リベラル、天皇主義、アジア

 梶谷懐「「リベラル」な天皇主義者はアジア的復古の夢を見るか?」(「現代中国研究」第40号)を院生らと読む。現在、院の授業は、中国、台湾からの留学生がマジョリティなので、特に中国における左派・右派の捉え方についてはさまざまな議論が出て啓発された。それについては継続的に考えていく必要があろうが、ここでは、論文のタイトルにもある、「リベラルな天皇主義」というアクチュアルな問いに注目しておきたい。

…今の日本で「リベラルな天皇主義」が一定の支持層を持つことにはそれなりの根拠がある、と言わなければならない。それは言うまでもなく、東アジアの近隣諸国との関係悪化にともない、多くの日本人にとってそれらの国々が仲良くすべき「隣人」ではなく、厄介な「脅威」として認識されるようになったことと対応している。つまり、一方では近隣のアジア諸国を警戒すべき「脅威」として認識し、その脅威に対抗するのに不十分な憲法第9条を改正すべきと考えるタカ派改憲派の政権が勢力を増す。それに対抗すべき護憲勢力はそれらアジア諸国が実際には「脅威」などではないことを強調しつつ、その「親アジア」の姿勢に権威を与える「最後の砦」として、いまや「プロ市民」とも揶揄されるほどに、戦後民主主義の申し子となった明仁天皇を「象徴」として祭りあげる、という構図がそこにはある。

 論文の内容とは離れるが、これら「リベラル」、「天皇主義」、「親アジア」といったキーワードから想起されるのは、やはり「明治」の自由民権運動の中から生まれた頭山満玄洋社のような存在だろう。

 よく言われることだが、日本の右翼運動の源流たる玄洋社は、リベラルな自由民権運動から出てきた。重要なのは、『アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ』の中島岳志も言うように、そのとき玄洋社は転向したわけではないということだ。

結論を先取りして言うと、私は玄洋社転向説を採ることに批判的です。むしろ、自由民権運動のなかに、右翼運動の重要な要素が潜んでいると捉えるべきだと考えています。彼らは自由民権運動に従事していたからこそ、ナショナリズムの重要性と天皇への敬愛を表明し、アジア主義を唱えていったのだと考えています。

 憲法や議会を制定するという天皇の詔を受け、その実現に向けて運動を展開した自由民権運動=リベラルは、したがって最初から天皇主義であり、また国民国家を作ろうとしたナショナリズムの運動であった。一君万民的な国民国家が形成されていったのは、自由民権運動が挫折したからではない。最初から「民主」は「愛国」だった。

 これまた中島が言うように、フランス革命からして「ナショナリズムとはそもそも「国民は平等な存在であり、その国民に主権をよこせ」という主張」だった。日本の場合、それが当初から天皇によってもたらされたので、ナショナリズム天皇主義とが結びつき、しかもその動機はリベラルであるという「ねじれ」が生じた。冷戦の終焉とともにマルクス主義が後退したので、現在が、マルクス主義導入以前に戻ったように見えるということだろう。

 そして、封建制を打破しようとリベラルな天皇主義を掲げた玄洋社は、欧米の帝国主義という国際的な封建制に対抗すべく、その後アジア諸国との連帯を訴えるアジア主義へと進み出たのである。こうして、リベラル、天皇主義、親アジアは、矛盾なく結びついた。玄洋社はその典型だった。これを転向や逸脱と捉える視点では、現在の「アジア的復古を夢見る」「「リベラル」な天皇主義者」の回帰を批判することはできない。リベラルは、そのまま天皇主義であり、同時にアジア主義なのだ。

中島一夫