cinema

リップヴァンウィンクルの花嫁(岩井俊二)

さまざまなところに、「3・11以降」が刻印されている。 主人公の「七海」(黒木華)は、宮澤賢治の故郷、岩手の花巻出身(SNSのアカウントも、「クラムボン」に「カムパネルラ」)で、現在は東京の高校で派遣の非常勤講師をしている。 監督はインタビ…

断食芸人(足立正生)

パレスチナ革命に身を投じたこの監督の新作が、カフカの『断食芸人』を題材にしたものだと知って、やはり、と思った。私もまた、昨年の国会前のハンスト行動を見たとき、『断食芸人』を思い出していた。 修行や健康のためではなく、芸=表現としての断食。 …

サウルの息子(ネメシュ・ラースロー)

ピンボケの画面を男が近づいてくる。 その男、サウルは、アウシュヴィッツ=ビルケナウ絶滅収容所の「ゾンダーコマンド」だ。ガス室の遺体処理や床洗いのために、ユダヤ人で構成された特別部隊で、背中に×印の囚人服を着せられている。 ゾンダーコマンドに指…

マネー・ショート 華麗なる大逆転(アダム・マッケイ)

それにしても、胸糞悪い映画だ。 リーマンショック前夜。ここには、バブルを仕掛けた者と、バブルが崩壊することを望んでいる者しか出てこない。主に後者――バブル崩壊を一足先に察知して、それをまた儲けにつなげた者たち――が主人公たちである。 だが、胸糞…

最愛の子(ピーター・チャン)

深圳の下町の一角でインターネットカフェ(といっても駄菓子屋のような佇まい)を営んでいるティエン。家の電気の接触が悪いので、もつれにもつれて錯綜した送電線の束から、我が家につながる一本を探し出そうとするが、なかなか見つからない。挙句、別の家…

独裁者と小さな孫(モフセン・マフマルバフ)

その声ひとつで、街中の灯りを点灯・消滅させる権力を手中にしていた老独裁者が、クーデターによって大統領の座を追われ、愛する孫の手を引いて、命からがら国内を逃亡する。ある時は羊飼いに、またある時は旅芸人に変装し、ついにはかつて自らが裁いた政治…

ハッピーアワー(濱口竜介)

この5時間17分という「大作」(という表現は実は適当ではないが)が、神戸、東京とも連日満員だという。 名の知れた俳優ではなく、演技経験に乏しいワークショップ受講者を起用するというこの監督の手法が、観客のリアリティに訴えかけているのかもしれない…

アクトレス 女たちの舞台(オリヴィエ・アサイヤス)

大女優が、自らの出世作となった舞台『マローヤの蛇』リメイクへの出演をオファーされる。かつて演じた若いインターン役ではなく、その相手役の中年社長の役だ。彼女にとって、それは若い頃の自分との対立、葛藤を強いられる、虚実入り乱れた残酷な舞台とな…

バクマン。(大根仁)

これは、マンガ家を夢見る高校生二人が、「友情・努力・勝利」(『少年ジャンプ』のコンセプト)というイデオロギーの動員に駆り立てられ必死に奔走するものの、最後は「敗北」していくという物語である。 現在「マンガ家」が、ネオリベ(新自由主義)下にあ…

マイ・インターン(ナンシー・マイヤーズ)

ハンドルを握るロバート・デ・ニーロが、バックミラー越しに後部座席のアン・ハサウェイを見つめる。『タクシー・ドライバー』へのオマージュだと感じさせる、ほぼそのことだけが印象に残った。 『タクシ・ドライバー』の「トラヴィス」(デ・ニーロ)は、大…

岸辺の旅(黒沢清)

現在、映画に現れる幽霊は、いったいどのような存在なのか。 言うまでもないが、映画はずっと幽霊を映し出してきた。画面に現れる人物たちは、実在しないが目に見える存在であり、生きてはいないが死んでいるともいえない、光によって構成された人物の影、す…

ナイトクローラー(ダン・ギルロイ)

この作品のテーマは、ジャーナリズムでもカメラ=見ることをめぐる欲望でもない。 冒頭、闇夜に無断で金網を破り外している男がいる。屑鉄業者に売りつけるのだ。だが男は、業者の言いなりの額で取引しなければならない。いつまでも、こんなにみじめなままで…

コングレス未来学会議(アリ・フォルマン)

人と対面していて、時折、向こうにはこちらが、アニメやゲームのキャラクターのように映っているのではないかと感じることがある。リアリティの感覚の差異、というべきなのか、何か決定的に「線」をまたいでしまった/またがれてしまった、という感触がある…

ルック・オブ・サイレンス(ジョシュア・オッペンハイマー)

ホモサケル。骨と皮だけになった老人が、老女にされるがままに体を洗われている。そこに意志はない。耳も目もほとんど機能を喪失しているようだ。息子のアディに耳元で「歌える?」と言われ歌いだしたときだけ、かろうじて表情がよみがえる。その歌は、楽し…

私の少女(チョン・ジュリ)

イ・チャンドンが、企画段階からほれ込んでプロデューサーを買って出ただけあって、繊細できめ細かい作品だ。だが、今作は、作中の少女ドヒ(キム・セロン)や女性警官ヨンナム(ペ・ドゥナ)がそうであったように、心無い誤解にまみれている。 ヨンナムとド…

Mommy(グザヴィエ・ドラン)

昨年のカンヌ審査員特別賞は、ゴダールとこのドランだった。受賞の際ゴダールはこうコメントした。「カンヌは、若い映画を撮る老いた監督と、古い映画を撮る若い監督をいっしょくたにしたんだ。ドランは映画の形式も古い」。 もちろん80歳を超えて、あの野心…

海にかかる霧(シム・ソンボ) その2

すると、ラストシーンも意味深長になる。6年後、ドンシクは、ホンメとの約束の地九老にやってきていた。そして、子供にラーメンを食べさせる女性に目を奪われる。 後ろ姿の女性は「ホンメ」で、ドンシクと目が合う子供は、あのとき不安と恐怖にかられて、互…

海にかかる霧(シム・ソンボ) その1

あの『殺人の追憶』の脚本、シム・ソンボが初監督、ポン・ジュノが共同脚本と製作に回っている。ポン・ジュノ組らしく、韓国社会の暗部をえぐり取るような作品だ。そうした視点抜きに見るならば、本作はハリウッドまがいのパニック映画にしか見えないだろう…

神々のたそがれ(アレクセイ・ゲルマン) その3

ルマータが、他の観察者(地球人)と決別するという作品の展開は、また、ロシアのみならず日本の1930年代をも想起させてやまない。当時の日本文学を席巻した「芸術と実行」や「政治と文学」といった問題である。 平野謙は、中野重治と「政治と文学」論争を交…

神々のたそがれ(アレクセイ・ゲルマン) その2

前作『フルスタリョフ、車を!』で、ゲルマンは、スターリンが自らの排せつ物に塗れて死んでゆく姿を描いた。これほどまでに、スターリンの死を惨めに描いた作品もないだろう。 スターリンの死を、まさにこれこそ「神の死」だとばかりに、即物=汚物的に描い…

神々のたそがれ(アレクセイ・ゲルマン) その1

このとてつもない怪物的な映像を、いったいどのような言葉で捉えればいいのか。何度見ても、途方に暮れてしまう。 ゲルマンは国内外で「反ソ」の作家と目されてきた。確かに、長編第一作『七番目の道連れ』(1967)で、早くも達成二年後に裏切られた革命を描…

イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密(モルテン・ティルドゥム)

ナチス・ドイツの暗号=エニグマを解読した、イギリスの数学者アラン・チューリングの実話に基づく物語。「イミテーションゲーム」とは、エニグマを解読したことをドイツに悟られないようにするために、暗号を解読した瞬間から、戦争が相手をかく乱するゲー…

おみおくりの作法(ウベルト・パゾリーニ)

ロンドン市ケニントン地区の民生係であるジョン・メイは、孤独死した人々を弔うのが仕事だ。故人の遺品や写真を手ががりに、その人生を思い浮かべては弔辞をしたため、ふさわしいBGMを用意して宗教に沿った葬儀を執り行う。遺族や知人を訪ねて訃報を届け…

妻への家路(チャン・イーモウ)

ついに中国映画にもテーマとして認知症が入ってきたようだ。中国では、認知症すら政治的となる。 男がトンネルの側溝に身を隠し、轟音をたてて走り去る列車をやり過ごすシーンから始まる。 1976年、「陸焉識」は、二十年間囚われていた収容所から脱走、当局…

さらば、愛の言葉よ(ジャン=リュック・ゴダール) その2

そして、この「自然」と「隠喩」の関係こそ、言葉の表象=代行機能の核心なのだ。どういうことか。それはAをAでは表すことができないという単純な事実による。Aとは何かを表現するためには、Aとは別なる言葉Bでもって「AとはBである」(A(シニフィ…

さらば、愛の言葉よ(ジャン=リュック・ゴダール) その1

原題は「ADIEU AU LANGAGE」だから「さらば言葉よ」。前作『ゴダール・ソシアリスム』同様、ストレートなタイトルだ。言葉という表象=代行システムよ「さらば」。 むろん、われわれは、言葉という表象から逃れることができない。Adieuが、スイスでは「こん…

二重生活(ロウ・イエ)

『ふたりの人魚』では上海、『天安門、恋人たち』では北京、『スプリング・フィーバー』では南京と、一作ごとに舞台を移し、ロウ・イエはこの新作で内陸部の地方都市、武漢へと向かった。 中国の経済成長は、沿岸部から内陸部へと進展するとともに、地方には…

ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して(アルノー・デプレシャン)

血縁の乗り越えとしての「養子」、権威の脱臼としての「対話」(セッション)。 デプレシャン的な革命のテーマが、フランスからアメリカに舞台を移して展開される。あたかも、カフカが(そしてベンヤミンがカフカに見出した)『インディアンになりたいという…

三里塚に生きる(大津幸四郎、代島治彦) その2

ともするとこの作品は、ジジェク風に言うと、「三里塚闘争を、68年抜きで」と見られかねない。その1の末尾で述べたような、そのような本作の危ういスタンスが最も露わになるのが、おそらく小泉英政のシーンだろう。 機動隊員三人が死亡した、東峰十字路「…

三里塚に生きる(大津幸四郎、代島治彦) その1

いく度も小川紳介の三里塚シリーズの映像が挿入され、三里塚闘争の歴史が参照される。現在表面的には、闘争の跡があとかたもなくなっているように見える風景が、歴史=記憶を重層的に堆積させた場所へと変貌する。とりわけ、闘争の過程で命を落とした死者の…