重信房子 メイ 足立正生のアナバシス そして映像のない27年間(エリック・ボードレール)その1

 京都国立近代美術館の展覧会「映画をめぐる美術――マルセル・ブロータースから始める」にて上映されている作品。

 日本赤軍重信房子の娘「メイ」と、映像作家で赤軍のスポークスマンでもあった足立正生のモノローグが交錯する。レバノンの映像をバックに、また当時のニュース映像や、足立の『女学生ゲリラ』、『略称・連続射殺魔』の作品映像などが挿入される。見ているうちに、あたかも両者のダイアローグであるかのような錯覚を覚える。

 そのダイアローグの厚みによって、メイが生まれた1973年、また足立が『赤軍―PFLP世界戦争宣言』の続編を撮るために、再びベイルートへ行った翌74年から、足立や重信房子が逮捕される2000年、そしてメイが房子の娘であることを表明し日本へとやって来る、翌2001年までの「映像のない27年間」を、映像化することに成功している。

 かつて大島渚は、「敗者は映像を持たない」と言った。では、彼らの「映像のない27年間」は敗北の歴史だったのだろうか。

 1974年のハーグ事件(最近、アサイヤスが、『カルロス』で、ベネスエラのテロリスト、カルロスの側から活写した)を皮切りに、75年のクアラルンプールのアメリカ領事館とスウェーデン大使館占拠、77年の日航機ハイジャックと、70年代には続々と武装闘争を行うものの、80年代は逃亡と潜伏を強いられ、90年代に入ると次々に「日本赤軍戦士」が逮捕されていった過程を振り返ると、それは敗者の歴史にしか見えない。

 だが、作品は、それを「アナバシス」、すなわち遠征、彷徨として捉えかえす。クナクサの戦いでペルシア軍を打ち破った、約1万のギリシア傭兵部隊が、しかし指揮官のキュロスを失うことで、その後指揮官不在のまま見知らぬ土地を遠征、彷徨する。ソクラテスの弟子であるクセノフォンが、その行程を『アナバシス』として物語化した。

 物語の中で、はじめクセノフォンは、観察者および記録者として遠征に加わり、やがて後衛の指揮官として選ばれ、彷徨の主役となっていく。その姿は、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の情報宣伝局で働き、やがて日本赤軍の指導者となっていく重信や、カラシニコフ片手にカメラを握り、その後日本赤軍のスポークスマンになっていく足立を彷彿とさせよう。

 やはり『アナバシス』に着目する『世紀』のアラン・バディウは、アナバシスを「運動」と見なし、「クセノフォンはペルシャの直中にギリシャ人集団が存在していることに意味―方向性を与えていた秩序が瓦解する様を描」き、そのとき「ギリシャ人にとっての頼みの綱は自分自身の意志と規律だけ」だったのだと述べている。

 重信―足立の「映像のない27年間」の道行きもまた、そうした「意味―方向性」の「瓦解」の渦中において、党の規律だけを「頼みの綱」に、遠征=彷徨という戦いを持続し得た歴史として映し出される。それは、第三世界に、失われた故郷を見出そうとして失敗した、敗北の歴史ではなかったと、この映像は捉え返してみせるのだ。

(続く)