保田与重郎とIS

 かつて保田与重郎のいった「文明開化の論理の終焉」を、現在最も尖鋭的なかたちで実践しようとしているのは、ISではあるまいか。

 保田は「文明開化の論理の終焉について」(1939年1月「コギト」)において、近代日本を欧米の植民地と見なし、明治期以降この国を貫いた「文明開化の論理=西洋化」を否定した。

 保田にとっては、マルクス主義はもちろん、その退潮後の日本主義すら「文明開化の論理」に基づく「植民地の知性」にすぎない。おそらく、そのような保田なら、共産主義圏崩壊後のグローバリゼーションも、その反動としてのナショナリズムローカリズムも、「受身の開化論理」にすぎないと斬って捨てただろう。

日本の現実は地図の上でも明らかに、文明開化の論理をはみ出している。それはヨーロッパ人の世界分割の完了によって作られたあの国際論理をうち破っているのである。(いわゆる「知性」はこの分割の承認の上に黙約された功利の純粋さの反映であり、この地盤にたつ抽象である)新しい日本主義の大思想は、この日に出現するであろう。

ヨーロッパの傘下で作られたまとまった矛盾のない官僚的論理のシステムに対し、きょうの日本はその傘の外に出て、雨にうたれるべき論理を必要としている。日本はそのシステム外で矛盾を連続して作りそのシステムを攪乱するのである。

 文中の「日本」を「IS」に置き換えてみると驚くだろう。

 むろん、ISについてはいまだよくわからないことが多い。だが、それが、保田が唱えたような、従来の「思考法と発想法」とは根本的に異質の「変革の論理」を掲げ、しかもそれは「文明開化の論理とは全然反対の発想をする論理であること」は、それこそ「漠然と知」られていよう。

 当時の保田が、主に若者に多大な影響力を持ったということは、今となっては想像するのも難しいが、「没落への情熱」へと駆り立てる保田のわからなさと不気味さは、もしかしたら現在のISのようなものだったのかもしれない。

中島一夫