すが秀実の講演「1968年以後の大学」について その1

 先日の記事で触れた、すが秀実氏の講演「1968年以後の大学」は刺激的だった。とりわけ末尾に触れたラカンの4つのディスクール(言説)をベースに、大学の現在を読み解こうとする内容はきわめて示唆に富むものだった。以下、簡単にその講演末尾の部分の要旨と感想を。

 すが氏は、4つのディスクール、「主人のディスクール」、「大学のディスクール」、「ヒステリーのディスクール」、「分析家のディスクール」(「資本主義のディスクール」を含めると5つ)の中から、特に「大学」と「分析家」の二つを取り出し、68年以後の大学におけるディスクールの変容、移行を捉えてみせる。

①大学のディスクール……68年以前の大学は、あたかも科学的真理が探究され、教師によって普遍的な知が語られる場と考えられていた。「カントによれば〜」、「夏目漱石が言うには〜」、…すなわち「子曰く〜」である。教師のディスクール(知)を、何らかの権威(真理)によって基礎づけようという態度が大学の根底には存在した。
68年とは、端的に、そうした大学のディスクールへの懐疑であり「否」である。したがって、大学教師を支える権威(真理)とは異なった「真理」――マルクスエコロジー、文学、サブカルチャー、――を学び、教師に異を唱えた運動だった。68年の「大学解体」というスローガンは、物理的な破壊もさることながら、いやそれも含めて(丸山真男研究室破壊など)、「大学とは何か」、「真理とは何か」という根源的な懐疑をはらんだものだった。それは、科学が進捗すれば真理がそれだけ明らかになり、人間生活も豊かになると思われていたのが、まったく逆の帰結をもたらしてしまっている状況(例えば水俣病などの公害問題)からくる、必然的な懐疑だった。

②分析家のディスクール……ラカンは、そうした「大学のディスクール」をのりこえるスタイルとして、(精神)分析家と患者との関係におけるディスクールを考えていたのではないか。この場合、分析家=教師は、「全知と想定された主体」として患者=学生を誘惑する者として現れる。学生が今まで知らなかった「知」(例えば「高校の時に好きだった作家は、実はツマラナイ作家である」など)の存在に驚き、自らの「主体」が裂開される。そして、その裂開に埋め合わせる分析家に「転移」し帰依するのである。
 だが、この転移関係の中では、学生は結局教師のエピゴーネンにしかなれない。もちろん、精神分析はその問題が織り込み済みだったからこそ、いわゆる「パス」という手続きを導入した。「パス」とは、要するに「全能と想定された他者」に飽きることである。学生=患者は、「飽きる」ことによって、初めて独立した主体として生きていくことができる。


 そして、ここからは感想だが、すが氏の講演を聴いて、私はもう二つの言説「ヒステリー」と「主人」のディスクールのことを想起した。

 知られるように、ラカンは68年の学生たちに「ヒステリーのディスクール」を見出した。すが氏の講演にもあった、従来の「真理=権威的言説」に「否」を突きつけ続ける主体である。ジジェクは言う。

ヒステリーの主体は、根源的な懐疑と詮議に浸りきった主体である。その全存在は、自分が〈他者〉にとって何であるのか[わからない]という不確かさによって支えられている。この主体は特権的ナ(par excellence)主体である。(『イラク』)

 そして重要なのは、ジジェクも言うように、ラカンは「分析家」を「ヒステリー」の主体と「対照的な」主体として捉えていたことだ。「繰り返せば、このヒステリーの主体とは明快に対照的に、分析家は脱主体化した主体のパラドックスを表している。分析家という主体は、ラカンが「主体の欠乏」と呼んだところのものを引き受けており、欲望の間主観的弁証法の悪循環を打ち破り、純粋欲動という無頭の存在になるのである。」

 68年の学生は、それまでの大学のディスクールにおけるあらゆる言説のゲームを拒否した「ヒステリー」の主体であった。「君たちは何を望んでいるのか」「わからない」「それを望んでいるのか」「それではない」。言説式は省略するが、そのように「ヒステリーのディスクール」においては、まさに欲望の対象には決して行き着かない「対象a」そのものが「真理」の位置に置かれる。

 だが、ラカンが、その「ヒステリーの主体」とは「対照的に」、「分析家の主体」は「脱主体化した主体」だと言うとき、その「対照的」とは、あらゆる言説のゲームを拒否する真理「a」それ自体を新たな言説のゲームとして回収してしまったのが「分析家のディスクール」だという意味に捉えられるのではないか(だから、「a」は今度は「動作主」の位置にきている)。

 言い換えれば、68年の「ヒステリーの主体」が掲げた「大学解体」は、68年以後、決して目的にはたどり着かない不断の「大学改革」という、「大学解体」とは似て非なる「対照的」な新たなゲーム=言説へと、またいったいどの「主体」が「それ」を欲望しているのかまったく不明な「脱主体化」のディスクールへと移行、変容していったのである。すなわち、ラカンのいう「対照的」とは、「転向」あるいは「反革命」の謂いにほかならない。

 ここでは「分析家=教師」は、もはや「オイディプス的父」でないのはもちろんだが、学生にとって「階級闘争」の対象でもない。「そのような用語で語りうる相互の関係さえ崩壊している」のである(すが秀実『革あ革』)。「脱主体化」した「主体」は、もはや父殺しものりこえも不可能な「主体の欠乏」なのだ。

(続く)