三島由紀夫の「政治と文学」

 

 三島由紀夫は、共産主義の「粛清」を、カトリックのエロティシズムとパラレルに捉えた。

 

仮に、言論の自由表現の自由をエロティシズムの領域に限ってみても、私はかねがねエロティシズムの問題と宗教の問題を最も賢明に解決したのは、カトリックであると思っている。カトリックの考える人間の性の観念は、あたかも薄い盆の上に水を湛えて人に持って歩かせるようなものである。ちょっと手が揺れれば、水は盆から零れてしまう。そして、そのごく薄い盆の上に湛えられた水こそは、正常な夫婦間における、生殖を目的とする、正常位による性行為なのである。人間がどうしてこれに限局されようか。しかもカトリックが、盆から零れた水を懺悔によって救い上げ、水を零してかえりみぬ人たちを異端として糾問したことは、共産主義の「自己批判」や「粛清」に正確に照応している。もしその許容範囲を少しでも広げれば、人間性のエロティシズムは、その自然から得た力によってついには快楽殺人(ルストモルト)にまで及んでゆくものだからである。(「自由と権力の状況」一九六八年十月)

 

 性行為を「正常な夫婦間における、生殖を目的とする、正常位による」ものに限定し、それ以外の性的自由を認めないカトリックの掟からすれば、世俗的なわれわれは、ほぼ全員が変態の裏切り者として異端「糾問」だろう。

 

 三島にとって、エロティシズムは、カトリックの厳格な戒律があってはじめて存在する。掟を破れば罪になる。罪を犯した者は、いやでも神に直面せざるを得ない。そして、エロティシズムとは、そうした過程をたどって、いわば裏側から神に到達することだ、と。

 

 むろん、三島の『サド侯爵夫人』のテーマだが、それについては別稿で論じたので措く。三島にとっては、エロティシズムも革命も、絶対者にかかわらない限りあり得ない。カトリックの異端糾問やスターリン主義の粛清において、裏側から絶対者=神に触れてしまうことによって、はじめてそれらはエロティシズムであり、革命たり得るのだ。これは、前回の記事で見たジジェクの論点――粛清=裏切りがあってはじめて革命が証明される――と同型のロジックだろう。

 

 三島は、合理主義的で相対主義的な世界における、例えばフリーセックスなどにはエロティシズムを認めなかった。それは、どんなにアナーキーなセックスであろうと、絶対者にかかわらない限り、抵抗が不在だからである。もし神がいないなら、神を復活させねばならない、というのが三島の「革命」である(ここから「文化概念としての天皇」が要請されるが、これも今は措く)。だから、とうとうゴドーが出てこない『ゴドーを待ちながら』を、「けしからん」と一蹴した。

 

 三島にとっては、フリーセックス=アナーキズムなど、程よい秩序に飼い慣らされたフリー=自由にすぎない。

 

フリー・セックスの行手に、もし快楽殺人(ルストモルト)が許されるならば、この瞬間に国家体制は破壊されるであろう。と同時に、このような政治における快楽殺人(ルストモルト)は、アナーキズムの誘惑と常に踵を接している。政治上のアナーキズムとは、エロティシズム上のルストモルトと相接近した観念であって、地上に実現されずサドのように牢獄の中における幻想裡でしか実現されぬ理想的観念なのである。(「自由と権力の状況」)

 

 むろん、この自由は、冒頭の引用のとおり「言論の自由」「表現の自由」は言うまでもなく、昨今また浮上している「学問の自由」なども含めて全体に関わる問題である。言論の自由は、あらゆる保護や干渉、すなわち政治を「悪」とし「敵」とみなし、「人間性」を自由に解放しようとする。それは、「アナーキズムの誘惑と常に踵を接している」のだ。そうなれば、人間世界は崩壊し恐ろしいことが起こるから、「「人間性の解放」という美名で呼ぶのである」。

 

 果たして、自由やアナーキズムを叫ぶ者は、本当にそこまで腹をくくっているのか。そこには、自由やアナーキズムとは、それを「言ってしまっては身も蓋もない言葉であるという意味では、あたかもルストモルトと同じである」という三島の怯えがない。言論の自由とは人間性の無差別な解放なのであり、何もマイノリティだけの特権ではない。マジョリティや権力者の自由だろうが、ダーク(ウェブ)な破壊衝動だろうが、すべてが解放されなければならない。いわば、言論の自由とはパンドラの箱なのだ。

 

 パターナリズムを批判するのは簡単だが、三島の言うように、保護と加虐は一体であり、後者のみ退けて前者を適度に求めるのであれば、その状況こそがパターナリズムだろう(三島はそうした状況を、今なら完全にPC的にアウトな「われわれは女子供と学生の時代に生きている」という言葉で語った)。

 

 三島はチェコ事件が起こった時、このように「自由と権力の状況」をつきつめて考えざるを得なくなった。それが三島の「68年」であり、三島ほどこれに震撼させられた者もいないのではないか。

 

 もし、あのときソ連チェコに介入(パターナリズム!)していなかったら、どうなったか。おそらく、ジジェクの言うように、「チェコ共産党指導部が制圧に乗り出さねばならなくなり、チェコスロバキアは(以前よりもリベラルな、真の)共産主義体制を維持していたか、あるいは、チェコスロバキアは西側のような「正常な」(おそらくスカンジナヴィア的な民主主義の風味をきかせた)資本主義社会に変わっていたかのどちらかであ」っただろう(『全体主義 観念の(誤)使用について』)。チェコソ連の加虐を退けようとするならば、同時にソ連の保護も一切期待してはならない。共産主義の粛清を退け、言論の自由を求めるならば、同時にそれは究極、快楽殺人(ルストモルト)をも許すことを覚悟しなければならない。三島は、チェコの二千語宣言について言う。

 

だからまた二千語宣言が、「真実は勝利するのではない。真実はただ他のものがすべて消耗してしまった時にあとに残るのである!」と言っている、その言葉こそわれわれの胸を打つのである。何故ならば、他のものがすべて消耗してしまった時代にわれわれはいま生きているのであり、これはチェコひとりの運命ではないからである。そして、われわれが救出しようとする真実は、人間性の側にあるのか、あるいは政治体制の側にあるのか、という最大の二律背反に、チェコは直面していなかったように思われる。何故なら、そこにこそわれわれの時代の政治と文学の、最大の恐ろしい難問がひそんでいるからである。(「自由と権力の状況」)

 

 

 

 共産主義が失効するということは、「われわれが救出しようとする真実は、人間性の側にあるのか、あるいは政治体制の側にあるのか、という最大の二律背反」に切り詰められることを意味する。その「他のものがすべて消耗してしまった時代にわれわれは生きているのであ」る。ここでは、奥野健男が「『政治と文学』理論の破産」(一九六三年)で三島『美しい星』に見た、「政治の中での文学」ならぬ「文学の中での政治」など、もはや「消耗してしまっ」ている。

 

 平野謙荒正人ら「近代文学」派は、スターリン主義(政治)の粛清を退けてもなお、「主体性」(論)という「真実」(文学)は残ると考えた。福田恒存は、「九十九匹」(政治)に回収しきれない「一匹」は、文学という「真実」によってしか救うことができないと考えた。それが彼らの「政治と文学」であった。だが、三島にとって「68年=チェコ事件」とは、「他のものがすべて消耗してしまった時にあとに残る」「一匹」の「真実」すら「消耗してしまった」出来事にほかならない。ならば、文学も政治もどうして存在し得るだろう。

 

 三島にとっては、政治も文学も「百匹」である。言い換えれば、政治=全体主義と、文学(文化)の全体性が、互いに「全体」(百匹)を独占しようと「二律背反」的に対峙しているのである。

 

そもそも文化の全体性とは、左右あらゆる形態の全体主義との完全な対立概念であるが、ここには詩と政治とのもっとも古い対立がひそんでいる。文化を全体的に容認する政体は可能かという問題は、ほとんど、エロティシズムを全体的に容認する政体は可能かという問題に接近している。

 左右の全体主義文化政策は、文化主義と民族主義の仮面を巧みにかぶりながら、文化それ自体の全体性を敵視し、つねに全体性の削減へ向うのである。言論自由の弾圧の心理的根拠は、あらゆる全体性に対する全体主義の嫉妬に他ならない。全体主義は「全体」の独占を本質とするからである。(「文化防衛論」一九六八年九月)

  

 これこそが、「われわれの時代の政治と文学の、最大の恐ろしい難問」、のり越え不可能なアポリアである。コロナ禍において、世界的に全体主義がリアルになっている。民主主義でこれに対抗することはできない。なぜなら、三島が言うように、「民主主義は、他のあらゆる政治体制と同様、人間性の味方ではなくて、人間性に対応する政治悪の最小限な必要悪としての表現」であり、「人間性と政治秩序との間の妥協」(「自由と権力の状況」)にすぎないからだ。それは、適度な秩序に飼い慣らされながら自由を主張しているにすぎず、三島が見た「他のものがすべて消耗してしまった」地点からはるかに後退している。

 

中島一夫