失われたラザロについて――中村光夫、三島由紀夫、転向 その4

 ブランショに、革命=恐怖政治を文学と直結させていくのは、むろんサドの存在である。

 

一七九三年に、革命と《恐怖政治》とに完全に一致していた一人の人物がいた。〔…〕サドは優れた作家である。作家のすべての人間の中で最も孤独であり、それなのに公共的人物であり重要な政治家である。終生閉じ込めながら絶対的に自由であり、絶対的な自由の理論であり象徴なのだ。〔…〕彼の作品は否定のための働きでしかなく、彼の経験は、熱狂した否定の動きである。その否定は血を見るまで押し進められ、他者を否定し神を否定し自然を否定しそして、この絶えまない循環する輪の中で至上の絶対としてみずからを楽しむのである。(「文学と死への権利」)

 

 三島もまた、フランス革命はサドの思想に補填されなければ何でもなかったと考えていた。だからこそ、六八年革命前夜に、革命によって釈放される直前のサドを『サド侯爵夫人』(一九六五年)として書くのである。三島は、サド本人を一切登場させずに「夫人」の視点からサドを描いた。そうすることで、サドの思想の何たるかが、かえってクリアになるからである。ブランショが言うように、サドが「否定そのものだ」としたら、そのサドの「否定」を描くには「否定」される「夫人」の側から書かねばならない。三島はサドの全的な「否定」、絶対的な「自由」、あくなき「享楽」を介して、フランス革命=恐怖政治とそこに文学の真実を見たブランショと踵を接していた。

 

 さらにブランショは、サドの「否定」を、ヘルダーリンマラルメヘーゲルらにつなげ、言葉の問題として展開していく。

 

わたしが〝この女〟という。ヘルダーリンマラルメ、そして一般に、その詩が詩の本質を主題としている人たちは、名指すという行為において不安にさせるふしぎを見たのである。ことばはそれが意味するものをわたしに与える。だがまず意味するものを抹殺するのだ。わたしが〝この女〟といえるためには、どのような方法であれ、わたしはその女からその血肉の現実を抜き去り、不在にし、無に帰させねばならない。ことばはわたしに存在物を与える。だが存在を奪われた存在物として与えるのだ。〔…〕ヘーゲルがいおうとしているのは、この瞬間から、ねこは単に現実の一匹のねこであることをやめ、一つの観念ともなるということだ。ことばの意味は従って、すべてのことばへの序文として、一種の莫大な虐殺、すべての被造物を全くの海に沈める予備的な大洪水を要求する。

 

 「わたし」が「この女」といい、「ねこ」を名指すとき、女とねこを「虐殺」するという「恐怖政治」を敢行する。もちろん、そのことで「わたし」は「わたし」にも死を与えることになるのだ。

 

たしかに、ことばを使うことは誰をも殺しはしない。しかしわたしが〝この女〟という時、実際の死が予告され、わたしのことばの中にすでに現れているのである。わたしのことばは、今そこにいるこの人物がそれ自体から引き離され、その実存とその現われから抽き出され、実存と現われの虚無の中に突然投げ込まれうるということをいおうとするのだ。わたしのことばは本質的にこの破壊の可能性を意味しているのだ〔…〕わたしのことばは、その瞬間自体において死が世界の中に放たれ、話しているわたしとわたしが呼びかける存在とのあいだに出現したことの警告である。ことばはわれわれのあいだに、われわれを引き離す距離のように、ある。だがこの距離はまたわれわれが引き離されていることをさまたげるのだ。〔…〕死はことばの中においてことばの意味の唯一の可能性である。死なしでは、すべてが不条理と虚無の中へ埋没してしまうであろう。

 

 「わたし」と「この女」や「ねこ」は、言葉による「恐怖政治」が与える平等の「死」を共有(分有)することでしか「わかり合」えない(まさに『明かしえぬ共同体』のテーマだ)。言葉が与える「死」こそ、「ことばの意味の唯一の可能性である」。だからそこでは、「死」は「懼れ」ではなく、むしろ「自由」であり「権利」なのだ。そのとき、「わたし」は「わたし」を表象=代行するどころか、「わたし」の実存を「否定」する。そもそも、言葉の表象=代行作用とは、死を生(再現)と錯覚させるイデオロギーなのだ。それは機能失調、いや機能不全の状態こそが「本質」なのである。

 

わたしが話す時、わたしは自分がいっていることの実存を否定する。しかしわたしはまたそれをいっている者の実存をも否定するのだ。わたしのことばは、存在をその非実存においてあらわにするとしても、このあらわにすることによって、ことばが作られるのは、ことばを作る者の非実存からであり、自己を自己から遠ざけてみずからの存在とは他者になるその能力からであることを主張するのだ。

 

 言葉は、その唯一の可能性において、「わたし」の「実存」を、ひいては「私」小説を「否定」しているのである。

 

 そして、この点でブランショは、中村光夫とも交錯することになる。中村のテーマである言文一致―私小説―言葉と物の相互的な関係が総論的に述べられている重要な一節なので、長くなるが引用しよう。

 

ところがわが国では「言文一致」というあいまいな用語が象徴するように、文章を口語に隷属させることが文学の近代化の要諦というような錯覚が、一般に支配的であったため、伝統的文体の破壊が、そのまま文章そのものの機能の自覚を消滅させる結果をもたらしています。

 これが小説をたんに事実の再現に限定することを、それを近代意識に適合させる方法と信じた私小説の思想と切り離せない関係にあることは前述した通りですが、別の面からいうと、わが国の近代を代表する詩人や作家が、ある感覚、あるいは人生の一場面を、具体的に写す機能を言葉は自然に与えられていると信じて、言葉の持つ抽象性と闘うのを文学者の務めとしてはっきり自覚しなかったことにもなります。

 僕らがある犬を指して「犬」と呼ぶとき、この言葉は、眼前の一匹の動物を、世界中にいる無数の同類につなげます。言葉による表現は――たとえ芸術的表現であっても――この抽象性によって初めて可能にされるので、文学的描写の具体性とは、このような言葉の自然性に加えられた「人工」であるゆえに、作家の努力の対象になるのです。

 「世の中に二つとして同じ石はない」とフロオベエルがいったのは世の中のすべての石はひとつの単語で表わせるという事実と表裏して、初めて意味を持つのです。〔…〕

 現実の再現が不可能であるという事実を逆用して、現実の本質を表現するのが作家の才能であり、すぐれた小説を読むとき、僕らは活字の背後に人生を感じ、そこに想像する人間達に、自己の生活の真実を見るのです。(「言葉と文章」一九五七年)

  

 犬を「犬」、石を「石」と名指すことで、言葉は物を、次々と生(自然、具体)から死(人工、抽象)へと「虐殺」する。繰り返してきたように、このとき私も「私」として死を与えられている。中村にとって、言文一致のもとでの「私小説」や、プロレタリア作家が転向して書く「私小説」など、マルクス主義思想が現実をつかめなくとも、言葉は現実や「私」をつかめるはずだという、リアリズムに対するおめでたき「錯覚」でしかなかった。同時に、だが現に言文一致による言葉の表象=代行というイデオロギーが機能している圏域においては、師の小林のように「私小説は亡びた」と言うのも安易でしかなかったのである。

 言葉による「現実の再現=リアリズム」は「不可能である」とリアリズムを「否定」することを、いかに言葉を「逆用」し、言葉でもって行うか。

 

探求としての文学の言語は、実在するままのねこを欲し、小石をその物であることにおいて欲し、人間ではなくその男を欲し、その男において、それをいうために人間が排除するもの、ことばの基礎でありことばが話すために排除するもの、深淵、昼に返されたラザロでなく墓のラザロ、すでに臭ってい、悪であるもの、救われ復活したラザロでなく失われたラザロを欲するのである。(ブランショ「文学と死への権利」)

 

 「その2」でも触れたが、三島が「太陽と鉄」で言ったように、私は「私」という言葉が「排除」した「残滓」にしかいない。それは「失われた=残滓」としての「ラザロ」だ。「探求としての文学の言語」は、言葉によって死んだ「ラザロ」を蘇らせるのではなく、いかに墓の「ラザロ」、失われた「ラザロ」を求めるか、なのだ。いくら転倒して見えようとも、この逆説にしか文学の真実はない。それは、全員が平等に死を与えられている恐怖政治の中で、さらに死を権利として追い求めることにほかならない。

 

 重要なのは、中村光夫三島由紀夫ブランショといった「転向者」こそが、この「探求としての文学の言語」の問題に直面したということだ(むろん三島は、橋川文三も言うように、「「転向」を媒介としない実存的ロマンティシズム」と言うべきだろうが)。文学とは、つねに「転向者」のものである。だが、そのことは、文学に「転向」を主題として導入して、はじめて見えてくるのだ。

 

中島一夫