essay

江藤淳とアジア主義

「子午線」vol.6掲載の江藤淳論にはうまく組み込めなかったが、江藤は、すでに60年代に日本やアジアは「女」であり、そう捉える主体=視線は「男」であると、「性(差)的」に捉えていた。サイードやジジェクを先取りするような視点であろう。 都会育ちの江…

生政治とプロレタリア独裁――ウェス・アンダーソン『犬ヶ島』のために

ジジェクが言うように、「生政治は恐懼の政治であり、あり得べき犠牲化や嫌がらせ(ハラスメント)に対する防御として定式化される」(以下、引用は『ロベスピエール/毛沢東』長原豊、松本潤一郎訳より)。移民への懼れ、犯罪への懼れ、生態環境の破局への…

リベラル、天皇主義、アジア

梶谷懐「「リベラル」な天皇主義者はアジア的復古の夢を見るか?」(「現代中国研究」第40号)を院生らと読む。現在、院の授業は、中国、台湾からの留学生がマジョリティなので、特に中国における左派・右派の捉え方についてはさまざまな議論が出て啓発され…

津村喬の江藤淳「フォニイ」批判とその後

かつて津村喬は、江藤淳の「フォニイ」論について、次のように批判した。 ここにこそフォニイ論が投げつけられるべき土壌があったのだが、江藤淳のまがいもの批判には「正統」と「成熟」を至高とする度し難い上昇志向がみられた。それは一言にしていえば、う…

大西巨人の「転向」(すが秀実)

2月25日に行われた、上記講演(二松學舎大学における公開ワークショップ「大西巨人の現在 文学と革命」にて)を拝聴。聴衆の誰もが感じただろうが、きわめてスリリング、圧巻の内容だった。今後、何らかの形で活字になる可能性もあるだろうから、ここでは…

AI的リアリズム

先日の記事(11/8)で書いた「移人称小説」について、もう少し。 渡部直己が言うように、作中で人称や視点が切り替わる「移人称小説」は、「「私小説」を育んできたような描写の持続的覇権が、これを拒んできた」ために、「たやすくは「露出」してこなかった…

柄谷行人の「中野重治と転向」について その3

そのように二元論的対立が失効していたにもかかわらず、むしろ中野の方が「救いがたいほど」対立を生きていたのだ。1948年から58年まで、日本共産党専従だった増山太助の以下の証言は、その背景を伝えていよう。 中野と窪川(鶴次郎)はともに旧制四高出身で…

柄谷行人の「中野重治と転向」について その2

例えば、中野が『むらぎも』の有名な場面――芥川に、「才能として認められるのは」堀辰雄と君だけだから、文学をやめないで続けてほしいと言われ、「あ、あ、あ」この人は「学問・道徳的にまちがっている」と考える場面――についても、柄谷は、「文学をやめて…

柄谷行人の「中野重治と転向」について その1

柄谷行人は、冷戦崩壊直前の1988年に、中野重治の転向について論じている(「中野重治と転向」、『ヒューモアとしての唯物論』)。おそらく、この時柄谷は、目前に迫っていた冷戦崩壊によって、いよいよ訪れようとしていた、マルクス主義の終焉に備えようと…

曖昧な言葉

先日(3月1日)の記事に対して、大杉重男氏から再反論があったようだ。 一言で言えば、私の文章は「曖昧」だという主張だが、特にそれに応えることはない。書き手の不注意も読み手の誤読もありふれたことだ。ただ、私は、大杉氏を「国語の問題として」間違っ…

中村光夫をめぐる誤解

中村光夫が小説家に読まれなくなった理由については、かつて次のようなやり取りがあった。 蓮實重彦 これは必ずしも私小説論には限りませんが、小説理論をおまとめになった『日本の近代小説』とか、『日本の現代小説』とか『小説入門』のなかで「肉声を響か…

大杉重男氏に応えて

『子午線』4号に掲載されている拙論に対する、大杉重男氏のブログ記事を読んだ。http://franzjoseph.blog134.fc2.com/blog-entry-79.html 言うまでもなく、私はこの大杉の論にほぼ全面的に反対である。その理由は拙論を読んでもらえれば分かると思うので全…

大衆天皇制論と共和国

松下圭一の高名な「大衆天皇制論」(1959年)は、一見大衆天皇制の社会学的な分析に終始しているようで、読み直してみると、その「続編」(「続大衆天皇制論」)では、大衆天皇制への抵抗として、共和制がかなり積極的に掲げられている。 状況としての大衆天…

暗殺と民主主義

物騒なタイトルだが、三島のことだ。 三島由紀夫は、民主主義に暗殺はつきものだと考えていた。人間は皆平等であり、お互いに一対一で顔を突き合わせる。その時、一つの政治的意見が、一つの政治的意見を殺す。それが暗殺だ、と。 だから、政治というものは…

利己的個人主義を超えるには

自民党の武藤貴也議員が、安保法案に反対する学生集団SEALDsについて、「だって戦争に行きたくないじゃん」という「利己的個人主義」だと批判して物議を醸した。そうした風潮が「戦後教育」によって「蔓延した」と言うのである。その後も発言を撤回せず、自…

転向の問題

外山恒一の「野間易通 徹底批判」を読んだ。http://www.warewaredan.com/noma.html むろん、両者の論争そのものに対して何か言えるわけではない。その資格もない。ただ、外山論文の第二章、「サブカル」についての歴史的な考察は、自分の考えていることに大…

安保貧乏のこと

津村喬は、マラヤ人留学生の言葉に、「非常に胸をつかれる思いがしたことがある」と言う(「毛沢東の思想方法―日常性と革命」1970年)。 彼は、日本人はみなアンポフンサイをいいますね。でも信用できない、と彼は言った。え、と私はききかえした。新左翼か…

保田与重郎とIS

かつて保田与重郎のいった「文明開化の論理の終焉」を、現在最も尖鋭的なかたちで実践しようとしているのは、ISではあるまいか。 保田は「文明開化の論理の終焉について」(1939年1月「コギト」)において、近代日本を欧米の植民地と見なし、明治期以降こ…