素敵なダイナマイトスキャンダル(冨永昌敬)

 「写真時代」はじめ、発禁と創刊を繰り返しながら、カルチャー・エロ雑誌を次々と世に送り出した雑誌編集長、末井昭の自伝エッセイの映画化。荒木経惟南伸坊赤瀬川原平嵐山光三郎といった当時の「表現者」との邂逅、交通が描かれるが、直接は登場しないものの、本作にはずっと影のようにつきまとう名前がある。岡本太郎だ。

 「芸術は爆発だったりもするのだが、僕の場合、お母さんが爆発だった」と本作は始まる。末井(柄本佑)の母は、末井7歳のとき、隣家の若い男と岡山の山中でダイナマイト心中し爆死した。この岡本太郎の「芸術は爆発だ!」と、それに呼応するかのように捉えられる母のバクハツとが、その後の末井の人生を規定することになる。

 「母は僕を田舎から都会へと吹き飛ばしてくれた」と述懐する末井は、爆風に煽られるように都会に出て、しばらくは工場から工場へ転々とする。末井が「工場に憧れていた」のは、まだ工場労働者が賃労働のモデルだった時代ということもあろうが、何より工場労働者だった父の影響だろう。実際、川崎の父の工場に潜り込むが、やがて父に嫌気がさし工場への幻想も醒めることとなる。

 その後、雑誌「デザイン批評」を読みふけっては、その道を志そうとデザインの専門学校に入るも、学生運動の煽りで学校が閉鎖。その後は、キャバレーやピンサロの看板描きを経てエロ雑誌へ。本作は、その人生双六の青春グラフィティだが、見ていて思ったのは、末井の人生とは、岡本の「芸術は爆発だ!」という言葉の両義性そのものだということだ。

 末井は、母がダイナマイト自殺したことを周囲に告白するか否か逡巡する。それは、格好のネタとなって自らも注目を浴びるだろうが、母を売り物にしスキャンダル=醜悪さに晒すことにもなる。末井がデザイン学校の友人と、モダニズムの自己解体(爆発!)について議論するシーンがあるが、末井の逡巡はまさにモダニズム以降(だが「以降」はあるのか)、芸術が置かれたジレンマそのものである。モダニズム芸術の臨界点を示す言葉として「芸術は爆発だ!」はあったかもしれないが、本当に「爆発」してしまえば、それは美学的に回収され得ない「スキャンダル=醜悪さ」でしかないというジレンマである。

 そのことが覆い隠しようもなく露わになったのは、3・11の原発爆発以降だろう。金井美恵子のエッセイで知ったが(「「原発はバクハツだ!」そして、様々な神話」、『目白雑録5 小さいもの、大きいこと』所収)、本作にも出てくる赤瀬川原平は、かつて「芸術は爆発だ!」のパロディとして「原発はバクハツだ!」と言ったという(『科学と抒情』)。1989年の著作だから、むろん79年のスリーマイル島や86年のチェルノブイリをふまえてだろう。だが、3・11以降、それは「予言」となったといえる。

 言うまでもなく、岡本「太陽の塔」は、大阪万博の際、「万博に原子力の灯を」と言って敦賀原発一号機から電気が送られた、そのシンボルとして建てられた。紛うことなき、「原発翼賛=推進のモニュメント」(すが秀実「「太陽の塔」を廃炉せよ」、「万国博覧会と癌(cancer)」も参照。『天皇制の隠語』所収)である。だが、3・11によって「太陽の塔」は、さまざまな意味で「バクハツ」した。それ以降、「爆発だ!」と美学的=芸術的に叫ぶことはできないだろう。それは「スキャンダル」でしかない。あえてそれを「素敵な」と形容する本作は、したがってイロニーの域を出ないだろう(思えば江藤淳が、当時すでに「太陽の塔」を「醜悪」と言ったのはまさに予言的だった)。

 「太陽の塔」は先日内部公開されたが、それは爆発後のフクイチの内部公開の疑似的な代補だろう。むろん、大阪万博再誘致に向けた、「太陽の塔」の廃炉ならぬ延命のイベントである。それは、天皇制廃止ではなく延命の儀式たる「生前退位」にも似ている。

 末井が、やがて妻となる「牧子」(前田敦子)と出会う場面で、下宿が停電となるが末井がブレーカーを修理して灯がともる。これは、「万博に原子力の灯を」の矮小化バージョンだろう。キャバレーのフロアに設えた巨大なペニスのオブジェも、末井の「太陽の塔」ならぬ「情念の塔」にほかならない。そもそも、末井がデザインの道を志すきっかけとなった「デザイン批評」は、万博関係者の拠点だった。それは、「バクハツ」が芸術/スキャンダルであるごとく、万博推進/批判の両義性を抱えていた。

 末井が、母のバクハツを公言することを躊躇っていたように、したがって、3・11以降「芸術は爆発だ!」と声高に叫ぶのは憚られよう。だが求められているのは、自粛することでないことはもちろん、「バクハツ」のスキャンダル性を「素敵」とひっくり返すことでもないし、バッドペインティングよろしく「いたずら」のように岡本の絵に落書きすることでもないだろう。それらはすべて、サブかどうかを問わず微温的なカルチャーに回収されて終了する。問題は、依然として、その「外」の政治を模索することはずだ。

 おそらく、その内/外の分岐点はデザイン学校時代にあった。当時、ロックアウトされた多摩芸で、詩人の稲川方人は授業妨害をしていたという。「ロックアウト後は、学校側がバリケードを築いた学生を排除する名目として、どの大学でも「授業再開」という言葉が流行語のように使われたんだよ。…それで、いきなり手を挙げて「こんな話はやめましょう! ちゃんと討論しよう」と。ところが悲しいことに、授業に出ていた一般学生が「僕たちは映画の勉強をしにきたんだから、お前たちと討論する気はない。出ていけ」って…」(インタビュー「抒情詩の「主体」は個人史/物語にいかに拮抗するのか」、「『子午線 原理・形態・批評 4』)。

 むろん、これは多摩芸だけの光景ではなく、こんなふうに末井の「青デ」にも広がっていたはずだ。

当時、多摩美と多摩芸があって、青デと呼ばれていた青山デザイナー学院が渋谷にあって、それらと東京造形大学の前身の桑沢デザイン研究所の四つが、東京で美術・映画に関して果敢に闘っている場所だった。だがら、われわれは青デにも桑沢デザイン研究所にも行って寝泊まりするわけ。みんな学生が自主管理しているから。特に青デはすごくて、バリケードのなかに平岡正明松田政男とか、相倉久人などの論客を呼んで、毎晩のように討論会を開いていた。そこで僕は、以前から読んではいたけど、平岡正明を具体的に知るんだよ。美共闘っていうと僕にとっては実は青デや桑沢の風景のほうが強い。

 一方、本作には、青デの闘争はまったく出てこない。チラシには、末井の人生双六が人生ゲームのように書かれているが、そこでも「学生運動の煽りでデザイン学校が閉鎖 1回休み」とあるのみだ。「討論=妨害」か「閉鎖=1回休み」か。ここに、その後の「何か」を決定的に分けた分岐点があったのではないか。

 今や「討論しよう」「議論しよう」は、「自分たちは〜しにきた」という権利と法の円滑な機能が行き届いた空間において、完全に「妨害=ハラスメント」となり果てている。当時稲川を排除した「一般学生」のメンタリティは、現在まさに「一般=マジョリティ」を形成している。その息苦しさが世界大に広がったとき、本当に「爆発」が起きるだろう。それは「素敵」どころではない、「スキャンダル」という言葉すら吹っ飛ばすおぞましさを招くだろう。いや、恐ろしいのは、爆発はもうすでに起こってしまったということなのだ。

中島一夫