戦争をふせぐ歴史観――「党」のクビまで引っこ抜かないこと その3

 いずれにせよ、この共産党と純文学の純粋性(を見る視点)は、プロレタリア文学運動の挫折後に、徐々に変質していくほかはない。平野謙が、純文学変質説や、疎外された「負傷者」たちの「人民戦線」史観を模索していくゆえんである。もはや、このとき平野には、「その2」で見た「共産党プロレタリア文学との関係が純文学と私小説との関係にほぼひとしいというアナロジーは、この時期において、アナロジーというよりむしろ同心円的なものとなってくる」。

 

 だが、この「同心円」は、失調したとはいえ、あくまで共産党の純粋性や崇高性が前提のパースペクティヴである。逆にいえば、そもそも党に純粋性や崇高性を見出さない花田のような目には、人民戦線史観などはなからあり得ないのだ。繰り返せば、花田にとっては、どんなに失調しようとも、党は「クビ」まで引っこ抜かれてはならないのである。それは「ブント」などに対しても同様だった。

 

後に吉本隆明がシンパサイザーとなるブントは、穢れた共産党から無垢な学生共産主義者が分裂して作られた「党」だが、花田は党の分裂にはあくまで否定的であった。〔…〕花田にとっては統一戦線はもちろんのこと、「党」も純粋無垢なものではありえないのである。(すが『吉本隆明の時代』二〇〇八年)

 

 では、なぜ党は、純粋で崇高なものとして捉えられてしまうのか。それが、今回のすが論で論じられる福本(和夫)イズム、レーニン「外部注入論」、すなわち青年インテリゲンツィアの「浪漫的極左主義」(猪俣津南雄)の問題である。平野謙から引いておこう。

 

インテリゲンツィアが目的意識的なプロレタリア文学運動に参加することによって、みずからの小市民性を清算するという、いわゆる「階級移行」の問題が現実化したのも、そのせいである。これは『宣言一つ』の作者有島武郎などよく予想できなかった歴史の展開だった。

 そういうプロレタリア文学の先頭にたったのは、小林多喜二にほかならない。社会変革のイデエにつかれ、革命的なプロレタリアートの陣営に移行することによって、みずからの小市民性を変革したいと希ったインテリゲンツィアの文学的典型が小林多喜二だったのである。しかし、その希いのゆえに、小林多喜二はついに虐殺されねばならなかった。(「正宗白鳥の意味するもの」一九六六年)

 

 このプチブルインテリゲンツィアのプロレタリアートへの階級移行、つまりは自らの小市民性の「清算」。福本イズムの原則「分離=結合」とは、「結合する前に、まず「きれいに」分離しなければならない」ということだ。それはまずもって、自らの情緒的な通俗性=ズルズルベッタリな「小市民性」を「きれいに」「清算」することを要請する。この小市民性の「きれいな」「清算」が純粋性、崇高性を生むのである(逆に、自らの「小市民性」は決して「清算」などできないという地点に頑として踏みとどまったのが、「宣言一つ」の有島武郎だった)。また、その自己の「清算=変革」は、その潔癖さによって、「青年」の過激な「浪漫的極左主義」へと直結しもするだろう。

 

 述べてきたように、その究極形態が小林多喜二であった。小林が階級移行の「希いのゆえに」「虐殺」されたことが、インテリゲンツィアがプロレタリア階級へと移行し、「共産党員と文学者との合一への道」(平野『さまざまな青春』)へとひた走る「目的意識」の理想形になっていく。だから、平野(に限らず)などは、「キリスト教コミュニズムもおんなじ」と捉えた。ともに、「殉教」「殉死」が、純粋性、崇高性の理想形になっていくからだ。すがが言うように、花田の「晩年の思想」=「なぜ一気に物々しく年をとってしまうことができないのか」は、何よりも平野(や中野)のような「青年」インテリゲンツィアの純粋性、崇高性に対する批判だった。花田は、小林多喜二を一顧だにしなかった。

 

 こうしてみてくれば、平野におけるキリスト教コミュニズムの同一性と、花田におけるチェスタトンをふまえたカトリック「教会」と党とのアナロジーとの違いがとりわけ重要となる。それは、また保守主義チェスタトンの「教会」と花田の「党」との、微妙だが決定的な差異でもある。

 

ただ、ここで付言しておくべきなのは、「教会」(チャーチ)=「党」(パーティー)という正統概念におけるチェスタトンと花田の差異だろう。後の花田は、一方では「パーティー族」なるものを批判して、自らを武井昭夫とともに「運動族」と規定しているからである(武井との共著『運動族の意見――映画問答』六七年)。繰り返すまでもなく、花田にとって「党」は否定されるべくもない正統として考えられている。それは「社交的」パーティーとしてさえ否定されるべきではない。後にドゥルーズガタリも言ったように、社交はそれ自体として闘争であり運動であるという側面を残してはいるからである。社交を運動性のほうに開いてやることこそが「党」(パーティー)であり、そのことこそが、その正統性を保証する。カトリック教会が「党」と異なるとすれば、それが、その運動性を弱体化させる社交だからであり、「異端」なるものを生じさせる硬直した「正統」に転化するからである。(『吉本隆明の時代』)

 

 この党を、「「異端」なるものを生じさせる硬直した「正統」に転化」させたのが、党に純粋性、崇高性を求めた「モラリスト」たちであった。「その1」で述べたような、二重苦よりも三重苦といった、自らがより多くの疎外を被った「異端」(マイノリティ)であることを競い合う現代の「モラリスト」たちが、「硬直した「正統」から疎外された「異端」として自己を正当化する」モラリスト論争における「モラリスト」の末裔であることは、もはや見やすいだろう。彼らは、そうと知らずに、高見順や「近代文学」派の転向概念や、吉本隆明の「転向論」の延長線上にある。「七〇年七・七=華青闘告発」以降のマイノリティに対する差別を批評的に論じてきたすがにとって、現代のマイノリティたちがモラリスト=異端になり果てた「六八年」の一帰結は、「党」の「クビ」が引っこ抜かれてしまった光景にしか見えないのではないか。そこには、花田の「党」が決定的に不在なのだ。

 

花田の場合、崇高化と異なることはすでに論じたが、その「正統性」を認めていたとは言いうるであろう。(「花田清輝の「党」」)

 

 「崇高化」ではなく「正統性」。崇高化、純粋性は、一つの中心をもつ「円」を求め(常に平野謙は「同心円」の比喩で「党」を語った)、したがって、不可避的に中心=党/周辺=疎外、正統/異端、故郷/喪失…といった「分離」「分裂」の力学を生んでしまう。それは、「党」が汚れれば(「リンチ共産党事件」(一九三三年)などのいわゆる「ドストエフスキー」的問題系)、たちまち分離していく純粋無垢な「異端」を無限に生み出し、またその果てに「共産党」という「故郷」が「喪失」されれば、必ずやその代わりに「天皇制」という「故郷=中心」を招き寄せてしまうだろう。

 

 一方、「正統性」は、「二つの焦点」が存在するゆえに、疎外された「異端(マイノリティ)」そのものが存在しない「楕円」である。だが、花田の「楕円」は、単に「二つの焦点」があるという性質にとどまらない。その「楕円」の捉え方自体が、あまりに「中心」的に過ぎるからだ。そうではなく、楕円の「無数の性格を探求すべき」なのである。

 

すなわち、我々は、或るときには、楕円を点の軌跡とみ、或るときには、円錐と平面との交線と考え、また或るときには、円の正射影としてとらえ、無数の観点に立つことによって、完膚なきまでに、楕円にみいだされる無数の性格を探求すべきであった。惑星の歩く道は楕円だが、檻のなかの猛獣の歩く道も楕円であり、今日、我々の歩く道もまた、楕円であった。(「楕円幻想——ヴィヨン」、『復興期の精神』一九四六年)

 

 これがどこか「曖昧であり、なにか有り得べからざるもののように思われ、しかも、みにくい印象を君にあたえるとすれば、それは君が、いまもなお、円の亡霊に憑かれているためであろう」と花田は言う。すなわち、君が「モラリスト」だからだ、と。言い換えれば、楕円においてとりわけ重要なのは、焦点が二つあること自体ではなく、むしろ次の点にある。

 

焦点こそ二つあるが、楕円は、円とおなじく、一つの中心と、明確な輪郭をもつ堂々たる図形であり、〔…〕ギリシア人は単純な調和を愛したから、円をうつくしいと感じたでもあろうが、矛盾しているにも拘らず調和している、楕円の複雑な調和のほうが、我々にとっては、いっそう、うつくしい筈ではなかろうか。

 

 楕円が、焦点こそ二つあるものの、「そうでありながら」円と同じく「一つの中心」をもっていること。「二つの焦点」ばかりが注目されるが、花田においては、むしろ「そうでありながら」依然として「一つの中心」を持つことが重要だった。そして、モラリスト全盛の現在においては、楕円が「二つの焦点」をもっているという側面よりも、「そうでありながら」依然として「一つの中心」をもち、したがって「明確な輪郭をもつ堂々たる図形」である楕円像を強調するほうが、はるかに批評的だといえる。言うまでもなく、「党」の「崇高化」でない「正統性」とは、つまり「党」の「クビ」とは、この楕円における「一つの中心」のことにほかならない。

 

中島一夫