武田泰淳の恥ずかしさ その2

 

 すが秀実が、武田泰淳の『司馬遷』に見出すフェティシズムとは、次のようなものである。

 

言うまでもなく、司馬遷もまた、銃後の刀筆の吏である。では、司馬遷が弱者であり、他の者が強者ぶるのは、何の理由によるのか。それは。前者が宮刑を受けた「生き恥さらした男」であり、後者が恥をさらす必要のない者だったところから来る。だとすれば、「銃後にあって強者ぶる」者の「刀筆」は、司馬遷の失った男根にほかならない。司馬遷は「刀筆」=男根を持たぬ者であるにもかかわらず、書くのである。〔…〕

男根=「刀筆」を持たぬながら、ものを書くという行為は、去勢を否定することではない。その者にとって、すでに男根は否定されているのだから、それを再び否定したとて、男根が再建されるわけではないからである。それはむしろ、男根の不在を否認することなのだ。去勢の否認を、フロイトに倣って、フェティシズムと呼ぼう。フロイトによれば、フェティッシュは去勢の脅威に対する勝利のしるしであり、また去勢からの防禦、すなわち去勢への抵抗にほかならないのである。〔…〕フェティシズムとは、この場合、弱者の――すでに去勢された者の――否認による抵抗と、ある種の理想化の意味である。(「方法としてのフェティシズム」『小説的強度』)

 

 フェティシズムとは、去勢の「否定」ではなく「否認」である。去勢(男根の不在)という衝撃的な光景を目にした際、知覚そのものは消えずに残っているものの、その知覚を認めない=「否認」する。重要なのは、そのとき知覚そのものは存在しているということだ。

 

 一方、「否定」は、知覚自体をまさに「否定」してしまう。だから「恥ずかしさ」が抹消されてしまうのである。恥ずかしさは、知覚が残存しているからこそ生じる。「否認」には恥ずかしさがつきまとう。フェティシズムとは、その「恥ずかしさ」のことであり、それによる抵抗のことなのだ。

 

 では、フェティシズム=恥ずかしさが抵抗であるとはどういうことか。すがは、竹内好の『魯迅』の一節を引く。

 

文学は無力である。魯迅はそう見る。無力というのは、政治に対して無力なのである。それは、裏から云えば、政治に対して有力なものは文学ではない、ということである。これは文化主義だろうか。確かにそうである。魯迅は文化主義者である。しかし、この文化主義は、文化主義に対立する文化主義である。「文学文学と騒ぐ」こと、文学が「偉大な力を持つ」と信ずること、それを彼は否定したのである。(『魯迅』)

 

 「文学文学と騒ぐ」のは、先の泰淳の「銃後にあって強者ぶる者」である。上の一節の「文学」や「文化」を「書くこと」に、「政治」を「去勢」(する力)と読み替えてみれば、この一節が今まで述べた文脈にあることがわかるだろう。いかに「書くこと」は去勢に対して「無力」であるか――。

 

 この「無力」にルサンチマンはない。「書くこと」が(政治的)去勢に対して「無力」であることは不可避であり、有力であることは不可能である。なるほど、これは「文化主義」ではあるが、あくまでその「無力」を「否定」しない。「無力」を知りながらも「否認」するという「文化主義に対立する文化主義」なのだ。

 

 前回述べたように、柄谷行人が、武田泰淳の「恥ずかしさ」を媒介として、「空間」的な「世界史の構造」論を展開していったように、すが秀実は、泰淳に見出したフェティシズムを一連の68年論へと接続していった。『増補版 革命的な、あまりに革命的な』(二〇一八年)の解説で王寺賢太は言う。

 

「六八年の革命」が今なお持続的であるという以上、その理論的・思想的核心も希薄に遍在するものでしかありえないだろうが、私はそれを戦後民主主義フェティシズム(呪物崇拝)に対するフェティシスト的闘争、とでも呼べる境位に見出させると考えている。戦後民主主義がリベラルな資本制国民国家の一体制であるなら、そのフェティッシュ(呪物)とは、「国民統合の象徴」としての「天皇」(そして「天皇」と相同的に差別の対象とされる「部落民」)と、資本制商品生産・流通の空間を束ねる「貨幣」にほかなるまい。(「解説 戦後民主主義の「革命的な」批判のために」)

 

 王寺のいう「フェティシズムに対するフェティシスト的闘争」が、先の「文化主義に対立する文化主義」(竹内)に相当することは言うまでもない。戦後民主主義象徴界市民社会に参入すべく敢行された「敗戦=占領」という去勢に対し、それを「否認」しようとするときに天皇というフェティッシュが欲望された。いわゆる「欲望の原因」である。 それによって象徴界の穴が塞がれなければ、自らが去勢されたことが露わになるというおぞましさ=現実界が現れてしまう。もちろん、フェティッシュは任意の「もの」でよかったが、天皇が「欲望の原因」の対象として選ばれたのである。

 

 だが、天皇に対するフェティシズムは、戦後憲法天皇条項に明記されることで「否定」された。「法」とは去勢の結果であるとともに、その「否定」なのだ。明「文化」された法とは、「書くこと」における「フェティシズム=否認」を「否定」し、いわば恥ずかしさを拭い去る機能を果たすのである。以降、人は、去勢され天皇を頂いている(欲望している)という「恥ずかしさ=フェティシズム」を拭い去り、己を、単に法に従い、主権を去勢されていない「主体」としか認識しないだろう。

 

 すがは一貫して、天皇憲法をめぐる「フェティシズム」を露呈させつつ(最近は、主戦場をフェティシズムからトーテミズムに移動させている)、戦後(民主主義)を内側から崩壊させようとしてきた。その天皇というフェティッシュへの接近は、一部に「天皇好き」と誤読させてもきた。

 

フェティッシュに「正面攻撃」を仕掛け、秩序を「打倒」するのではなく、むしろフェティッシュにフェティシスト的に接近しながら、「似ていること」によってそこから隔たりつつフェティッシュの「もの」性を露わにし、象徴秩序を内側から崩落させるこの戦略は、主体の「表現」であるどころか、「私とは他者である」というランボーの詩句のごとく、主体が他者と化し、自らのうちに隔たりを迎え入れる脱主体化の戦略でもある。これこそが、すがが疎外革命論とも疎外論批判ともたもとを分かちながら提起する六八年の革命戦略なのだ。(王寺「解説」)

 

 フロイトは、遺稿「精神分析概説」(一九三八年)で、否認を、精神病のみならず神経症にも認め、それにしたがって「自我分裂」と呼び直していった(松本卓也『人はみな妄想する』)。否認とは、まさに「私は他者である」とばかりに「自我分裂」するということだろう。それは、「私」という恥ずかしさを知覚するがゆえに限りなく否認し続け、「私」から「他者」へと脱中心化していこうとする「運動」としてある。その自我分裂はまさに狂気といえる。だが、それこそが、脱中心化した「無限」空間と化した世界が要請する認識=運動なのだろう。

 

 ここから見れば、天皇を中心としていただく象徴界に自足し、恥ずかしげもなく「私=主体」を振りかざしあう現在のアイデンティティポリティックスは、男根(主体)の不在の否認からくる泰淳の恥ずかしさから、何と後退していることか。「そこにあるのは、男根が互いに相手を否定しようとする行為のみであって、竹内好的な意味でのコミュニケーションは存在しえないからである」(「方法としてのフェティシズム」)。性を問わず、男根たちが互いに相手を否定しようとマウントをとりあうコミュニケーション不在は、今やおなじみの光景だろう。

 

 最後はまた泰淳に戻ろう。

 

(続く)