「子午線」vol.6掲載の江藤淳論にはうまく組み込めなかったが、江藤は、すでに60年代に日本やアジアは「女」であり、そう捉える主体=視線は「男」であると、「性(差)的」に捉えていた。サイードやジジェクを先取りするような視点であろう。 都会育ちの江…
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