柄谷行人の「中野重治と転向」について その1

 柄谷行人は、冷戦崩壊直前の1988年に、中野重治の転向について論じている(「中野重治と転向」、『ヒューモアとしての唯物論』)。おそらく、この時柄谷は、目前に迫っていた冷戦崩壊によって、いよいよ訪れようとしていた、マルクス主義の終焉に備えようとしていた。そして、マルクス主義の終焉に、すなわちマルクス主義自体の「転向」を前に、マルクス「主義」ではない位相に、本来のマルクス的なものを見出そうとしていた。そのとき、中野の特異なあり方が、にわかに視界に浮上してきたのだろう。

 柄谷は、普通「転向」と言えば、マルクス主義「からの」転向を指すが、中野にとって(というか昭和初期には)マルクス主義「への」転向を意味していたと言う。そしてそれは、ニヒリズム=意味の希求である、と。ここで言われるニヒリズムは、ハイデガーが、キリスト教の衰退ではなくキリスト教そのものがニヒリズムだと言った意味において、だ。

 人間は無意味に耐えられず、したがってニヒリズムとはすでに意味の希求である――。このニヒリズム=意味の希求を、イマ風に「オルタナティヴの不在」とでも言い直せば、冷戦崩壊以降、依然としてわれわれがこの渦中にいることがわかるだろう。与党しか存在し得ない日本の政治空間、トランプ現象に席巻されるアメリカの政治空間……。いまだわれわれは、オルタナティブの不在とその希求を乗り越えられない状況にある。

 話を戻せば、柄谷は、マルクス主義「への」転向も、それ「からの」転向も、ニヒリズムに根差している以上同じものだと考えていた。そして中野は、そうした「主義=意味の希求=ニヒリズム」という回路とはズレた地点で、マルクス的であろうとした文学者だったのだ、と。

 そのズレ方は、「ちょっとの違い、それが困る」と言って、小さな差異にこだわるあり方だった。これによって、中野は、「意味/無意味」という大きな二元論的対立ではなく、「非意味=ノンセンス」を導入し得たのだ、と。それによって中野は、「意味と無意味」、「転向と非転向」、「知識人と大衆」、「政治的価値と芸術的価値」…といった、一見対立に見える二元論的対立が、その実同じ回路に回収されてしまう偽の対立(中野の表現で言えば「罠のようなもの」)にすぎず、それに対して「ちょっとの違い」をつきつけることで、その回路からズレた存在たり得たのだ、と。

 だが、本当にそうか。

 例えば、「政治的価値と芸術的価値」という対立について見てみよう。中野は、平林初之輔の提示した「政治的価値と芸術的価値」(1929年)という二元論に対して、「芸術に政治的価値なんてものはない」(1929年)と断言した。平野謙は、その中野のスタンスを、二元論ではなく、「芸術的な一元論で割りきってみせたもので、芸術的にはすぐれていても政治的に(あるいはイデオロギイ的に)劣っているなどということは本来あり得ない、それは政治的にではなく芸術的に劣っているということだ、と見事に論破してみせた」、またそれは「さきに芸術大衆化論において、芸術的にすぐれていることが大衆的ということの唯一最高の条件だと論じたときとおなじ筆法である」と論じた(『昭和文学史』1963年)。

 それに対して、柄谷は次のように批判する。

しかし、中野は二元論を一元論で「割りきった」のではなく、二元的な「対立」を「差異」にもっていったのである。中野がいうのは、芸術に政治的価値と芸術的価値があるのではない、芸術的価値の「差異」があるだけだということだ。(それは芸術に政治的な意味がないということを意味するのではない。いかなる言説も、非政治的言説も政治的な意味を帯びるのである。だが、それは積極的な主題=価値とはべつのことだ。)それはまた政治についてもいえる。こういういい方をしてよければ、政治には政治的価値の差異があるだけだ。このために、中野は「あるときは政治至上的であり、あるときは芸術至上的である」ようにみえる。だが、これが不可思議に見えるのは、平野が救いがたいほど「政治と文学」の二元論に陥っているからである。

 だが、このとき柄谷が、「いかなる言説も、非政治的言説も政治的な意味を帯びる」と言えたのは、いわゆる「68年」以降、大文字の政治が失効し、政治が小文字化していくことで、「いかなる言説も」「政治的な意味を帯びる」という地平にすでにいたからではなかったか。

 この時点で「政治と文学」という二元論的対立は、とうに失効していたことに注意しなければならない(奥野健男による「政治と文学」の破産宣告(「「政治と文学」理論の破産」)は1963年)。すなわち、中野の「ちょっとの違い」が、二元論からズレたところに見えたのは、すでに二元論的対立が無化していたからではなかったか。

 したがって、「平野が救いがたいほど「政治と文学」の二元論に陥ってい」たという柄谷の見方は、いわゆる遠近法的倒錯である。「救いがたいほど」「二元論に陥ってい」たのは、中野もまた同じだったはずなのだ。

(続く)