持久戦は持続しているか その3

 そのグラムシ主義や第三世界論の、資本主義への「回収」ぶりが露骨に現れたのが、「土地」の問題だろう。津村は、これについても、「革命の考古学」や「共同体論」として、当初から問題の所在を示していた。滝田修のパルチザン論を批判した藤本進治の第二戦線論に即しつつ、津村が述べているところを見よう。

 

滝田の歴史的なパルチ構想が、二重に風化していったことこそ、一方で地域パルチとして、地味で粘り強くはあるが手工業性に埋没しがちな地域闘争へと、他方でこの高密度社会で牧歌的なゲリラが可能だと考える放浪(漂流)幻想へとその輪を拡げていったことを考えれば、藤本進治のこの提案の冷静さは貴重なものであった。それは長期の展望をもった、持久戦をよびかけていた。

 この第二戦線論の影響下に、一九七〇年に東京のアップルハウス(*)でなされたひとつの実験を簡単に振返っておくことは無駄ではないだろう。さしあたり前線との交渉をもたない後方の建設の、それは実験であり、数人の規律正しい共同生活の中で、経済建設と整風運動の展開とを目ざしたものである。この共同体は、中国人民の戦争準備のよびかけに応えて、「戦争に備える家族」と命名された。〔…〕にもかかわらず、彼らは〈衣〉と〈食〉にかんしては、資本主義とブルジョアジーは、これらの矛盾を解決しえないまでも、非敵対的に処理する力をもっているという結論に達せざるをえなかった。資本主義にとってと同様、この共同体にとっても最大のアポリアは、〈住〉にあると思われた。土地問題及び住宅問題は、新資本主義によっても決して解決しえないだろう。〔…〕「戦争に備える家族」は、やや単純にいえばアップルハウスを維持すべきか、経済建設のためには転居し縮小すべきかの対立を契機に、解体した。そして、〈住〉の問題のみを、ひらかれたままに残した。それは、〈居住の権利〉、すなわち、〈在日〉しつづけることへの権利の問題である。(「革命の考古学あるいは共同体論」)

  

 現在、〈衣〉〈食〉について、資本主義とブルジョアジーが「非敵対的に処理」したことは、それらが相対的に廉価で所有し得ていることの一事をもっても分かる。それに対して、〈住〉は依然として圧倒的に高価であり、「土地問題及び住宅問題は、新資本主義によっても決して解決しえない」「最大のアポリア」である。

 

 津村は、中国人民の反帝国主義戦線と連携すべき「戦争に備える家族」は、「やや単純にいえばアップルハウスを維持すべきか、経済建設のためには転居し縮小すべきかの対立を契機に、解体した」と言う。このアップルハウス解体には、資本主義の脱領土化―脱土地化の力に抵抗しきれずに、パルチザン=持久戦がすでに不可能になりつつある兆しがあり、以降津村の言う「居住の権利=〈在日〉しつづけることへの権利」は不断に脅かされている(津村の「在日」差別への闘争が、本質的には「土地=居住」をめぐるものだったこともわかる)。

 

 そして、その帰結がすがの言う「土地なきパルチザン」だろう。

 

シュミットのパルティザンって、要するに土地に根差すことでしょう。でも資本主義がどんどんどんどん、土着的なものを解体していく(ドゥルーズガタリ的に言えば「脱土地化」)していくから、パルティザンというのが成り立たなくなる。パルティザンというのは、土地を奪われて自由浮動的に動いているわけだけど、一方では土地を求め、土地に執着しているわけです。

卑近な例をあげると、日本に学生運動がなくなったというのも、自治会やサークル部室という「土地」が奪われたからなわけで、最後の学生運動が、その奪還を目指した二〇〇一年の早稲田サークル部室撤去反対闘争と東大の駒場寮闘争――それから山形大にも寮闘争があった――という「土地」収奪に反対する闘争だったのは、そういう意味です。〔…〕おれは、ストリート系の運動の意義は認めないわけではないけれど、「土地なきパルティザン」というのは、本当に可能なのか、かなり疑問なところがあります。詳述は省くけれども、それはつまり、キャンパスでビラも撒けないことを良しとするSEALDsに帰結してしまったわけでしょう。

それはともかく、国軍という陸軍中心だった戦争機械も脱土地化されて、空軍中心になっちゃったわけです。まあ、土地なきパルティザン、あるいは土地を求めないパルティザンというのが、果たして可能なのか、というのは現在の大きな問題で、コンピューターのハッカーとかいろいろ言われることもあるんでしょうが、おれは上手く解答できないですね。(『生前退位――天皇制廃止――共和制日本へ』)

  

 津村が述べていたアップルハウスで起こったことは、その後大学の学生寮やサークル部室で繰り返されたということだろう。「ビラ撒きも出来ないキャンパス」という批判にはいつも自己批判するほかないが、この状況のなか、いまやそれを超えて入場できないキャンパスと化している。それに対して学生たちが「対面授業」を超えて「キャンパス解放=占拠」を求めていくような契機は、今のところ見出されない。「学生消費者主義」がほぼ完成され、学生もキャンパスを、サービスが提供される場所以上の認識をもつことが不可能になっている。欲望はサービスに向かっているのであって、「土地」の「解放=占拠」に向かっているのではない。

 

 すがの「国民皆兵論」が、「国軍という陸軍中心だった戦争機械も脱土地化されて、空軍中心になっちゃった」(ブルーインパルス!)ことへの、すなわち「土地なきパルティザン」への抵抗として提起されたことが重要だろう。それは、資本主義の脱領土化=脱土地化の力に半ば随伴してきた持久戦やグラムシ主義(あるいは現在主流のアナーキズム)から、再領土化の力へと転換していくその尖端を、むしろ革命の契機として捉えようということではなかったか。

 

 「パラドックスは、資本主義がもろもろの再領土化を行うために、〈原国家〉を利用するということである」(『アンチ・オイディプス』)。資本主義が国家を必要とする以上、いくら脱構築グローバル化しても、それは決して無にならない。そうである以上、それは必ず再領土化への力をはらんでいるからである(先に述べたように、民主党政権誕生あるいは3・11あたりが、脱領土化=持久戦のリミットではなかったか)。

 

 それは一見、「揺り戻し=いつか来た道」に見えて、その実、脱領土化と再領土化の両極を揺れ動きながら、先へ先へと進む「いまだ来たらざる道」ではないだろうか。土地の地代が「いつか来た道」に見えて、レント資本主義のモデル=「いまだ来たらざる道」として、いまや資本主義のベースと化しているように。津村とすがの間の議論は、この両極をめぐっていたように思える。


  

(*)アップルハウス…一九六八年、東京・渋谷区南平台の内田定槌(明治―大正期の外交官)邸の敷地内の離れにできた「コミューン」。当初、日本におけるビートルズのファンクラブの事務局兼クラブハウスとして開設されたが、高校・大学生が集まるようになり、反戦コンサート開催やロック新聞発行、東京12チャンネル労組、鈴木清順共闘などの会議が行われるようになり、早稲田大学反戦連合や「青い芝の会」、寺山修司、原將人、東由多加木下恵介ジョン・レノンオノ・ヨーコなどが出入りした。

 

中島一夫