恐怖政治と文学――中村光夫、三島由紀夫、転向 その3

革命は作家の真実である。書くという事実そのものによって、自分は革命であり自由だけが自分をして書かせているのだと考えるに至らない作家はすべて、実際には何も書いていないのだ。(ブランショ「文学と死への権利」一九四九年、篠沢秀夫訳)

 

 ブランショは、フランス大革命の「恐怖政治」に文学の真実を見た。だが、なぜ「恐怖政治」なのか。そこでのみ、自らの生と死を「自由」や「権利」として手にすることができるからだ。そこには、もはや「私」がいない。「内面」もなく、すべては「共有」だ。

 

もう誰も私生活への権利がなく、すべてが共有である。そして最も罪深い人間は疑わしい人物、秘密を持ち、自分だけのために一つの考え、一つの内面性を持っている人物である。そして結局、もう誰も自分の生活、実際に分離され物理的に区別のついた存在への権利がないのだ。これが《恐怖政治》の意味である。一人ひとりの市民がいわば死への権利を持っているのだ。〔…〕この点で、フランス大革命は他のすべての革命よりも明白な意味を持っている。

 

 ブランショは、ロベスピエールサン=ジュストの「恐怖政治」を、人々に死を与えるのではなく、彼ら自身が自らに死を与えるものとして見ている。「恐怖政治家は、絶対的自由を欲しながら、そのことにおいてみずからの死を欲しているのだということを知っている人間であり、彼が実現するみずからの死として確認するこの自由を意識する人間であり、それゆえに生きている時から生きている人間たちのあいだで生きている人間のようにではなく、存在を奪われた存在、普遍的な思考、歴史を越えて歴史全体の名において判断し決意する純粋抽象として行動する人間なのである。」

 

 同じく、ロベスピエールの「恐怖政治」を、ベンヤミンの「神的暴力」の表れとして論じたジジェク(『ロベスピエール毛沢東 革命とテロル』)は、やはりロベスピエールが「死を懼れない」ことに触れながら、突然山本常朝に言及する。

 

であればこそ、禅僧山本常朝は武士(ウオリア)本来の態度を次のように描くのである。「必死の観念、一日仕切りなるべし。……古老曰く、「軒を出づれば死人の中、門を出づれば敵を見る」となり。用心のことにあらず、前方死して置く事なりと。

 

 この箇所に、訳者の長原豊松本潤一郎が的確に「註」を入れているように、晩年の三島もまた『葉隠入門』でこの一節に触れ、「これは用心のことばではなく、まえもって死んでおく心構えのことなのである」と述べた。「まえもって死んでおく」ことで、死を「懼れ」ることもない。前回のエントリーで見た、三島の「私」小説批判、「文学」否定は、この点において晩年の『葉隠』への傾倒とつながっている。それは、フランス革命=恐怖政治における「死」の問題であり、そこには「私」が不在である(したがって「懼れ」もない)という問題だ。「死への懼れ」は、自らが革命の外野にいる「無辜の傍観者」であることから忍び寄るものだからである。

 

革命的決断が下される決定的瞬間には、無辜の傍観者など存在しない。なぜなら、そのような瞬間には、無辜そのもの――自分を決断から除外し、自分が立ち会っている抗争があたかも自分にはまったく無縁であるかのように振る舞うこと――が、まさに大逆無道に他ならないからである。言い換えれば、国家反逆罪の廉で告発されることへの懼れが私の大逆無道に他ならないからである。なぜなら、たとえ私が「革命に反対するようなことは何もしていなかった」としても、この懼れそのものが、懼れが私の胸の裡に湧き上がったという事実が、私の主体的立場は革命に対して外在的であるということ、私が「革命」を私を脅かす一つの外的力として経験しているということを、曝露しているからである。(『ロベスピエール毛沢東』)

 

 死を懼れる、懼れないということを、決してロマン的に受け取らないでほしい。三島もブランショも、革命=恐怖政治を、そして文学の真実を、あくまでロジカルに捉えていた。

 

(続く)