義兄弟(チャン・フン)

 ソン・ガンホの存在感が見たくて見に行った。

 シナリオ上の細かい部分でいろいろと疑問は湧いたものの、銃撃戦あり、カーチェイスあり、アクションあり、笑いありとラストまで飽きさせずに一気に見せる。完全にエンタメなのだが、やはり南北問題、ベトナム問題など「大きな物語」があるのでペラくなり過ぎない。『映画は映画だ』に続いて、これでまだ二作目だというのだから、韓国映画の層の厚さを感じさせる。ラストは、さすがに「やり過ぎだろ」と思ったが、おそらくこの監督は、それすら「映画は映画だ!」と笑い飛ばすだろう。

 目の色を変えて「アカ」を取り締まろうとする、韓国・国家情報員の「イ・ハンギュ」(ソン・ガンホ)は、北朝鮮工作員を取り仕切る「影」なる人物を追っている。そして、どうやら彼がソウル市内の団地に現れるという情報をキャッチ、独断で数人の部下を率いて現場へと向かう。金正日の「はとこ」だという人物が、祖国を裏切って脱北し、韓国人と結婚した挙句、体制の暴露本まで出版したという。「影」と若い工作員は、その彼と家族を「粛清」にやって来るのだ。

 激しい銃撃戦の末、ハンギュは「影」一味をとり逃がしてしまう。その結果、仕事をクビになり、その後人探しをする怪しい興信所を始めるが、ひょんなことから、あのときとり逃がした、「影」の片腕の北朝鮮工作員「ソン・ジウォン」(カン・ドンウォン)が、偽名を使って潜伏生活を送っていたところに出くわす。ハンギュに汚名返上の千載一遇のチャンスが訪れる。

 「金正日のはとこ」という設定は、おそらく、1997年2月、金正日の前妻の甥である李韓永が、やはり工作員二人に殺されたという事件がモデルだろう。

 1960年平壌生まれの李韓永は、モスクワ外語大出身で、82年に西側へ脱出、スイスから韓国へ亡命した。その後、『金正日・ロイヤルファミリー』を出版し、金正日の私生活や北朝鮮独裁政権の実情を告発・暴露、その後殺害された。遺族は、膨大な情報提供と引き換えの、安全保護の義務を韓国側が怠ったとして国家の賠償責任を追求し、その後この事件は裁判闘争へと発展していくことになる。

 そもそも、李韓永が殺されたのは、警察官が興信所に、国家機密であるはずの李の住所を漏らしたことによると言われている。そして、事件は、この興信所が、北朝鮮工作員グループとつながっていたために起こったのだと。

 だとすれば、映画において、ハンギュが、ジウォンとともに活動していた北朝鮮工作員から情報を得て、銃撃戦の舞台となる団地をつきとめたり、その後国家情報員をクビになったハンギュがほかならぬ興信所を始めたりというストーリーは、多くの部分でこの李韓永事件を想起させる(少なくとも韓国国内では)ものだろう。この作品が、単なるエンタメ以上の妙な生々しさを感じさせるゆえんだ。

 すなわち『義兄弟』とは、冷戦崩壊以降、南北朝鮮が接近し、やがて2000年に金大中金正日が歴史的な「和解」を果たしていく(実際、そのシーンも挿入される)なかで、韓国の公安と北朝鮮のスパイが、ともに存在意義を失っていき、したがって互いに「敵(意)」を喪失、ついには「義兄弟」の間柄へと行きついていく物語にほかならない。その「人情もの」的なタイトルとは別に、『義兄弟』は、世界構造の政治的・歴史的変化が、両陣営の最先端にいた二人をいやおうなく近づけていくという作品なのだ。

 もちろん、両者の間柄がそうなっていくためには、ハンギュが立ち上げ、やがてジウォンも誘われ関わっていくことになる「民間」の興信所が必要だった。そこにおいては公安もスパイもその政治性を脱色され、「探偵」というフィクショナルでヴァーチャルな存在へと変容を余儀なくされる。やがてこの興信所は、ベトナム戦以来敵対してきたベトナム人(あのコメディ的なキャラ!)とすら「和解」を果たし包摂していく、グローバルな組織へと成長していくだろう。

 ラスト近く、ジウォンが「影」の目の前でハンギュを刺す。このとき観客は、所詮「義兄弟」の間柄など、やはり表面的なものでしかなかったかと一瞬思う。だが、ジウォンはこのとき、実はナイフを逆手に握って自らを刺していたことが判明するのだ。

 すでに「影」が、「党」の命令によって動いているのかどうかも疑わしい。そうなってしまった今、いったいジウォンは何を「正義」として生きればよいのか。ハンギュとジウォンと「影」が、三角形になって銃を突き付け合うシーンは、そうしたジウォンの迷い=変節によって、三者の力学が崩れたことを物語っている。

 繰り返すが、ジウォンの「変節」は、情によるものではあり得ない。それは、重態のジウォンが、涙ながらに「僕は、誰も裏切らなかった!」とハンギュに訴えるシーンからむしろ明らかだろう。実際、ジウォンは誰も裏切ってはいない。彼は、最後まで党に忠実たろうとした。だが、いわば世界構造自体が、彼を裏切ってしまったのだ。

 したがって、それは「分かってるよ」と応えるハンギュも同様である。ハンギュが国家情報員をクビになったのは、ある意味で南北接近にともなうリストラともとれるからだ。ハンギュもまた、国家に裏切られた男なのである。そうしたさまざまなことを考え合わせると、極めてご都合主義的に見えるラストは、「続編」があり得る可能性を示唆しているようにも思えた。

中島一夫