鈴木貞美に反論する(その1)

 今月号の『新潮』に、一月号に掲載された私の書評に対する鈴木貞美の反論が出た。案の定、完全に議論はすれ違っている。

 はじめに断わっておくが、私は書評とは解説や概説ではないと考えている。そもそも、紙幅は限られているので、切り口は限定的とならざるを得ない。鈴木は、反論のはじめに自著(『「日本文学」の成立』)のポイントを解説しつつ、「中島は、この骨格がまるで把握できないまま、「批判」を試みている」と述べるが、鈴木のいう「骨格」は、ほぼ本書の「はしがき」が引用された「帯」の文句そのままだ。

 さすがに、「帯」をなぞる程度の解説で貴重な紙幅を費すのは失礼だと考えただけで、その代わり、「近代を支えてきた概念総体を批判的に検討しなければならない」という鈴木のモチーフについては冒頭でそれなりに触れ、それに関わる問題点に絞って論じたのが、私の書評だったはずである。
 以下、本をまとめた著者としては不満もあろうが(その苦労ぐらいはわかるつもりだ)、やはりポイントを絞って応えておく。

 まずは、議論を少しでも生産的にするために、鈴木が「内容のある意見らしきものは、前田愛の「音読から黙読へ」説に対する私の批判にふれたところだけだ」と認めてもいる論点に触れておこう。私はこう書いた。

 《 例えば、著者は、前田愛の「音読から黙読へ」という図式を、リースマンに依拠し過ぎたものとして退け、こう主張する。
 「一般庶民の若年層に読み書き能力を養うことがさかんになることを近代化というなら、近代化が進めば進むほど音読はさかんになるのである。しかし、そのため以外の場所、図書館や読書室などでは音読や暗唱練習は、はた迷惑だから禁止される」。したがって、近代に黙読率があがった「その理由は、ただひとつ、読書についてのマナーの教育が行きとどいた結果にすぎない」。
 だがしかし、このような議論にはどう対処したらいいのか。ここで、前田は文字通り「声帯を震わせ」るか否かを問題にしていたわけではない、などとわざわざ言わねばならないだろうか? 前田は、活版印刷術の導入や出版資本主義の発展によって、(本であれ新聞であれ)文字媒体が希少であるために読みきかせなければならなかった享受形態から、コミュニケーション様式が劇的に転換した事態を「音読から黙読へ」と言ったのであって、本が多数あり各々同時に読める環境にあるならば、実際に各自が音読していようが、あるいは立って読もうが座って読もうが、そんなことは二義的でしかあるまい。》

 私は上のように書きながら、著者には通じないかもしれないと思ってはいた(理由は後に記す)。果たして鈴木の反論は予想通りのものだった。

 《中島は、自分が『近代読者の成立』からはじめて知ったことを、前田愛の主要な論点と勘ちがいしている。
 そもそも江戸時代に「文字媒体が希少」だったわけではない。が、それはここで問題にしなくてもよい。明治中後期がメディアなどの文化事象の大きな変革期であったことは以前から知られており、前田がそれに何か新しい事象を付け加えたわけではない。これについては筑摩書房版「前田愛著作集」の当該巻の解説(第二巻山本武利)が丁寧に述べている。前田がしたことは、民衆のリテラシーの向上やメディアの発達と「音読」が減少した現象を短絡させ、「音読から黙読へ」と定式化し、それを個室の増加や文体の変化などと結びつけて論じたことなのである。だが、初期教育の発達は「音読」の、メディアの発達は読み聞かせの機会の絶対数を逆に増やすので、音読の相対的な減少は別の理由による。その理由を明らかにするために、そもそも音読と黙読とは区切りがつけられないということから説いたのだ。オルタナティヴとして、中島があげている理由のほかに速読者の増加をあげてある。》

 近代に「黙読率」が増加したのは、ただ「マナー教育」と「速読者の増加」によるものだ――別に私が前田の肩を持つ必要もないが、これではあまりに前田がかわいそうだ。そもそも前田は、「現象」としての「音読」や「黙読」を問題にしていたのではない。くどいようだが、前田が問題にしたのは、あくまで資本主義の力学によって変容する「コミュニケーション様式」だ。

 《日本のばあい、活版印刷術の移入に先立つ木版整版印刷の期間が、ほぼこの音読の時代に対比しうると考える。そして活版印刷木版印刷との交替期にあたる明治初年は、リースマンのいう口話コミュニケイションの段階から活字コミュニケイションの段階への過渡期、それもその最終期であったと規定されよう。》(前田愛「音読から黙読へ」)

 ここで前田は、「音読」を「口話コミュニケイション」、「黙読」を「活字コミュニケイション」と言い換えている。このことからも分かるように、極端にいえば、ここでは、本を読んでいるか否かすらも問われない。出版資本主義の発展によって(そして後で述べるように国民国家の形成によって)、本を読まない人間ですら、いやおうなく「黙読=活字コミュニケイション」の土俵の上に居合わせることとなった。「音読から黙読へ」とはそういう意味であり、「絶対数」であれ、相対的にであれ、文字通りの「音読」「黙読」数(率)の増減が問題ではないのだ。

 どうしても数を問題にしたいのなら、ドゥルーズもいうように、ここではもはや、「マイノリティとマジョリティは数の大小で区別されるもので」はなく、「マイノリティのほうがマジョリティより数が多いこともある」(『記号と事件』)と考えるべきである。鈴木がいうように、「近代化が進めば進むほど音読はさかんにな」ったとして、だが、そのときすでに「音読」は、たとえ数が多くても「マイノリティ」になっているのだ。

 私が、自分の書評が鈴木には通じないかもしれない、と考えていたのは、結局この手の抽象力が本書には決定的に欠落していたからだ。おそらく、この点についての議論は平行線をたどるだろう。したがって、見やすいところで、鈴木が前田を批判して言っている「そもそも音読と黙読とは区切りがつけられない」ことなど、すでに前田が論じていることを、最後に一応念のため指摘しておこう。

 《ところで活版印刷術の導入により、廉価な出版物が木版印刷の時代とは比較にならない規模で供給され始めた明治初年は、識字者とそれを上廻る潜在的読者層というアンバランスが拡大再生産された時期にあたる。また、めまぐるしい文明開化の世情は、おびただしい量の情報の消化を民衆に要求する。村の有志が村人を集めて新聞記事を読んで聞かせる「新聞解話会」や、僧侶・神官が新聞や三条の教憲にもとづいて民衆に文明開化の情報と、王政復古のイデオロギーを説いて聞かせた「説教」は活字コミュニケイションに口話コミュニケイションが継ぎ足されたものであって、この過渡期におけるコミュニケイション市場の不均衡が産出した畸型的な機関に外ならない。》(前田、前掲論)

 これまた、誤解がないように急いで付け加えておくが、私は前田が全面的に正しいなどと言っているのではない。前田の論については、別に批判も修正もあり得るだろうし、実際されてもいる。だが、鈴木の場合は、そもそも読み違えているのであり、低いレベルで前田を乗り越えたつもりになっているだけなのだ。私の書評は、それを指摘したものである。

 さらなる論点については、次回。

(続く)

中島一夫