2016-06-12から1日間の記事一覧

柄谷行人の「中野重治と転向」について その3

そのように二元論的対立が失効していたにもかかわらず、むしろ中野の方が「救いがたいほど」対立を生きていたのだ。1948年から58年まで、日本共産党専従だった増山太助の以下の証言は、その背景を伝えていよう。 中野と窪川(鶴次郎)はともに旧制四高出身で…