あるリベラリスト(高見順) その2

  作品前半には、そのリベラリズム=文学が、切断されないまま、負け続けることで勝ち続けるものとなっていく、その予兆が描かれているように思う。

 

 冒頭、「進歩的な文芸評論家」と目されている「秀島」が、C町文化会で講演を行うところから作品は始まる。与えられたテーマは、「日本文学が所謂近代文学としての完全な開花をしていないというテーマ」。もちろんこれは、戦前から持ち越された、日本文学の半封建性=前近代性という、いわゆる「講座派」史観的なテーマで、だから秀島も「自分にはやや退屈なテーマだった」と思う。

 

 だが、「大正」期の初期社会主義文学運動に関わってきた「オールドリベラリスト」奥村からすれば、自分たちは社会の「非近代性」の「単なる反映の文学」ではなく、「近代化の為の」「闘いの文学」を実践してきたという自負があるわけだ(奥村は「大正期の有名な文化雑誌のグループのひとり」とある。『種蒔く人』やその後進の『文藝戦線』あたりか)。そこで奥村は、秀島に「大正期」の初期社会主義の評価を問いただすのだが、対する秀島は奥村の反応を見ながらもネガティヴな評価を下すのだ。「文学史的には価値があっても、文学的価値となると」、「文学作品としては、やはり文学的価値が高くないと」と。

 

 ここで、もし両者の間でさらに議論が展開されたなら、「大正=奥村」と「昭和=秀島」の差異がより浮き彫りにされ、ひょっとしたら「大逆」事件や一九三〇年代問題にまで踏み込んで、「転向」が主題化されたかもしれない。だが、ここで作品は「ひとりの青年」を介入させてくる。それによって議論は生煮えのまま、思わぬ方向へとズレていってしまうのだ。

 

 青年は言う。「講師は、いわゆる日本文学の非近代性を説かれるに当って、日本社会のいわゆる封建性に対して明らかに否定的な、いわゆる態度を取っておられた。すなわち進歩的な態度を、いわゆる表明していたのであるが……」、「……しかるにいま文学的価値を云々されて、文学の社会的価値よりも、芸術的価値の方を絶対視している。そこに、はしなくも矛盾が曝露された」と。

 

 重要なのは、ここで奥村が「秀島に代って」「自分の出番をながく待たされていた大部屋俳優が、ここぞとばかりに熱演する」ように応答することだ。「秀島さんは」「文学作品は先ず文学作品としてすぐれたものでないと、社会的価値は無いと言おうとしたんだと思うね。文学の社会的価値と芸術的価値とは、君の言うように分けて考えない方がいいんで」。奥村の説明は、さらに「昭和の初め頃」の「文学の政治的価値と芸術的価値」の、いわゆる「芸術的価値論争」へと及んでいく。そのとき、秀島は奥村の後に「僕は、奥村先生と同意見です」と応えるのみだ。こうして、本来切断されるべきだった「大正=奥村」と「昭和=秀島」は、同じ陣営へと癒着していってしまうのである。

 

 しかも、このときヘゲモニーは、自分ら初期社会主義者は、日本の近代化(市民社会)に向けて闘ってきたと自負する「大正=奥村」の側にある。この「大正教養主義」とも「大正デモクラシー」とも言われた、奥村が体現する「大正」期のリベラリズムが、その後マルクス主義プロレタリア文学によって何度も切断を試みられたものの、十分に切断されないまま今日に至っていると言ってよい。

 

 実際、その予兆ともいえるこの作品は、この「奥村―秀島」リベラリスト連合に対して、批判し切断を試みようとしたラジカルな青年を、作品の外へと排除しにかかるのだ。

 

「講師はすなわち、進歩的でもなんでもないということが、これで分りました。どのような詭弁を弄そうと、いわゆるその本質的なところは、――いわゆる文学的価値さえ高ければ、どんな反動的な作品でも立派な文学だということなんで……」

「僕等はもう、秀島さんの書いたものなど読む必要はない。今迄、秀島氏の書いたものに、僕等は、いわゆるだまされていたが、これで、はっきりしたです」。

流石に座は騒然となって、出席者の間で争いがはじまり、幹事は閉会を宣した。

  

 秀島が「ひどい青年がいるものですね。僕はいいとして、あなたにまであんな……」と言うと、奥村は「いや、いや、若い内はあれでいいんでしょう」と受ける。リベラリスト連合は、政治的価値に対する文学的価値の優位性に対して批判を挑んできた青年を、その思想を問題にすることなく、血気盛んな若者の無礼な振舞い(ゴロツキ?)として退けるのだ。まさに、花田清輝が高見や「近代文学」同人を批判して呼んだ「モラリスト」である。以降、作品に、青年もリベラリスト連合への批判者も出てこない。完全に排除された形で、作品は進行していくのである。

 

中島一夫