2015-01-01から1年間の記事一覧

妻への家路(チャン・イーモウ)

ついに中国映画にもテーマとして認知症が入ってきたようだ。中国では、認知症すら政治的となる。 男がトンネルの側溝に身を隠し、轟音をたてて走り去る列車をやり過ごすシーンから始まる。 1976年、「陸焉識」は、二十年間囚われていた収容所から脱走、当局…

さらば、愛の言葉よ(ジャン=リュック・ゴダール) その2

そして、この「自然」と「隠喩」の関係こそ、言葉の表象=代行機能の核心なのだ。どういうことか。それはAをAでは表すことができないという単純な事実による。Aとは何かを表現するためには、Aとは別なる言葉Bでもって「AとはBである」(A(シニフィ…

さらば、愛の言葉よ(ジャン=リュック・ゴダール) その1

原題は「ADIEU AU LANGAGE」だから「さらば言葉よ」。前作『ゴダール・ソシアリスム』同様、ストレートなタイトルだ。言葉という表象=代行システムよ「さらば」。 むろん、われわれは、言葉という表象から逃れることができない。Adieuが、スイスでは「こん…

二重生活(ロウ・イエ)

『ふたりの人魚』では上海、『天安門、恋人たち』では北京、『スプリング・フィーバー』では南京と、一作ごとに舞台を移し、ロウ・イエはこの新作で内陸部の地方都市、武漢へと向かった。 中国の経済成長は、沿岸部から内陸部へと進展するとともに、地方には…

ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して(アルノー・デプレシャン)

血縁の乗り越えとしての「養子」、権威の脱臼としての「対話」(セッション)。 デプレシャン的な革命のテーマが、フランスからアメリカに舞台を移して展開される。あたかも、カフカが(そしてベンヤミンがカフカに見出した)『インディアンになりたいという…

三里塚に生きる(大津幸四郎、代島治彦) その2

ともするとこの作品は、ジジェク風に言うと、「三里塚闘争を、68年抜きで」と見られかねない。その1の末尾で述べたような、そのような本作の危ういスタンスが最も露わになるのが、おそらく小泉英政のシーンだろう。 機動隊員三人が死亡した、東峰十字路「…

三里塚に生きる(大津幸四郎、代島治彦) その1

いく度も小川紳介の三里塚シリーズの映像が挿入され、三里塚闘争の歴史が参照される。現在表面的には、闘争の跡があとかたもなくなっているように見える風景が、歴史=記憶を重層的に堆積させた場所へと変貌する。とりわけ、闘争の過程で命を落とした死者の…

三島由紀夫『詩を書く少年』

花ざかりの森・憂国―自選短編集 (新潮文庫)作者: 三島由紀夫出版社/メーカー: 新潮社発売日: 1968/09/17メディア: 文庫購入: 5人 クリック: 71回この商品を含むブログ (90件) を見る 三島を面白いと思ったことはない。 機会があって、三島自身が文庫解説で、…

ジャッジ 裁かれる判事(デヴィッド・ドブキン)

「裁かれる判事」というより、むしろ裁かれる「弁護士」というべき作品だろう。作品として真新しさはないものの、弁護士「ハンク」を演じたロバート・ダウニーJrのひたすら鼻につく感じというか、鼻持ちならない感じがよかった。 いったい、彼はなぜ「裁か…

『異邦人』論争下の花田清輝

武井昭夫が、はじめて花田清輝の話を聞いたのは、ちょうど中村光夫と広津和郎による『異邦人』論争のさなかだったという。 新日本文学会の大会でそれをめぐる議論の途中、花田が「射殺されたアラブ人の立場からものを見ろ、その立場から論じた人が一人でもあ…

トークイベント「批評の敵」を終えて

あくまで私的な感想を書いておきたい。 スタンスも世代も異なる文芸批評家に集まっていただいたので、むろん話は拡散的になったが、にもかかわらずコアの部分で問題意識はシンクロしていたように思う。それは一言で言えば、われわれが何らかの形で、1930年代…

トークイベント「批評の敵」

1月20日(火)に、近畿大学にて、トークイベントを行います。学外の方の参加も自由です。

インターステラー(クリストファー・ノーラン)

ずいぶん前に見たのだが、ある懸念が的中してしまい、ずっと書く気が起こらなかった。だが、あまりにも本作の評価が高いので、やはりあまのじゃく的に書いておこう。 すでに前作『ダークナイトライジング』(2012)のバットマンが、街を救うべく、海上で爆弾…

0.5ミリ(安藤桃子)

冒頭、痰を吸引する管が映し出され、カメラは徐々に老人の口元へ、さらには傍らの家族らしき娘と介護するヘルパーへと移っていく。生々しいまでの介護の具体性を入口として、それを伝ってその奥に広がる家族関係、人間関係を映し出していこうとする本作のテ…