革命それ自体の転向について

 前回の記事の続きにもなるが、平野謙は、スターリン主義の粛清を「野蛮なアジア的後進性の特産物」とみなしていた。つまりそれは、「ナチス・ドイツの近代的な野蛮性」とは違う何かである、と。「『夜と霧』の悲惨は決してアジア的後進性の特産物ではない」(「粛清とはなにか」(一九五七年)。

 

 スターリン主義の野蛮さは、西欧近代的な「個人主義の論理」で捉えられるものではなく、スターリン個人やらブハーリン個人やらを「一様にまきこんだ組織の自転的な力学」としか言いようのないものではないか――。「その自転的な力学とは、具体的には、第一次五カ年計画の遂行に際会して、人民抑圧の機関と化した秘密警察の自己増殖以外にあるまい」と。ここから平野は、「組織と個人」論を展開していく。それが、「組織」一般へと平板に還元してしまった伊藤整福田恆存のそれとは根本的に異質であったことも、すでに述べたとおりだ。

 

 だが、平野が、スターリン主義の粛清の要因を、「五カ年計画」や「アジア的後進性」に求めたことは、伊藤や福田とは別の意味で「還元」だった――資本主義(の不均等発展)や帝国主義の問題への――こともまた否めない。例えばジジェクの議論は、その平野の視点からは漏れてしまうものに触れていよう。

 

 ジジェクは、スターリン主義的な党の問題は、人々を人間的な感情を喪失した「機械のような」「恐るべき自動人形」にさせることではないという(『全体主義 観念の(誤)作用について』二〇〇二年)。むしろ、そのように捉える「ヒューマニズム的な誘惑に抵抗」しなければならない、と。

 

 平野がスターリン主義に「自転運動」「自動的な力学」を見た視点を、ジジェクは「ヒューマニズム」と否定しているわけだ。そしてそこに、例によって、ある「倒錯」を見る。

 

さらに適切な例はもちろん、人間を愛しているにもかかわらず恐ろしい粛清や処刑を行う〈スターリン主義共産主義者〉である。粛清や処刑を行うとき彼の心は張り裂ける。しかし彼はそれをせざるをえない。それは〈人類の発展〉に対する彼の〈義務〉なのである……。われわれがここで出会うのは、大文字の〈他者〉の〈意志〉にしたがう純粋な道具という立場に立とうとするきわめて倒錯的な態度である。つまり、これは私の責任ではない、実際にそれを行ったのは私ではない、私は高次のレヴェルにある〈歴史的必然〉の道具にすぎない、という態度である。この状況において猥褻な〈享楽〉を生み出しているのは、私が自分のしていることに対して責任を感じていないという事実である。たとえば、私には責任がない、私は〈他者の意志〉の代理にすぎないと認識したうえで他人を痛めつけることができるなんて、すばらしいことではないか……という具合に。これこそ、カントの倫理学が禁じていることである。(『全体主義』)

 

 ここでは、スターリン主義的な「組織」(九十九匹)においては、「個人」(一匹)の「責任」)は存在しないというような単純な見方が退けられている。ジジェクは、スターリン主義的な粛清にサドの倒錯を見る。もちろん、そのとき、ラカンの「サドはカントの真理である」がふまえられているのだが、重要なのは、それは単純に「カントの裏はサド」という意味ではないということだ。カントの冷酷さとサドの冷酷さは違うのである。というか、そのようにラカンは見なしたということだ。

 

ここで導くべき結論は、サドは残忍な冷酷さに徹し、カントは人間的な思いやりをいくぶんか考慮せざるをえない、ということではない。それとはまったく逆のことである。つまり、実際に冷酷(無感情)に徹しきっているのはカント的な主体だけであり、一方サディストはじゅうぶんに「冷酷」ではないのである。サディストの「無感情」は偽物である。それは〈他者〉の〈享楽〉への熱烈な奉仕を隠蔽するおとりである。

 

 そして、カントとサドの差異――カントには不在の(パトローギッシュな?)サドの享楽という倒錯――をふまえて、レーニン主義スターリン主義の関係を次のように捉え直す。

 

そしてもちろん、同じことはレーニンからスターリンへの移行についてもいえる。革命的、政治的分野においてラカンのいう「サドとともにカントを」に対応するのは、まちがいなく「スターリンとともにレーニンを」である。スターリンの存在があってはじめて、レーニン的革命主体は、大文字の〈他者〉の〈革命〉の倒錯的な対象―道具に変わるのである。

 

 「スターリンとともにレーニンを」。すなわち、スターリン主義の粛清の享楽があってはじめて、レーニン的革命主体は真の「それ」になることができる。絶え間ない粛清があってはじめて、かつて体制の起源に「真の」革命があったことを、体制に刻印し続けることができるのだ。ここに、粛清の暴力に、(アジア的後進性の上にたつ)「組織」の「悪」しか見ることのできなかった平野の限界がある。

 

しかし、〈共産党〉が党員に加えたこの暴力は、体制のはらむ解消不可能な自己矛盾を――体制の起源においては「真正の」革命的プロジェクトが存在したという事実を――物語っている。つまり、絶え間ない粛清は、体制自体の起源の痕跡を消すために必要であるだけでなく、ある種の「抑圧されたものの回帰」として、体制の核に残留する解消不可能な否定性として必要なのである。〔…〕したがって、スターリン主義的粛清は、たんなる〈革命〉に対する裏切り――真正の革命という過去の痕跡を消す試み――ではない。むしろそれが物語っているのは、革命以後の新しい体制が〈革命〉に対する裏切りを自らの内部に(再)刻印することを強いる、つまりその裏切りを〈ノメンクラトゥーラ〉全員にとって脅威であった独断的な逮捕や殺戮という装いのもとに「再―銘記」することを強いる、「天邪鬼」のようなものである。〔…〕踏みにじられた革命の遺産は、ほかならぬ粛清という形で存続し、体制に取り憑くのである。

 

 ここでは、粛清という暴力は、むしろ革命の証明である。誰もが革命への裏切りの可能性を内に秘めている。そうみなされることで、革命という起源が担保される。革命があったからそれへの裏切りがあるのではない。裏切りがあるから革命があったのだ。だから、裁判では、粛清の対象になった者が、自ら裏切りの理由を考えださねばならない。言われるように、それはある日突然「審判」を受け、しかもこの審判=門は「お前のためだけのものだ」と言われてしまうカフカ的世界である。裁かれる理由はお前自身が考えよ、法=門はお前に何も求めていない――。

 

 ジジェクが言うように、したがってナチズムの「不合理」とスターリン主義の「不合理」とは決定的に異なる。ナチズムにおいてはユダヤ人であることが粛清の理由だが、スターリン主義にはそんな「差別」は存在しない(革命的!)。それは、いつでも誰でも無差別に粛清され得るという「天邪鬼」が、社会全体に浸透している世界である。東浩紀は、それを「確率性」の支配と呼んだ。

 

 それは、革命が、歴史の「必然」ではなく、偶然で「確率的」な次元へと転倒した世界である。反スターリン主義に規定された「68年」以降の世界といってもよい。ここでは、革命それ自体が「転向」しているのである。言い換えれば、世界に確率性=天邪鬼の位相を導入したスターリン主義(の粛清)は、そのまま反スターリン主義へと不可避的に反転したのだ。述べたように、粛清自体が革命の証明だったからである。しかし、それは何と反革命的な証明だったことか。以降、「確率的」な「出来事」や、歴史の必然なき「決断主義」が、革命の「条件」へとせりあがってくることになる。

 

中島一夫