アナキスト民俗学 尊王の官僚・柳田国男(すが秀実、木藤亮太)その1

アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男 (筑摩選書)

アナキスト民俗学: 尊皇の官僚・柳田国男 (筑摩選書)

 7月8日(土)、本書の刊行記念トークイベント「アナキズム柳田国男―「戦後天皇制民主主義」をめぐって」に参加。共著者の一人であるすが秀実によるトークは、バトル・イン・シアトル(1999年)や、日本においては3・11以降の反原発運動、SEALDs、直近の「安倍やめろ」に至るまでの諸運動を見渡しながら、そこに趨勢として存在するクロポトキン―柳田的なアナキズムを批判するというものだった。

 「『アナキスト民俗学』に言う「アナキズム」には、1980年代以降の現代に瀰漫しているアナキズムへの批判も含意している」(当日資料より)。本書は、柳田国男論でありながら、それ以上に現在の運動への思想的介入である(農を軸に運動を持続している吉永剛志が本イベントを主催したのも、この点に敏感に反応したからだろう)。

 その意味で、天皇制とアナキズムの相互補完的状況を批判してきた、『反原発の思想史』(2012年)や『天皇制の隠語』(2014年)からモチーフは明らかに連続している。1920年代のアナボル論争ではボル(マルクス主義)が勝ったことになっているが、実はその後もずっとアナは切断されてはいない?

 今回のトークでは、その天皇制とアナキズムの相互補完は「戦後天皇制民主主義」と呼ばれることになる。ここには、すでに主戦場は「民主主義」に移っており、今こそ語の正確な意味で「民主主義って何だ」と問うべきだというメッセージがこめられていよう。この国は本当に民主主義なのか、もしそうだとしたら、いつからそうなのか――。

 現在、ここに「最も弱い環」(岩田弘)があるとすがは見ているのだろう。「68年」が、まずもって「戦後民主主義」批判であったことを強調してきたすがの「68年」は、こうして移動し形を変えながら持続している。

 本書や今回のトークの情報量は夥しく、正直その全体像を包括的に語るのは難しい。ここではごくごく限定的にのみ触れよう。

 まず本書「はじめに」の冒頭に震撼させられる。

柳田国男(一八七五―一九六二)は、今なお「国民的」な知識人であり続けている。「国民的」知識人とは、――ウォーラーステインの用語を使えば――資本主義近代世界システムのなかにある国民国家にとって必須とされるような存在のことであり、それが存在しなければ国民的アイデンティティーが揺らぐかのごとく思われている知識人のことにほかならない。とりわけ、周辺的あるいは半周辺的な後発資本主義国にとって、である。「国民的」知識人は中心的な先進資本主義国との関係のなかで登場したが、それが「国際的」知識人である必要はない。(p9)

 明らかにこれは宣戦布告ではないか。ここに本書の意図が全面的に表れている。本書ではもう一人、「国民的」知識人として夏目漱石の名が挙げられるが、かつて『「帝国」の文学』(2001年)で漱石殺しがはかられたように、この冒頭は「本書はこれから柳田殺しを行う」と静かに告げているのだ。

 なぜ柳田殺しが必要なのか。「国民的」知識人が、「資本主義近代世界システムのなかにある国民国家にとって必須とされるような存在」である以上、彼らを撃たなければ、本丸のシステムを撃つことなどできないからだ。

 そして、この国の「国民国家」にとって、最も「必須とされる存在」が天皇であることは言うまでもないだろう。戦後「彼」は、主権を喪失しながらも、「象徴」として「必須」とされ続けてきた。柳田が、左右から適当に批判されながらも、「国民的」知識人という「象徴」として必要とされてきたように。したがって問題は、彼らが「象徴」化されていくプロセス全体であり、それがなければシステム全体が崩れ去るという、貨幣のごとき、トーテムのごとき「象徴」が「必須」とされる、資本制(優勝劣敗)―国民国家(相互扶助)なのだ。本書第Ⅰ部が、柳田の「象徴」闘争の過程をつぶさに追っていくゆえんである。本書は、「象徴闘争」を前景化することで、「象徴」との闘争を試みるのだ。

 「象徴」との闘争が、最もよく表れている箇所を引用しよう。

以上のように捉えることで、戦後の「平和」も把握できる。それは、「羨望されるとともに畏怖される模範像」としてあり、時には慈愛にも満ちた超自我たる王=父を殺害した後に訪れる共同体内の、つまりは一国的な平和である。しかし、王を殺害したことの悔恨は、それをトーテム=象徴として祀ることになる。戦後憲法の一条以下の天皇条項と九条とは、このようにしてリンクしている。日本国憲法第一条は、「天皇は日本国家の象徴であり、日本国民統合の象徴である」と、「象徴」という言葉を二度用いている。このことは意義深い。前者の象徴は死せるトーテムであり、後者の象徴はトーテムを祀る「人間」の祭主と捉えるべきだろう。このような戦後憲法体制の合意は、その後のアメリカによる改憲要求をも拒否しうるがごとく、強固なものである。(p331)

 ここでは、憲法に「象徴」が「二度用いられている」ことが指摘されることで、「象徴」の秘密が暴かれている。殺された(死んだ)だけでは、決して「象徴」にはなれない。その後共同体によって祀られ、その死が共同体を「統合」するものとして崇高化されなければ「象徴」とはならない。「客観科学」的には「死」でしかない現象を、祭祀という「生活世界」の営みを通じて共同体を統合する「神」としてまつりあげること。この「相関主義」(メイヤスー)が「象徴」を可能にする。したがって、「象徴」は常に二重=二度でなければならない。それら全体が「象徴」化のプロセスなのだ。

(続く)