妻への家路(チャン・イーモウ)

 ついに中国映画にもテーマとして認知症が入ってきたようだ。中国では、認知症すら政治的となる。

 男がトンネルの側溝に身を隠し、轟音をたてて走り去る列車をやり過ごすシーンから始まる。

 1976年、「陸焉識」は、二十年間囚われていた収容所から脱走、当局は、妻と娘の住む家周辺を中心に監視網を張り巡らせている。当局の尋問を受ける妻の婉玉(コン・リー)と娘の丹丹。何かわかればすぐに党に知らせるよう釘を刺され、党に忠実な娘はすぐに頷くが、妻は返事を渋り何とも煮え切らない。

 そのとき娘は、革命を称えるバレエの主演がかかっており、今が一番大事な時期なのだ。一方、もともと娘のバレエに反対だった婉玉は、娘の名誉よりも、名誉をはく奪された夫の安否が気にかかる。こうして一家は、党=政治に翻弄され、ばらばらに引き裂かれてきた。

 1979年に文革が終わり、夫も「右派分子」から名誉回復、晴れて帰宅の途につくが、すでに妻は認知症を患い、夫の顔を忘れていた。かつて両親を党に密告した娘を、婉玉は許さない。娘を家から追いだし、今は一人暮らしだ。「何で私のしたことだけは忘れないのよ!」と娘。

 いったい、婉玉の認知症はどのようなものだろうか。「心因性」と診断されるが、むしろそれよりも、娘がことごとく父の写真を切り取っていたことが重要だ。むろん、それも党の指示、特に「愛人」として家に潜入していた党幹部の「方」の差し金だろう。

 すなわち、彼女の認知症は、党によって夫の写真=記憶を抹消された事態そのものであり、政治的な認知症ともいうべきものだ。何度も「方」に行為を強要されたのだろう、彼女は「方」にトラウマを抱えている様子だ。枕元に現れる夫を「方」と思い込み、激しく拒絶するのである。まさに夫は「方=党」に存在そのものを奪われているのだ。夫の名前を書いたボードを掲げては、駅で夫の帰りを待ち続ける婉玉は、その夫が目の前を通っても認知できず、夫は茫然自失するほかはない。

 このように、この作品は一見、党の政治によって存在を消去された者と、その家族の悲劇を描いた、きわめて反革命的な作品に見える。北京オリンピックの開会式と閉会式のチーフプロデューサーだった、この監督ならではといえばそれまでだろう。だが、見方を変えるとどうか。

 夫は、収容所から出せずじまいだった手紙を、妻に読み聞かせる。婉玉は、手紙の書き手が夫だということは認識できるものの、目の前でそれを読んでいる男が夫の陸焉識とは認識できない(そもそも「焉識」とは、「どのように認識するか」の意だろう)。夫は、過去の手紙に現在の手紙を忍ばせて、いまだに妻が許そうとしない娘の名誉回復をはかってやるが、肝心な自身の名誉回復は果たせない。

 婉玉の記憶が回復しないことで、ついにその名誉が回復しないこと。この作品は、文革が終わっても、ついに名誉が回復されることのなかった陸焉識という男の物語と見ることもできよう。ラスト、自ら書いた「陸焉識」のボードを、駅で婉玉と二人、自ら掲げて自らの帰りを待つ彼の姿は、いわば彼自身の名誉(名の)回復を、ずっと待ち続けた走資派=右派分子の末路である。

 すなわち、今作は、忘れられてしまったことによって、かえって忘れ去られることのない革命を、いまだ終わらない革命を描いているともいえよう。終わりなき妻への家路は、終わりなき革命の道行きなのだ。

中島一夫