暗殺と民主主義

 物騒なタイトルだが、三島のことだ。

 三島由紀夫は、民主主義に暗殺はつきものだと考えていた。人間は皆平等であり、お互いに一対一で顔を突き合わせる。その時、一つの政治的意見が、一つの政治的意見を殺す。それが暗殺だ、と。

だから、政治というものはいずれにしろ激突だ。そして激突で一人の人間が一人の人間を許すか、許さないか、ギリギリ決着のところだ。それが暗殺という形をとったのは不幸なことではあるけれども、その政治原理の中にそういうものが自ずから含まれている。もしそうでなければ、諸君が選挙の投票場へ行って投ずる一票に何の意味がありますか。諸君が投ずる一票が一ト粒の砂粒だったら、何になりますか。あれは諸君がたとい無名であっても、あるいは社会的な地位がなくても、その一票があなたの全身的な政治的行為であって、それの集積が民主主義をなしている。だからそういう間接的な民主主義によって民主主義形態が成り立っていることが理想であるけれども、その原理の中には自ずから、ロバート・ケネディも、一投票者も、政治的意見において一対一で、人間的に一対一だという考えが含まれなければ、民主主義は成立しない。だから暗殺というのはアクシデントではあるけれども、民主主義に暗殺はつきものだと私がいったのは、そこなのです。(学生とのティーチ・イン「国家革新の原理」)

 逆にいえば、その一対一の激突を避けるがゆえに、共産主義全体主義は、相互監視、言論統制強制収容所、粛清となるのだ、と反共の三島はいう。それなのに、民主主義を唱えながら、戦後の平和共存のもとでの平和教育人間主義教育によって、暗殺=人を殺すこと=いけないこと、というふうに、それは暴力として否定され排除されていったのだ、と。

 「民主主義を守れ」と言うのはたやすいが、単なる暗殺、暴力、戦争反対では、民主主義を守ることはできない。例えば、笠原和夫が『日本暗殺秘録』(1969年)を撮ろうとしたのも、同じ「思想」からだった(「ただ僕は本当に思うんですけどね、戦後、もっと暗殺事件があったら政治はもっとよくなったんじゃないかと」(『昭和の劇』)。

 「暗殺」が過激なら、石原吉郎の「民主主義は人間不信の体系」でもよい。「あなたが人間なら私は人間ではない。私が人間ならあなたは人間ではない」というのが、石原がソ連ラーゲリで見出した「民主主義」であった。人間A=人間Bが成立するとき、BはAに存在を「抹殺」されているというのが、石原の「価値形態論」(マルクス)なのだ(拙著『収容所文学論』参照)。

 ここでは「言論の自由」は、他者の「抹殺=暗殺」にほかならない。三島は言う。「言論の自由に、完全な自由がないことも確か」であり、「もしも完全な言論の自由が実現されれば、それはアナーキズムの国である。アナーキズムの国というのは言葉の矛盾で、アナーキズムは国家を建設することができない。そういう国に住むなら別だが、そうでない限り、政治は必要悪としてそこにいつも現われる」。

 議会制民主主義とは、あくまでその「必要悪」における「相対的な技術」にすぎない。したがって、議会制民主主義によって保障されている「言論の自由」は、常にすでに危ういものだ。

 三島は、そのことをよくわかっていたからこそ、「文化概念としての天皇」でもって、その本質的な脆弱性を塞ごうとしたのだ。現在の「民主主義」や「言論の自由」や「天皇」をめぐる言説は、この三島の理論的水準から、はるかに後退しているように思える。

中島一夫