大杉重男氏に応えて

 『子午線』4号に掲載されている拙論に対する、大杉重男氏のブログ記事を読んだ。

http://franzjoseph.blog134.fc2.com/blog-entry-79.html

 言うまでもなく、私はこの大杉の論にほぼ全面的に反対である。その理由は拙論を読んでもらえれば分かると思うので全面的には論じないが、二、三の点について述べておきたい。

 まず、大杉が指摘する拙論の「事実誤認」について。大杉は、1930年代の「思想と実生活」論争が、50年代に形成された「平野史観」の「後年」ということはあり得ないと言う。

 当たり前だ。大杉は、拙論の一文だけを取り上げているが、ここの「後年」とは、「平野史観」の「後年」ではなく、該当箇所直前の引用文にある、「自然主義貫流する」「実行と芸術」というパラダイムが形成された「後年」を指す。平野謙は、「「実行と芸術」という問題意識に、近代日本文学を貫流するひとつの問題史をながめたい」と考えた。いわば、近代文学全体を、「実行と芸術」というパースペクティヴで捕捉しようと目論んだわけだ。それが今回、「平野史観」と呼んでみたものである。

 「自然主義貫流する」「実行と芸術」の枠組を延長、拡大し、近代文学全体を「貫流する」物差しとして捉え直すその史観は、自然主義文学における「実行と芸術」や「芸術と実生活」、さらにはその「後年」の、小林と白鳥による「思想と実生活」論争をもその文脈に包摂する(次段落の私の言葉で言えば「飲み込む」)ものだった、というのが、拙論該当箇所の趣旨である。

 この史観のもとでは、実際の論争の実体がそうでなくとも、「思想と実生活」は「実行と芸術」の変奏としてあるのだ。大杉は「逆に「平野史観」が「思想と実生活」論争の影響を受けていることは十分ありうるが、それは違う「文脈」に移し替えたものであるに違いない」と述べているが、まさにそのようにして、後から遡行して、自らの「文脈」に「移し替え」、飲み込んだのが「平野史観」だったと私は論じたつもりだ。

 また拙論が後述しているように、そのパースペクティヴは、ほとんど「リアリズム」と同義と見なせよう。したがって、そもそもそれは、「その後(年)」を含む「前後」を無効化するパースペクティヴであり、だからこそ強力だったのだ、と。したがって、「平野史観」を資本主義とパラレルに捉える大杉の視点については、私も賛成である(ただ、このあたりのことは、連載の中で平野を中心に論じる機会に譲りたい)。そして、その「平野史観=資本主義」の「影響力」を切断しようとしたのが、中村光夫ではなかったか。拙論は、そう論じたわけである。これに対する賛否はともかく、前後の文脈をたどれば、誤解はないはずだ。

 次に本題。おそらく、大杉と私との間で最も対立するのは、この「平野史観」と「中村史観」(中村光夫の文学「史観」については別途考察を要すると思われるが、ここでは大杉の設定に従っておく)とを、「相補的」と見なすか否かだろう。

 大杉は、両者は相補的であり、それは「より根源的には資本主義と共産主義の相補性に行き着くことになる」と言う。そして、後者(中村史観=共産主義)は、前者(平野史観=資本主義)の「幽霊的分身」として「とりついている」のだ、と。したがって、「資本主義は共産主義と手を切ることはできないが、共産主義のおかげで活性化され、延命する」というのが、大杉の主張の核心だと思われる。

 いかにも「幽霊」を好む大杉らしい議論だが、あえてその主張に即せば、では延命装置たる共産主義(中村史観)がなくなれば、資本主義(平野史観)もまた廃絶されるのだろうか。ならば、共産主義圏が崩壊した冷戦終焉以降は、資本主義もまた死滅に向かっているのだろうか。それとも、共産主義は死んだからこそ「幽霊」として(のみ)生き延び、よって資本主義もまた永続されるということなのだろうか。いずれにせよ、この両者の「相補性」(幽霊論)のもとでは、両者が共倒れしようと、ともに永続しようと、結局は「自然成長性」に身をゆだねるほかなくなる。これは、形を変えた「歴史の終焉論」(フクヤマ)ではないか。

 そして拙論は、この種の「相補性」をこそ粉砕しようとするものである。「相補性」の認識は、両者の「敵対性」を隠蔽するからだ。
 中村光夫は、その敵対性を「復讐」という言葉で語った(石原吉郎なら、資本主義的「交換」に「敵」を発見し、民主主義に「不信の体系」を見るだろう)。

 大杉は、それを「悔恨による復讐」、すなわちルサンチマンと同義だと見なしているが、私の考えでは、中村光夫ほどルサンチマンから遠い者もいない。中村は、転向を内面的に「告白」したことなどなかった。中村は、「悔恨による復讐」ではなく、「復讐」しないことが「悔恨」に陥らせると考えていたのだ。

 「言文一致の制度性を批判することが「帝国」への抵抗であるという類の身振りは、いまやありふれたクリシェになりつつある」と大杉は言うが、なるほど「幽霊」の視点から見れば、それはクリシェ=幽霊的反復」にしか見えないだろう。だが、我々が、あいかわらず言文一致以外で読み書きできず、言文一致制度の外に出られないことは現実である。そうである以上、それに対する批判が「クリシェ」だというのは、これまた「自然成長性」に身をゆだねることにしかならない。

 私に言わせれば、「復讐」や「悔恨」という言葉が目に入れば、それをニーチェのいう「ルサンチマン」と、「透明」に直結させる思考こそ「クリシェ」である。ルサンチマンを過剰に意識することがルサンチマンなのだ。今、中村の言う意味で「復讐」などと言い出す文学者はいない。それに対する怒りが不在だからだ。だからこそ、中村の「復讐」は、現在において批評的なのである。
 
 ここまで述べてくれば、私が、「近代文学は貧しい」から「別の文学」でもって「文学を生き延びさせたい」と考えているかのような大杉氏の指摘が、いかに的外れであるかは、もはや自明であると思われる。そのことは、今後の連載において、より鮮明になるだろう。

中島一夫