下女(キム・ギヨン)

 「大阪アジアン映画祭2010」のプレ企画で上映された、1960年の作品。
 キム・ギヨン(金綺泳)作品ははじめて見たが、なるほど韓国映画界の「怪物」という異名をもつだけあって、確かに興味深い「怪作」であった。

 四人家族の幸福な家庭。夫は、紡績工場の「合唱部」で、女工相手にピアノや合唱の講師をしている。新しく家を建てたい妻は、夜な夜なミシンを踏み内職に勤しんでいる。その甲斐あって、一家は、ついに待望の新居を構えることになるが、家が広すぎて妻一人では家事が立ち行かない。そこで一家は、下女(メイド)を招くことになるのだが……。
 儒教的で潔癖な一家の大黒柱たる夫が、次々と女達に翻弄され、徐々にその牙城を崩されていくさまが、段階を追って描かれていく。

 第一段階。夫は、ある女工に「付け文」をされるが、彼はすぐさま「風紀の乱れ」とばかりに彼女を工場側に突き出してしまう。彼女は、停職処分の果てに自殺へと追い込まれていく。

 第二段階。自殺した女工の親友が、弔い合戦とばかりに彼にピアノの個人レッスンを申し込み、まんまと新居に上がり込むことに成功する。レッスンのたび頻繁に彼の家に通うようになるが、指をからませながらの指導を受けるうちその気になってしまう。居ても立ってもいられなくなった女は、禁断の恋を告白するものの、彼はまたしても厳しく突っぱねる。自暴自棄になった女は、自らシャツをひきちぎり、胸元をはだけさせては「あなたに強姦されたと訴えるわよ!」と嵐の中を半狂乱に走り去ってゆく。

 第三段階。一部始終を窓にへばり付きガラス越しに眺めていた下女は(このあたりから、にわかにサスペンス調になってくる)、「今、見たことを奥さんに告げ口する」と彼を脅し、「私にもピアノを教えて」とせがむようになる。この下女もまた元女工であり、個人レッスンの彼女の紹介によって、この家にやって来たのだった。
 おそらく、ピアノや合唱を教わるだけの経済的余裕もなかったこの下女は、指ならぬタバコをくわえながら、ずっとその光景を見ていたのだ。したがって、「私にもピアノを教えて」という下女の要求は、単に文字通りのものではない。それは、「私にもそのような地位や階級を与えて」という上昇願望なのである。

 第四段階。やがて、下女は、妻から夫を奪い取り二階を占拠、今度は妻を「下女」として扱い、階下に追いやっていく。そして、夫に向かって「あなたは私と上で寝てちょうだい。もう下に用はないでしょ」と言い放つのだ。以降、この家では、二階と一階をめぐる凄惨な階級闘争が繰り広げられることになる。
 台所に出るねずみを殺す毒をめぐる激しい争奪戦。自然死を装うためには、食事や水にその毒を混入するのが、最も手っ取り早い(実際、堕胎させられた下女は、仕返しとばかりにこの家の下の子供を毒殺する)。だが、台所を知りつくした下女は、ここでも妻より一枚上手である。先回りして毒の箱に砂糖をつめかえてしまい、自らを殺害しようとする妻の計略をくじいてしまうのだ。

 そう、毒は砂糖になり、砂糖は毒にもなる。この作品が撮られた1960年以降の韓国においては、李承晩から張勉、朴正煕へと政権が移行していくなかで、保護主義の行き詰まりから外資導入(のための日米への接近)、輸出志向型経済開発へ向けて大きく舵を切っていく、そのさなかにあった。

 すなわち、自閉的な保護主義は、かえって国内の腐敗や癒着を「ねずみ」のごとくはびこらせ、それを駆逐するために外資を導入せざるを得なくなっていったのが、60年代以降の韓国だった。外資導入は、旧体制を崩壊させる「毒」であり、かつ高度経済成長を準備する「砂糖」でもあった。だが、同時に、その後の日韓基本条約ベトナム派兵を通じてもたらされる日米からの援助と、その利権と結びつく新たな財閥支配体制を呼び込んでしまったという意味で、新しい「毒」へと転じるものでもあった。

 クライマックスは、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。服毒心中をはかる夫と下女だったが、夫は「命はお前にくれたが、魂まではやらない。最後は妻の傍で死にたい」と息も絶え絶えに這いつくばりながら階下の妻を目指し、下女は、それを追って階段で逆さになって死に絶える。

 儒教を大黒柱としてきた韓国が、「下女」をもつほど成長し裕福になっていく過程で、不可避的に抱え込むだろう矛盾を、この作品は、無気味に、かつ予言的に映し出していたのだろうか。

中島一夫