あるリベラリスト(高見順) その1

 

  1951年発表のこの小説は、社会主義者として「大正」期の初期社会主義文学運動に関わり、今や周囲から「オールドリベラリスト」と称される「奥村健人」と、主人公「秀島」をはじめとする「昭和」期の「進歩的」文学者たちとの交錯を描いた作品である。

 

 その後高見が、花田清輝との「モラリスト論争」(1955年)に進み出る、その前夜にある作品で、ラストで奥村が、「ロシア文学によく出てくるあの余計者」として「悲惨であることによってその姿は光栄と権威に輝いていた」と両義的に評価されるところなど、まさに花田に「異端者きどりのモラリスト」と批判されていく高見の姿が先取りされているといえる(対する高見は、花田を「ゴロツキ」と呼んだ)。

 

 そう、まさに「先取り」なのだ。秀島は奥村に「精神的敗残者」を見るが、同時にそれは自分たちの中にも住みついており、彼らが奥村を疎んじて敬遠しがちなのも、「つまりそれは、自分の顔を見るいやさなんだと分」かってしまっている。すなわち、この作品は、「大正」期から「昭和」にかけてリベラリズムは何ら切断されなかった、そしてその様子を、「余計者=異端」として負け続けながら、ついに「養老院」に行き着いてもなおだらだらとしゃべり続ける(秀島は奥村を「底抜けの弁舌の徒」と評すが、これは高見の「饒舌」を想起させる)奥村の姿を通して描いたものなのだ。

 

 なるほど、高見(奥村でも秀島でもあろう。まさに「ある」リベラリスト)が、花田の批判を先取りし、あらかじめ「負け」ているのは「いやな感じ」としか言いようがない。だが、この切断されずに、だらだらしゃべり続けるリベラリズム=文学は、今もなお「悲惨」に「輝」き続けているのではないか。まさに「負けるが勝ち」である。リベラルの強靭さは、この負け続けることで勝ち続けることにあろう(リベラルアイロニー?)。

 

 知られるように、高見は戦時下、「文学非力説」(これを収めた評論集『文藝随想』は、ビルマ戦線に従軍中だった高見に代わって平野謙が編集した)を主張して、右からの政治圧力から文学を守ろうとした。その際、尾崎士郎から、今「文学の純粋さ」を守ろうとする態度は、「自由主義のもつ敵性に気脈を通ずる」と批判される。高見は、1932年に治安維持法違反容疑で検挙され、長期拘留ののち起訴保留処分で釈放、以来警察の監視下におかれていた。そんななか文壇タカ派の尾崎に、「敵性=自由主義」と「気脈を通ずる」と批判されたのは、相当に痛かったはずだ。

 

 尾崎の批判は、その意図とはずれたところで当たっていたといえる。文学は国策に加担したり時局に便乗したりして、力を発揮できるほど有力のものではなく、あくまで「非力」なものにすぎない――。そのように、あらかじめ「負け」ているのが「文学」である。それは敗残者でありながら饒舌にしゃべり続ける奥村のように、「自由主義リベラリズム」に「通ずる」ものなのだ。

 

中島一夫