共喰い(青山真治)

 父親の「円」(光石研)が、「女の割れ目」のようだと言った川が流れている。生活排水、ゴミ、そして息子の「遠馬」(菅田将暉)が自慰した精液など。営み全てを溜め込んだまま、黙って流れゆく川だ。川岸では、遠馬の母「仁子」(田中裕子)が魚屋を営み、汚水を飲み込んだ鰻をさばいては、円や遠馬に食わせている。そして、彼らはまた、「割れ目」に営みを放出する。

 この川に浄化作用はない。生き物の死骸や朽ち果てたガラクタなど、営みの余剰物を溶解しきれず、掃き溜めとなっている。川の水はそのまま雨となりこの地に降り注ぐ。だから、ここでは鰻も天から降ってくる。水は汚れたまま、素知らぬ顔で、己の循環、反復の原理を粛々と貫徹するまでだ。

 作品は、基本的に、「円」を描くこの川の原理=循環、反復に支配されている。遠馬は、性交中に暴力をふるう淫蕩な父=円の血を、自ら継承し反復してしまうことに脅えながらも、それに吸い寄せられていく。父の死を過去の出来事として語るナレーションは、息子・遠馬の語りでしかあり得ないはずだが、なぜかそれが父=光石研の声になっている。現在時の遠馬が、意識ではなく「声=身体」において、逃れがたく父を反復してしまっている証拠だ。

 女たちは女たちで反復する。男に殴られ、子を宿し、魚屋を商いとし、また自らの子の手を父殺しの血で汚させないようにすることまでも(一見、背反しあうかに見える仁子と、円とつながるもう一人の女「琴子」(篠原友希子)も、この最後の点において別の形で反復しているといえる)。

 女たちは、互いに離れている所に位置しながら、うわさ話のネットワークを結び合っている。男どもの行動の情報は共有されている。今号の『映画芸術』における、監督を交えた座談会では、この「女たちの共同体」が強調され、それが男たち、あるいは天皇制の共同体とは異質な何かである可能性が示唆されていた。

 だが、そうではあるまい。むしろ、女たちの共同体が、男たち同様に反復を余儀なくされ、否応なく天皇制に吸引、回収されているというのが、この作品のビジョンだろう。

 それはしかし、仁子が戦争中に片腕を失い、したがって「「あの人」より先に死にとうない」という思いで、天皇制が惹起する物語を今日まで生きてきたとか、ラストに「そして年が明けて昭和が終わった。昭和六十四年一月七日、午前六時三十三分。満潮に近い時間だった」というナレーションで作品が閉じられるといった、見やすい事態においてではない。それは、まさに、女たちが共同体を形成していること自体にある。

 女たちは、直接言葉を交わしたわけでもないのに、事態を了解しあい物語を共有している。ベネディクト・アンダーソンを待つまでもなく、この種の「想像の共同体」こそが、「国民=ネーション」と呼ばれるものだからだ。

 渡部直己『日本小説技術史』における、馬琴の「偸聞」(たちぎき)ではないが、ネーション成立以前は、うわさが共有されるには、何者かが襖の陰で偸聞し、それが伝達されねばならなかった。ネーションの形成は、そのプロセスを一気に省略する。だから、作品でも、うわさの伝達過程は一切カットされ、いつのまにか彼女らは情報も物語も共有していることになる。

 天皇が「あの人」と呼ばれ、「昭和」の「戦争」の記憶が呼び戻されるから天皇制に回収されるわけではないだろう。他方で、神社の鳥居をくぐらないことや、女上位で性行為に及ぶことをもって、そこから脱することが出来るわけでもないはずだ。だが、離れていながらうわさを瞬時に共有する、その共時的な女たちの「共同体」を自明視してしまう瞬間、そこでは「国民=ネーション」がすでに前提となるのだ。

 だが、大作『ユリイカ』や、音楽批評家・間章をテーマにした『AA』など、まさに「間=共同体」に対して、延々とああでもないこうでもないと、懐疑や逡巡を続け、まんまと遅延行為を働くことこそが、この監督の真骨頂ではなかったか。

 それが気になるのは、監督の青山も、脚本の荒井晴彦も、申し合わせたように、竹内好の「一木一草に天皇制がある」という言葉を、まるで作品のキーワードのように繰り返し呟いているからでもある(今号の『映画芸術』を参照)。

 だが、竹内の「一木一草に天皇制がある」とは、端的に「天皇制権力」のことではなかったか。エッセイのタイトル「権力と芸術」が示すように、竹内の趣旨は、この国の芸術は、「一木一草」に至るまで陰に陽に浸透しきった権力「と」、いかにしてたたかい得るかということにあったはずだ。「一木一草」を、「自然」「鳥獣虫魚」(荒井)や「共同体」(青山)と捉えてしまったとき、果たしてそこに、竹内の「権力と芸術」の「と」は、まだあるか。

 この優れた映像作家と脚本家に期待されるのは、「日本映画再生計画」(復興?)などではなく、いっそ「世界映画」を見せてくれることだ。

中島一夫