すが秀実の講演「1968年以後の大学」について その2

 この「ヒステリー」から「分析家」へとディスクールの移行から、さらにさかのぼってみたい誘惑に駆られる。それは、先日の記事でも書いた「江藤淳ヘーゲル」の問題に関わってくるからだ。

 「大学のディスクール」とは、ポスト政治の「専門家=官僚」の支配にほかならない。すが氏の講演にもあったように、大学教師の言説は、それが何らかの真理(権威)に基礎付けられているとされる。だが、もはやそれは「主人のディスクール」(私=真理が話す)ではないので、いわば「真理」であり「権威」であると偽装されているわけだ。その「権威」化は、教師の存在によって隠されている。それは隠然たる「支配」なのだ。

ラカンの関心は、主人の言説から、今日の社会における支配的な言説としての大学の言説への移行に向けられている。叛乱が大学で起こったのは、まったく不思議ではない。端的に言ってそのこと自体が、科学的言説によって支持され正当化された新たな支配の形態への移行を示している」(ジジェクイラク』。ちなみに、ジジェクは、その後の『パララックス・ヴュー』においては、すでに今日のヘゲモニーを「分析家のディスクール」に見ている)。

 それはいかなる「支配」なのか。
 ジジェクは、「大学のディスクール」の式の上部(S2―a)は、要は「生政治」だと言っている。「つまり主体ではなく、aという剥き出しの存在にまで還元された個人という対象を扱う専門家の知のそれではないだろうか」。

 まさにポスト政治的な官僚による支配である。S2は剥き出しの存在aに無制約に「知」という「命令」を砲撃のように浴びせかける。現在、四六時中攻め立てられている、健康への警告を思い出せばよい。「タバコは有害です!」「太り過ぎは心臓発作の原因!」「定期的な運動が長生きにつながる!」。そして、こうした事態に理論的に最も抵抗したのがヘーゲル君主制だとジジェクは言うのである。

 ヘーゲル君主制に関する議論は、彼が〈主人〉の言説と〈大学〉の言説のあいだの独特の立場に身を置いていることの、究極的な証明である。〈知〉の脅威に対して〈主人〉が他に類を見ないポジション、すなわち安全装置になりうるということを自覚しつつ、君主制の廃止を斥ける一方で、ヘーゲルはもはや君主のカリスマ性に屈することなく、それを空っぽのシニフィアンの機能の愚劣さへと還元したのである。
 近代の〈主人(君主)〉は、自分が専門的な知をもっているということで自己正当化する。生まれや、たんなる象徴的な授与をもって〈主人〉になれるわけではない。むしろ教育と資格を通して位置を得るのだ――このシンプルな、文字通りの意味において近代の権力とは知であり、知に基礎をもっている。〈主人〉の言説から〈大学〉の言説への移行が意味しているのは、国家そのものが新しい〈主人〉として現れるということだ。

 ヘーゲルは、フランス革命後の「主人」から「大学」へというディスクールのシフトに居合わせたために、「このシフトの前後で隠されたままになっているものをただしく把握できた――純粋なシニフィアンの機能に還元され、事実上の権力を剥奪された君主制を」。

 「大学のディスクール」は、「S1」という「真理」を背後に隠した「S2」が、剥き出しの生「a」を「知」によって管理しつつ主体化($)させる。このとき、もし「S1」と「S2」のギャップを消去されてしまったら、行き着く先は全体主義的官僚制国家=スターリン主義である。だから、ヘーゲルは、「S1」と「S2」とが癒着しないように、むしろ「S1」を「空っぽのシニフィアン」として「蓋」のように確保しておくこそが、かえって人々を生政治的な「知」の管理(それは、成員全員が剥き出しの生「a」たるべきというジャコバンテロリズムとコインの表裏だろう)から守る「安全装置になりうる」と考えたのではなかったか。

 ヘーゲルは、共和制ではなく君主制を主張したが、その思考は、反官僚制を潜在させていたということだろう。すると、先日の記事(「江藤淳ヘーゲル」)でも述べたように、江藤淳の「プラス1」とは、このヘーゲルの「空っぽのシニフィアン」としての天皇だったと捉えられよう。江藤もまた、反官僚制=社稷主義者だった。

 この文脈でいえば、丸山真男は、あまりにも「大学のディスクール」を自明視していたといえる。戦後は、八・一五革命によって民主化され、したがって「主人」は消滅したのだから(だが、果たして本当に「王殺し」はあったのか)、専門的な「知」をもっている自らがディスクールの「動作主」になるのは当然だった。丸山は、自らの権威を疑うことがなかっただろう。自らの研究室を破壊されたときの「ナチスも日本軍国主義もやらなかった暴挙」という言葉は、この権威の自明視から出てくる。

 一方、江藤の大学観は、ひたすら国家や社会からの大学の自律性を主張し、学生運動なども「イデオロギイの名の下における社会人の真似」にすぎないという極めて保守的なものだった(「大学その神話と現実」など)。だが、逆に言えば、先のヘーゲルのように、「S1」と「S2」のギャップを確保し、国家と大学とが癒着しないように考えていたともいえよう。それは、「大学のディスクール」において、大学というものは、権威からの自律が不可能だと考えていたからではなかったか。

中島一夫