ナイトクローラー(ダン・ギルロイ)

 この作品のテーマは、ジャーナリズムでもカメラ=見ることをめぐる欲望でもない。

 冒頭、闇夜に無断で金網を破り外している男がいる。屑鉄業者に売りつけるのだ。だが男は、業者の言いなりの額で取引しなければならない。いつまでも、こんなにみじめなままではいられないと思ったか、今度は自らを労働力として雇うよう売り込もうとする。自分は「覚えはいい」、「最初は見習いでいい」、「スキルアップを怠らない」。だが業者は、にべもなく言い放つ。「コソ泥は雇わん」。

 このとき男は、「売る立場」の絶対的な弱さを思い知る。そして、この世では、向こう側の人間(=買う立場)にならなけらばならないということを身に染みて悟ったのだ。驚異のナイトクローラー=報道パパラッチ、ルイス(ジェイク・ギレンホール)の誕生である。

 ナイトクローラー=夜に這い出るミミズという言葉のごとく、どこからともなく彼らは闇夜に這い出してくる。ルイスは、そんな彼らを見よう見真似で、ナイトクローラーの技術をいつものように「コソ泥」しては、まさに自己アピール通りの「覚えのよさ」と「スキルアップ」精神とで、やがて一流のナイトクローラーとしてのしていくだろう。

 彼は、「金網=法」の境界を破ることに躊躇しない。交通ルールを無視して闇夜に車を飛ばし、警察の捜査線を踏み越えて被害者に接近、またある時は無線を傍受しては警察より早く現場に踏み込む。そして、撮るべき対象と撮るべきではない対象との分別を破棄し、カメラのフレームの内と外とを無化していこうとする――。最初に突きつけられたこの世のルール、「売る立場」と「買う立場」との境界(金網)を乗り越え、また破ってしまいたいとでも言うように。

 だから、よく比較されるが、彼は『タクシードライバー』のトラヴィスロバート・デ・ニーロ)のように、内側に怒りを沸々と燃やしているアウトローではない。むしろ、ずっとPCの前にいて、無駄なプロセスを省き、限りなく合理的にスキルアップをはかっていく、自己啓発の悪魔化した実践者なのだ(口にするのは、だから「勤務評定」という言葉だ)。だからこそ、やがて彼は自ら会社を立ち上げ、自ら社長に君臨していくだろう。二度と「売る立場」に立たなくていいように。

 最後にニュースディレクターの「ニーナ」も言う。「彼は、私たちを一段アップさせてくれたのよ」。そういえば、彼女も最初は彼の映像を「買う立場」だった。ルイスは、ある時ニーナを食事に誘うが、彼が自分と「寝たい」のか、ディレクターの自分を「脅迫」して抱き込みたいのか、はたまたビジネスパートナーとして有利に立ちたいのか、彼女にはルイスの望みがよくわからない。

 だが、明らかだろう。彼は、二人の間に横たわる「売る立場」と「買う立場」の非対称を破りたかったのだ。彼が彼女に言う「友達はギフトをもたらすもの」という言葉は、そのことを示していよう。思えば、助手のリックをあのような形でお払い箱にするのも、リックがルイスの値段交渉術を「コソ泥」し、自分を「買う立場」から「売る立場」へと転落させようと目論んだからだった。

 「重要なのはコミュニケーションだ」。ルイスは、ニーナともリックとも、値段交渉ではなく、お互いに信頼できる「友達」としてコミュニケーションしたかっただけなのかもしれない。「自分のできないことを君らには求めない」。新しく立ち上げた会社の、新しい部下たちに向けた彼の言葉は、過去の失敗から来る含蓄のある教訓だったのだろうか。

中島一夫