〈空白〉の根底 鮎川信夫と日本戦後詩(田口麻奈)
本書をご恵投いただきました。
いつも論考を拝読している、現代詩の研究者である田口麻奈氏による、鮎川信夫や「荒地」についての研究論文集成である。550頁にわたる大部な一冊で、巻末には鮎川の全集未収録の詩篇11篇など「附載資料」も充実している。
つらつら読んでいて、かつて『エンタクシー』誌上のアプレゲールをめぐる鼎談(すが秀実、福田和也、坂本忠雄)で、日本にアプレがあったとしたら、小説ではなく、むしろ鮎川や田村など「荒地」詩人においてではないか、と論じられていたのを思い出した。本書は、鮎川の詩を明確に「戦後詩」として捉え、結果的にアプレゲールとしての鮎川の像を強く打ち出しているように思う。
だが、戦後詩は本来、戦時中の戦争詩・愛国詩への反省を経て、あらゆる表現は社会的責任を帯びる、例外はない、という意識を強く持っていたのではなかったか。先走って述べれば、詩を社会から浮き上がらせない、特権視しないというその構えこそが、詩の現在に届く議論として今なお残されているのではないか。戦後詩の持つこのような見識が汲み損ねられたまま、詩は詩であるゆえに如何様にも読める、という地平で固有の歴史性が引き剥がされてゆくことを、現時点で豊かな可能性だと言えるかどうか。(「はじめに」p10)
そしてそれは、本書のタイトルにある、例の「空白」にも関わってくる。次の一節などは、従来の鮎川のイメージに逆らう挑発的な一節ではないか。
さらに一九五四年の評論において、鮎川は戦死したモダニストたちが「生きていたかもしれないスペース」を「埋めることの出来ない途方もなく大きな空白」と呼び、死者本人以外の手によっては完成されない領域の「保存」を主張している。
この運動(引用者注――モダニズム)は、一度は死ぬ必要があったのです。そしてぼくらの前に、空白をつくり出す必要があった、すべてを、新しくやり直すためには……。ぼくたちがモダニズムの運動から受取る本当の遺産は、この空白だけです。(中略)ぼくらは、その空白を永久に保存しておくのです。とり返しのつかぬものとして……。(「われわれの心にとって詩とは何であるか」、『詩と詩論』第二集)
戦争期を精神的な停滞期として「空白」と呼称する前世代の言説に対し、「荒地」同人の北村太郎が、「彼らが空白だ、ブランクだ、という時代に僕らはまさにこの肉体を持って生きてきた」と反駁したことは、戦後詩史上に事件性をもって記憶されている。そのため「空白」は隠蔽や忘却を意味する語として、戦中世代の「荒地」によって否定されたという印象が強い。ここで否定されているのは、本来は無数の戦死で充満している戦争期を「空白」と呼ぶ虚偽であるが、鮎川が自らの当為に結びつけて用いた真正の「空白」とは、死の代補不可能性として戦後にこそ現出するのである。
表象不可能性の認識を含むという点で、死者代行とははっきりと異なる倫理的水準を示すこの「空白の保存」という発想が、詩営為に関する文脈で語られたことの意義は重大である。(第Ⅰ部・第一章「死んだ男」論、p68)
「空白」を、倫理的にではなく、言語的に、しかも「存在しなかった言葉」として「保存」すること。有名な詩「橋上の人」の「橋上」なども、存在しなかった言葉を言語的に存在させようという鮎川のジレンマを示している、と。「橋上」とは、「無根拠な近代」の「上」であり、「「根」を求めて土地に帰るという退路を断って」、しかし「詩作する」場所にほかならない。近代日本の無根拠さ、だがそうであっても、この「世界」との接触を失うまいとする、きわめて逆説的な場所であった、と。この「〈空白〉の根底」という逆説こそ、鮎川がアプレゲールたるゆえんだろう。
「橋上の人」の「前テクスト」としてサルトル『嘔吐』を名指していく実証的なくだりや、「第Ⅱ部」で論じられる「荒地」の共同性、また「思想詩におけるリズム」の問題はきわめて示唆的である。また、次なる一節なども、革新、革命を思考する者にとっては、避けられないアポリアを突き付けてこよう。
しかし、詩がどのようなふるまいを見せても詩であるという自明性のない地平において、制度に対して真に革新的であることはほんとうに可能なのだろうか。あらゆる制度内部からの制度批判がそうであるように、批判者が極めて無自覚な場合をのぞき、それは革新の意味を担保してくれる制度を自覚的に保持する動きを抱え込まざるを得ないのではないか。(第Ⅱ部・第四章「思想詩におけるリズム」p427)
もちろん、こうした拾い読み自体が批評家の悪い癖で、本書の魅力は、あくまで先行論への広い目届きのうえに実証を積み重ねていく、その堅実な記述にある。今後、鮎川や「荒地」を論じるうえで不可欠な一冊となろう。
(中島一夫)