いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論(田中美津)

 

 

 一九九〇年代後半、アジアに対する戦争責任が先か、自国の戦死者を弔うのが先かという論争(歴史主体論争)が巻き起こったとき、冷戦終焉以降、そうしたアジアからの問いが突きつけられる歴史性は十分理解しながらも、どこかその論争は表面的に、また平板に見えた。論争が、いわゆる「七・七華青闘告発」以降のジレンマを回避、解消してしまい、そこからはるかに後退した地平で闘われているように思えたからだ。

 もちろん、私は「七・七華青闘告発」について、すが秀実の一連の著作や論考を通してしか知らない。だが、それゆえにあの論争が、「68年」を「(敗)戦後」のパースペクティヴに回収する働きをするものだったことが、論争の平板さへの違和感を通してすぐに分かった。その感覚はうまく言語化できないままだったのだが、最近、田中美津を読み直していて、少しずつ見えてきた(以下引用は、上記の「「チョウからアオムシへ」の誤り」の章より)。

 

華青闘の7・7の決別宣言、劉彩品さんの支援の側の主体を問うあの叩きつけるように迫りくる告発のことば、そして劉道昌君の昨年一二月二五日に法務省から突きつけられた「半年」の在留許可証をのまざるを得なかった自分に対し「思想転向」を犯した、とまで自己批判を徹底化させ、あくまで闘争主体としての自己を問うていこうとする厳しい態度……。(中略)私たちが抑圧者であること、これは確認しすぎることのない事実だ。(中略)もう一つの事実、それは抑圧者は被抑圧者でもあるということだ。「他国民を抑圧する民族に自由はない」というレーニンの古典的テーゼを引用するまでもなく、抑圧者は抑圧者であるが故に、被抑圧者として存在する。被抑圧者としての自らの痛みを、自らの惨めさを視ることなしに抑圧者としての自己など真の痛みになるはずがないのだ。

 

 アジアへの責任が先か後かという論争は、いわば自らが「抑圧者」か「被抑圧者」かを争うものだ。そしてそれは、端的に、「(敗)戦後」のパースペクティヴである。だが、「68年」以降の問題とは、抑圧―被抑圧が決して一面的には捉えられない、ということではなかったか。「私たちが抑圧者であること、これは確認しすぎることのない事実だ」としても、もう半面で「抑圧者は抑圧者であるが故に、被抑圧者として存在する」という事実。

 

 田中は、ベトナム反戦運動以降、「「加害者の論理」というのが「自己否定の論理」と対になった形で登場してきた」と言う。だが例えば、「沖縄人(ウチナワンチユ)に対し、日本人(ヤマトンチユウ)たるあたしたちは、光として存在するが、だからといって「美智子にことを娼婦にさせちまェ」という沖縄の男のことばを寛容をもって受け入れる訳にはいかない、といった具合に、被抑圧者同士の抑圧/被抑圧は、社会という布地に解き難く縫い込まれているのだ」。したがって、人間は、「加害者の論理」だけで闘うことなどできないのである。

 

 もちろん、田中は、加害者=抑圧者を解放しようとして、そのように言っているのではない。そうではなく、「肯定でも、否定でもなく冷厳な事実として」「人間とは、他人の痛みなら三年でもガマンできる生きもの」であり、「それなのに抑圧者としての痛みなるものを原点にして闘おうとすれば、どうしたってうさん臭さがつきまとう」ゆえに、そう言っているのだ。

 

だが、「自己否定の論理」は、いわゆる「血債の思想」(中核派)を根幹としてとどまることなく進行していき、その果てに「もはや否定しきれずに告発されることもないぎりぎりの「主体」の核を希求する」方向へ、「「無」でありながら「核」であるような「主体」を見出さなければならない」という方向へと突き進んだ(すが秀実『1968年』)。

 

 「無」を「核」とする、ほとんど「主体」の解体ともいえる「ホモ・サケル」(アガンベン)のような「主体」。だが、その「自己否定の論理」は、いかに過激でラジカルに見えようとも、それは抑圧―被抑圧という一面的な構造自体は変えないという保守的な思想にすぎない。したがって、その構造のもとで、闘争の主体をいかに「ホモ・サケル」のごとく管理しておくかという、権力による統治の論理へと容易に横領された。現在のPCによる統治は、その通俗化の帰結である。ジジェクがいうPC「による」風景の構造化である。

 

このようにして、政治的公正さが蔓延する風景が構造化される。西洋から遠く離れた世界に生きる人々ほど、(たとえばアメリカ先住民や黒人のように)本質主義者、レイシストアイデンティティ主義者というレッテルを貼られることなく、自分たち固有の民族的アンデンティティを強く主張できるのだ。悪名高い白人男性異性愛者に近づくほど、そうした主張は問題含みのものとなる。アジア人ならまだ大丈夫。イタリア人やアイルランド人はぎりぎりなんとかなるだろう。ドイツ人や北欧の人々ならば、そんな主張をしただけで問題となる……。しかしながら、〈白人男性〉という特定のアイデンティティを主張することを(他者を抑圧する典型例として)禁じることによって――この禁止自体は〈白人男性〉の罪を認めるものではあるが――やはり彼らを中心的な場に置くことになってしまう。(『絶望する勇気』)

 

 田中は、「あたしが生れて初めて自分の尻尾以外のものをハッキリとらえることができたのは、その「加害者の論理」によってであった」と言う。田中のウーマン・リブが、被抑圧者ではなく抑圧者=加害者の論理から出発したことは、とりわけ現在、強調してしすぎることはないだろう(石原吉郎なら、同じように自らの加害者性に衝撃を受け、その加害―被害の構造自体から一人下りた友人・鹿野武一のように、田中に「明確なペシミスト」を見るだろう。ちなみに本書で田中は、石原の詩を引用している)。なぜなら、それは容易に「(敗)戦後」の、ひいては統治の論理へとすり替わり、差別を告発したつもりになっているが、その実統治の側に加担することに帰結してしまうからだ。

 

 「周縁的な、抑圧されたマイノリティーアイデンティティを主張することは、恵まれた白人のアイデンティティを主張することと同じではないのはもちろんだが、それでもやはり両者の同一性を見逃すべきではない」(ジジェク)。PCが蔓延する現在とは、マイノリティーの顔をしたマジョリティーが跋扈する世界にほかならない。ドゥルーズが言ったように、マイノリティー/マジョリティーは数の問題ではないのだ。

 

中島一夫