ペパーミント・キャンディー(イ・チャンドン)

 今回、4Kレストア・デジタルリマスター版で見直してみて、改めてこれほどまでに「後悔」を映像化した作品もないと感じた。

 

 (ネタバレになるが)主人公キム・ヨンホの人生を一本のレールに見立てて、列車を後へ後へと逆走させていき、彼の死から生を逆回しに遡行して映し出していく。作品全体が、ヨンホが死ぬ直前に見る夢のようだ。「後悔」を体現している構成といえる。

 

 なぜあのとき主人公はそんなことを言い、またあんな行動をとったのか。それらが、何年か前の彼を映す後続のシーンから、すべて浮き彫りになる仕掛けになっている。伏線は完全に回収され、手紙(シニフィアン)は必ず宛先へと届く――。したがって、ラストシーンに至る頃には、観客は主人公の人生に何があったのかを理解し、彼の人生のとりかえしのつかない「後悔」に同情を禁じ得なくなっている。

 

 「いつかカメラで名もない花を撮りたい」。初恋の女性スムニに、親指と人差し指とで作ったファインダーを向けながらそう語った、写真家志望だった純粋なヨンホが、なぜその後刑事として暴力的な尋問を行い、また平気で不倫をした果てに妻と子を捨てるような冷血な男になってしまったのか。もちろん、人間が全く別人になり果てる理由は決して一つではないだろう。ただ彼にとって、1980年の光州事件での出来事が大きな転機となったことは間違いない。

 

 そのとき偶然にも兵役中だったヨンホは、民主化運動を展開する市民との市街戦に、兵士として巻き込まれることになる。そして、流れ弾に足を撃たれ、動けなくなっていた彼の前に突然現れた女子高生を、誤射し死亡させてしまうのだ。

 

 思えば、あわただしく出動命令が下りたとき、まったく心の準備が出来ていなかったヨンホは、スムニから送られたペパーミントキャンディーの箱――その味がスムニとの出会いの記憶を蘇らせる――を床にぶちまけてしまうのだった。上官はそれを見て激しく怒鳴り散らす。ヨンホは急き立てられるように、足許に散らばったペパーミントキャンディを、軍靴の底で踏みつぶしながらふらふらと飛び出していくほかない。そのとき以来、決定的にヨンホは、ペパーミントキャンディ=スムニから引き離された「世界」――それはスムニと出会ったあのピクニックで、フォークソングを歌う若者たち(やがて民主化運動に加わっていったであろう人々)の輪から一人外れた「場所」でもあろう――で生きていくことになる。

 

 その後のヨンホは、あらゆる場所で疎外される日陰者であり、付き合いにくい厄介者となっていく。この作品が、韓国で評判になったのは、キム・ヨンホという一個の精神が、1980年の光州事件から97年のIMF改革=新自由主義の危機にかけて、時代の荒波に飲まれていくその姿が共感を呼んだからだろう。この時代を駆け抜けた韓国の若者に、いったい「後悔」以外の人生があっただろうか。彼らは皆、時代に翻弄され、大なり小なりペパーミントキャンディという夢や希望を、自ら踏みつぶしては前に進んでいくような生き方しか許されなかったのではないだろうか。

 

 ラストのキム・ヨンホは、二十年後のヨンホとして二十年分の涙を流す。本当に救いがないフィルムだ。だが、二十年後のヨンホが、一人輪を離れて迫りくる列車に立ちはだかる姿を見て、涙を流す旧友がたった一人だけ見える。そして、その一人こそ、韓国の観客たちの姿でもあったのである。

 

中島一夫