トークイベント「批評の敵」を終えて

 あくまで私的な感想を書いておきたい。

 スタンスも世代も異なる文芸批評家に集まっていただいたので、むろん話は拡散的になったが、にもかかわらずコアの部分で問題意識はシンクロしていたように思う。それは一言で言えば、われわれが何らかの形で、1930年代の再考を迫られているということだ。

 気鋭の批評家、大澤聡氏の「批評の全体性」(「すばる」2月号)は、まさに1930年代の批評空間を観察したうえで次のように提言する。青野季吉が言うように、「批評」の「全体性」が「回復されなければならない」、ただし「グランドセオリーとしてのマルクス主義」抜きで。

 イベントでも言ったことだが、すなわちこれは、平野謙が模索し続けていた「文学的人民戦線」論の変奏だろう。結論部に言われる、「近代批評の始祖」としての小林秀雄ではなく、「決してひとり孤絶した場所で批評を創出したのではない」小林の「可能性」とは、まさに平野が、その小林「私小説論」に見出そうとした文学的人民戦線の可能性を想起させてやまない(この点、新刊『批評メディア論』にも注目したい)。

 また、先日『復興文化論』でサントリー学芸賞を受賞した福嶋亮大氏は、そこにおいても、また最近の「物語の再起動に向けて」(「すばる」2月号)においても、あまりにも近代文学中心主義的な「物語批判」によって貧血に陥っている文芸批評に、あえて古典を含めた物語を再導入することで、文学の「復興」を目指そうとする。これまた、1930年代後半以降の、いわゆる「文芸復興期」における古典回帰を想起させる試みといえよう。

 柳田や折口に戻ることで、西洋市民社会的で三人称的な「われわれ」ではなく、また内面的で一人称的な「わたし」でもない、物語の聞き手たる二人称的の「あなた」(=観客)の「発見」にこそ、日本文学の正統的な系譜を見出そうとするその視点は、最近すが秀実氏が『天皇制の隠語』で再導入した日本資本主義論争の文脈で言えば、明らかに講座派的な歴史観に基づいているといえよう(したがって、『復興文化論』の末尾も、講座派史観の典型たる森鴎外の「普請中」で閉じられることになる)。むろん、日本資本主義論争自体、1930年代の問題である。

 さらに渡部直己氏が、最近の「移人称小説」に見出した「今日の「純粋小説」」(「新潮」2014年10月号)という視点もまた、1930年代的な問題であることは言うまでもないだろう。横光利一「純粋小説論」は1935年である。そして上記批評文は、小説家・横光に対する批評家・小林の優位性を告げるように、「純粋小説」批判とも言える小林「私小説論」への言及をもって終わるのだ。まるで、小林「私小説論」の再検討に始まるすが氏の『隠語』へと問題を引き継ぐように。こうして、四者の批評は、差異と対立をはらみながらシンクロしている。

 渡部氏が、最近の小説の傾向としてあるという「移人称」が、これまた氏が論じるように、横光「純粋小説論」の「第四人称」と呼応しているとしたら、かつてすが氏が論じたように(『探偵のクリティック』)、やはりそこには、見ようと思えば「転向」の「残滓」があるというべきだろう。「当たり前のことだが、転向しなければ自分を見るもう一人の自己の視点――自己意識――などを持ちようもないからだ」。ただ、今や「グランドセオリーとしてのマルクス主義」が不在であり、したがって転向問題が不可視であるために、現在の「移人称小説」が、転向とは、すなわち政治とは、無縁であるようにしか見えなくなっているのである。

 だとすると、「移人称小説」(≒第四人称)の群れも、中村光夫の言うように、「転向作家」たちの「私小説」であると見なすべきなのだろうか。いずれにしても、人称(や視点)というパースペクティヴは、中村がこだわり続けた、言文一致体による「表現=表象」自体の政治性(むろん、これも「転向」した「私」の「告白」に関わる)を覆い隠してしまうのである。

 そんなことを、つらつらと考えていた。

中島一夫