皇制」を思考する契機を骨抜きにしてしまったからだ。それは、戦後の講座派の市民社会主義への転回=構造改革派から出てきた大衆天皇制(松下圭一)の先駆けだったとさえいえる。柄谷行人が、この市民社会マルクス主義、とりわけ平田清明の「影響」から出発し、「小林秀雄をこえて」(一九七九年、中上健次との対談)いくことを目指しながらも、なかなか小林を切断しきれないのも、このあたりに起因していよう。

 

 可能だろうと不可能だろうと、「故郷喪失」(ハイデガー)というパラダイムからの脱却が必要である。「故郷を失った文学」という問題構成自体を破壊し、その「戦略」を無力化すること。そうでないかぎり、われわれの「鬱」が癒えることはないだろう。

 

中島一夫