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批評としてのアダプテーション――『ドライブ・マイ・カー』の「演技」について

www.youtube.com 濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』について、これは村上春樹の原作とまったく別物だ、アダプテーションとも言いがたいという声が聞かれた。その一方で、それでいて妙に村上(の文体)っぽいとも言われた。作品そのものについては…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その5

井上良雄が、志賀直哉と近代プロレタリアートを結合しようとしたことは、有島武郎『宣言一つ』以来の、インテリゲンツィアのプロレタリアートへの(不可能な)階級移行の問題に関わっていた。だからこそ、あたかも志賀直哉が、共産主義者とリベラルなプティ…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その4

監督協会には、東京側からは、内田吐夢、小津安二郎、清水宏、成瀬巳喜男らが、関西側からは、伊丹万作、伊藤大輔、溝口健二、山中貞雄らが参加。それまで日本の映画監督は、各会社に雇われた社員であり、彼らを横断的につなぐ組織を持たなかった。それぞれ…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その3

いったい、『東京暮色』に何が起こっているのか。このとき頭をよぎるのが、またしても『暗夜行路』である。 小津作品の中でも最も暗く救いのない印象を与える作品。『東京暮色』というよりは、これでは『東京暗夜』と称したいぐらいである。過去の不倫が物語…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀 その2

「二階=上」に昇る「階段」に意味が生じるのは、このように『暗夜行路』において、である。それは、「不義」という性的な問題と明確に結びついている。そして小津は、その「主題」や作品「原理」を含めて、志賀の「二階」や「階段」を「忠実」に反復してい…

「二階」と人民戦線――小津、蓮實、志賀

小津安二郎『風の中の牝鶏』(一九四八年)の戦慄的なシーン―—佐野周二が妻の田中絹代を階段から突き落とす――については、以前戦争と従軍慰安婦との関連で述べた。 knakajii.hatenablog.com 今回は、別の側面から見てみたい。 夫の佐野は、自分の復員前に子…

ミッドナイトスワン(内田英治)

9月25日公開『ミッドナイトスワン』100秒予告 トランスジェンダーに夜の街というあいかわらずの組み合わせ、性別適合手術を受けた主人公の胸がはだけてなぜか露わになるシーン、あたかもタイの医療技術が未熟であるかのような展開…。違和感は多々あった。…

TENET(クリストファー・ノーラン)

映画『TENET テネット』US予告(時間の逆行編) (本稿は、作品の「読解」を精緻に試みるどころか、それに「逆行」しています) 地球に住めなくなった未来人が、いったん現世界を終わらせ、そこから時間を逆行させることを「選択」する。すなわち、今後は未…

はちどり(キム・ボラ)

2度と戻らない10代、私の人生もいつか輝くでしょうか?映画『はちどり』予告編 主人公である中二の少女「ウニ」が、リビングのソファの下をのぞきこみ、ガラスの破片が落ちているのを見つける。いつかの夫婦喧嘩で、たまりかねた母が、父に向って振りかざし…

ペイン・アンド・グローリー(ペドロ・アルモドバル)

脊椎の痛み、何種類もの頭痛、いちいちクッションを差し挟まなければ、床に跪くこともできない。最近は、水を飲んでも喉がつまりせき込んでしまう。喉にしこりがあるのだ。悲鳴をあげ続ける身体は、母から与えられた罰なのか。 主人公サルバドール(アントニ…

恋人たちは濡れた(神代辰巳)

院生の修論を読みながら、ひさびさにこの映画のことを考えていた。 冒頭、主人公の「克」が、何度も何度も後ろを振り返りながら自転車をこいでいる。何かから逃げているようなその姿は、明らかに翌年(1974年)の『青春の蹉跌』と同型である。『青春』のショ…

パラサイト 半地下の家族(ポン・ジュノ)

韓国の半地下住宅は、もともと朴正熙の軍事政権時代、「北」の脅威に備えるための防空壕だった。それがやがて、とりわけIMF危機以降、社会の格差拡大とともに、低所得者層の住宅へとスライドしていったのである。つまり、「半地下」とは、軍事政権から民…

アダムズ・アップル(アナス・トマス・イェンセン)

スキンヘッドの「アダム」は、仮釈放後、更生プログラムでデンマーク田舎の教会にやってくる。部屋にヒトラーのポスターを貼るほどネオナチ思想に染まり切った彼は、牧師の「イヴァン」(マッツ・ミケルセン)の言うことを、はなから受け入れる気がない。あ…

帰れない二人(ジャ・ジャンクー)

ジャ・ジャンクーの中国は、いつも懐かしい。 前作『山河ノスタルジア』の、あるいは代表作『長江哀歌』のタイトル通り、ノスタルジーやエレジーに満ちている。北京五輪あたりから、まるで中国は、かつて日本に起こったことが大規模かつ早回しに映し出される…

よこがお(深田晃司)

深田晃司は、ずっと「間=あわい」に立ち騒ぐ〝何か〟を撮ってきた人だ。 旧作のタイトルでいえば、「ほとり」や「淵」を見つめてきた人。 ある事件が起きる。 でも、この監督が捉えるのは直接の加害者や被害者ではない。 加害と被害に分岐する手前の、両者…

天気の子(新海誠)

主人公の少年は、離島の核家族に「息苦しさ」を感じて上京しネカフェで生活。 一方、もう一人の主人公の少女は、天気を左右する力を持つ「巫女」で、さらに王子のようなオーラを放つ美しい顔の小学生の弟と訳アリのアパート二人暮らし。 この二人がマクドで…

ハウス・ジャック・ビルト(ラース・フォン・トリアー)

2011年カンヌ映画祭の『メランコリア』上映後の記者会見で、トリアーは「ヒトラーにシンパシーを感じる」と発言し、カンヌから永久追放となった。まさに今作のエンディングよろしく、カンヌから「二度とやって来ないで!」と排除された。 もちろんあの発言は…

誰もがそれを知っている(アスガー・ファルハディ)

シェイクスピアのハムレットは「時間の蝶番が外れてしまった」と言った。そして時間は発狂したように、それまで整序されてきた記憶や歴史がほどけ、亡霊が現れ出た。 今回イランからスペインへと舞台を移したファルハディは、スペインの小さな村とそこに住む…

ペパーミント・キャンディー(イ・チャンドン)

今回、4Kレストア・デジタルリマスター版で見直してみて、改めてこれほどまでに「後悔」を映像化した作品もないと感じた。 (ネタバレになるが)主人公キム・ヨンホの人生を一本のレールに見立てて、列車を後へ後へと逆走させていき、彼の死から生を逆回し…

ブラック・クランズマン(スパイク・リー)

スパイク・リーはいつもあまりに直球なので、ある時期からちょっと食傷気味だったが、これは彼の最高傑作ではないか。 まずは、原題「BlacKkKlansman」(黒の一族の人間)が多義的で示唆的。 今作のテーマである白人至上主義団体KKK「クー・クラックス・…

運び屋(クリント・イーストウッド)

「運び屋」はシジフォスの労働だ。 シジフォスは神々の言いつけで何度となく大きな岩を運ぶが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。どんなに運んでも、いや運べば運ぶほど、重荷から解放されるどころかそれは新たに増すばかりだ。 人生は後…

セルジオ&セルゲイ 宇宙からハロー(エルネスト・ダラナス・セラーノ)

キューバのマルクス主義哲学教授の「セルジオ」と、ソ連の宇宙飛行士「セルゲイ」は、冷戦終焉により一夜にしてそれぞれ「エリート」や「英雄」から「過去の遺物」へと転落。ソ連崩壊によって宇宙ステーション「ミール」から帰還できなくなったセルゲイに、…

止められるか、俺たちを(白石和彌)

若松孝二の弟子である本作の監督白石和彌は、本作のラストを「引き」で撮った。それは、若松プロの時代から「遠く離れた」現在を示すとともに、師・若松孝二自体の捉えがたさ、もっと言えば師の映画をこのように描いた白石自身の「自信のなさ」が映し出され…

1987、ある闘いの真実(チャン・ジュナン)

韓国の民主化の映画を見ると、ある種の羨望を覚えずにいられない。冷戦の崩壊は、さまざまな意味でわれわれから「未来」を奪った。だが、まだここでは冷戦が終わっていないのだ。 それが「幻想」であることもよく分かっている。それは、実質的にはとうに「崩…

ドライブイン蒲生(たむらまさき)

人生はドライブインのようだ。 ドライブインのメシは不味い。うまかったら、長居してしまうから。ドライブインは、どこからかやって来た人を、またどこかへと向かわせる、そんな場所でなければならない。それは、来し方と行く末を中継する「橋」だ。 冒頭、…

判決、ふたつの希望(ジアド・ドゥエイリ)

レバノン映画として初めてアカデミー賞にノミネートされた作品。 違法建築の補修作業にやって来た現場監督とその家の住人とのささいな行き違いが、しかし二人がパレスチナ人とレバノン人であり、さらに難民と彼らを差別し排除しようとするキリスト教右派政党…

カメラを止めるな!(上田慎一郎)

(本稿はネタバレを含みます) ゾンビが泥酔してゲロを吐いたり、腹を下して外で下痢便したりする。そのたびに、映画館は大爆笑だ。 この夏の「事件」と言ってもいい大ヒット作『カメラを止めるな!』は、リアリティとは何かを追求した作品だ、とひとまずは…

ファントム・スレッド(ポール・トーマス・アンダーソン)

オートクチュールの仕立て屋で完璧主義の職人「レイノルズ」(ダニエル・デイ=ルイス)が、後半、自らのハウスの従業員が他のハウスに黙って移っていったことを、姉のシリルから聞かされる場面。姉が「今はシックな服を好む人も多いから」と、「シック」と…

生政治とプロレタリア独裁――ウェス・アンダーソン『犬ヶ島』のために

ジジェクが言うように、「生政治は恐懼の政治であり、あり得べき犠牲化や嫌がらせ(ハラスメント)に対する防御として定式化される」(以下、引用は『ロベスピエール/毛沢東』長原豊、松本潤一郎訳より)。移民への懼れ、犯罪への懼れ、生態環境の破局への…

ザ・スクエア 思いやりの聖域(リューベン・オストルンド)

地面に正方形(スクエア)が描かれているだけのアート作品「ザ・スクエア」。 ここでは誰もが平等の権利と義務をもつ。誰かがここで助けを求めたら、周囲の人間は誰もが助ける義務がある。傍観者であることが許されない「思いやりの」領域。映画は、この現代…